2022年 京都宇城教師塾( 2022.8.11 ハートピア京都)

●高等学校 奈良 40代 男性 TS

宇城先生からのご指導を受けるたびに、学校現場で行われている生徒に対する教員の指導を思い出し、とても腹立たしい気持ちになります。そんな気持ちになりながら、なかなか宇城先生に仲間を繋ぐことができない、妻や友人にチラシ一枚を渡す前に頭で考え、機を逃す自らの実力不足を情けなく思います。そんななか、何度言ってもその時だけ分かったつもり、その時だけやる気になる進歩のない私たちに対し、毎回溢れる情熱で、期待の気持ちを込めて話しや実践をしていただく宇城先生の姿勢に、身体が反応していました。

「対立」から「調和」へ。「調和」を目指す身体活動は私たちが持っている潜在的な力を発揮させることは、いつも数々の実践を通じて感じさせていただきます。調和の世界に向けてまずは、大人・教員が自分たちの少しの知識・経験から「正しい」と思い込んでいる自らの活動の過ちに気づかなければいけません。そのきっかけのひとつは、私たち塾生が、現場でどのような姿勢で教員、保護者、子どもたちと向き合っていくかです。子どもたちに罪はありません。しかし、大人の横着さのしわ寄せはすべて子どもたちにふりかかってきます。また、宇城先生がおっしゃられるように、このままでは公立学校はなくなってしまいます。私たち教員が、危機感を持たず、現状を打破しなければ子どもにも、大人にも未来はありません。

足し算の実践で指摘していただいたように、まだまだ忖度、頭の癖は抜けきりません。自分自身の日常(家庭、職場、クラス、部活動)で実践していくとともに、危機的な状況の今だからこそ、一人でも多くの大人、そして子どもたちを宇城先生につなげていきたいと思います。

●高等学校 奈良 30代 男性 TN

回を重ねるごとに感じていますが、今回特に感じたのが、先生の実践される内容について、私たちに理解しやすいよう言葉での解説が多くなってきたという点です。

本来であれば、実践される内容を体験し、そのままそれぞれが身体で感じ取る中で納得していくべきところが、そこまでに達することができていないという事だと感じました。

気を通していただき、できなかったことができるようになったとき、首をかしげていました。

先生に実際に仰っていただきましたが、まだまだ頭で考えてしまう病気の状態から抜け出すことができていないという危機感を感じました。まだまだ勉強をしていくスピードの遅さが身に沁みました。

また、実際に気を通して頂いた時に感じたことは、倒された状態から全く起き上がることができない状態であっても、力を入れようとしても息が詰まらず、どれだけ長く倒されていても息苦しくならなかった事です。この状態が、風船でいう膨らんだ状態で、自然と息の長い呼吸ができているという事なのかと感じました。

現場でよく、「本音と建前は違う。」と言われますが、今回教わった、「細胞は正解と嘘が分かっている。」という言葉から、そんな事を言っている場合ではないのではないかという危機感も感じました。

今回得ることができた学びを、関わる人たちに映していくことが自分たちの使命だと思います。そのためにもまずは自分一人が変わったら、組織を変えることができる。という先生のお言葉を信じて、しっかりと勉強を重ねていきたいと思います。

●中・高等学校 京都 30代 男性 TN

学校は1学期を終えて、夏休みに入りクラブ活動や2学期に向けて準備していく中において、進むべき方向を指し示していただき、いつもながらエネルギーをいただきました。

今の日本の堕落をどう食い止めていくのか。それぞれの立場で考え、行動しているものの変わるどころかダメになるスピードは加速するばかり。それはなぜそうなったのか。具体的な数字などをみせていただきながら説明をいただきました。労働者の賃金は、変わらず。国内での自給率は横ばい。先進国は着実に階段を上っている状況。要するに日本という国の先が全く見えていないということであり、会社であれば当然倒産。株式会社日本は、必死にお金をすって、国債だけがかさむような状態に。これが今の現実であり、その国の代表を選んでいるのも日本国民であること。この根幹にあるもの、それは「教育」で、未来あるこどもたちに関わっているのは、私たち教員であることの責任と自覚をもっと持たなければならないと痛感しています。

「無から有を。」言葉では誰でも言えることもやはり見える形にし、それを進歩成長させていくには、技と想いが本当に必要です。この国をなんとかしたい。国民に幸せになってもらいたい。とそこに嘘や偽りが入ると一瞬でダメになってしまうことは身体を通して教えていただき、「できる自分」がいることも何度も体感させていただいてきました。教えていただくことから「気づく、気づかせる」という方向に変換していかなくてはと言いながら自分の力がなかったり、勉強不足によることで何も状況を変えられていないことにどう次に動いていいのかわからなくなることも多々あります。しかし、このように定期的に先生にご指導いただき、その度に軌道修正していただけることにいつまでも甘えていてはいけません。自立した塾生として役割を果たしていきます。

「時間と調和」いつもご指導いただくことですが、今回はこれまでとまた違った感覚で気づかせていただきました。先生に気を通していただき、出来るようになったとしてもすぐに自分は切ってしまう。しかし、先生はその状態がずっと続くと。行動も続けていかないといけない。そのためには常に先が見えていないとできない。その先とは何なのか。最終的には信念、生き様となるのだと感じました。できない自分。思考停止になってしまう自分。それがなぜそうなるのか。やはり見えているようで見えていないということが少しだけわかりました。私たちの1秒は、先生の14日先。差は埋まるどころか・・・。という状況に。こうして学ばせていただいているのであれば職場でそれぐらいの圧倒的な差をつけないといけないと感じました。

日本の教師たちは、右にならえをして、あたかも同じ方向を向いているような気になっているだけであるということ。全てを受け入れ、調和させる力がやはりリーダーには絶対的に必要ということ。6人で縦に並んで引っ張る検証も、礼をして入ることにより空気が変わり引っ張ることが出来る。力ではなく、スーッとくる感覚。誰がやってもできる。そのことでより場の雰囲気が変わっていく。何気ない小さなことの積み重ねこそ、日本の未来を変えていくものとなっていくのだと改めて気づかせていただきました。

人間は「間」であること。間とは、時間・空間。いつもながら素晴らしいご指導をいただき感謝致します。

●中学校 山口 30代 男性 SA

先生の気に、身体中の細胞が自然と反応し、その度に全身にエネルギーが満ちていくのを感じました。

異次元時空の中で体験させていただいた、あり得ない事象の数々をとおして、調和構図へのパラダイムシフトが今本当に必要であると感じました。エネルギー低下により劣化への一途を辿っている社会。そして、部分体である私たちの頭の中には、今の状況を打開する力や知恵は決して生み出せないことを先生のお話をお聞きし、そして実証を体験する中で確信致しました。しかし、私たちの身体は目に見えない先生の気のエネルギーを受け取り、瞬時に変化し、あり得ない事象を可能にするなど、無限の可能性と神秘に満ちていることを体験させていただきました。そして、それを体験すればするほど、大きな希望とエネルギーが身体の中から湧いてきました。頭優先となってしまっている今の生き方から、人間の中に存在する潜在力と目に見えないが確実に存在している気というエネルギーに対して、そしてそれを引き出す人間としての心の在り方に対して、人間として本当に謙虚になり、心ありの調和構図へ少しでも自分をシフトチェンジできるよう、自らの生き方を変えていきたいと思いました。

今までの私は、様々な検証で体験したことや先生からご教示いただいたことの数々をただ単に経験やハウツー的に、それこそ無意識に、そのように捉えていたと反省致しました。先生という太陽に照らしていただく中で、その光を、そのエネルギーを、自らの心という根っこを張り巡らせる(具体的な行動へ変換していける)自分に変化していくことが私の日常で第一にやらなければならないことでした。その先に今の自分には見えない大きな希望や幸せに生きていく道があり、この度一緒に参加させていただいた家族や周囲の仲間を守っていけるようになるのだと感じました。行動をとおして、まずは自分の内面を変えていく。今まで以上に、それを実践していかなければ、そしてしていきたい、その思いが強く湧き上がりました。

この度の実践講習会では、家族も一緒に体験をさせていただきました。ご迷惑をお掛けすることも非常に多い中、宇城先生を始め、麻子師範や塾生の皆さまから温かく見守りそして接していただき、大変有り難く感謝の思いでいっぱいです。また、その中で私自身の普段の生活で見失っていた優しさや心遣いについて、自分の不足さや心のなさに気づかせていただきました。私はやはり今まで自分ばかりになっていたと反省致しました。先生の御教えを実践するとはどういうことか。それがどれ程、相手に安心感やエネルギーを与えるのか、それを身をもって体験させていただき、そこからまず自らの行動と心がけを変えていこうと強く思いました。宇城先生に学ばさせていただけるからこそ、私は、迷わずに自分を振り返り、そして進んでいくことができます。これは普通に生きていては決して得られない安心感であり、そして心から感謝しなければいけないことだと思っています。その感謝の気持ちを忘れずに突き進んでいきたいです。

●高等学校 岐阜 40代 男性 KK

何も変わらず、何も手を打たず、衰退の一途をたどる日本のなかで、パラダイムシフトを起こさない限り未来はないこと、そしてそのパラダイムシフトこそ対立から調和への転換であることに改めて気づく機会となりました。

一方で、現状のシステムがいかに変わらないものであるかということも同時に痛感しています。宇城先生から学んだことを日常のなかに落とし込もうとしても何ら変わらない、変えられない現実、そして自分自身に対する無力感、情けなさ。毎日そんな自分との戦いです。しかし、こうして宇城先生に触れることで、それらは私自身の学びが知識優先の横着な学びであるがゆえであることが再認識できます。身体、細胞のスピードは私の頭で認識できるような次元ではありません。何度もそのことを宇城先生から学んでいるはずなのに、日常のなかではどうしても頭で、知識で、理屈でことを為そうとしてしまいます。

私にとって貴重なのは、そんな自分に気づくことのできる場があるということです。繰り返し繰り返し宇城先生に学ぶこと、宇城先生と同じ空気を吸うこと、同じ空間に居させていただけること、教師塾や道塾は本当にかけがえのない機会です。

本当に情けないことではありますが、ここへきてようやく社会や学校を取り巻く現状の悪化に対する原因を自分に向けることができるようになってきました。不登校生徒は劇的に増加しています。不登校でなくとも、精神的に不安定な生徒や依存心が強く、まともな人間関係を築くことができない生徒は不登校生徒の何倍もいて、その向こう側にはらさらに問題を多く抱えた保護者の方々がいます。そんな生徒や保護者に私は寄り添えているのか、知らず知らずシステムに乗っかって、彼らを見殺していないか、自分を守るのに精一杯になっていないか…。とてもではありませんが、胸を張れる自分ではありません。私だけでなく、子どもたちが、困っている保護者のみなさんが、未来に希望を持って日々暮らしていける社会をどうやって築いていくか。今こそ、いや、すでに時遅しかもしれませんが、対立から調和への転換が必要です。

そのために私自身がどうあるべきか。まさに一人革命。宇城先生の気によって「できた」人が目の前にいることで、何人もの人間を引っ張るエネルギーが生まれます。知識や理屈ではない、「できた」という事実そのもの。それこそが人を活かし、自分を生かしていきます。であるならば、私自身が「できた」を積み重ねていくしか道はありませんし、そうでなければそ本当の意味で教員という仕事を全うすることにはなりません。

とても勇気のいることです。自分を変えていく、自分を信じて進んでいく。どこまでできるか、どこまで自分を信じられるか不安もあります。ただ、そんな不安は結局は見栄や下らないプライドが元であったりします。日常において心を開き、自然体で進んで参ります。

子どもの持つ可能性や子どものエネルギー。そもそも人間が持つ本来のエネルギー。宇城先生のおかげで、そのエネルギーを知り、その可能性について何度も触れさせていただいています。宇城先生に学ぶ前と今とでは、見える世界がすっかり変わりました。そしてできない自分、くだらない自分と向き合う時間に少しずつ向き合うことができるようになってきたような気もします。

間もなく夏休みが明け、学校が再開します。もう一度初心に戻り、自分を鍛えて参りたいと思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。

●中学校 奈良 30代 女性 YK

お忙しい中、ご指導ありがとうございました。宇城先生の大きな愛情に包まれた1日でした。

教師塾で、一個たす一個の話を聞いて、自分の思考が知識に固まっていて、偏っていると実感させていただきました。物事の本質を考える力は、今の教育では培うことがなく、日本の教育が低迷しているのも納得します。せめて、自分が関わる子供たちには、豊かな想像力や本質を見ること、たくさんの愛情がある人間になってほしいし、そのために動いていこうと改めて思いました。

1日を通して、たくさん実践をしていただき、気の力はもちろんですが、自分の感度も考えるきっかけになりました。子どもたちの素直さや愛情を見ていると、自分が関わっている子どもたちに対して、真っ直ぐに向き合う人間でいたいなと思います。でも、こうしたらいいだろうや、こうした方が良いという風に頭で理解してしまうことが多く、まだまだ部分で生きているなと思いました。一学期にいろいろなことがあり、その時は素直に向き合っていたつもりでしたが、宇城先生お会いして、頭で考えて、愛情を持って接しているつもりになっていたのだと思いました。横着に頭で考えてしまう、独りよがりで行動してしまうことはなかなかなくすことができていませんが、宇城先生に学ばせてもらっている違いを出していけるよう、忖度なく素直に物事を受け止める姿勢でいたいです。

宇城先生にいただいた愛情とエネルギーを、周りの人に返していけるよう、また、今日から生きていきたいと思います。ありがとうございました。

●中学校 京都 30代 男性 KT

前回ご指導頂いた時に増して、世の中が混沌としている現状を再認識するとともに本質と全くズレた論点で世の中の物事が進み、現実喫緊にすべき課題とは異なる全く必要のない議論で日本がさらに停滞、むしろ後退しているのだと確信すると共に愕然とするばかりです。また、その状況に踊らされて本質的な物事が見えていない、考える(感じる)ことを放棄した国民が急増していることを痛感します。さらに、教育にしても過去の栄光など夢のまた夢のような状況で、世界に太刀打ちできない状況に追い込まれていると共に、思考力判断力を奪うような堕落した人間の育成機関に成り下がってしまっていることを痛感するばかりです。これらのような状況を作り出しているのは他ならない自分を含む多くの教員であることが何よりの問題であると感じます。普段から目の前のことに追われて先を見通せない状況で生徒に対峙していれば、それは生徒にもミラーリングしてしまうのは当たり前です。

しかし、これらの課題に対してどうして行くべきかの道標となるべき模範を今回も示してくださった先生の教えを日々実践あるのみであると感じます。常日頃から仰っておられる「調和」を様々な実証を通して現代科学では説明のつかない次元の異なる実践を、少しでも自身ができるように頭ではなく体が自然に動くようにしていくことが求められていることを再認識します。その一方で、まだまだ頭で考え理解しようと思い、自身の固定概念に縛られて、実証の際にできた気持ちになってしまう状態もまだまだ程度の低い状態であることも痛感します。

夏休み期間の間にゆるんだ心と体を今一度リセットして、二学期からの日々の実践につなげていかねばならないと今一度認識して実行していきます。

●高等学校 兵庫 50代 男性 NS

宇城先生、教師塾、そして講演会での指導をありがとうございました。先生から絞り出すような気迫を感じる講義でした。

先進国の中で、唯一賃金が上がっていない、食料自給率・エネルギー自給率が低い。何より、それが長年そのことに手を打ってこなかった結果であるということに愕然とします。嘘をつく、改竄する、隠蔽する。この唾棄すべきことが、学校をはじめ、社会の様々なところで、横行しています。そして、それをのさばらせてしまっている社会・自分。その怒りをエネルギーに変えられているか。

落ちるところまで落ちてしまった日本を成長に転じるためには、クォンタムリープ(量子的飛躍)が必要である。そして、そのエネルギーは、対立からは決して生まれず、「調和」から生まれる。今回も「調和」の凄さを見せて頂きました。寄り添い、気遣うことで生まれるエネルギー。自然にそれができているか。「席を譲っている自分」がいるか。

講演会での子どもたちの素晴らしさを見るにつけ、子どもたちの潜在能力・可能性をそのままの形で引き出し、伸ばしてあげることの重要性と、教育現場にいる者としての責任の重さを再認識しました。

教師塾・講演会でいただいたエネルギーをもって現場に戻り、一隅を照らしていきたいと思います。

●高等学校 奈良 20代 男性 KY

私事ですが、今年度から新しい学校に異動し、昨年度までとは勝手が違う部分が多くあります。その中で自らの矜持をどこに置くのか考えていました。変えるべき部分と変えないでおく部分があり、それを実践し、ようやく1学期が終わったという感じでした。

今、勤めている学校では、ティーチャーであることよりもファシリテーターであることが求められています。生徒の活動を促進するための適切な助言が与えられているのか、活発な議論するための発問ができているのか、というと、まだまだ出来ていないと思います。自分の力不足を実感することがありますが、毎日、授業であれば毎時間が本番です。私は教員として同じサイクルを回して行きますが、生徒には人生の中の高校生活の大切な一部です。生徒に自分が何を伝えられるのか、現時点での自分の最良を提供するべきだと実感するところがあります。そのためにも自分が知識を蓄え、技術を磨き、人として成長しなければならないと思います。

本会の教師塾の実践の中で、寄り添うことによって強くなるというのがありました。5人が一列になり前の人の肩を掴んで、前で1人が引っ張るやつです。近くにお腹が痛い人がいて、その人に寄り添うと、引っ張ることができる、という実践でした。この時に私は、「これは前にやっていて、こうすればこうなる」と 理解していて、頭で「寄り添えば強くなる→引っ張れる」と先に考えていました。そうしたら、先頭の人との手のくっつきを感じませんでした。滑りました。だから、寄り添うという行為自体がパフォーマンスとしてやっているだけで、身についていないんだと分かりました。口では簡単に寄り添うと言ったり、表面的には寄り添う行動をとっていますが、実際のところ、本当の意味では寄り添えていないのではないか。無意識化で人に寄り添うためには、その行為自体が体に刻まれている必要があると感じました。自らを見つめ直し、この職業を選んだからには、社会に貢献したいと思っています。

また、ニュートラルで、ただやるとできる、というのはとても納得しました。私の経験から申し上げても、やるぞ!と意気込んで良い結果がでた試しがありません。例えば試験とかであっても、あまり満足に準備ができず、「まあやってみるか」とリラックスして受験した方が結果が良かったなんていうことが何回もありました。でもやっぱり試験とか、大事な場面では力んでしまう。悪い癖がついていると思います。

最近、英単語の語彙習得について勉強しているのですが、巷に溢れている「良い」とされている習得法も、実際に実験してみると、反対の結果が出るというのがありました。教師塾の実践の中でも、体育座りであったり、スポーツ界で良しとされている筋トレが、実際にはスピードを遅くしていることにつながっている。ここに、世の中である種、常識(良い)とされていることが、よくよく見てみると、実は間違っているということを共通点として見出しました。

先生から、日本が今後生き残るためにはパラダイムシフトが必要であるというお話がありました。本当に一人一人が成長しなければならないと思っていて、教員として自分ができることは、やはり目の前の生徒に希望ある将来像を描いてもらうことだと思います。生徒たちが思い描く像はそれぞれだと思いますが、物事に向き合う姿勢であったり、本質的な部分を自分が見せ、参考にされる対象になりたいと思います。

●中学校 奈良 30代 男性 KN

今の日本のおかれている状況、教育の在り方など、世界と比べて遅れているのは一目瞭然でした。しかし、日本という国の在り方や、知識を問う入試制度などに負け、従来の詰め込み型の授業をしてしまっている自分がいることに。

子どもたちの可能性や、成長は本当にすごいと感じさせられ事が多く、先生の実践の中でも実証されています。大人がダメにしてしまわないようにしていきたい。そのためには、自分自身も、身体で感じることを大切にしたいと思います。

●高等学校 三重 30代 男性 TH

5次元の空間、この空間を身体・細胞は希望である事を知っています。身体は意識が邪魔であり自分が作る壁や自分が作る枠がない事を知っています。この空間に居させていただく事で感動や感謝の気持ちを持てる感覚、希望が身体から出ることを感じさせていただいています。教師塾で学ばせていただく事で頭優先の素直ではない自分を身体が感じます。宇城先生、この度も貴重な学びの機会をいただき誠にありがとうございました。台湾有事は他人事ではありません。台湾は世界的に先を取り半導体を資源にしており、日本はそれに頼りきっています。食糧も他国に頼っています。残念ながら日本には国や地域を守る資源やエネルギーはありません。この状況に向かっていける、走ることができるのは宇城先生の気のエネルギーすなわち5次元の世界だと思います。意識は欲であり、意識は囚われです。こうすれば出来ると頭で考えることで出来たことが出来なくなる。苦しみや悩みや葛藤は欲があるから。他人に対して怒りを覚えるのは、他人の考え、行動が許せないから。すなわち自分の思い通りに他人や自分がなって欲しいという欲です。

愛すべきもの、守るものがあるかどうか。争いや戦いではなく、「守る力」。大切な家族や大切な人が危険な目にさらされていたら恐れは関係ありません。必死で守ろうとします。それが「守る」ということ。守るものを持っている人は本当に強い。子どもを守ろうとする親、親を守ろうとする子ども。実は自分達が子どもに守られていた。宇城先生の寄り添う力の実証からかけがえのないたくさんの気付きをいただきました。限られた人生の中で、誤魔化している時間は全くありません。自分を変えないといけません。今の自分に足りないもの。人に寄り添い人を思い人として正しい行動を続けること。周りの人間関係も変わってくる。地域や日本を守るために輪を広げること。正確には深まり広まること。

宇城先生が中心におられ、輪が広まればエネルギーが充満し希望ある国になっていく。日本を取り戻していく事に繋がっていきます。投げられた人に気が通り、その人がまた別の人を投げることができるような気の循環を創り育てていく。気が付かせていただいたことを気が付いたら周囲に映せていたという身体に。

●高等学校 兵庫 40代 男性 KY

5次元の空間、この空間を身体・細胞は希望である事を知っています。身体は意識が邪魔であり自分が作る壁や自分が作る枠がない事を知っています。この空間に居させていただく事で感動や感謝の気持ちを持てる感覚、希望が身体から出ることを感じさせていただいています。教師塾で学ばせていただく事で頭優先の素直ではない自分を身体が感じます。宇城先生、この度も貴重な学びの機会をいただき誠にありがとうございました。台湾有事は他人事ではありません。台湾は世界的に先を取り半導体を資源にしており、日本はそれに頼りきっています。食糧も他国に頼っています。残念ながら日本には国や地域を守る資源やエネルギーはありません。この状況に向かっていける、走ることができるのは宇城先生の気のエネルギーすなわち5次元の世界だと思います。意識は欲であり、意識は囚われです。こうすれば出来ると頭で考えることで出来たことが出来なくなる。苦しみや悩みや葛藤は欲があるから。他人に対して怒りを覚えるのは、他人の考え、行動が許せないから。すなわち自分の思い通りに他人や自分がなって欲しいという欲です。

愛すべきもの、守るものがあるかどうか。争いや戦いではなく、「守る力」。大切な家族や大切な人が危険な目にさらされていたら恐れは関係ありません。必死で守ろうとします。それが「守る」ということ。守るものを持っている人は本当に強い。子どもを守ろうとする親、親を守ろうとする子ども。実は自分達が子どもに守られていた。宇城先生の寄り添う力の実証からかけがえのないたくさんの気付きをいただきました。限られた人生の中で、誤魔化している時間は全くありません。自分を変えないといけません。今の自分に足りないもの。人に寄り添い人を思い人として正しい行動を続けること。周りの人間関係も変わってくる。地域や日本を守るために輪を広げること。正確には深まり広まること。

宇城先生が中心におられ、輪が広まればエネルギーが充満し希望ある国になっていく。日本を取り戻していく事に繋がっていきます。投げられた人に気が通り、その人がまた別の人を投げることができるような気の循環を創り育てていく。気が付かせていただいたことを気が付いたら周囲に映せていたという身体に。

●高等学校 石川 50代 男性 MK

以前参加させていただいた際に、気が通ると想像以上の力が発揮されることを目の当たりにし、「なぜそうなるのか理解したい」、また厚かましくも「自分にもそのようなことができたら」、「そのようなことを日々の指導に生かしたい」という思いがありました。

ただ、今回の教師塾、実践講演会に参加したことで、このような考えは愚かなものではないかと思うようになりました。私の常識では考えられない気の力は、私の頭では説明できないことなのだからそうしようとしても仕方のないこと、大切なことは常に実践することでその違いに気づくことなのではないかというふうに思われました。

初めに、宇城先生は対立構図と調和構図、子どもにできて大人にできないこと、ビジョンを持つことの大切さをお話しくださいました。また、細胞レベルの時間(無意識の時間)、脳が考えて行動する時間についてもお話しくださいました。これらのことについて私の頭で考えても理解することができません。しかしながら、対立構図と調査構図ということについては、「縦に肩を組んだ大人を動かす」際に、同じ目線に立つことや入り口で丁寧に礼をすることで、その違いに気づくことができました。理由は説明できません。ただ、違いを感じることができたのです。また、子どもにできて大人にできないことということについては、10人で組んだスクラムを、大人が崩すことはできないのに子どもだと崩すことができるということで気づくことができました。

以前に参加した際には、実際に起きている現象を理解することができず「なぜ?」という思いが非常に強く、混乱したように思います。しかし今回、宇城先生が講演会の中で大学生に対し、「頭で考えてもわからない。あなたの考えの中にないということ」というふうにおっしゃられ、その時私は「頭で考えようとしても無駄なのだ。自分は無意識の部分を意識しようとしているので、わからなくて当然、でも無意識の部分に自分が気づいていない力があるのだ」という考えにいたりました。その時に私の目の前が少し明るくなったように感じられました。これまで、力を出すために、気を出さなければならない。気を出すためには呼吸や姿勢、作法をしっかりしなくてはいけない。これではすでに頭で意識していることであって、その時点で本来ある力を発揮することができていなかったのです。今回参加したことでも、なぜこのようなことが起こるのか理解はできません。ただ、理解するのではなく、実践を通して気づくことが大切なのではないかという考えを持てたことが大変有意義だったのではないかと思われます。

また、宇城先生のお話の中で大変ありがたく感じられたのは、「気合を入れると物事が重くなり、疲弊する。常に自然体で物事に取り組むこと」ということです。これは物を持ち上げる際に気合を入れて持とうとすると重く感じ、一度すっと立った後に手を添えるようにすると軽く感じられるということを体験した後にお話しくださったのですが、自分の仕事に対してある程度気合を入れていたつもりだったのですが、それは物事を重くし、より疲労が増すようにしていただけだったのではないかと思われました。

もう一つ心に残ったことは「気は伝わる」ということです。実践の多くは人に触れることで気の存在を感じることができるのですが、宇城先生は触れることなく、気を通すことができます。そして人を指導する際には愛情の電波が飛んでいるとおっしゃられました。表面的な言葉だけでは人を指導することはできないと思いました。

これから頭で考えるのではなく、自然体で人に寄り添う気持ちや態度、丁寧や礼や作法を実践し、その中で新たな気づきがあるのではないか、今はそのように思っております。

●中学校 大阪 50代 男性 HS

宇城先生は、現状の日本を憂い、今の延長線上には、明るい未来がないことを明確に示して下さいます。そのことは、「心ある」人々にとっては、誰の目にも明らかなことなのでしょうが、つい、私などはそのことを見たくはない、先送りにしたいと思ってきました。また、百歩譲ってそのことを受け入れたとしても、ただ手をこまねいているだけではV字回復はありえませんし、では、どうすれば良いのか…。そのことに答えを示せる人がどれだけいるのでしょうか?

そして、今回、どうすれば良いのかを冒頭に示して頂けたのが、調和・融合への「パラダイムシフト」です。今の延長線上には、未来は無いのですから、不連続で変化する「パラダイムシフト」が必須であるとのこと。うなづけます。なぜならば、いつも宇城先生から示して頂いている、一瞬にして不可能が可能になる実践(つまり、小さな「パラダイムシフト」)を体験させて頂いている我々だからこそ、うなづけるのだと思います。

色々と示して頂いた実践の中で、今回もできることもあれば、やはり、頭が邪魔をしてできないこともありましたが、一番印象に残ったのが、入室時の「立礼」です。

私は、随分以前(私の記憶違いでなければ…)、宇城先生が『ホムンクルス』の収録について語られる中で、出演者の方が道場に入るときに「立礼」ができていないということをお聞きしたことがあります。そのときの印象が強いので、道場に入るとき、そして、出るときは「立礼」が大切なのだとすんなりと受け入れられ、そういう機会があるときは立礼をするようにしていました。しかし、この教師塾で、宇城先生が「教室への入室時に、礼をして入りなさい」と仰っておられるのを耳にしましたが、周りの教員の方はそんなことは、誰も実践されてはいないので、ろう下のゴミを拾うことなどは、あまり抵抗なくやり始められたのですが、入室時の立礼はできていませんでした。それでも、生徒の中に(卒業するときに)ごく少数ですが、私に渡してくれる手紙に、「まず、ろう下のゴミを拾う、トイレのスリッパをそろえる。こういった基本的なこと、できたら気持ちよくすごせることをきちんとこなす佐藤先生。私はそんな先生から人格について学べることができました。」と、したためてくれる生徒がいて、「きちんと見てくれているのだなぁ…」と嬉しく思っていたのです。やっと最近(1年程前から)、最初は「恥ずかしいなぁ」と思い乍ら教室への入室時の立礼をやり始めました。でも、それを実行しても、自分の中での「変化の実感」はなかったのです。

そして、今回の実践。「よしっ!」と、気合いを入れて相手の方をおんぶするのと、「どうぞ」という気持ちで相手の方をおんぶすることの違いを体験させて頂いたあとに、入室時の立礼を行ってからおんぶすると、何も余計なことをしなくても、自然に楽におんぶすることができ、驚きました。最近、宇城先生がよく口にされる「ニュートラル」。頑張っている、やっている実感があると、それは反って「まやかし」なのだな…と、思いました。今春、転勤により職場が変わり、ついつい、生徒と対立構造になってしまいます。引き続き、ゴミを拾う、入室時の立礼を行うを実践し、そして、「ニュートラル」を思いだし、やっていきたいと思います。

最後に…。午後からの実践講演会。有沢さんが仰向けに寝て、宇城先生が上から乗られる検証で、有沢さんの息子さんが甘えるようにお父さんの身体の上に乗っていきました。そのことについて、宇城先生から「子どもがお父さんを守ろうとしている」とのお言葉があり、実際、お子さんが身体の上に乗ると、足を踏まれても痛くなくなっていました。私の目から見たら、お子さんがお父さんに甘えているだけのように見受けられたのですが、宇城先生からの説明で、違った景色を見させて頂きました。日頃から、有沢さんが愛情をもってお子さんに接しておられるだろうこと。また、息子さんがお父さんのことが大好きなのだろうこと。そのようなお二人の「絆」を見させて頂き、心が温かくなりました。有り難う御座いました。

●高等学校 奈良 30代 男性 HI

先日はご指導いただき誠にありがとうございました。半年ぶりにご指導いただいた私にとって非常に貴重な1日となりました。

様々な実証の中で、なんでだろうと考えてしまっている自分が何度かいました。身体が答えを出しているのにそれを素直に受け止めていられなかった自分の遅さに気づかされました。「遅いとビジョンがもてない」というお言葉は私に強烈に刺さりました。日本や世界の遅れている部分を様々なデータでお示しいただきました。ビジョンがない、パラダイムシフトが必要ということは私個人にも当てはまることだと感じました。私がもっていると思っていたビジョンは目先のことに過ぎないのだと思います。今のままの時間軸、考え方、生き方を少し変えるだけでは駄目で、自分自身にもパラダイムシフトが必要だと感じました。

パラダイムシフトするためのヒントをこの度いくつもいただきました。何か事を為すときに、構えたときよりも何もしなかったとき、ニュートラルなときのほうがスムーズにできました。普通では引っ張れない相手も、一度同じ方向を見ると引き寄せられました。相手の手先ではなく、肩を意識すると想像以上の力が出ました。数々の実証から、頭で考えすぎず、身体に素直になること、寄り添うこと、常識だと思っていることを常識だと思わず、物事の中心、本質を見ることで、発揮されるエネルギーの凄まじさを身をもって気づかせていただきました。日々の生活の中にこれらのことを落とし込んで実践して参ります。

日々、子どものもつ強いエネルギーを感じていますが、成長を邪魔していないか、躾はできているかを自問自答しながらの受講でした。「男女平等ではなく、男と女ふたつでひとつ」というお言葉も心に響きました。家庭内においてもまさにその通りだと感じます。私事ですが、今年度は妻が育児休暇を経て仕事復帰し、私が育児休暇を取り、家事育児を担っています。年度初めは、私が家事育児全てを為すつもりでしたので、少しでも妻が介入しようとすると制止したり、子どもにも「こうしろ、ああしろ」と抑圧的な態度を取ってしまっていましたので、家事はできても家庭内がうまく回っていない感じがありました。今から思えば力んでいたのだと思います。変な力みがとれて、妻の手助けに感謝し、子どもに寄り添えられるようになると、少しではありますが、家庭内がうまく回ってきたように感じます。

社会の中の小さな集団に過ぎませんが、家庭の中でもできることはたくさんあると感じました。周囲や自分の身体に謙虚になること。これが私がパラダイムシフトするためのカギだと思います。まずは身体で感じ、それに対して素直になることで実践して参りたいと思います。

●高等学校 奈良 20代 男性 YM

対立から調和へ。大人5人が1列に並び、それを引っ張ろうにも、力ではびくともしませんでした。しかし、5人と同じ方向を見て引っ張ると、力を入れずとも簡単に動かすことができました。感覚的には、私と5人というより、6人で一緒に進んだような感覚でした。その「ひとつになる」ということが大事なのだと気づきました。このことは今まで宇城先生から何回も教えていただいていることです。しかし、自分の今までの指導を振り返ると、成績で順位がどうとか、ほかの人はもっと練習しているとか、人と比べて話をしていました。まさに対立です。まだまだ自分自身の中で、「調和」が身に付いていませんでした。

昼からの講演会では、子どもの力の凄さをとても強く感じました。底抜けに明るく、周りの全員を笑顔にできる、そんな素晴らしい力を、絶対に潰してはならないと思いました。しかし私自身、調和が身に付いていません。そんな私が、口先だけで子ども達に何か伝えられるわけでもないと思います。まずは私自身、対立する癖をとり、調和していかなければなりません。

今回の教師塾や講演会でも、宇城先生は自分で復習する時間を入れておられました。私は今まで、教師塾に参加して成長した気でいました。しかし、教師塾で教えていただいたことを身に付けられるかは、当たり前ですが自分次第です。その後の自分を変化させなければ、今まで通りになってしまいます。3年ほど教師塾に参加させていただいていますが、参加する前と今では何か変わっているのか。教師塾に参加しただけで成長できているはずがありません。そんな当たり前のことに、ようやく気づきました。自分で日頃の生活から、どうすれば周りと調和できるか、研究していくほかありません。教師塾の中での「人生に定年はない」という言葉が強く残っています。高校の時が、大学の時が、若い頃が人生で一番楽しかった。そんな風に過去を羨んで生きていくほど悲しい人生はないと思います。死ぬときが一番輝いていられるよう、明日を明るくできるように日々成長していきたいと思います。

●中学校 京都 40代 男性 HA

宇城先生この度の教師塾何よりも心に残ったのが『寄り添う』という言葉です。教師としてまた、子どもたちと向き合う中で我々教師はこうでなければいけない。そういった意識を日々刷り込んでいます。今日の講習会の中での学びは全てその逆です。身体は全て知っていて、むしろ頭が身体のスピードを止めている。しかし、頭で教えないで何を教えるのかに我々はなっています。もちろん、学習は大切です。それ以上に大切なものがあります。そしてそれはすでに人間が持っているものです。それを学校はぶち壊しています。正しい学びそれは人と人が助け合い、守り合い、育み合うことです。それを成功させるために教師はいる。子どもたちの日々の心に寄り添い、見守り力を与える。そのことを学ばせる感じさせる。空気を作る。馴れ合いだけでなく、真の厳しさを出しながら調和の空気を広げる。それをしようと思えば、まず心。そこに愛情の伴った心のある教育でないと全て間に合いません。子どもたちは我々大人より優秀で早い。そのことを理解しながら、邪魔をしないように、ただ寄り添う。そのためにも、自分の中にしっかりとした目盛りを作る。頭でない目盛りを身体で作っていかなくては、今日の学びが活かせません。我々ここで学ぶものは、本物、真実、真理を知っているからこそ、厳しい言い方をすると言い訳ができない。知っていて、やらないというのは何を意味するのか。そんな自問自答、気付きを頂いた1日でした。ありがとうございました。しっかりと精進して変化成長できるよう頑張ります。

●中学校 奈良 30代 男性 KS

今回の教師塾に参加させていただき、改めて気の存在を目の当たりにして、エネルギーを感じられました。4月に行われた教師塾には、参加できなかったので、久しぶりに気持ちが良かったです。

印象に残った話として、人間とペットボトルを膨らませる話です。何も気づいていない人からすると、おそらくにわかに信じられない話ですが、私には確かに、腕の膨らみを感じました。言葉にはできない感覚です。

でも何かが必ず存在することであり、それがニュートンなどにも記事を掲載する学者でも証明できないというのが、とても印象的です。

宇城先生は、ノーベル賞が欲しいとは思っておられないと思いますが、それについての説明を実践(実証)で証明しているところが私からすると、雲の上のように先が見えません。しかしながら、世の中には、見えないだけで、見えないからこそ価値があり、見えなくても良いとも思います。

私自身が、年齢を重ねる中で、見える世界が広がれば良いなと感じます。そのためには、一人革命を続け、仲間を増やし、絶望する人の隣で希望として笑っていられるような人間になれるように精進して参りたいと考えております。

まだまだ、さまざまなことに対する自分の向き合い方が足りないと感じる日々です。自分を見つめ直し、自分の「道」が見つけられるまで、宇城先生にご指導を賜り、宇城先生の「道」からたくさんの気づきを生みたいと考えています。

●高等学校 滋賀 女性 TK

教師塾では、物事の考え方や日々の仕事の振り返りができるとても良い時間になっています。先生のおっしゃる「調和」が教育の現場で大切だと実感しています。同じ目線で、同じ立場で対応するというのは実践を通しても感じましたし、最近の仕事でも感じました。先生が今回おっしゃっていた「心は見えないけど、心遣いは見える」という言葉が凄く印象に残りました。生徒の心を見ようとしてもなかなか難しく、私たちが思っている以上にいろんなことを感じていると思います。大人の判断だけで物事を進めず、生徒の思いを汲み取れるようにしたいと思います。生徒の小さな変化やサインを見逃さず感じ取っていけるよう、自分がまず心遣いのできる人間になるべきだと思いました。現在、クラスには学校に来れていない生徒が2名います。生徒指導にかかっている生徒も数人いる中で、卒業までの残り少ない日々を生徒と向き合い、寄り添って行きたいと思います。

日常の行動では最近いろんなことが疎かになっているように感じます。「教室に入る前に一礼すると雰囲気が変わる」とおっしゃるように、心を整えることが必要だと感じました。席を譲る、ゴミを拾うなど基本的なことが自然とできるようにならないといけないと感じました。席を譲るにしても、「断られたらどうしよう」と考える自分がいて、なかなか譲れない事があります。先生がおっしゃっていたとこが私にしっかり当てはまっていました。考える時点でダメだと言うことを改めて感じました。実戦の中でも自分の感度が鈍ってるのを凄く感じました。社会人としてもっと誇れる自分になれるように、行動に移そうと思います。

今回の教師塾でも生徒との向き合い方や教員としての心構えなど、改めて考え直す事ができました。ご指導いただく度に、まだまだ未熟だと感じます。生徒だけでなく一緒に働く教員とも「対立」するのではなく「調和」して行きたいと思います。いつもたくさんのお言葉とご指導ありがとうございました。

●高等学校 奈良 50代 男性 NM

この度のご指導、誠にありがとうございました。頭では一瞬記憶は出来ても記録が出来ません。頭では断続的になり絶え間ない継続ができせん。頭では落とし込めず腑に落ちません。頭では醸成できません。頭では味気ない人間になります。

時空との融合か乖離か。融合することだと理解しています。
対立か調和のどちらの構図を描くのか。調和の構図ですと判断しています。
見えないものを信じるのか信じないのか。もちろん信じています。
出発点は身体か頭か。身体です。
もちろんゼロの地点、中心の意味はわかっています。
私は頭でこれら全ての答えを出しています。結果的には間違っていないのでしょうが、頭では自転車には乗れません。すなわち通用しない(=役に立たない。おもしろくない。生産性・発展性がない)ということです。このことも頭の中ではなく、いつも瞬時に身体の中をぐるぐると回るようになれば、少しはマシになるかもしれません。

私は何事においても計算しています。計算してしまいます。その計算は答えをはじめから定めています。絶対真理ではなく自分本位を無意識でやっています。

「はかる」ということと同時に「くばる」ということもやっています。知らず知らずに自分の都合(頭から、心なし)という物差しで「はかっている。くばっている」ことが大半です。しかも自らのぞむ結果(欲・我)を描きつつ歪んだ定規のあて方をしています。このことを「脳が閉じている」、「自分の殻に閉じこもる」というのでしょうか。がさつ、ずさん、横着。目盛りも荒く基準・間隔もはかり手の都合と勝手(無意識)で変動させバラバラです。一定のリズムや法則性もなく、つかめません。生まれてきません。したがって精度・感度・密度・速度が上がってきません。

年を重ねるほど、住む世界が広がっていくほど、先に外に行けば行くほど明確に顕著になっていきます。ビジョンが持てない・・・。まさにもう、今、既に行き詰まっています。息詰まり、活き詰まり、生き詰まり・・・。通用しなくなってもそのことを認めなくなり誤魔化し諦める。世界基準でないということは、先がないということです。まさにこの自分=今の日本の現状、教育現場の実態です。先をとれないようでは確実に倒産します。今出荷している新商品の2つ先のものがほぼ完成し、さらにその先の生産構図が見えていないと、要するに全ては時間の問題です。全ては時間ということが腑に落ちます。

自分、教師がこのような状態では子供達もそうなります。これ打破していく。先生は自らの生き様、そしてご指導で実際に示してくださっています。この度の教師塾、さらに午後からの実践講演会におきましてもパラダイム・シフト、クオンタム・リープへの沢山のヒントやきっかけをいただきました。人それぞれ感じ方や捉え方が違う部分と全員が一寸狂うことなく同じ感覚、一体になれている時がありました。どちらも体験できること、そしてどちらも自分であること、そしてどちらも事実であり、それを統合して一つひとつを繋ぎ自他共に育んでいくこと。身体で、細胞で。そこへ刻む。そこに刻まれているもの、きたものを基準とする、基準となっていくということ。

事実・真実・真理・・・。これは凄い教え導きです。
身体で寄り添う、身体が同じ目線、身体のニュートラル。
鍛えているという実感や意識がない状態、気がつけばなそうなっていたと。
型、躾、礼、作法、文化。身につけるということ。
ただ只管に出来ている人を映すということ。