2023年度 第3回 宇城教師塾(2023.11.14)

●京都 中学校 40代 男性

答えを追い求める日本の教育。教育の概念自体がこの時代にもう取り残されてしまっていること。その結果昔は家電産業でトップを走っていた日本がもうその地位にはいないことが、今の教育の行き詰まりを示している。今まで通りの答えを追い求める教育ではこれからの社会の中で世界と勝負して行くのは到底できない。しかし、ウェッジにあるように、教える以外の教育の仕方を我々教師は知らない。県を挙げて行われる研修。問いについてや、主体的深い学び。言葉はあるけど実態は無く、無から有を問う時間も猶予もない。そんなことはできないと身体から電波が出ている。その時点でどんな教育ができるのか、そこに希望は湧いてこない。何より今日の講習会のような未知の体験、できないことができるというような有りえない学びを身体がすることは皆無である。改めてここで学べること、ここに来て学べる幸せを感じました。宇城先生からの学びはそこで思考停止になってほらできないでしょう。では無い。その中で真剣に時間を止めて真摯にその課題と向き合うこと。そして何より本質を突き詰めて行けば、やるべきことはある。それが無い。見えてこないのは勉強不足。先生から学ばせて頂き感じる所です。今日の講習会は身体で、この目で見て体験ができる貴重な時間でした。

手と机がひっつくこと、先生の本と知識で書いた本では、出ている波動や気が全く違うこと。それによって周りに様々な変化を生むこと。それは我々人間も同じで日常で我々教師は様々な波動を出していて、それを当然我々大人より感度もエネルギーも高い生徒に影響を与え、その中で様々な気を使ってもらったり、呆れられたり、そしてまた、教師という資格プライドに固執し、対立を生み出し、生徒のエネルギーを正しい方向に導けない。その反対に同じ気持ちになり、同じ方向をこちらが見ることで全く違う空気が生まれる。本当のことや事実を勉強しなければ当然分からない。しかし、このような状態で教壇に立ち生徒に向き合っているのも事実で、大人以上に違和感や、マイナスの物を日々受け取っている。知らない。勉強していないのがいかに罪かそのことを今日の講習会で学びました。人間は人間。ヒトに成り下がっても人間を忘れて1人よがりで突っ走ってもそこには真の力は生まれず、本来人間が持つ人は生まれながらに完成形から外れ、当然調和のエネルギーでは無いので、孤独と虚無感がその後に待っている。もしかしたらついて来るものがそこにはいるかもしれないが、そこでついて来るものは、結局同じ穴のむじなの者が来ているだけで、広がりやエネルギーは無い。自分のことしか考えない。自己中心的人間が増えて行くことがいかにマイナスか、そしてそれが対立、争いへと向かわせる。人と人の間がいかに大切か、間は人のことを思う気持ちがなくては無くなる。人間を育てる教育において独りよがり、我が我がでは教育は成り立たないと今日改めて気付かされました。今日の検証にあったように勝ち負けを競い合うスポーツには心のエネルギーは宿らない。しかしこれも勉強不足でそれをスポーツ道にすることで話は変わる。人と人を繋ぐスポーツ。損得なしで助け合いが生まれるスポーツ。先生がペットボトルを投げられた時のあのエネルギーは受けた者、倒された側が明らかにエネルギーを頂きました。教えてやる。こっちへ来いの教育では未来は有りません。ここで学ぶ者として改めて止まれない。今日いただいたエネルギー、希望を日々の実践に活かしていき、本来の人間としての力を信じる教育に近づいていきます。そのためにも裾野を広げることではなく、自分の土台をしっかりと固めていき、その高さを少しでも高くしていけるようにすることが、自分、そして周りを守り、育てて行くことだと学ばせていただきました。自分の変化、成長が何よりの先生へのお礼であり感謝の形だと思います。これからも御指導宜しくお願い致します。

●奈良 中学校 20代 男性

第3回教師塾を開催していただきありがとうございました。今年度は校務、私用のため今回が今年度初の教師塾で参加できることをとても楽しみにしておりました。宇城先生の気を感じながら、また改めて自分自身が進むべき道が明らかになったように感じました。

今年度から新たな学校で勤務することになり、今まで務めてきた環境とはまた違った環境で、子どもたちの様子も違う中で様々な葛藤や悩みがありました。先生のお話の中でeducationとteachingの話や、暗記と問う力のお話もありましたが、今まさに勤務している学校の子どもたちは受験のための勉強が第一になっている中で私自身どうかかわっていくのがよいのか、そのような子どもたちにどのように今まで学んできたことを伝えていけばよいのか、わからないまま取り組んでいる中で、自分自身が部分体になっていることに改めて気づくことができました。いくら子どもたちに話をしても、その話をする人間に魅力がなければ言うことも聞きません。聞いたとしてもそれは上辺だけなのかもしれません。今回の実践の中で、宇城先生から多くの実践を通して気づくことができました。まだまだ、私は対立して引き付けることはできていない、明らかに勉強不足であると痛感しました。しかし、その反面、子どもたちのために自分自身まだまだ成長していける、普段の生活から実践できることは多くあるとも感じ、残りの期間で子どもたちに自分自身の学んできた姿を見せていきたいと強く感じ、とても楽しみな気持ちでいっぱいになりました。

また、帯を使った実践でも一見周囲から見た様子では引っ張っていなくても、内面からでる気持ちが相手に伝わり、引き寄せることができない。しかし、同じ方向を見て進むだけで引き寄せることができる実践を目の当たりにし、子どもたちに寄り添い受け入れることで安心してこちらに向いてくれるのかなと感じました。普段から近くで子どもたちの姿を見る教師だからこそ受け入れ、引き出し、気づかせることがとても重要なのだとも感じ、そのために教師は学び続けていかなければならないと、宇城先生の言葉が深く自分の中に入ってきたように思います。今回の学びを自分自身が実践し、それを子どもたち、職場の同僚に波及していけるよう日々生活をしていきたいと思います。

今回も貴重なお時間をいただき本当にありがとございました。また来年も教師塾に参加し、先生の温かい気を与えていただけることを楽しみにしております。今年度も本当にありがとうございました。これから寒い日が続きます、お体ご自愛ください。

●奈良 中学校 30代 男性

先日は教師塾の開催ありがとうございました。対立を生み出すのではなく、絆、信頼関係を築き調和することの重要性を再度学ぶことができ大変勉強になりました。また教師という職でしかもう一度生徒が帰ってくるという嬉しさは学べないと宇城先生がおっしゃっておられた言葉が大変心に響きました。今できることを日々取り組み積み重ねていきたいと思います。ありがとうございました。

●京都 中学校・高等学校 30代 男性

昨日は、教師塾誠にありがとうございました。毎回、宇城先生から、教員という身がいかに、生徒たちの行く末に、大きく関わる職業であること、それがゆえに、自分自身の魅力、土台の厚みをつけなければならないというメッセージをいただいております。

今、目の前にいる生徒たちは、いわゆるエネルギー不足の状態にあります。気のあてどころがないというの現状です。「競争」ではなく、「調和」でもなく、「無」という状態にあります。これに対して、我々教員がどのようにあるべきなのかということを現在考えさせられているところです。また、周りの教員の一部もそれに同化、同調しつつあって、自戒も含めますが、「何のために生きているのか」と悶々としております。「無」の状態、そこから「気」をいかに生み出すのか、それこそ教員として厚み、魅力が試されているところでありますが、一方で無力感をも感じている、矛盾もあります。それゆえに、昨日の宇城先生からの自らの魅力で生徒を引き付けるというお言葉は、いつも仰っておられますが、また自分に突き刺さりました。

また、実践を通じて、「目線」に立つ、相手との「調和」が、生徒を引き付けることをお教えをいただいてまいりました。この数年間の中で、その「神聖なる場」には「礼」をしてから入るということをお教えいただき、私自身続けているところであります。生徒・クラスが変化したという実感は今はまだ見えてきてはおりませんが、それもまだ私自身が感覚として「やっている」からであろうと思います。無自覚的な積み重ねであろうと感じます。

「生徒の希望となる」そのために、「今」から自分の厚み・土台を高く高くする。そのお言葉をいただき、また、自分自身、前に進まなければと強く再認した次第です。

●奈良 中学校 30代 男性

宇城先生。お忙しい中、昨日の教師塾ではありがとうございました。また、教師塾の先生方、道塾の皆様にもこの場を借りて御礼申し上げます。

最近、学校で接する生徒や部活動で関わる生徒がどのようなモチベーションで学校生活や部活動に参加をしているのか少し気になっていました。特に部活動の中で、生徒に疑問を投げかけた時、こちらが予想する答えが出ることもあるのですが、あまり深くまで思考していないような少し寂しさを感じる答えが出ることが多く、どのように導いてあげればいいのか考える日々でした。昨日の教師塾の冒頭でその原因と答えを知りました。それは今の日本の教育がすぐに答えを教えたり、答えを出すことが正しいと若者が錯覚するような仕組みであること。生徒たちが考えようとすることが今の教育現場には少なく、そもそも問題や解決策を考えることに思考が発展しにくい環境に生きていること。それを作り出したのは大人であり、教育現場で働きながらその日本の誤りに気づけていない大人である自分に恥ずかしさを感じると共に、自分がボケていることに打ちのめされました。生徒たちが導き出す言葉や行動が、正解なのか間違いなのかが判断材料ではなく、「なぜだろう」「どうすればいいのだろう」と考えさせることが大切であり、行動に移させてみて新たに課題や問題点を考えさせる。生徒と同じ目線に立ってコミュニケーションを今まで以上にとりながら、簡単に答えを教えずに共に考えながら取り組んでいきます。

また教師塾の中で、宇城先生には政府が不都合なために世に出さない世界における日本のランキングを拝見しました。数字だけを見て、1位があることに少し前向きになれたかと思えば、そのランキングの内容に愕然としました。宇城先生は世界と日本の差を教師塾の私たちにいつも丁寧に愛情を持って教えてくださいます。その想いと気を私自身がどれだけ関わりのある生徒に伝えていくのか。伝えることができていたのか。。今までも精一杯取り組んできたつもりですが、さらに前向きにまずは自分の姿形からもう一度見直していきます。

姿勢や愛情や誠実さを大切にしながら、「土台」を安定させて高くしていく。自分自身だけではなく、生徒や同僚の先生方、学校、地域の長期・中期・短期のビジョンを見渡せる人になれるように。ただ、自分一人ではなく多くの生徒や先生方にも土台を高くしてもらえるように、姿勢や愛情を今まで以上に意識しながら、少しでも気を伝播させていくことが明日からの私の目標となりました。まだまだ姿勢や愛情が無意識下に発生させられていないことも自分自身の課題として認めながらですが。。

日本の変わらないものを知り、そこから変えていけるものを自分なりに考えていきたいと思います。2023年が終わりに近づいている今、教師塾で宇城先生からパワーをいただきました。来年に向けてこの年末を実りあるものにします。宇城先生、本当にありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願いいたします。

●山口 中学校 30代 男性

生徒と目線を同じにする、人を育てるという神聖な場へ礼をして入る。調和の世界には、今直面している諸課題を根本から解決する答えと私達には想像もできない莫大なエネルギーが存在していることに気付かせていただきました。

自分のこれまでを振り返りますと、様々な理由をつけて、この真理に逆らうようなことばかりをしていたと反省致しました。組織や体制の中にあって、そこで良しとされているやり方で結果を出せば周りが認めてくれる、話を聞いてくれると思い、頑張っていました。しかし、それは大きな間違いでした。私達には心があり、その心は何のためにあるのか。宇城先生のように人を愛する、そのために私達には心が与えられているのだと思います。

人を育てるのではなく、知識を詰め込み、自ら考え行動する力を奪っていく教育システムの中で、私達教師塾の塾生は子ども達を守っていく使命を頂いているんだと思いました。思いやりや優しさ、人に寄り添える人間を育てることを蔑ろにした結果が今であることを、先生が御講義の中でお示ししてくださいました資料をとおして知ることができました。無から有を生み出せなくなった日本産業界の凋落、知識を詰め込むことばかりに子ども達を追い込んでいる日本の教育のあり方、日本社会全体を覆う希望を失った故の閉塞感と元気のなさ、全てが悪化の一途を辿っている中に子ども達と私達はいます。その根本には、心なしという要因がありました。
 学校現場では、対立・競争を煽る要因が蔓延しています。私のレベルでは当然何もできません。しかし、宇城先生の御教えには全てを幸せにし、そして世界を救ってくださるという確信と安心感を感じさせていただき、本当に大きな希望をいただきました。

最近、私の担当する学年では毎日生徒指導事案が複数件頻発しております。なぜ、こうなるのか。私には全くわかりませんでした。先生の御講義を拝聴しながら、「過去のやり方でやるから、つまらない。だから、どんどん悪くなる」という御言葉がとても響きました。まさにこれまでの私は、無から有どころか、何度も何度も過去のやり方を一生懸命やるばかりでした。その間違いを生徒達が様々な行動をとおして、気付かせてくれていたのではと思いました。

まずは教師である私自身が、砂上の楼閣となっている自分の土台を変えていきたく思います。そうすることが今接している子ども達が少しでも良い方向へ行く邪魔にならないことだとこの度気付かせていただきました。そして、まずは勉強を重ね、今日本が置かれている現実を知ることから始めていきます。

宇城先生、今年も教師塾での貴重な御指導を賜り、本当にありがとうございました。教師塾の塾生の皆様と共に、先生の下で学ばさせていただけることに心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。これからも何卒御指導、御鞭撻の程、心より御願い申し上げます。

●奈良 中学校 30代 男性

昨日は教師塾でのご指導誠にありがとうございました。8月以来の開催ということで、前回から少し間が空き、ワクワクする高揚感と身の引き締まる思いの両方を感じながら会場まで向かわせていただきました。定刻では19時からとなっていましたが、先生は定刻よりも前にご指導を開始してくださいました。また、始められる前に「はじめます」等はありませんでした。稽古は道場だけではない、日常の生き方そのものが稽古であるということなのではないかと私は感じました。開始から終了までの2時間という時間は他とは比べ物にならない時間でした。あたたかくも緊張感があり、先生に包んでいただいている空間でした。

私が最も印象に残ったことは、先生がおっしゃった「楽しいやろ?」の一言です。これは、「教師が気づけば生徒が変わる!」の最後のページにも書かれていた言葉でした。教師塾で宇城先生に学ばせていただくようになってから2年が経過しましたが、様々なことが劇的に変わりました。思えばご指導いただいて最初の頃は、先生に教えていただくことと現実(自分自身も含め)があまりにも違い過ぎること、これまでにないことを目の前で実証していただくことが素直に受け取れず何かもやもやしていました。(頭脳)そして、日々の教育活動でも「教育」とはどういうことか?が全くまかっておらず、生徒を押さえつけるような指導になってしまっていたので、毎日がしんどかったです(心と身体)。

『地球は引力で引き付ける。磁石は磁力で引き付ける。人は魅力で引き付ける』

『教育とは育み、教えられるもの』

『心を土台にすれば間違いない』

宇城先生に教えていただき、宇城先生という存在そのものを感じさせていただき、直接触れていただき、私自身にも気をかけていただきました。そして、今の自分が感じることは教師として、目の前の生徒達と目線を合わせて関わっていくこと・寄り添っていくことがこの上なく「楽しい」ということです。上手くいかないことばかりですし、問題が生じることもあります。それでも充実した教師としての日々を送ることができています。なので自然と「もっと自分自身を成長させたい」という気持ちになり、勉強したいという気持ちがわいてきます。また、生徒たちに「こんなことを伝えたい」「こんな授業をしたい」という思いがどんどん湧いてきます。今年は、3年生を担当させてもらっています。私の教師人生で1年生から持ち上がり、卒業まで担当させていただくのは今回が初めてです。また、宇城先生から学ばせていただくようになって最初の卒業生となります。宇城先生から目の前の生徒たちの姿から本当に多くのものを教えていただいています。それらすべてが私にとっての財産です。『自分が変われば周りが変わる』。教師として自分自身の成長が目の前の生徒達に影響を与えることは間違いありませんので、これから先、一生成長し続けます。これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。今年度はありがとうございました。 

●奈良 県立教育研究所 40代 男性

昨日は、宇城教師塾にて御指導いただき誠にありがとうございました。いろいろなお話し、体験をさせていただきましたが、改めて私たち教員、大人が眼を向けなければならないこと、心構えを教えていただいたと感じています。また、現在学校現場で勤務していない私にとって、忘れがちな信念、中心、原点を思い出させていただいた時間となりました。

  教員は、「こうなったらいいな」、「こうし欲しい」と子どもたちを変えようと考えがちです。しかし、昨日の教師塾を通して変わらなければいけないのは、自分、私たち大人であって、私たちの役割はエネルギーに溢れる子どもたちを余計なもの(世の中)から守ることだと思いました。大人より、子どもたちの方がエネルギーに溢れている、という感覚をいったいどれだけの教員が自覚しているでしょうか。日常では自覚できることのない事象を宇城塾という学びの機会があるからこそ、実証を通じて、また体験を通じて気づかせていただけます。昨日の気づきを、日常の行動に繋げたい、普段の自分を変えたい、今すぐやりたい、そんな気持ち(心)になりました。

  ちょうど、教師塾の日に職場で不登校の生徒を招いてのイベントがありました。小学生、中学生、高校生の5名が参加し、ビンゴ大会などを行いました。そのビンゴ大会で、子どもたち、そして私たち職員が順番にビンゴのボタンを押していきました。驚くことに、職員がビンゴのボタンを押すと外ればかりだったのですが、子どもたちがビンゴのボタンを押すと当たりばかりでみんながビンゴカードに穴を開け、「ビンゴ」となり、会場が笑顔で包まれました。

昨日の宇城塾にもあったように、子どもと大人のエネルギーの違いを感じた場面でした。しかし、そんなエネルギーのある子どもたちが学校に行くことができていないという現実があります。それが教育の現状です。子どもの持つエネルギーを発揮することができない今の学校教育のあり方にもどかしい、残念、怒りなど様々な感情が湧いてきます。この気持ちを大事にしたいです。一時のものではなく、常に持ち続け自らのエネルギーとします。

子どもたちを変えようではなく、今すぐ自分が変わる。変わらなければならない。本当にそんな気持ちになりました。現場と離れてはいてもこの気持ち、そして宇城先生と繋がり、子どもたちと繋がっている心を忘れないでいます。本年も温かい愛情で御指導いただきありがとうございました。来年も御指導よろしくお願い致します。

●奈良 高等学校 20代 男性

先日は、ご多忙の中ご指導いただき、ありがとうございました。今回で4回目の参加をさせていただいたのですが、毎回、次の日にはエネルギーたっぷりで学校生活を送れます。ただ、宇城先生に学ばせていただく3ヶ月間の間で活力を無くし、横着をしている自分に気づかされました。翌日、学校で教室に礼をして入り、生徒達の前で話をしていると、全員と目が合い、心地よく会話ができました。また、掃除のときも、普段なら生徒に「掃除いけよ~」と言っていましたが、率先して掃除をしてみると、教室の汚さに驚きました。普段はこの汚れにも気づかないほど、人としてダメになっているんだと気づかされました。理屈だけを言い、過去の体験や経験から何も生み出せない自分が生徒の前に立っていること自体、情けなく感じました。ただそれでも、礼をして教室に入る。同じ目線になる。自分にできることから覚悟をもってやっていきたいとおもいます。

宇城先生が、気は良いも悪いもすべて受け入れる。というお話をされて、宇城先生にご指導いただいた人が最後には笑顔にあふれ、自然と心からお礼を言っている姿を見て、「先生」とは宇城先生のような人のことを先生と呼ぶんだなと感じました。

私は、意識の中で人と接しているから魅力が無く、生徒に何も伝わっていないんだなと思いました。やるべき事は決まっています。まずは、「礼」そして、生徒と同じ目線になって日々を過ごしていき、自分が成長できるよう日々取り組んでいきたいと思います。

今回もご指導ありがとうございました。引き続きご指導の方よろしくお願い致します。

●奈良 中学校 40代 男性

本日はお忙しい中、教師塾を開催して頂き、またご指導して頂き、誠に有難うございます。教師塾の2時間が一瞬のように過ぎ去ったような感覚で、私の身体の中に刻まれる感じを受けました。

今回、教師塾に興味を持たれた先生方に紹介し、参加していただいたのですが、来た時の顔と終わった時の顔が全く違い、笑顔になられているのを見て、これが本当の指導を受けたのだなと思いました。私の学校の教員で、とても一生懸命にお仕事をなされているのですが、なかなか上手くいかず、悩んでいる様子でしたが、先生に触って頂き、気に触れさせていただいたことで、希望に満ち溢れた顔をなされていたのが印象的でした。先生が「Wedge」の中で「日本の教育が危ない」で話されていましたが、知識詰め込み型の画一的な教育が「正解主義」が蔓延し、現在抱えている日本の課題に答えを見出しにくく、「自らが『問い』を立て、解決する力」が求められていると紹介して頂きました。これは、子どもだけではなく、教員にも言えることで、今回新たに来られた先生方にお話を聞かせて頂いたときにも、「これからどうやって仕事をやっていいか分からない」「こんな気持ちで何十年と働いていけるか不安だ」というお話をされました。先生から教師塾のテキストと書いていただいた「教師が気づけば子どもが変わる!」はまさにそのとおりだなと感じました。私の学校でもすぐ答えを求める生徒が多く、自分で考えることが本当に出来ず、あきらめてしまう生徒が多いです。でも、それは教員自身が変化し、成長していけば、子どもたちも変わっていくのだと思います。私も含め、教員の実力がないと、子どもたちの未来に明るい光を与えることが出来ないと思います。勉強して、勉強して実力をつけないといけないなと思います。もっと生きるスピードを上げていかないといけないなと思います。先生にはいつも丁寧に指導して頂けるお陰で、今の私があるように思います。本当に感謝しないといけないなと思います。その温かい空気は目には見えませんが、先生の愛情、信頼が波動となって私に伝えて頂き、私のエネルギーになっていることは間違いない事実です。私自身もこの数ヶ月、新しい仕事があり、忙しいと心を亡くしている事が多かったように思います。先生が、「高い位置から見れば、過去も現在も未来も見える。その土台となるのは、寄り添い、絆、信頼の心ありの行動だ」と仰っていましたが、最近の私は忙しいと言って、横着をしてしまい、エネルギーが下がってしまうと、昔の癖が出てしまっていたような気がします。自分勝手な行動、わがままな言動を取ってしまい、前が見えなくなってしまっていた事に気づかせて頂きました。寄り添い、信頼、絆を大事に、宇宙からのエネルギーを頂き、子どもたちの希望の光を与えられる存在になれればと思います。自分のスピードを止めないように、二進法で生活をしていきたいと思います。

宇城先生、お忙しい中、ご指導頂き、誠に有難うございます。引き続き、ご指導宜しくお願い致します。

●奈良 高等学校 20代 男性

お忙しい中、ご指導ありがとうございました。今回の講演会でも沢山の気づきを与えていただきました。

まず、1つ目は、学校教育の答えを教えていくことの危険さです。日本の教育は答えを教えて暗記するということを重視している教育だと改めて感じました。今やチャットGPTなどの過去からの答えを引っ張ってくるということは教育に必要ないものになってきているのではないかと思いました。それよりも答えのないものに対してしっかりと深く考えていきそこから何を気づき何を感じられるかが今求められていることだと感じました。そう考えると今の学校教育の抜本的な改革をしていく必要があるのではないかと凄く感じます。

2つ目は、教員としての人としてのスキルをつけるということです。言って聞かせるのではなく自分の話を聴きたいと思ってもらうために、言う事を聞いてもらうためにはスキルをしっかりとつけていきたいと思いました。宇城先生の話の中に地球は重力で引き付ける、磁石は磁力で引き付ける、人は魅力で引き付けるという言葉がありました。その言葉がすごく印象的で凄く印象に残っています。

3つ目は、帯を引っ張る検証です。

目線、立場、向かう方向を合わせて一緒に進んでいくことで、生徒が進んで動くようになるということを目に見える形で実証していただきました。自分(教師側の)考え、思いは必然的に身体を通して、テレパシーとして通じているということを改めて感じました。普段何気なく学校で生徒に接している際良いも悪いもテレパシーが伝わっているということを気付かせて頂きました。また、自分のことを常にアップデートさせていき、自己改革を行い周りの生徒たちを良いように変えていける存在になれるよう努力しようと思います。

4つ目は、水が入ったペットボトルを投げてそれを受け取る検証です。

野球の世界では、只々、速い球を投げる大きく変化をさせたボールを投げるといった浅いものであることが多いですが、宇城先生に教えていただいたものはそうではなく物凄く深い何かがあり、受け手側がパワーを感じるということに衝撃を受けました。

まだ、私には気づくことのできない世界にもっともっと精進していかないといけないと改めて感じさせていただきました。

最後に、学校現場で長期に渡って日々過ごしていると先が見えなくなり世間が見えなくなり頭ごなしの指導ばかりを行ってしまっているような気がします。しかし、このように宇城先生の講演会に参加させていただき勉強させていただくことで、このような指導をしていてはいけない、もっと生徒に魅力を感じてもらえるような指導をしていこうという思いがいつも湧いてきます。

宇城先生、お忙しい中本当に多くの学びをありがとうございました。今後ともご指導宜しくお願い致します。

●奈良 高等学校 30代 男性

本会の中で個人的に最も感銘を受けたのは、宇城先生が九九以上の掛け算を例にしてお話してくださったことで、どのような事でも深めると法則が見えてくるというという言葉でした。

深めるためには受験勉強のような暗記ものではなく、生徒達が自分の頭を使って考えること、気づくこと、そして自分でやってみたくなるように教師が手本を示すことがこれから必要になってくるのだと思い知らされました。AIが台頭してきている中、従来のような教師から生徒へ知識の伝達を行なっているだけでは、どんどん世界から取り残されていってしまいます。まさに今必要とされているのは自ら問いを立てる力だと思っています。そこに私も疑いは持っていません。少子高齢化やパンデミックのような未曾有の事態など答えのない問題にこれから私たちは立ち向かわなければなりません。このような点を踏まえて多くの学校では探究学習に力を入れていますが、本質を捉えているようには感じません。文言上では、問いを自らたて、問題解決に向かって探究すると謳っていますが、すでに形骸化していて、活動・発表の見てくれだけ良くしようとしている気がしてなりません。これでは学校教育の本質は変わることができないと思います。どうしても教員も生徒も外的な動機づけによって動いているような気がします。この根元にはやはり受験といった競争主義があるからでしょうか。既存のシステムを否定するのは簡単なのですが、その代替を縞さなければ建設的だとは思いません。一方で今自分がその代替案を持ち合わせていないことも事実で、非常に悔しい思いがあります。よって、私たち教員に欠かせないのは勉強して常に自分をアップデートすることなのだと思います。そして自分の身の回りのところから実践していかなければならないのだと痛感しています。まずは姿勢や挨拶、寄り添う姿勢の基礎を作り、勉強し、自分の視座を高め、俯瞰的に物事を見られるようにならなければなりません。数段上から過去、現在、未来を見て教育に当たることができれば、少なくとも自分が接した子供は何かを感じ取ってくれると思います。信念を持って継続してやり切ることで、法則が見えてくるのだと信じて精進したいと思います。本会もご指導賜りありがとうございました。

●兵庫 高等学校 40代 男性

この度も教師塾でのご指導、ありがとうございました。

あらゆる場面で今までのやり方が通用しない今の状況において、調和の世界にしか救いの手が無いことを改めて教えていただきました。しかし、今の自分は無意識のなかに我があり、対立構造から抜け出せないでいます。このことを、帯を使った実践において明確に感じさせていただきました。表面上は引っ張らないようにしていても、内面では引っ張ろうとしてしまっており、それが相手に確実に伝わっている。日頃から、無意識のうちに上から目線、力づく、自分の都合で指導してしまっている自分に生徒が気を遣ってくれていると思うと、申し訳なさや情けなさを感じずにはいられませんでした。ヒトに成り下がっているというお話もありましたが、「間」のない自分が影響を与えてしまっており、最近クラスにおいて気になっていたことの原因が自分にあることを自覚しました。調和・融合があるから高く積み上げることができる。それが、過去、今、未来を一つにし、進むべき道を示してくれる。前例のない出来事が次々と起こる今、「心あり」でしか解決策は見つかりません。まずは自分が変わること。それも一進法でスピードを持ってやっていく。宇城先生や、ともに学ばせていただいている先生方の姿を自分のなかに映して進んでいきます。今後ともご指導の程、よろしくお願いします。

●大阪 中学校 60代 男性

宇城先生。

先日も教師塾のご指導をして頂き、誠に有り難うございました。

講義の最初、雑誌『ウェッジ』の記事を使って現在の日本が抱えている課題について、ご説明頂きました。先日の(私が振替で参加させて頂きました)大阪道塾Aクラスでも、冒頭に触れて頂けましたが、今回はスライドも用意して下さり、「家電立国ニッポンの凋落」や「日本の教育の課題」の記事の骨子を、より理解出来ました。でも、これらの記事の内容も常日頃から宇城先生がお話しして頂いていたことです。やっと、有識者の方々も日本の現状そして課題に目を向けるようになって来たのだと思いました。そして、記事の中の提言では、「自らが『問い』をつくることが出来る人を育てよ」とありますが、その方策はあくまでも現場まかせ。執筆者からの具体的な方策は示されていないようです。それに対して、宇城先生は具体的な方策、ビジョンを持っておられます。「今の常識にはないものを、直に見せる」…そうすると子どもは、一瞬で変わる。その言葉の裏には、今までに数多くのご指導をされてこられて、そのご指導の中で感じてこられたからこそのお言葉だと思います。

さて、ここ2回の道塾の実証の中で、特に印象深いものがあります。それを、今回も示して頂けました。それは、一対多で帯を持つ実証です。帯の一方を4~6人程で持ち、帯のもう一方を1人が持ちます。そのとき、その1人が外見上は帯を引っ張らず、そして、帯がたるんでいるにも関わらず、複数人の方々はその1人が引っ張っているのを感じるとのことでした。初めて見せて頂いたとき、私は見ているだけでした。「外見上は引っ張ってはいないのに、不思議だ。目には見えない微細な力が働いているのだろうか」と思いました。宇城先生曰く「今までの教育を受ける中で身についてきたもの(対立構造)が、自ずと出てしまう」とのことでした。大脳新皮質の顕在意識には上がってこない何かが働いているのでしょう。

2回目は、私が1人で帯を持つ役目をさせて頂きました。案の定、自分では引っ張っていないし、帯もたるんでいるのに、もう一方の端を持っている複数人の方々は「引っ張っている」と、仰います。そして、そのときは、私の次に1人で帯を持つ人に対して左右に各3人が肩に手を置いて繋がることで、その無意識の引っ張りを消す方法を示して頂けました。

3回目の今回。私は帯を複数人で持つ側に入れて頂けました。今までの経験から「果たして、私が複数人の側になったときに、その無意識の引っ張りを感じ取れるだろうか?」と思っていたので、有り難かったです。

実際に体験してみると…。正直、最初はあまり判りませんでした。「感じよう。感じよう」と考え過ぎると、偽の「感じた」になってしまうと思います。出来るだけ「ニュートラル」で…と思うのですが、自分が果たして感じているのかいないのか自信がありません。そのあと、1人で引っ張る方が我々の方に来て寄り添い、我々と同じ方向を見てから元の位置に戻ると…先程との違いを感じ取れました!相手の1人の方が全く“無”になってしまいました。その違いを感じ取れたことが少し嬉しかったです。

最後に、講義の終わりのときに私達に頂いたエール。本当に有り難うございます。また、教師塾に新しい若い面々が増え、喜ばしいことだと感じています。来年も教師塾を開催して頂けるとのこと。引き続きご指導の程、宜しくお願い申し上げます。有り難うございました。弥栄。

●京都 中学校・高等学校 40代 男性

一昨日は、教師塾でのご指導ありがとうございました。今回も「自分」と向き合う機会を多くいただき、そこから「気づく、気づかせていただく」そして「行動していく。行動するエネルギーをいただく」という循環を感じさせていただきました。 世の中のほとんどの人が「どのように行動すればいいのかわからない」のだと思います。そもそも私自身も宇城先生に出会うまではそうでした。自分の低いレベルで仕事に向き合うものの、何も先のことが見通すことなく行動していました。自分自身のレベルを灯台のように高く、勉強してその高さを積み重ねていくことで、現状がみえ、短期、中期、長期のビジョンを提示することができてくる。先生の示された図はシンプルでとても分かり やすく、他者がどうかとかなど全く関係なく、自分自身がどうあるべきかということ。全ては自分の深さ、より高く積み重ねるために、常に勉強。勉強。勉強。そこに、おごりもなくどこまでも続くあくなき探究ということで本来私たち国民一人ひとりがすべきことです。しかし、目先のことに囚われ、いかに楽して稼ぐのか。その空 気が充満しています。その背景には、満たされ過ぎている環境があるからでしょう。自分自身を鍛錬せずとも、 それなりの生活ができ、周りも同じようであるがゆえに、後世のことなど無関心になる。本当にこの国は破滅に向かっているのが先生のご指導のおかげで少しだけわかるようになりました。だからこそ、自分自身の役割を果たしていきます。

今回の教師塾でも帯を引っ張る検証がありました。はじめ先生がおっしゃる意味がわかりませんでした。しかし、大阪道塾での検証と今回の教師塾でのご指導いただいていたことで自分なりに感じたこと。それは無意識に対立することを身体が覚えているということです。だから、対立しない。調和する身体をつくっていく。ということの大切さだ。と私なりに理解しました。対立する身体からは、自然とそのエネルギーが出てしまい、帯を通じて相手側に伝わるということ。私は、帯を複数人で持つ方だったため、引っ張られることをすごく感じることができました。しかし、反対側に立っている方は、頭では理解しているものの先生に「引っ張っている」と言われ、それがどのようなことなのか理解することができない表情をされていました。この検証からもわかる通り、反対側にいる関係。生徒と教師。子どもと保護者。国民と政治家。といった立場の方が、そのことをより感じるのでしょう。だからこそ、相手と目線を合わせること。肩に手を当てて寄り添うこと。礼をつくし、場を清めること。調和すること。この積み重ねで身体を作っていく。ただ、日常の忙しさからその大切なことを忘れてしまって…。ということになってしまいます。だから宇城先生という「師」が必要なのです。その存在こそが、崩 れている自分を気づかせてくださる。またその指導も常に本人が「気づく」という視点でご指導していただける。心底自分自身が気づかないと「変わらない」ということを誰よりもわかっていらっしゃるからこそだと感じます。例え、道を外れようともどこまでも深い愛情で見守っていてくださる。私にはできません。しかし、「師」がそのような生き様を示してくださっていること。それを少しでも映せるように、私自身の器も大きくしていく努力をします。 最後になりましたが、「できる自分」がいるという希望を与えてくださり、毎回自分を信じてみよう。信じるんだという想いにしていただき、エネルギーをいただいていることに感謝して、まっすぐに突き進んでいきます。 引き続き、ご指導よろしくお願い致します。

●岐阜 高等学校 40代 男性

今年最後となった教師塾でのご指導ありがとうございました。

大人数に対して、一人で帯を引っ張る実践において、一人の方に「それは引っ張ってしまっている」と先生は何度も指摘されました。指摘された方は力を抜き引っ張らないでおこうと努めるのですが、「引っ張らない」とはどういうことか分からず、キョトンとしています。外から見る我々からすれば、その方が「引っ張っている」とわかるわけですが、当の本人はそのことに気づきません。そして我々には分かる。

しかし後になって思えば、その方が引っ張っていることがわかるのは、その場に宇城先生がいるからこそです。宇城先生が「それではダメだ。引っ張ってしまっているんだ」と指摘されるからこそ分かることであって、その指摘がなければ私にはわからないです。その場で直接指導されている方を見ながら、その方が「ああこうなっているな」とわかる・感じられるのは自分自身であることは確かなのですが、それは自分の実力ではないということです。

これまでは「わかる自分」に安心して、そこで止まってしまっていたように思います。

それは「分かる=正解」「分からない=不正解」という対立的な思考のクセがまだまだ私の中にあるからだと思いました。「正解/不正解」=「善/悪」というクセが抜けていません。だから常に「今」集中できない。

今という時間を「心あり」にして、たしかな土台を気づき、そこに建物を建てる。そこから過去と未来を見る。私自身の現状では未来も過去も見えないわけですから、「今」を充実させるしかありません。

その場に誰がいるか、そしてその場がどのような空気になっているか、これは学校のなかにおける生徒にとって、とても大切なことです。しかし最近生徒の前に立つ私が、腰が引けた状態であることを感じていました。現任校では問題行動を起こす生徒や大人や社会に対して反抗的な生徒が何人かいます。問題の度に真剣に彼らに接しようとするのですが、なぜかもう一歩彼らに踏み込めない、グッと入っていけない自分を感じていました。どことなく後先を考えて彼らに迎合するだけのような感じでした。「今はそういう時代だから」という言い訳をしつつ、このままではいけないと思っています。

改めて思えば、私たち教師が生徒たちの前に立つことが仕事である以上、宇城先生とともに時間を過ごすことは、それだけで私たちにとって大切な学びです。ハウツーではなく、ノウハウでもなく、そこで自分が身体で感じとったものを持って生徒の前に立つ。その学びと実践を繰り返していきます。

宇城先生は一体どのような感覚で私たちを眺めていらっしゃるのか、その視座の高さ・深さ・広さ=次元の違いをつくづく感じます。宇城先生は実践塾、道塾、教師塾で数えきれない塾生を指導しながら、そのひとりひとりを一瞬で見抜いてしまいます。

自信を持って堂々と生きられるよう、裏切らない身体を創れるよう、毎日積み重ねていきます。まずは一歩、一歩。

今後ともご指導よろしくお願いいたします。 

●奈良 中学校 30代 女性 

ご指導ありがとうございました。

先生のお話を聞いて、日本の先のなさを感じ、教育の重要性を考えました。今の教育では、「答え」があることが当然ですが、世の中にでれば、「答え」はなくて、自分自身で考え、学び、作り出していくことが求められます。この現状と踏まえて、私には何ができるのだろうと不安にもなります。教師として、覚悟を決めてやっていくことしかないのだと思います。これからを担う子供たちを、預かる責任を感じます。

私自身、今年は、担任ではなく学年係として過ごしていて、部活動も副顧問として過ごしています。今まで、子ども達と時間を多く共有する場所にいたこともあり、自分の立ち位置に戸惑い、子どもたちに深く関わる機会がない、担任の先生を超えてはいけないと思って過ごしていました。けれど、その考え自体がおこがましく横着で、ただ単に自分の実力が無いことをごまかすための言い訳だったと思います。子ども達にとっては、そんな言い訳は関係ないです。「やる」か「やらない」かのどちらかなのだと思います。宇城先生のお話を聞くと、ごまかしていた自分に気づきました。同時に、早く学校に行って、子ども達と関わりたいと思いました。守られる安心感や、仲良くすること、「絆」や「信頼」は、愛情を持って接することから始まると教えていただき、私の中学校で愛情が増えるようにもう一度、頑張ろうと思いました。今の自分に言い訳することなく、できることを一つずつやっていくこと、2進法で進んでいくことをしていきたいと思います。無意識下で、「私は先生だ!」と思っているので、相手を調和して、物事と調和して、謙虚にしていきたいです。

宇城先生にご指導いただくと、エネルギーと元気に満ち溢れ、また頑張ろうと思います。

子どももそう感じることができれば、もっと学校は良くなっていくのだと思います。

まだまだですが、誰かの助けになれるよう、「愛情」と「信頼」を忘れず、過ごしていきたいと思います。

ありがとうございました。

●奈良 高等学校 30代 女性 

引っ張っていないけど、引っ張っている。外から見ていると帯は弛んでいるように見えるが、触れている人には分かる。「引っ張られている」。一見そう見えるが、中身は異なる。帯のように弛んでいるように見えるが、対立している状態がまさに今の職場の職員室だと感じました。帯の先が同じ人数でも「気」の違いで結果が異なる。姿勢や心の遣いかたで結果が変わる。そういう物の見方を学びました。本校には多くの教職員がいますが、学年や教科、分掌の中で衝突があります。見えているのは氷山の一角です。前任校とは違う「疲弊」が蔓延しています。偉そうなことを言いますが宇城先生に学んでいる身として、ここが実力を試す場だと感じています。

進学校の3年生を担任し、1学期と同じクラスとは思えない変化に戸惑っています。自身の志望大学が決まり、受験に必要ない科目もまた決まります。「要らない授業」を受けに来ない生徒が多発しています。また、「自分」がなく受験の競争に押しつぶされて満身創痍の生徒たち。今、長期欠席の生徒は自分が顧問をもっていた部員です。「なんで来ないのか」と腹立たしく思ってしまっていました。ですが、今月に道塾と教師塾と続けて参加させていただき、帯の実証で気がつきました。対面になって、いくら引っ張っても付いてきません。でも、同じ立場・目線に立ってから引くと付いてくる。どれだけの人数でもです。教壇に立って、少し高いところから生徒を見ていたのだなと反省しました。自分に実力がないだけです。宇城先生に気づきをいただき、生徒が教えてくれました。日々勉強し、自己の「高さ」があれば守りたい人たちを守ることができる。導きたい方向に導くことができる。また、謙虚になることで深さをつくり、学び続けることで高さをつくる。上と下、両方に伸びないと意味がありません。実証でもあるように宇城先生が前に立ってくださるとできる気がする(すでに出来ている)。毎回のことながら、希望をいただきます。教師である自分はどうなのか。ぐるぐると湧き上がる変化が心地良いです。

精子が卵子にたどり着けない事実があって、さらにそれにはある物質の量が関係している。その量に影響するのは「不安」「怯え」、つまりその人の気持ち。「なるほど」と納得しました。以前の教師塾で、牙が生えてこない象が産まれてきていると学びました。象牙の密猟者から子孫を守るための象の進化です。同じことだと思います。この話からも少子化を根本的に解決するのは、人間の「気」です。人の心の在り方、調和の姿勢が根本的解決になると信じています。まずは職場の調和から、自身の気づきを広めます。2進法の中の1進法です。「やります」から試行錯誤していくことが、実力となります。

宇城先生、この度もご指導いただきありがとうございました。引き続き、宜しくお願い申し上げます。

●兵庫 高等学校 50代 男性

宇城先生、教師塾でのご指導ありがとうございました。

今回、一番心に残ったのは、教師として、人間として生きていくための「土台」の重要性です。その「土台」は、すべてと調和できる身体であり、その身体でもって行動し、考えることが必要であること、日々の実践の中で培われていくものだ、ということを学びました。

日本や世界の未来を考えるとき、少子化や気球温暖化などの環境問題など、答えのない問いに立ち向かっていかなければなりませんが、教育は、答えを覚えさせる指導から抜け出せません。それは、制度によるものも大きいですが、教師自身の問題でもあると思います。教師は、自分では答えを教えられない、答えのない問題を教育現場に持ち込むことに、不安と恐れを抱いているのではないかと思います。教師自身が、それらの問題に向き合う勇気が必要なのだと思います。

現在の私の勤務校は定時制高校ですが、その若い教師たちに希望を感じています。小・中学校で不登校であった生徒が多く、学校の勉強についていけなかった生徒がほとんどで、人間関係も苦手です。それに対して、教員は採用1校目や2校目の人がほとんどですが、経験のなさがいい方に作用して、生徒一人ひとりの特性をみて、生徒に寄り添うことが当然のこととして対応してくれています。そのおかげで、保護者を含め、大きいトラブルがなく、1年半がたちました。私の仕事は、それらの教員をサポートし、土台作りの助けをしていくことだと思います。そして、まず、自分自身が教員を導いていけるように勉強し、土台を作っていきたいと思います。

今後ともご指導よろしくお願いいたします。

●三重 高等学校 30代 男性

先日は教師塾に参加をさせていただき、ご指導をいただき誠にありがとうございました。貴重な時間を過ごさせていただき、宇城先生のエネルギーを目の当たりにさせていただく事で、頭ではなく細胞に働きかけていただいきました。細胞の状態が変化し、自分の病気である身体が正常になっていくような感覚が得られました。宇城先生の気によって毎日怯えている自分を恥ずかしく思うと同時に別次元のご指導に身が引き締まりました。私自身、打ちこんでくるところに入っていくのは怖さが先にきてしまいます。無理に入ろうとすると頭で怖くないと思っていても身体は無意識によけてしまいます。何年もかけて染みついてしまった私の身体です。宇城先生は長机が凄いスピードで迫ってきてもびくともせず、寄せ付けすらさせませんでした。はいっていけるという身体は、身体から「怖さ」が消えているということです。気の本質をこの目で拝見させていただきました。
 教師塾の中で少子化や高齢化などの前例のない、正解が見出しにくい時代を生きていく私達に警告をくださいました。正解を導く事に躍起になった私達に質問する力が足りない事、そしてこれからは生成A Iの創造力を活かすのは使い手の質問する力、問いを立てる力次第であること、AIの時代に適応する力をつける必要性に気がつかせていただきました。世の中には解決策が簡単に見つからない問題がたくさんあります。未来を生きていく私達は答えのない問いに立ち向かい、それらの複雑さに耐えていく力が必要であることを学ばせていただきました。松尾芭蕉の言葉「不易流行」を例に出し、日本人として変えていいもの、変えてはいけないものがあるということ、頭優先ではなく身体をつくることが希望であることをご教授いただきました。そして帯を用いた実践から寄り添うことの大切さと本当の強さを感じさせていただきました。力で引っ張るのではなく、相手の側に立ち共に歩む気持ちをもつこと、心ありの行動がもつ真の強さ。とてつもないスピードで様々なものが変わっていく現実がありますが、その変化に適応し、根っこにある「永遠に変化しない真理」、「心ありの姿勢」を持つことが大切であるとことを学ばせていただきました。自分の身体に染み付いた癖や、意識で動こうとする自分、醜い我や欲の存在を認め、自分に素直に寄り添って生きていきたいと思います。いつも本当にありがとうございます。今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

●奈良 高等学校 20代 男性

今年も、教師塾でのご指導ありがとうございました。

「できる気がする。」宇城先生から気を通されると、力では引っ張ることができなかった大人数も、引っ張ることができます。そのとき、気を通された状態では、不思議と引っ張れる「気がする」のです。今まで、「戦わずして勝つ」の意味がよく分かっていなかったのですが、やる前からできることが分かっている状態こそ、「戦わずして勝つ」の領域なのだと思いました。

しかし、相手と対立すると引っ張ることはできません。それこそ、引っ張れる気がしません。ただ、相手と同じ方向を向くと、引っ張るというより一緒に動くというような感覚で引っ張ることができます。これが調和なのだと感じました。日々生徒と向き合っていますが、私は生徒達と調和できていたのか。

以前から、教室に入る前には礼をしています。しかし、あるクラスの授業では礼はせずに授業をしていたところ、徐々に生徒達は落ち着きを無くし、話も聞かないようになっていきました。生徒と先生が同じ方向を向けていないのだと思いました。教師塾の翌日から礼を再開すると、早速生徒達は落ち着いて授業を受けるようになりました。教室に入る前に礼をすると、生徒達と調和できていたのだと思います。ここまで劇的に変わるとは思わず、私自身の行動一つで、心がけ一つで生徒達が変わるのだと、改めて教師という仕事の責任の大きさを実感しました。だからこそ、一人革命が重要なのだと思いました。

生徒の姿を鏡にして、自分自身と向き合うことができています。生徒とともに成長していけるよう、同じ方向を向いて、生徒達を引っ張っていきたいと思います。生徒と共に成長をできる、生徒の成長を身近に感じられることは、この教師という仕事の最大の魅力だと思っています。それを力に変えて、一人革命をしていきます。

今年もご指導いただき、ありがとうございました。来年もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

●京都 中学校・高等学校 40代 男性

3回にわたる2023年の教師塾、ありがとうございました。今、日本の政治の状況や学校取り巻く様々な状況、そしてその流れの中にある現場の状況において、多くの人々が不安を感じています。その不安に対し、目を背けたり、他人事になっている人もいれば、なんとかしなくてはと居つきもがき苦しんでいる人々もいます。私自身は不安を感じたりはしますが、ある程度バランスを保ちながら現状を受け止めることができてるような気がします。それは16年以上前から宇城先生の話を聞くことができ、その予言していた通りになっているからだと思います。ただ、崩れていることに対してなんとかしようとしても余計崩れていく、ではどうしたらいいのかと、自分の中でもわからないことがたくさんあり、何かヒントをもらえたらと思い、ここまで先生の近くで学ばせてもらってきました。

最近、自分の役職のこともありますが、生徒や保護者に対してということももちろんですが、中堅の教員として学校をどう引っ張っていったらいいのかということを頭の中で考えていることがよくあります。これまで習ってきた通り、一人革命が大事だということを思いながら毎日を過ごしていますが、まだまだ行動の量、質、素早さが足りないと痛感しています。そんな中で、今回の教師塾で心に残った言葉は、「相手の目線に立つ」、「原子が死んでいる」、「エネルギーがない」、「上に積み上げていく」というものでした。複数人が帯を持った状態で、反対側で1人が帯を持つとすでに引っ張ってしまっている。ただ、一度同じ方向を向いてから対面をすると引っ張っていない。そして引くことができる。この検証を見たときに、生徒、保護者だけでなく、同僚の先生においても、相手と同じ目線に立って綱を引くことが大事なのだと思うことができ、心が明るくなりました。もう一度、自分の中でこの検証、言葉を大切にしながら過ごしてこうと思いました。また、お話の中で、広げるのではなく、上に積み上げていくことで、未来も過去も、周りの人の状態もわかるということがありました。このお話を聴いて、自分の中でハッとするような感覚がありました。広げたいという気持ちがあり、やっていたことも結局は自分しか見ていないのだと気づきました。だからこそ、縦に生きることが大事なのだと改めて確認することができました。

2024年も宇城先生から学びをいただきながら、成長していけたらと思います。今後ともご指導をよろしくお願いします。

●奈良 中学校 20代 男性

先日は、教師塾でご指導いただき誠にありがとうございました。今回初めて、宇城先生の教師塾に参加させていただきました。様々な実践を見させていただき、とても驚いたのと同時に、人間の本来持つ力の大きさに驚かされました。また、中学校時代に一度、桜井高校に講演会に行かせて頂いたことがあり、その時のことを考えながら参加させて頂きました。

教師塾での実践やお話を聞かせて頂き、「対立」ではなく「調和」が大切であると実感しました。自分自身の学校での日々を振り返ってみると、ルールに従うことのできない生徒に対して知らず知らずのうちに「対立」の姿勢で関わっているように思います。勤務校では、朝の会から読書タイムが始まりますが、まず読書のしない生徒に対し上から注意をするだけになっているように感じます。教師が生徒に指導することも大切だと思いますが、「調和」の意識が心のどこかにあることで、生徒目線にたった声かけができるようになり、生徒との関係も少し良い方向に持っていけるのではないかと感じました。生徒との関係づくりが大切であるなか、意識のなかで「調和」の姿勢を持ち続けることで、生徒の目線に立ちながら考えられる教師になっていきたいと思います。また、生徒の様子を見ていると、簡単に「死ね」や「キモイ」などの言葉が出てきています。ささいなことがきっかけで暴力に走ってしまう生徒もいます。縁あって同じになった学級や学年であるにもかかわらず、そのなかで一番になりたいというような「対立」や「競争」の意識がとても強いように感じます。学級や学年の生徒が少しずつ「調和」の意識をもてるようになってくると良い集団になるのではないかと思いました。

また、部活動の試合のなかで、相手のチームへの敬意、例えば、相手のファインプレーに対する拍手や「ナイスプレイ」の声掛け、本当に気持ちの良いものだと思います。自チームの生徒を見ていると、自分のプレーが思い通りにいかないと態度に出してしまう生徒がいたり、相手のミスでの得点を喜んだりといった場面を見かけます。たとえ、ライバルチームであっても同じスポーツをしている仲間として「調和」できるチーム作りをしていきたいです。

教師塾で宇城先生から教わったことを心に置きながら、日々生徒と関わっていきたいなと思います。貴重な体験をすることができました。ありがとうございました。

●三重 大学 30代 男性

気の素晴らしさ。気の凄さ。そして、人間の素晴らしさ。偉大さ。

すべて宇城憲治先生を通して、我々に示していただきました。人間であれば誰もが持っている気。人間にしかない気。人間の素晴らしさを実感させていただける時間でした。と、同時にその素晴らしさをダメにしているのも人間なのだと気付かせていただきました。

帯を引っ張っていないと思っていても、受けて側からすれば引っ張っていることが分かるという実技を見せていただきました。気付かないということの恐ろしさを感じずにはいられませんでした。矢印を自分自身に当てたとき、教師‐学生という対立構造にあるときは、正にこの状態なのだと思いました。一方で、同じ目線に立つこと、寄り添うこと、手をかけること、寄り添うこと・・・。できることもたくさんあることにも気付かせていただきました。すべて自分自身、自分次第ということです。何を想うか、誰のことを想うか。何のために行動するのか、誰のために行動するのか。それは自分自身しか分からないことですが、それが結果に表れることも実証していただきました。そこに誤魔化しはありませんでした。そうやって、今、この瞬間を生きていくこと、そしてそのスピード感をあげていくこと。人生はその連続なのだと思います。自分で良くもできるし、悪くもできる。

今、自分がどこにいるのか、どういうレベルなのか。それを知るためには、自分という塔を高くしていくしかないということでした。そのためには、ただただ身を低くして勉強あるのみだと。これは、今私が研究している数学という学問にもいえることだと思いました。自分自身のレベルが上がれば、俯瞰して物事見ることができます。自分以外の人・ものともどのように対応すればいいか分かるということです。自分自身のための勉強することが、やがて人のためにも繋がるのだと思いました。自分自身のための勉強を深めていきたい。今回強く感じたことでした。何を想い、誰のことを想うのか。そのレベルを上げ深さを追究していくことこそ、進歩・成長なのだと思います。

今回、一年ぶりに教師塾に参加させていただきました。会の最後に宇城先生がおっしゃられた我々教師へのメッセージ。その想いに恥じぬよう目の前の学生とこれからも向き合っていきたいと思います。

最後になりましたが、今回の教師塾開催にあたりご尽力いただきました全ての方々に心より感謝致します。そして、今回も厳しくも温かいご指導をいただきました宇城憲治先生、誠にありがとうございました。

●奈良 高等学校 30代 男性

宇城先生

今回も大変ご多忙な中、第3回教師塾のご講演ありがとうございました。

学び続けることだけでなく、子供たちの前でも学び続ける姿勢を見せること、教師だからと偉そうにしている様子は子供たちに写っていくこと、自分の頭の中では分かっているつもり、そう努めているつもりではありますが、宇城先生のえらそうにしている教師の行動を実演頂いた際に、知らず知らずのうちにそのような行動をしている自分に改めて気付かせて頂きました。やはり、分かっているつもりというのは頭が先になってしまう病から脱する事ができていないと実感しました。

教員という仕事は、目の前に子供たちがいてくれないと成り立たず、自分が普段子供たちに見せている姿が、そのまま写っていくという事を今一度重く受け止めていく必要があると感じました。

現在担任をもっているクラスに、1年以上学校に来ることができないだけでなく、家からもほとんど出ることができない生徒が2人おり、4月から保護者の方と複数にわたりお話させて頂いていました。4月当初は保護者の方も表情が暗く、何をしたら良いか全くイメージが湧かない様子でしたが、半年間子供の将来に向けた進路実現に向けてお話をしていくうちに、どんどん表情が明るくなっていき、1年以上家を出ることすらできなかった生徒たちが、自ら将来に向かって動き出すことが出来るようになりました。保護者の方々も、何が原因でいきなり行動できるようになったか分からないと仰っていましたが、やはり大人が大きなエネルギーを持つことで子供たちに写っていくことを実感しました。

私自身もより一層学び続ける努力を重ね、エネルギーを高く持ち続けることで、子供たちにエネルギーを写していけるように実践をくりかえしていきたいと思います。

2023年もありがとうございました。

2024年からもどうかよろしくお願いいたします。

●奈良 高等学校 50代 男性

原子に「想」、「念」が伝わる。この事実・真実は先生がずっと実証されています。何を今更ですが今回、このことがものすごく衝撃的でした。

・「教える」と「気付かせる」では、どちらがはやいか?
・「聞くこと」と「掴むこと」では、どちらがはやいか? 
・駅まで「走っている人」と、「歩いている人」では、どちらはやいか? 

これらの問いに対して正解を出すのではなく、先ずは「はやさとは何か」を自分で深めること。実はこれも幼い子どもはできる、わかる。しかもこれらの質問に対して、質問や相手の意図を感じるために「はい」と手を上げ質問返しをする。このような話も先生が以前にされています。このことからも本当に子どもは雰囲気や空気、全体感をもって(とらえて)日々過ごしていることがうかがえます。今の自分・学校教育と宇城式(=子どもに学ぶ)は全くの真逆の解であり、解に至るまでの道筋が違います。先を見通せる、危機を回避できる、確信の希望を抱ける、未来を描けるのは全てとの調和融合しかありえません。先生が明確に示して下さっています。そんな人おるんか?

逃げるつもりはない、辞めるつもりはない、いい加減ではない。いや、逃げている、無責任極まりない、失礼千万。その通り、このとおりでした。反省も前進と一体です。全体感が宇城式。だから大人、教員、おまえは瞬発力を身につけるのだ。どうやって?それも仕込んでいただいてるやろ。やるだけや。たったそれだけや。何でもやるだけ。やる。

「おいこら、反省はしても落ち込むのが目的ではないぞ。直ぐに前進する素晴らしい推進力を癖のない身体の子どもに習うんやぞ」「拗ねて閉じて誤魔化す。身体がそうだからや。」「はい。」認めて前へ踏み込めてこそ全体。ひとつ。一人前と半人前の違い。やりきる(徹底)と中途半端の違い。よくよく身体で感じさせていただきました。先生のご指導と自分の受取が一致してこそ。そこのズレも、ズレこそが宝物です。

褒めてちやほやされること。戒めつつも今の自分をありのまま自然体(=師が)で等身大(=弟子)を評価していただけることの喜びを人生で初めて身体で感じさせていただきました。こんな感覚なのか・・・。正直、全身は何も感じませんでした。教育現場でも流行の「自己評価」とは何か。自己(生徒・子ども)を評価したものを、さらに他人(教員・大人)がどう評価するのか。どんどん濁っていく、澱んでいくだけ。迷子だらけ共倒れの流れ、構図です。

全ては幼い子どもに習うこと。たったそれだけです。「子どもは宝」が身にしみます。

その大切な子どもを大切に育む大人、大人も育むことです。教師塾・・・。あることが当たり前ではありません。今一度、原点回帰です。ありがとうございます。

日本がダメ。いや、世界も地球(全体)もダメ。日本(部分)だけがダメではない。様々な順位やランク、指標も知識にとどまっては意味が無い。全体がダメの根拠は世界が先生を絶賛していること。先生の気、先生が気そのものが根拠です。全てを救えるのは先生の気(調和融合)しかない。そして日本が、日本こそが主導する。走る、先をとる。先生がなさっています。

ものを大事に扱う。人を大切にする。困っている人、弱者に寄り添う、助ける。同じ目線で行動する。抱きしめる、身体を撫でて手当を施す、遠隔治療…。心あり、礼、挨拶、所作。稽古照今、一人革命、不易流行、他尊自信。公の精神、自己犠牲…。そこから生まれた文化・伝統、自然・・。日本が世界(=自他)に誇れるものはたくさんあります。日本の魅力。それは自分の中(細胞・DNA)にも間違いなくあります。間違いなくあることも、先生の気で実証、体験させていただいています。先生に気を通していただき、させていただける全ての体験が原子に伝わっている、人時空間に影響を及ぼしていることの実証・実例です。世界の人々も同じです。そして生物も静物も。

原子に想・念が及んでいるという事実・真実は、見えないものにこそ、先生の気に全て(真理)があるということです。今、先生(太陽)が全て(道)を示して(照らして)くださっています。日の本…。人間は人間以外の万物は何をおもい、何が時空間に伝播するのか。愛・真心、欲・我・横着。自分さえよければ・自分一人が頑張っても。広がる・広げるためには。全てが伝わる。しかも無意識下のおもい故に自分ではわからない、一人では気づけない。繋がりの中で気づかせていただける。師の存在。一人革命…。手はある。この手がある。また私は、我々塾生は、ただの一人革命ではない。このことを忘れてしまう横着者、自分がその筆頭です。我々は何時でも何処でも先生に見守られて一人革命を実践できるということ。出来る自分と出来ない自分…。変えられないものを知り、変えられるものを変えていく。この、「もの」とは自分自身のこと。変えられないもの、変えていけるものは、内在する。自分の中に共存する。変えられないものを受け入れ、変えられるものを変えていく。変え続けていく。回転…。とめないこと。やめないこと。宇宙も太陽も地球も心臓も動き続けています。気は全て。全てとは全く、全部、全体。よくよくこのことを感じさせていただいた昨今、今回の教師塾でした。この感じた身体は何が出来るのかを考えないこと。行動し、実践して修正と前進を繰り返すこと。「死ぬこと以外はかすり傷」。身体が音を発し、痛みを様々なところで感じる。心地よさも頭ではなく身体で。

「たのしいな・・・」 「はい!」と手を上げて全身で真っ直ぐに返事ができる自分、身体を練り続けていきます。

今、ある知り合いの子どもさんの姿が浮かびました。

ありがとうございます。

 

●三重 大学生 20代 男性

宇城教師塾には、初めて参加させていただきました。先生が教えてくださることのすべてが、私自身考えたことのない次元でした。

きちんと挨拶をすることで身体が強くなることを知りました。私はこれまで、挨拶は当たり前にするように指導されてきました。しかし、挨拶をすることで身体が強くなることについては、考えたことがありません。また、そのように指導されたこともありませんでした。おそらく、現在の子どもたちもそのようなことを考えたことがないと思われます。そのように思うと、先生が教えられていることは学校や部活動では絶対に教えてもらうことができないことだと気づかされました。そして、実践してみることでその必要性について体感することができました。同時に、学校や部活動で当たり前のように指導されている「挨拶」を、本当の意味で教えられる人がいないことにも気づくことができました。そのようなことを子どもたちに実践できるように日々勉強していきます。

寄り添うと身体が強くなることを知りました。私はこれまで、理想の教師像は何か、という問いに対して、「子どもたちに寄り添う教師になる」という考えをもっていました。しかし、それは口だけであり、本当の意味でそれを発言していなかったことに気づかされました。このまま、教師になっていたら知ったふりをしたまま、子どもたちに指導している自分が想像でき、それに気づいたとき、これが本当の学びなのだと改めて認識することができました。同時に、頭で考えるだけでは実践できないことに気づきました。考えたことを行動に移し、実践したいと思います。

教師塾を通して、自身の日常生活にベクトルを向けるきっかけを作ることができました。これまでの人生において、私は自分にベクトルを向けているつもりでしたが、そうではありませんでした。新たに、無意識的に人と比べてしまう思考の癖があることを再認識しました。比べるは、競うと同類だと自身のなかでは解釈し、それがスポーツの世界で生きてきた私自身を作り上げていることに気づかされました。今の自分のレベルでは、人を巻き込むことはできないと感じ、己の無知を知りました。自身のレベルを上げるには、自身が学び続けて、次のステージに行くしかないため、まずは自分にベクトルを向けて生活していきたいと思います。次に先生とお会いしたときには、さらに違った視点からの気づきが得られるように学び続けます。

最後になりましたが、今回の教師塾開催にあたりご尽力いただきました全ての方々に心より感謝いたします。

●奈良 中学校 20代 男性

この度は、教師塾でのご指導、誠にありがとうございました。

子どもの幸福度ランキングで日本の位置を知り、改めて深刻な状況にあるということに気付かせていただきました。宇城先生のお話を聞き、私自身何かで強く打たれたような気持ちになりました。身体的には健康であっても、精神的には健康ではないという事実があり、しかもその原因は大人がつくっているということ、大人のせいで何も悪くない子どもたちに影響が出てしまっているという現実にしっかりと向き合っていかないといけないなと思いました。まずは大人、教師が変わることでこの現状を変えていかないといけないと強く感じました。

次の日、「礼をする」「目線を合わせる」を実際に授業でやってみると、普段はなかなかノートをかかない生徒や集中できない生徒も自然とノートを書いたり生徒自身からわからないところを聞いてきたりしてくるといった変化が起きました。その場の空気が変わり、僕自身、生徒たちの変化に非常に驚きました。同時に今まで自分がどれだけ低いレベルでやっていたかを感じました。

実力がないと先を見ることができず、目の前のことで精一杯になってしまう。今の自分がその状態でした。その状況の中、「上手く教える」という小手先でなんとかしようとする自分がいました。その気持ちが周囲と対立してしまう電波を自然と放っていると気付かせていただきました。寄り添うこと大切にし、生徒と共に学んでいこうと思います。まずは自分が変わり、実力をつけるために日々精進します。

宇城先生、大変お忙しい中、ご指導いただき本当にありがとうございました。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

●奈良 高等学校 30代 男性

貴重な時間をありがとうございました。

今回もたくさんの資料などを準備して下さっているのを拝見し、毎回のことではありますが、先生の我々教員への期待と思いを感じるとともに、先生の情報収集能力というか、どこにでもアンテナを張って、情報収集されていることに本当に頭が下がる思いです。自分には正直そんな余裕はなく、毎日なんとか今日も終わったと過ごしている自分がいます。しかし、絶対に自分より忙しく、大変であるはずの先生ができているという現実があります。これは、決意、覚悟の問題で、自分がそんな時間を作ってこなかったということだと反省するとともに、変えないと成長はないしダメだということも感じさせていただきました。

今回もいろいろな実証からたくさんのことを学びました。

机をぶつけにいく実証では信頼関係(守る)の大切さ、さらに本を使いエネルギーのあるなしによる違いを確認しました。正座で肩を抑えられているところから立つ実証では、立てる気がしないと(気が出ないと)立てない、=(イコール)生徒をその気にさせないといけないというところにつながるのではないかと感じました。また、この抑えられた状態から立つ実証では絆という話もされました。先生がレーザーポインタを当てると目の前の抑えられた人が立ち上がることが出来ました。その後、自分にやってみるように言われましたが、自分はできませんでした。先生に自分の肩に手を添えていただくと目の前の抑えられた人が立ち上がることができました。これが絆であると、誰かできる人がいれば広がっていくという話を聞き、改めて、自分が変われば周りも変わる。この教師塾で学んだことを学校に帰って実践していくという思いになり、次の日から生き生きできているように思います。

電化製品や政治家などの日本のレベルが下がっていることを話されたあとには、「世の中にないものを見せないといけない」という先生の言葉がありました。理由は、今の教育システムである受験、競争、そして、答えを教える教育である。その結果、考える力が身についていないため、未来に対して答えをもっていない。だから経験したことのない少子高齢化、異常気象などの問題に対応できない。この経験したことがない(前例がないこと)に対して考える力をつけないといけない。そのために先生がおっしゃった世の中にないものを見せることによる、気づく・気づかせる指導、エデュケーション(引き出す指導)が必要である。先生のようになかなか見せることはできませんが、この教師塾の場で経験させていただいています。それを経験しているか(この世界を知っているか)経験していないか(知らないか)はすごく大きいことであると思います。理屈、知識の押し付けにならないように日々自分を見つめ直し過ごしていきたいです。

原子、分子の話から机に手を置いて引っ張られて動くかどうかの実証においても、気づく・気づかせる指導、エデュケーション(引き出す指導)について話をされました。原子は意識があるからさすったり優しく寄り添った場合、動かず強くなりました。これを子どもに見せると「なんで?」と自分で考える。こういう経験をさせることが大切であることを学びました。

ペットボトルを通してエネルギーが伝わる実証や重いものを持ち上げて気が通っていれば、軽く持ち上げられる実証では、気は良いも悪いも全部を網羅し、すべては心が大事であることを教えていただきました。

 

1対4の帯引きでは、対立ではなく調和すること、同じ目線に立てば調和できることを確認しました。魅力がなければ口だけでは誰も付いてこない、地球は引力引き付け、磁石は磁力で引き付け、人は魅力で引き付けるという言葉を聞いて、教員は特にそうでなければいけないなと思いました。先生から変えられない教育の体制でもどうしたら変えられるかを考え続けないといけない。しょうがないではどうにもならない。生と死のように真剣勝負で日々やらないといけない。恐れず変化しないといけない。そのためには勉強しないといけない。ここに来ていない教員と差をつけないといけない。と力強く先生がお話されたことがすごく印象に残っています。最初のほうにも書きましたが、忙しくなってくるとすぐに余裕を失い、謙虚さを失っている自分がいます。今回でまたリセットして、新たに覚悟を持って、最近忘れていましたが、生徒のいい変化が見られるように自分が変化しできることから少しずつやっていこうと思います。

自分は、潰瘍性大腸炎を患っています。いつもどこに行くときもまずはトイレの場所を探してトイレに行き、という不安を抱えて生活をしています。しかし、教師塾や講演会などの際は、先生のエネルギーや自分の前向きなワクワクも関係があるのか、お腹が気になったことがありません。こういった前向きになれる気持ちに目の前の生徒や子どもをしてあげないといけないと思いました。それだけでも確実に生徒や子どもは変わるはずです。

今回もいいきっかけをいただきありがとうございました。毎回教師塾の後は仕事も家庭もうまく回っている感覚があります。ただ、どこかで自分が変わってしまうからうまく回らなくなるのだと思います。そうならないように今の気持ちを大切にしながら日々謙虚に生活したいと思います。本当にありがとうございました。

●奈良 高等学校 30代 男性

先日はご指導いただき誠にありがとうございました。

冒頭で、日本の家電業界が凋落していることを各識者の論文を通して紹介いただきました。凋落の事実は残念に思うと同時に人口や消費、経済等が縮小する中では致し方ない部分もあると考えてしまっている自分がいました。ところが、その後のお話や実証を通して考えが変わりました。

九州より国土が小さく、人口も日本より断然少ない台湾で世界有数の半導体メーカーが台頭しており、時価総額や技術において日本のトップ企業よりも遙かに高いという事実があります。また、実証を通して、気が通っていると人数や体格に関係なく引っ張ったり、倒したりできることを体感させていただきました。

どんな社会、業界においても大切なのは数や規模ではないということに気づかされました。いつも宇城先生に教えていただいていることなのに、その考えに最初から至らなかったのは自分の未熟なところだと感じています。お話や実証をその事象をそれこそ「部分」でしか捉えることができず、「全体」に繋げることができていませんでした。これは宇城先生が図でもお示しいただいた視野の狭さによるものだと思います。自分の中の基礎が不安定で高いビルが建てられず、狭い範囲しか見えていない状況に自分はいることに気づきました。高いビルを積み重ね周囲を俯瞰できるように、寄り添う、信頼、自信といった調和の力を自分の基礎としていく必要があることに気づきました。

帯を引っ張らず、ゆるめていても引っ張っている。自分はそんな状態です。自分の凝り固まった物事の捉え方や思考方法、身体を変えない限り、変化・成長のスピードは遅いままだと思うので、悪い癖をまずは意識的に治そうと決意した次第です。「やる」か「やらない」かの2進法や、「やる」の1進法のスピード感で精進して参ります。

今後ともご指導のほど、よろしくお願いいたします。

●奈良 中学校 20代 男性

本日は、お忙しい中お時間を縫ってご指導いただきありがとうございました。

初めて「教師塾」を受講して時間があっという間にすぎることを体感しました。それと同時に宇城先生のお話に引き込まれるような、吸い込まれるような感覚になりました。私が見学させて頂いた中では、「なぜ人に伝わるのだろう。この動きの拡散はどうすればできるのだろう」と考えるばかりでした。実際体験させて頂いた中では、「思考や推測する」より「感じて、気づく、気づきを与える」ことが本質として正しいものだと実感させていただきました。

宇城先生の実技で私も触れていただき「自信」や「温かさ」に触れることができました。その瞬間にできるのではないかと自信に繋がりました。私が実践させていただいた内容は、手を合わせて相手を引っ張るということでした。一人で相手の方々と手を合わせたときは、摩擦で引っ張られることや相手がこちらに合わせてくれるであろうと漠然と考えていました。宇城先生に触れていただき、相手の方々となかまになったような温かい気持ちで手を引くことができました。

 私が考えていることよりも、体のほうが先に反応を示すことを知る機会になりました。加えて、教師が気づき生徒に波紋を伝えることが大切なことだろうと教えていただきました。

私自身は、小学校1年生から大学卒業まで空手道を経験してきました。空手道では、礼に始まり礼に終わると教えられてきましたが、相手がいることで試合ができる。相手を尊重することを教えられてきました。しかし、宇城先生の教えでは、「間を大切にすること」を教えていただき、自分の中で相手だけでなく、空間に教室に礼をするようになりました。学校でも授業前に一礼をしてから教室に入るようにしています。まだ、礼をしてから入ることで教室や生徒の雰囲気の変化に気づけませんが、教師が気づくことで生徒が気づく機会になるように進歩していこうと思います。

●奈良 中学校 20代 男性

先日は教師塾でのご指導ありがとうございました。今回、知り合いの先生に紹介していただき、初めて宇城先生のお話を聞かせていただきました。私は最近、自分が就いている教師という職業に対していろいろ悩むことがありました。それは、特段悪い悩みばかりというわけではありませんが、自問自答していく中で自分に余裕がなくなってしまい、1ヶ月間仕事を休むことにもなりました。そういった状況もあり、知り合いの先生にお話をいただいた時に先生のお話を伺いたいとなった次第です。

初めて宇城先生のお話を聞かせていただいて、私には難しい話もたくさんありました。その中で、対立の状況ではどうすることも出来ないという内容のお話をされていたのが心の中に残っています。また、「3回叩けば、肩たたき」と冗談交じりにお話しされていましたが、その話にもとても共感しました。私は、自分のことを振り返ってみてものすごく頭で考えたことを子供たちに伝えています。しかし、宇城先生は「肩をたたいて、最近どうや。この一言でよい。」とおっしゃっていました。私はまだまだそのような域には達していなく、何を話そうか、何をどうやって伝えれば理解してくれるのだろうかと考えてしまいます。その人個人が醸し出す雰囲気を相手に伝え、相手もその人が何を言いたいのか感じる。このような状況を無意識下で作っていける人にならなくてはならないと思いました。

今回の教師塾は、私にとって驚きがたくさんありました。私が見たり、触れたりしてこなかった世界だったのでとても新鮮で刺激的な時間になりました。本当にありがとうございました。

●岡山 市議会議員 40代 男性

教師を辞めて議員として活動していますが、いまだに教師病から抜け出せていないという先生のお言葉がずっと心に残っておりました。先日も先生から絶対に次の選挙は今のままだったら落ちる。結果は既に見えている。もし受かるようなことがあったら、それは市民の民度が低いだけだ。そんなレベルの低い学びでまちづくりなんかができるわけがない。まちが無くなっていくことが見える。お前みたいな政治家が日本を駄目にしていくのだ。普通だったらお前なんか破門だ。先生の下で学ばせていただくにはふさわしくない人間ではありますが、過去の自分を捨てて行動するしかないと思いこの度初めて奈良の教師塾に参加させていただきました。

岡山道塾の雰囲気とは全く違った張り詰めた空気がそこにはありました。熱気がどんどん増していき心が篤く身体に気が通っていくことがはっきり感じ取ることができました。同時に子どもたちと毎日向き合っている先生方が羨ましくも思えました。今高等学校と中学校のPTAの役員をさせてもらい、保護者側からの目線で見ても先生方は疲れ切っており、姿に勢いがなく、気持ちの良い挨拶もないと感じておりました。また、教育委員会とも議員として向き合ってきましたが、いつも文部科学省が、県の教育委員会がこういった方針なのでお答えできませんとの回答しかいただけませんでした。言葉は綺麗に当たり障りなく並べられていますが、そこに魂を感じることはありませんでした。この繰り返しを戦後教育の中でずっとやってきた結果が今の教育そのものなのだと改めて感じていたところでした。そんなもやもやした思いが一気に吹き飛んで今を楽しめている、喜んでいる、無我夢中になってこの渦の中に入っていた自分がそこにはいました。

先生が最初にご紹介された「Wedge」を私もたまたま知り合いの方から10月31日にいただいて読んでおりました。「Wedge」は新幹線のグリーン車に搭載されていますが、宇城先生が20年前からずっと言われてきたことがそのまま書かれているなと妻とも話していたところでした。その後11月11日に宇城先生から塾生宛に先生の経験と想いを書き込まれた「Wedge」のメッセージが送られてきました。世界を視野に宇宙規模で深さを追求するとはこういうことなのだと改めて感じさせていただき再度雑誌を読み返しました。小田原で「はじめ塾」をされている和田重宏先生が言われている子どもたちに生きる力の三つのカン(感・勘・感)を育てるためにはなど今の教育界に必要なたくさんの情報が掲載されていましたが、そのメッセージを己のものにはできておらず深く深く追求していこうともしていませんでした。その後何人もの塾生の方々が「日本の教育が危ない」ことに対する自分の経験から学ばれた感想が先生に送られていました。私が送る感想は以前先生からDランク以下だと言われたことがありますが、正直ランクにもならないと今は思っております。

自信がないからいつも何かにすがって誰かを頼ってきた私にとっての一人革命は本当に未知な領域です。ですがたくさんの塾生の方が過去を捨て未来に向かって日々修行をされている学びの深さを共有させていただくことで自分にも何かできるのではないかといった希望が見えてきます。その未来への希望を一緒に宇城軍団でやっていこうと先生は率先垂範で示してくださっています。机の上にうつ伏せで寝て、片方は体育座り片方は正座からの実証においても、帯を引っ張り合う検証においても答えはやる前から分かっているのです。日本の未来と私たちの未来が見えているからこそ、先生は常に警笛を鳴らされているのだと思います。初めて参加された塾生の方が、帯を持った瞬間引っ張ろうとしている波動が相手に伝わっていることなど先生以外に見えるわけがありません。しかし、帯を通して繋がりあい触れ合っていれば細胞で感じ取ることができるのです。私と一緒におられた先生が、今宇城先生が発せられている波動は全世界に同時中継で放たれているとおっしゃられました。

宇城先生が放たれているエネルギーをもっともっとたくさんの人に味わっていただくためにも死に物狂いで食らいついていきなさいと厳しいお言葉もいただきました。

岡山にかえる道中サービスエリアに二度立ち寄りました。駐車場に落ちていたポテトチップスの袋を自然と手にしていた自分がいました。意識したわけではなく、無意識に手が伸びて拾い上げていました。トイレで顔を洗い鏡に映っている己の姿を見るとなんだかうれしくなりました。議員になってからの三年間常に誰かに観られているような気がして小さな事ばかりを気にしてきたような自分がいましたが鏡に映っていた私は何かが違うような気がしました。先生からも「かがみ」の「が」を常にとるように言われてきましたが、我をどの様に捨てればよいのか正直頭でしか分かっていませんでした。考えることを辞めて自然体で動けば見えてくる景色も違うのだと少しだけ気づけたような気がします。

まだまだ身体を伴った学びができておりませんが、今一度童心に戻って素直な心で謙虚に己と向きあいたいと思います。これからもどうぞ厳しくご指導賜りますようよろしくお願い申し上げます。

●大阪 大学 60代 男性

宇城先生、この度の「第3回・教師塾」では、ご指導を誠にありがとうございました。今回のご指導いただく中でキーワードになりましたことは「土台」「中心」「間」でした。そして「真剣」が自身の中心になければ教育とは言えないということ改めて感じました。そして教育の中で、何をもって土台というのかを今回のご指導の中で実践を通して気づかせていただきました。土台があると「高さ」になる。全体で捉えることですそ野が広がり、上から全体を見ると、普段見えないところに気づくことができる。まさに「全体」に目を向ける中に教育の本質があると改めて気づかせていただきました。

また『教育とは流水に文字を書くように果てない業である。だがそれを岸壁に刻むような真剣さで取り組まなければならない』という森信三氏の言葉と重なりました。まさに教育に終わりはない。宇城先生が「一に勉強、二に勉強、三に勉強・・・」と言われていることは、ただ勉強すればいいということではなく、日常を大切にする中での鍛練・稽古・心にある。まさに「止まる」「休む」はない。

土台をつくるとは、土を耕すが如く、そして種を蒔き、水をやる、そこに人を生かす真の教育がある。更にそこに「真剣」さがないと中心にはならない。自身に中心がないと人が育つことはない。まさに人を育てるとは、理屈ではなく、心あり、愛情があってこそである。毎回ご指導をいただく中で、宇城先生の愛情の深さに私たちは包まれているのだと改めて感じますし、そこに甘えることなく、一人革命を自身が24時間実践を通して追求、探求していく。まさに心あり、実践を通して自身を変えていくことが土台をつくると再確認いたしました。

今回、ウェッジをご紹介いただき、「日本の教育が危ない」という中で日本の教育の土台がどんどん崩れていっているということがありました。それは人が育っていないということであり、世界に比べるとどんどん遅れているとも言われています。世界はどんどん変化し進んでおり、日本は現状維持(低下)に過ぎず、そこに気づいていないのが現状である。そのためには、日本の歴史の歩み、先人たちの生き方を知る必要がある。また「変えられないもの」を知ると、「変えるべきこと」が見えてくる。また教育が教えるという詰め込み教育になっている。自ら気づき、自ら動き、自ら創り出していく、そこに教師が寄り添う。こういった環境の中で子どもたちがどんどん自立していく。詰め込みや暗記だけの教育からは真の生きる力は育まれない。

宇城先生は、常に世界(宇宙感)全体から日本、人を見ての視点でお話をされます。まさに「先を取る」とは、部分体にならず全体を見るところにある。しかし、我々はどうしても部分体で物事を捉えがちである。部分体で捉えるということは、頭で考えている、足元が見えていないということであり、それが癖になってしまっている。それが気を通していただくと、本来身体で感じ取る力が自身にあるということに気づかせていただける。今回の実証では、まさに理屈ではない、身体を通して、細胞と細胞を繋げていただく中で気の存在を身体で感じることができる。そのエネルギーを瞬時に感じ取り、その波動が伝わってくる。意識、知識といった思考とは明らかにスピードが違い、身に付き、身になるという次元まで行くことができない。

土台とは、やはり「型」が身に付いているかどうかではないか。「勉強」「実践」とはただ我流でやることではなく、師を通しての学び、型があってこそだといえます。また中心ができてくると、どんどん深まり、余分なものが取り除かれていく。数字に表すことができないのが深さであり、枠や垣根も、捉われもない。その中心から出る波動が人を包み込み、引き付け、動かしていく。

宇城先生が常々仰る「見た目」「体裁」「肩書き」「経験」「過去」は上辺だけに過ぎず、そこに浸っていると自分の真の成長には繋がらない。善い環境、居心地の良い環境を求めていると、甘えが生じ、自分本位になり、横着になり、未来への希望を失い、正しい生き方ができなくなっていく。

今回の実証の場では、気を通していただくとあり得ないことが瞬間に目の前で起こる。そこには既に「答え」がある。「できる自分」がいることに気づかせていただく。人数に関係なく、気が通った人の体に触れているだけでその波動が伝わってくる。人を動かす、人に動かされているという以前に、その空気全体に既に動かされている。まさに力もいらない(入らない)という状態が実に心地よく感じる。まさにそこに「意識」や「対立」はない。まさに調和融合の世界のみが存在する。

「教える」「教わる」から、「気づく」「気づかせる」に真の信頼関係が生まれる。対立からは何も生まれることはない。調和融合こそが、未来に向けてお互いを引き出すことに繋がる。

「過去」「今」「未来」がある中で、過去に取りつかれている自分がいる。今を生きるとは、過去を捨て去ること(身体には刻み込まれている)、過去を意識や知識、肩書きで残していると今を真剣に生きていけない。今を生きるとは、未来に向かっている自分であること。身体で感じるとは、未来に向かって進んでいる自分であり、そこすら感じない自分は、どこかで止まっている、自身で止めている自分がいる。そこにすら気づかないくらい鈍くなっている自分がいる。今回の実証を通して、変化することを躊躇したり、怖がっているうちは、どこかで思考で止めているということになる。

気を通していただいての実践、実証では、そういったことを考える「間」もありません。気づけばそうなっているという世界、まさに先を取るとは頭ではなく身体を通して。また未来に向かうとは、過去に捉われず、今を生きる、今に生かされていることに対する感謝にある。教師自身が生き方を通して、子どもたちに教えるではなく、気づく、気づかせるという教育になっていくと世の中、教育界は変わっていくが、こういったことを学ぶ場がないのが現状である。

また「日本が危ない」とは、まさに「日本の教育が危ない」「日本の子どもたちが危ない」ということであり、「教師が変われば、子どもは変わる」。教師塾は、他のセミナーとは次元が違います。単なる学びの場ではない。自身に決心、覚悟が必要であり、それは身体に表れる、生き方に繋がるということを宇城先生から気づかせていただいている。こういった場は他にはありませんし、だからこそ「一人革命」「稽古照今」が必要なのです。そしてただやるだけではなく、真剣に勉強を重ねる中で深まりが生まれます。距離、回数、点数は数字に表わすことができますが、気は数字では測れません。科学者でも証明できない世界です。それを宇城先生は「気」を通して計り得ない深さ・スピードで私たちにお伝えいただいている。改めて受ける側の私たち次第だと感じます。

勉強に勉強を重ねることとは、何ごとに対しても愛情があるということであり、まさに未来に向かうこと、未来を生きること、自らが実証し、示し、映しながら子供たちに気づき・気づかせることができるか。

教師・指導者は勉強が必要である、しかも単なる勉強ではなく、師を通しての勉強を重ねていくことで真の教育者に変わる、教育があってこそ指導である。すべてにおいて教育が土台にある。だからこそ子供たちの未来に向けて共に前に進むことができる。まさに寄り添い、互いに認め合い、高め合い、生かし合う、そこに教育の原点があるように感じます。

今回のご指導の中で、勉強がなぜ必要なのかを考えた時、それは未来に向かうために必要だと感じます。過去に捉われていたり、今だけに目を向けるのではなく、未来に向かうための勉強が必要なのです。 

まずは経験、体験、学びだけで終わるのではなく、それを日々自身が実践、勉強、実証していくことが、教師塾に参加させていただいている我々の使命あると強く感じます。

引き続き、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

●京都 中学校・高等学校 30代 女性 

いつも新たな視点、そして自分の学びの至らなさに気づかせていただきありがとうございます。日本の教育が危ない。前例がない時代に未だ正解主義が蔓延する日本の実態を教えて頂き、改めて学校現場の責任の重さと、学校現場にある未来への希望について考える機会をいただきました。「答え」にたどり着くことを「是」とし、そこに至るまでのプロセスを重要視しない教育を続けた結果、問いに対する答えを見出すための粘り強さが失われているということは授業をしていても感じることが多いです。学業面だけでなく、人間関係においてもその傾向は同じで、自分で問いをたて解決に導く力が非常に乏しくなっているように感じています。

ではその背景にあるものは何なのかと考えると、大人がそうだからという答えに辿り着きます。教師も保護者も正解を生徒に押し付け、ルールで縛る。ルールから逸れると理由も聞かずに怒られることにより、思考停止に陥る。考えることができず、子どもが悩んでいたら転ばぬ先の杖で先に手を出して乗り越える機会を奪ってしまう。この循環に無意識のうちに子どもをはめ込んでいるということに気づかなければ、日本の未来はありません。

1対5で帯を持つ際、無意識のうちに引っ張ってしまっているという実践において、そのことの重要さをより感じることができました。自分では引っ張っていないと思っていても、引っ張っている。自分の細胞の中に、相手に勝ちたい、相手を支配したいとった欲が埋め込まれているのだと感じました。宇城先生が「引っ張っている」とおっしゃってもそれに気づくことができない。私も同じです。自分では「引っ張っていない」と思い込んでしまっています。生徒を自分の方に向かせたい、その想いがどこかにあるのだと気づきました。その後、先生のご指示で5人の横に立ち、同じ目線を持つことでこの欲は消えました。まさに「寄り添う力」の重要性です。生徒も教師も同じ方向を向き、教師が伴走者として生徒の力を引き出す手伝いをする。やる気を出せと言葉で伝えるのではなく、生徒達自身方やる気が出るように導く。これこそが学校のあるべき姿です。

宇城先生はいつも私に対して寄り添い、進むべき道を照らしてくださいます。こっちにこいとか、あっちにいけとか、強制されたことはありません。それでも自分が、先生のお姿を見て、先生に学びたい、先生に少しでも近づきたい、変わりたいと思える存在です。これこそが教師と言われる私たちのあるべき姿なのだといつも気付かされます。

日常の学校生活において、無意識のうちに生徒を自分の型にはめようとしている自分がいます。これまで、型にはめることが駄目だと思っていましたが、最近はこの型の大きさ、質の問題なのではないかと考えるようになりました。最近の風潮として「個性」を大切にしようという流れがあります。そう考えるあまり、生徒が何をしてもそれが個性だからと認めなければならない。むしろ人と違うことをしていることが個性だと捉えられがちですが、実際の個性とは、やるべきこと、あるべき姿を理解し、それを徹底してやり続けた上で出てくる違いなのだと気づき始めました。空手に型があるのはなぜか。その基本を徹底して身体に刻み込むことで次のステージに上がることができます。それは教育においても同じだと感じています。日本の教育が大切にしてきた礼儀。日本人としての心。この部分をなくし、先進的だと探究教育を取り入れるだけでは何も生み出せないのではないか。この部分に気づかず、他国や企業で成功した事例を取り入れるだけでは、教育現場は崩壊していく一方です。何のために学校があるのか。学校が持つべき型は何か。変えられないものを変えるのではなく、変えられないものに気づき、その上で変えるべきことを考え、実践していく。これこそが今、私がやるべきことだと思っています。

大人が何十人と腕を組み列になっても、宇城先生が気を通したペットボトルを受け取ると、ペットボトルの水の流れと同じように、エネルギーが充満していきました。まさに波動です。先生の気のように、多くの人を巻き込み、そして笑顔にできる、そんな教育をしていきたい。そのためには、自分の学びが圧倒的に足りていません。先生に紹介して頂いたWedgeをすぐに購入したものの、読める時間を取れないまま今回の感想文を書いています。つい、目の前のやらなければならないことに追われ、自分の学びに費やす時間が取れていません。宇城先生は私とは比にならないほど過密なスケジュールでお忙しくされているにも関わらず、ものすごいスピードで学ばれているのを感じるだけに、自分のスピードの遅さには情けなさを感じる毎日ですが、それでも自分を諦めずに前に進みたいと思えるのは、宇城先生という師と出会えたからです。自分の学びを少しでも生徒達の未来の希望に、そしてともに教育を築き上げる現場の先生達に伝えていけるよう、情けなさは承知の上で学び続けていきます。先生と出逢い、自分では見えない世界のお話を聞かせていただくことで、自分の足りなさにいつも気づかせて頂いています。本当にありがとうございます。今後ともご指導よろしくお願いいたします。