2021年 京都宇城教師塾(2021.1.30 ハートピア京都)

●奈良 大淀高等学校 50代 男性 SM

予定時間を30分以上も過ぎるほどの温かく有り難いご指導、最後に撮った集合写真。撮影直前、先生曰く「絶望の隣にそっと腰掛けました。あなたの名前は何ですか。私の名前は希望です。」知れば知るほど、学べば学ぶほど、動けば動くほど、高まれば深まれば、拡がれば、やればやるほどだ。そういうことだ。つまり、皆、生から死に向かって歩む中で、頭、顕在意識によって次第に絶望感を抱き、閉塞感・不信感に苛まれそうになる。それが人生というものか・・・。いや、それも人生、そう、人生の一部、ほんの一部にしか過ぎない。そして、希望、開放、信頼、幸せ・楽しさも、その感情(絶望・閉塞・不信)とは、決してかけ離れていないということも。背中合わせ、隣・側にある。そしてひとつ。今回もこのことを様々な実例と実践を交えながら、自身の人生(歩み・走り)の上にのせて(通して)、気によって細胞間でのご指導をいただいた。

このように〝絶望〟を抱き〝同調〟する私(教員、私たち)に寄り添ってくださる、〝希望〟と〝勇気〟で溢れる宇城憲治先生、先生の導き。「人生とは、生きるとは」を、己の生き様でご指導いただいている証を全身(細胞)で噛みしめる事が出来た瞬間、笑顔と成った。先生と共に学ぶ仲間とともにいっぱいの笑顔。いただいた一枚の写真にあった。

緊急事態宣言発令下における開催。今年度のみならず過去には天候により開催が危ぶまれ、準備から当日の朝まで自身も大きな不安に襲われた講演会は何度もあった。しかし、不思議なこと(今となってはもう思議、当然。迷いはない)に全く問題なく、全てが実施できた。何故?

「大雪警報 → 降らない」 「道路が雪で積もる → 帰宅時には全く雪はなし」 「台風接近 → 会場周辺を避けて通過」 「警報発令 → 会場所在地にだけ出ない」

【私からあなたへ。私から皆さんへ。天に感謝します。地に感謝します。】 

今年度のコロナ禍における4回の教師塾は、ご指導いただきました宇城先生、ご参加・お手伝いいただきました皆さんのお陰をもちまして、無事終えられましたことに厚く御礼申し上げます。また、どう出版の木村様にも大変お世話になりました。今般の諸事情により残念ながら共に学ぶ機会を得られなかった方。教師塾における判断に限らず、皆さんそれぞれに立場・状況を踏まえた上での決断が多々あったことかとお察し致します。

本校の生徒も、他府県への移動制限の為、部活動の一環としての講演会への不参加が余儀なくされた。ならば保護者了解の上、同意を得られれば個人で参加したい人は参加するようにと伝えた。結果、生徒は誰も参加しなかった。正直、想うところはある。でも、そうではない。無邪気にはしゃぐ子供、元気のない子供。夢の実現に向かって勇気を持って「一人でもやるぞ」と真っ直ぐに歩んでいる大人、絶望感、閉塞感、不信感でいっぱいの大人。これらは全部、確かにこの自分自身の中にもある。

何故、教師になりたいと、なろうと目指し成ったのか。原点回帰。そして今・・・。

私の夢は、「自分、すなわち人間は素晴らしい。生まれてきてよかった。」このことを全ての子供たちが、自分自身で掴めるように先人のおもいを繋いでゆくこと。「人生、意気に感じる自他の育成」。繋いでいただいた、今も繋いでいただいているように自他に繋いでゆく。今回の季刊「道」<No.207 32頁>にあった次の一文。

『世界としての自分と、自我としての自分の両方を持っているわけですが、世界としての自分が広くなればなるほど、何も決めなくても全部自然に決まっていくことになる』

そして、宇城先生が見せてくださっている世界。先生が見ている世界・・・。
教師だけで学ぶ教師塾の意義とその値打ち。また教師以外の人たちの中にまみれていかに平和ぼけしているか、世間知らずであるか、狭い小さな世界の価値観と評価に振り回されて、教員病(きれい事、精神論、口だけ)に犯されているということに気づかされた講演会。両方を一日で体験できた物凄く濃い一日だった。

全てだ。全部真似る、やる!出来ることは何でも、とにかくやる!走る。他人が見て、なんやそんなことかと思われることでも。

◆ある男子生徒との会話
「ああそうか、お姉ちゃんおるんか?」「はい。」「お姉ちゃん何やってんの?」「今日ですか?」「違うがな(笑)。専門学校とか、働いてるとか、そういうことや」「ああ・・・」

◆ある女子生徒との会話
「お兄ちゃん、広島の高校に行ってるらしいな」「はい。(休みで)昨日帰ってきました。」

「違うがな(笑)。野球やってるんやろ。何処の高校かなと、そういうことや」「ああ・・・」

◆授業(保健)の導入で
「1m+1mは?」「2m」。「1m×1mは?」「1㎡」。「1m×1m×1mは?」「1㎥」

「せやな。では、1人+1人は?」「2人です」「一人ひとりです」「個性の集まりです」「そうか」「1人×1人×1人=1人³やな。では、これ(1人³)何て読む?」「3人寄れば文殊の知恵です」「(大笑)」

先生の真似をして、早速授業(保健)の導入にやってみた。「導入・展開・まとめ」と授業全部を使ってしまった。とうとう教科書の内容には一切触れず、全く進まず。でもやったからこそ見えた事がいくつもある。調和融合・意気投合は気持ちいい。またズレ・意外な返答・違いが実に面白いということも生徒にあらためて気付かせてもらった。

 先生ほど自身をオープン(開放、透明、聡明、解き放つ)にされている方は他に知らない。「ご自身の体験、話を」ということでではなく、「生き様、人生、細胞、実力」というところを。もう、いやというほど見せつけられている(いやではないが。すいません。大変失礼致しました)。魅力とは何か、何が魅力なのか。惹きつけるものは何か、何故、惹きつけられるのか。頭でわかろうとせず(わかるはずもなく)、深めていく。

もう何度目だろうか・・・「答えではなく、深さを求める」ということ。その度に自分に呆れながらも、「ジ~ン」とくる。先生、次年度も引き続き何卒宜しくお願い申し上げます。皆さん、共に学び繋がり一人革命を。誠にありがとうございます。

●奈良 生駒中学校 30代 女性 TU

今回の実践の中で、全員が一列になって肩に手を置いて、先頭の方の親指が宇城先生に導かれる場面がありました。先頭の方の親指が引っ張られ、最終的には蛇行していた人の列が綺麗な渦巻きになって密集したことが大変興味深く、印象に残っています。物質が集まることで重力をもち、中心に引っ張る力が大きくなると言うのを目で、身体で体験することができました。

また、「鳥は空に馴染んで飛ぶ、気に溶け込む」とおっしゃっていた先生の言葉も印象に残っています。ごく当たり前のことをおっしゃっているのですが、ハッとしました。そこに心が留まるというのは、現実や自分がそうでなくなっている、それを無意識に求めている証拠なんだと思います。押し付けや大人の都合など、社会が自然に逆らっている状態になっている、心と身体がずれていることに違和感や葛藤を感じているからだと思います。それが人の”間”がずれているということなのかなと思いました。そのずれや違和感に合わせることも、ときには必要なのかなと思っていましたが、減速するうえに、ずれたまま戻って来れなくなるような感覚になる。それよりも、素直に心を前に置き、進んでいく…加速度をあげることで、重さをつくっていくしか、違和感を払拭することはできないなと思うようになりました。欲張らず、目の前の人に寄り添うことで進んで行けたら…と思います。皆様からエネルギーを分けていただき、一年元気に頑張ることができました。また次年度もよろしくお願い致します。ありがとうございました。

●京都 立命館宇治中学校・高等学校 30代 男性 KF

今回は、同僚たちと共に15人で参加させてもらうことができました。また、事後に学校で振り返りの座談会も実施することができました。宇城先生からの学びを、同僚と共有できたことが夢のようでした。これまでも、勤務してきたいろいろな学校で、宇城先生の学びを共有しようとしましたが、生徒よりも大人の方がその難しさを感じていました。今回、休日に足を運んでくださり、座談会においてもほぼ全員が参加してくださり、率直な、正直な感想を言ってくださり、それをみんなで咀嚼,共有することができました。ここをスタートとして、新しいチームとしての一体感が得られたことが本当にうれしかったです。

 潜在意識が95%。科学的にわからないことが95%。なぜだろうと顕在意識、頭でわかろうとすることに限界がある。今回は,その95%をいかに90%へと変えていくかということで、頭で変えるのではなく、身体で感じることで新たな顕在意識の領域を広げ、能力が引き出されていくことが大事なのだと思いました。頭では何かはわからないが、すべての人がそこに何かがある、何か変化がある、空気感の変化があるということは感じることができる。今回はこれらを検証の中で徹底的に教えていただいたように感じました。また,気の影響として、気が入った人が近くにいるかどうかという検証から、その目に見えない何かは確実に周りに影響を及ぼし合うということも明らかにしていただき、私としてはそれらを再確認することができ、頭の中が整理されたような気になりました。蓋のあいたペットボトルが落ちそうになった時に何かを感じるという日常的に誰もが感じているものから、先生に気を通してもらうことで行動が起こる前に何かを感じる、自分ができる(押せる、投げられる、曲げられる、耐えられる、怖くない、痛くない)と感じる、相手ができる(やられる、力がはいらない)と感じる、心地よい(心が明るくなる)と感じるということまで、様々なアプローチの中で、新しい顕在意識を自分の中で確認することができました。

 また、自分自身の体験で言えば、宇城先生に気を通してもらい、竹刀で叩いてもらいました。これは2回目の体験でしたが、後で頭で考え、振り返り、言葉で表現すると絶対的な信頼感という感じがありました。うまく表現はできませんが、自分の身体ではないような感覚があり、痛みも全くなく、叩かれている自分を客観的に見ているような感じもしました。また、竹刀で投げられた後、動けなかったことや、先生が押さえた棒を引けなかったことも、物理的に引けないのではなく、力が入らない,引く気が起きないという感覚と共に、腕や手が自分のものだけど自分のものではないような感じがしていました。それに対して、他の人が私を動かそうとしたり、棒を一緒に引こうとしても、動かせない、動かしたくないという気持ちと、わずかですが、動かすことへの恐怖もありました。それはヤラセという意味での恐怖ではなく、身体がそうしない方がいいと判断をしているような感覚でした。戦わずして勝つという境地は、日々潜在意識を高めている者同士でないとなりたたないということを少し深められたような気がしました。検証においてもそうですが、戦ってみないと、やってみないとわからない一般的な顕在意識のレベルでは、潜在意識のレベルの人には圧倒的なスピード、感覚の違いがあり、簡単に負けてしまうということの理解も深めることができました。

今回、宇城先生にたくさんの種を撒いていただきました。エネルギーのある人が近くにいることで何が起きるかということを感じることができたもの同士として、同僚たちとお互いに支え合いながら、調和、共振していけたらと思っています。2021年もコロナ禍ではありますが、個人としても学校としても内面のエネルギーを高めていきたいと思います。ありがとうございました。

●奈良  若草中学校 50代 男性 IY

今回はコロナ禍の中、多くの不安もありながら参加させていただきましたが、終日、とても充実した学びの多い時間を過ごさせていただきました。

実践講習会で最初に宇城式呼吸法をご指導いただきました。ペットボトルを例にとても分かりやすく呼気は口をパッと開き体の中心から下への落とすようにと、そして吸気は手の動作に任せて鼻で助けるように軽く吸うようにと。実際にやってみるととても身体が温かくなり何かしらのエネルギーや心身の充実感を感じました。

実際ペアーでの体験時に腹と背中を抑えながら行った際に体幹に空気が詰まったような感触で正に身体に気が満ちているように感じました。呼吸により身体のみならず心が充実した感覚。「肚がすわる」とはこういうことかと思いました。

今はコロナ禍にあり、自分も含め、すべての人が日々家族や学校、仕事や生き方など様々な不安をもち、毎日がストストと共に過ごしている状態であると思います。不安やストレスに負けることなく私は、力強く前向きに生きていきたいと思っています。呼吸法で体験した身体の感覚は、今も心と身体に残っています。日々適切な判断力と素早い行動力が求められる中、自らの日々の実践として感謝の呼吸法を継続し、エネルギーをもって生活していきたいと思います。

人間(じんかん)、時空間、間というお話と体験をさせていただきました。大きなエネルギーを発揮すためには、自分本位な小さな思考ではなく、周りの人との繋がりや思いやり、寄り添うなど、心を根底とした行動が大切であると学びました。学校という多くの人が共存する職場にいる私は、特に職員間の場の空気感が最も大切であると思い自分の役割と心掛け行動しています。

先生からご指導いただいたように無意識に寄り添い、助け合い、行動ができているか、利己的な行動や言動になっていないか、反省しました。やはり、小さな思考になっているときや自分本位になっているときは日々の充足感もなく、行き詰まり、疲れを感じているときだったように思います。しかし先日の講習会後は、心身にエネルギー感を感じ勇気と前向きな思考と行動力が高まっているように感じます。

先生からいただいたエネルギーと教えを胸に自分の無力さを自覚しながら学校全体の場の空気が少しでも調和していくよう日々心ある行動を実践していきたいと思います。最後に今はコロナ禍とGIGAスクール構想により学校現場では新しいツールと価値観による教育の変化が急激に始まっています。そんな中、新しいものに翻弄されることなくまず、まずはチャレンジし適応しながら、本質的なもの先生の仰る稽古(古きに学ぶ)、身体の不思議や自然、宇宙のしくみなどをお手本にし、何が大事かをしっかり持って教育に携わっていく必要があると感じました。 

今回の講習会を通して宇城先生そして参加された多くの皆さま方から勇気とエネルギーをいただきました。ありがとうございました。これからの生活の糧に頑張っていきたいと思っております。今回このような機会をいただきましたことに宇城先生、皆様、本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。  

●奈良 五條高等学校 40代 男性 YM

今年度教師塾で学ばせていただき、いつも違う発見があります。その時々に感じている悩みやモヤモヤが、宇城先生の言葉によって晴れるような感覚です。この感じた希望を、生徒にも感じてほしい。そのために自分には何ができるか、向き合っていきたいと思います。今回特に心に残ったことは、「間」の大切さです。最近,あいさつがなぜ大切なのか、ということを考えます。コミュニケーションの基本、お互い気持ちよく過ごすため、いろいろな考え方があります。しかし私は今回教師塾で学ばせていただいて、あいさつは人と人の間をつなぐものなのだと感じました。空間や時間,その中で生きる私たち、クラスや学校、社会という空間で生きるには、人と人の間、ものと人の間、それら間を大切にすることが大切なのではないかと思います。そのための、あいさつです。単なる個としての「人」ではなく、間を大切にできる「人間」になりたいと考えています。かく言う私も、あいさつを大切にしているつもりでしたが、まだまだなのだということを今回実感しました。四つん這いになった人の手を押さえ、宇城先生に気を通してもらうと前に進むことができ、次にその人が前に立っても、他の人は前に進むことができるという実践がありました。できている人が前に立てば、他の人もできるようになる。生徒ができていないことは教師もできていない。生徒は教師の鏡だということだと思います。生徒に、あいさつをしっかりするよう指導しますが、生徒ができていないのは、前に立っている私ができていないこと。口だけになっていたこと、自分自身、あいさつを大切にできていないことを気づかされました。

教師塾に参加させていただく度に新たな発見があり、宇城先生や参加された先生方からパワーをもらいます。この気持ちが三日坊主にならないよう、精進してまいります。ありがとうございます。

●奈良 斑鳩南中学校 40代 男性 MI

今回のご指導の中で気付かせていただいたのは、自分自身にエネルギーがないと感じました。宇城先生に直接ご指導いただけたことで、魅力に惹き込まれていく感覚がありました。宇城先生からの愛情を感じ、エネルギーをたくさん頂いた気がします。これを私にできればと思うとまだまだ自分にはエネルギーが足りないなと感じてしまいました。同時に厳しさも感じました。このままだと周りの人を助けることも救うこともできないと思いました。教員こそたくさん学び経験し、自身の魅力で子どもたちを惹きつける力をつけないと感じさせていただきました。

 ミカン箱は箱のことで、本棚は棚のこと。人間は「間」のことで、人間にとって大事なことは「間」である。この「間」をどう活かすかで変わると教えていただきました。そのことにすごく感動し、人と人の間を愛情や寄り添う気持ち、絆のような温かい気持ちが「気」なのかなと感じました。

宇城先生の指導で、できないことができるようになり、気で人と人の「間」に変化を与えてくださり、人間本来の持つ力を示していただきました。本当に体が熱くなり、また笑顔になってしまう。宇城先生の愛情の深さを感じさせていただき、指導していただている間、私を想う気持ちがどれだけあるのかと感じるほど、相手に寄り添って頂いて、体験を通じて気付かせて頂いているのだなと思いました。

対立ではなく、調和の力だと改めて感じ、我欲を捨て、周りの人のため、自然のために行動をしていかないといけないと思いました。私たちが未来に向けて、希望を残していくために、生きていく意味や生かされていることを子どもたちに伝えていくことが大きな役割だと思います。

 四つん這いになって腕、足を押さえられて、気を通して頂くと動き、経験した人が前に立つ人によって、その力が伝わることができる実践から、私たち教員は前に立って話をすることが多いです。自分の行動が相手に伝わるということは、自分にエネルギーがないと周りの人は幸せにできないということです。自分が変われば、周りが変わる。まだまだ自分自身は未熟ですが、目の前のことから逃げずに、自らの力で行動していけば、少しでもエネルギーがたまるのではないかと思います。周りの人を幸せにできるように、未来を見据えて、愛情のある行動をしていきたいと思います。

●奈良 斑鳩南中学校 30代 女性 YK

今までは、先生の実践してくださることに、すごい!という気持ちばかりで、自分のものにしようという気持ちも薄く、ただただエネルギーをいただきに行っていただけだったように思います。今回は、先生が私たちにエネルギーを与えて下さるように、私も周りの人にエネルギーを与えられるようになりたいととても思いました。

おこがましいことは十分に承知していますが、先生のご指導を受ける中で、自分の小ささや卑屈さを変えたいと思えるようになり、前にむいて進んでいきたいと思えるようになったからです。教師塾でのご指導の際に、先生に「合わせにいっている」というご指摘を頂いた時には、この素直に動いていけないところが私の弱い部分なのだと教えていただきました。些細なことに気を奪われ、そんな次元の話ではないのに、勝手に変なこと気遣いをしてしまっていました。顕在意識と潜在意識の話がありましたが、ちゃんとしようと頭では思っていても、無意識の中でしてしまっていて、そうやって考えると、私は自己中心的な気遣いしかしていなかったのだと思います。学校の中でも教えていただいて、私自身が大切にしていることをやろうとするのではなく、相手に合わせて事なかれで毎日を過ごしていました。おかしいと心では思っていても、表面上、合わせたつもりになって、文句ばかりたまっていたように思います。単なるエゴで仕事をしていました。先生もおっしゃっていましたが、そんな心を持っているのに、子どもたちに「みんなと仲良くしましょう」というのは、嘘つきですね。子どもたちは、よくわかっているのだと思います。体にも心にも人にも嘘をつきたくないです。そのためには、やはり仲良くすることから始めていきたいです。先生の実践であったように、相手の側に立てたり、人を惹きつけたり、相手も強くなれるような関係をしていけるようこれから頑張りたいと思います。

●奈良 大淀高等学校 20代 女性 RM

冒頭に、宇城先生は「見える形で示してやること」と仰ってから、実証の数々を見せて下さいました。振り返りますと、どれも単純な動作で、変化が分かりやすく、不思議で、つい笑顔がこぼれ、心地良い空間でした。志しを持ち、学びを求める仲間とこの空間を共有できることが、本当に幸せだと感じました。嬉しくて楽しくて、ワクワクして・・・。「クラスの生徒は、こんな風に感じられる授業に出会えているのだろうか。」と、自分が教室に居るような感覚になって湧き出てくるものがありました。また、ふと思い出したのは、高校でも大学時代でもなく、小学校時代の理科のバケツ稲の授業でした。今よりずっと、自然体だったからこそ、身体に刻まれた記憶だと思います。

宇城先生は、今回の実証の中で、「できる」か「できない」だけでなく、「思考が入る=頭を使う」とたちまち「できない」になるという、3つの段階を見せてくださいました。落ちていない物を拾うフリをしても起き上がれなかったり、「一緒に行こう!」と寄り添った様にして相手を引っ張っても、自分の都合なので動かなかったりと、欲をかくと思い通りにはいかない。という実践が、自身の生徒に対する指導と重なりました。自分の思い描くような落としどころを持ちながら、生徒に対応すると、相手はすぐに感じ取ります。対面して、話を聞いて、相手と向き合っているようで、寄り添っているようで、実は凄く不自然でした。空間・時間・人間(じんかん)、間(ま)と調和できない、溶け込めない、不自然な身体であることに気付くのは、やはり、生徒と居るときです。よく生徒に「自分で気付かないと、変われない。」と話しをしますが、鈍感で対応能力がないのは、まさに自分自身だと恥ずかしくなりました。

大人数に肩を押さえつけられても、呼吸法を行えば、挙げることができる実証に参加させていただきました。これまでも、何度か実証に参加した時は、「自分」ができるような気がして、実際に押せたり、倒せたりしました。ですが、今回は「相手」が無力化(衝突の力を感じない)されているという様な感覚が強かったので、「間」に溶け込む=調和 を相手が触れているところから感じられたのかと思います。もちろん、宇城先生がおられる空間での実証ですが、「学校でもできること」として、いくつもの実証を見せて下さったことに、宇城先生の愛情の大きさを感じ、勇気・元気・やる気・・「気」をいただきました。

また、気が通った人が目の前に居る場合と、そうでない人が居る場合とで、空気(空間)が変わる様子は、まさしく教室=教育現場だと感じました。実践を傍で見ていても、両者の空気がピタっと合う感じと言うような、今の私のレベルでは表現に苦しいですが、自身の中心と相手の中心の端と端が合って、鏡のようだという感覚で見ていました。

呼吸法を行うことで、身体の内圧を高め、渦巻くようなエネルギーを生み出し、周囲を惹きつけながら、自身の回転(成長)を止めず、常に宇城先生(太陽)を見て(護られて)、生きていくという希望に行き着きます。

実践で、身体で感じたことに正直に、謙虚に続けます。意識的から、無意識的へ。身に付けられるよう、実践します。

●奈良 桜井高等学校 30代 男性 HI

世の中が混沌とする中、会場はエネルギーに満ち、自分の身体もぽかぽかする場面が多くありました。

この度の実証で一番驚き、ハッとさせられたのは棒を使った実証です。数人で押さえている棒の端を押すとその部分だけが押されるのが普通だと思っていました。しかし、宇城先生が同じように棒の端を押すと棒全体が押されました。私は先生と反対側の端を押さえていましたのでその感覚をまざまざと感じ、「部分ではなく全体」がこれほどまでにエネルギーをもつのかと衝撃を覚えました。同時に、物事を部分的に捉え、分かった気、指導した気になっていた私への戒めにも感じられました。形だけではなく、全体を捉え、本質を見抜く姿勢を身につけなければならないと感じました。

世の人が感じるコロナによる不安の重さを実証の中で体感させていただきましたが、そうした不安を抱えた生徒の前に立つ教師としてのあるべき姿も様々な方法でお示しいただきました。前に立つ人ができない人なら前に進めず、できる人なら進める。力では引っ張ることはできないが、一度相手側に引いてから前に向かうと連れて行ける。力尽くでは引っ張れない集団も、手を添え寄り添うと導くことができる。そうした実証を通して、自分はできそうな体を装って教壇に立ってはいないか、自分の欲で事を進めていないか、と反省すると同時に、こうあるべきだという確かなイメージを、身をもって感じることができました。特にコロナ禍でマスク着用を強いたり行事を制限したりと生徒に不安や重苦しさを与えてしまっている今、そして教師だからこそ、自分自身が正しく、謙虚に、成長し続け、寄り添い、気概をもって生徒と接する責任があると感じます。

宇城先生からいただいたエネルギーを確実に自分に取り込み、家庭や職場で実践できるように、そんな身体になるように精進して参ります。今後ともご指導賜りますようお願い申し上げます。

●京都 田辺中学校 30代 男性 KN

今回もご指導いただきありがとうございました。

頭で考えることがいかに弱いかを気付かせて頂くことができました。現在の自分には余裕がなく、仕事のこと、生徒のことを考える日々が続いている状態でした。自分自身に余裕がなく、エネルギーが低下していたり、実証も頭で考えてしまうようになっていました。その結果、自分に入らずダメだ。と感じていました。すると、帰り際に宇城先生にお声かけいただき、実証していただきました。全てを見えておられる凄さ、何かを持って帰れるようにとの気遣い、人として、また教師として感動いたしました。

その気遣いや振る舞いを自分も大切に微力ながら頑張っていきたいと思います。今回も沢山の学びありがとうございました。

●奈良 大淀高等学校 20代 男性 KY

教師塾に参加させていただく度、実践、実証に勝るものはないと感じさせられます。我々教員が子どもたちと関わる中で、その気づきを彼らにも与え、共感あるいはその感覚を共有することが出来れば、信頼関係の構築にも繋がってくるのだと今は確信しています。そのためには、まずは私たち自身が殻に閉じこもるのではなく、自らをオープンな状態にしなければなりません。自分の殻に閉じこもっていては成長も見込めませんし、人を魅力で引きつけるためには、やはり常に学ぶ姿勢を持ち、変化し続けていることが求められると感じています。

子どもたちへの指導に関しても、既存の常識の枠を出ない範囲でしか彼らと接することが出来ないのだとしたら、それはやはり彼らの可能性を制限しているのだと思います。彼らにこうなってほしいと思うのは、私自身のエゴでしかなく、私自身の経験から得た価値観の域を出ません。だから今私がするべきことは、彼らの意欲、好奇心を刺激することではないかと思います。子どもたちはエネルギーに溢れていますから、自らの力で進んでいく、そのきっかけを与えられれば良いと思っています。そして彼らが助けを必要とするときには寄り添っていける、そんな風な指導がしたいです。

新型コロナウイルスの影響を受け、幸か不幸か日本の教育は大きく変わろうとしています。正解が見えない中ですが、現場の教員がトライ&エラーを実践し、より良い教育を提供したい。そんな自分自身への決意表明をするきっかけを今回の教師塾では与えていただきました。ご指導いただき有り難うございました。

●奈良 一条高等学校 20代 男性 TN

今回は、私自身、先生に直接気を通していただく機会を多く頂きました。大勢の隊列を膝のみで圧し倒す実践では、気を通していただく前は、息をつめて力任せに圧し続けていましたが、当然動くことはなく、ただ息切れをして大きな疲労感が襲ってきました。一方で先生に気を通していただき、「こっちまで来るつもりで」とお声掛けを頂くと、何一つ力を加えた感覚のないまま、整った息遣いのもと隊列を圧し返すことができました。そしてまた、気を切っていただいた状態で圧すと、その瞬間に「できるのだろうか」と不安感が襲ってきて、案の定微動だにしませんでした。そしてまた、気を通していただくと、それだけで「できる」という気持ちに変わり、隊列を圧すことができました。そして何より一番驚いたのが、一度気を通していただいて、隊列を圧すことができた状態であれば、他の人にうつすこともできたことです。比較として成功体験をしていない人が向かい側に立っても、隊列を圧すことができなかった人が、私が立つだけで圧すことができたのです。やはり、見ているだけではなく、自身で経験させていただくことが一番の自身の成長につながると実感しました。

今回も先生には多くのエネルギーを分けていただきました。このエネルギーを少しでも多くの子どもたちに広げていくことができるよう、今後も研修を続けていく覚悟であります。

本年度は、特にコロナ禍という大変な中お時間を頂きまして有難うございました。

次年度もどうかよろしくお願い致します。

●奈良 桜井高等学校 30代 男性 KA

ご指導頂きありがとうございます。

今の世の中の流れを自分自身どのように捉えるべきか、何か意味していることがあるのではないかと日々感じていました。そのような中、今回宇城先生から学ばせていただき、気づかせていただいたことがあります。「人の動きが止まれば、地球が綺麗になる」ということ。現在コロナの影響で人の動きが制限されています。それによって大気汚染・水質汚濁が改善され、大気汚染が深刻であったインドでは、青空が戻り、夜空には星が広がり、ベネチアの運河では底が見える状態になったというニュースがありました。いかに余計なことを当たり前のように人間はしているのか、人は魅力により引きつける以前に、地球の邪魔をしていた状況は、地球の引力・重力に見放される状況ではないかと感じます。

人に“間”があるから人間であるという話をしていただきました。今では“間”が悪かろうが、“間”抜けであろうが、さほど影響はないのかもしれないですが、武士の世界では、その“間”は命に関わる大切なことだったはずです。間を制して、「斬らずして勝つ」ことの意味を今だからこそ追求しなければならない時が来ていると思います。なぜなら相手を斬ってその斬った責任をも負わず、それを背負う覚悟もないものが、相手と対立し、競争している状況が当たり前のように、今、存在しているからです。自分勝手で無責任な世の中であると感じます。そのような危険な状況が、危険でないと感じる身体が危険であり、傾いた船に自分がまっすぐ立てていたら気づく傾きも、自らも傾いているが故に平衡を保っているような感覚であるかのように・・・しかし、その状況に嘆いていても何も始まりません。見て見ぬふりをすれば、私自身も無責任な1人になります。「人の動きが止まれば、地球が綺麗になる」という言葉の意味。余計な動き(捉え方・仕組み・システム)を止め、人間が本来持っているわずか数パーセント、0.数パーセントでも潜在意識が動き出せば、地球が、世の中が好転していくのではないかと、大袈裟ではなく感じています。だからこそ実証でもありましたが、一見対立しているような状況でも、人数が増えれば増えるほど力が発揮される身体が必要だと感じています。

目に見えないことを私達が感じられるよう、実証を通じて宇城先生から学ばせていただいていますが、目に見えないことが現実にあることすら信じられない世の中の流れも感じます。今回、宇城先生が何度も「雰囲気」というお言葉を出されていました。目に見えるものではなく、体が感じる変化。自らの姿勢や物の捉え方を含めた生き様が、教師として生徒の前に立たせてもらった時に影響を与えているのだと思います。以前、宇城先生が「教室に入る前に一礼をして、教室に入る」という話をしていただいたことがあります。そのお話と今回の「雰囲気」のお言葉が自分の中で繋がりました。だれかが見ているからではなく、場に対して、そして自分に対して一礼、つまりその姿勢が「雰囲気」として、子ども達に伝わるのではないかと。いくら指導の技術があったとしてもそれは小手先のことで、「雰囲気」は誤魔化せないと感じました。だからこそ、自らの感じ、学び、深めることが必要なのかと思います。まさに「一人革命」です。

宇城先生が仰っておられた「自分が子どもに戻ることはできないが、自分が子どもに何かできることはある」というお言葉。大人になるにつれ、答えがあるものに安心し、それを導き出す方法を学び、目先の変化や部分の変化を追求する、自ら答えのない状況を踏み出す勇気もなく、自らの都合の良い答えに結びつける。このように書かせていただいていますが、まさに自分自身のことです。子どもの方が雰囲気をよく感じ、鋭く、頭ではなく心が先の身体です。それは我が子を見ていてもよく感じることがあります。喧嘩していたかと思えば数秒後には仲良く遊ぶ。こちらがそういうものだと勝手に理解していることに疑問を抱く・・・そのようなエネルギーのある子どもにできること・・・それは、大人が邪魔をしないことだと思います。ただ、何もしないのではなく(大人の自己満足で子どもと関わるぐらいなら何もしない方が良いと思いますが・・・)、引き出したり、導いたりとできることはあると思います。それをするためには、大人が勉強しなければならない。深めなければならない。そこにその人の「雰囲気」が現れてくると感じており、これからの自分のエネルギーにしたいと思います。

ありがとうございます。

●大阪産業大学校 60代 男性 MM

今回はコロナ禍の中ではありましたが、まったくそういった事も感じない時間をつくっていただき、またご指導をいただき誠にありがとうございました。

【実践講演会】
午前中に参加されておられた親御さんや子供たちの表情がどんどん変化していくのを見ているだけで、エネルギーの高まりを感じておりました。まさに人間には、元々あるもの、そのあるものを年齢と共に忘れ(身体が)、どこか頭中心になり生かし切れていない。何かが邪魔をしたり、身体がどこかに置き忘れてしまっているところがあるのだと感じます。それを宇城先生からご指導をいただく中で引き出していただいている、まさに気づかせていただく中に本来あるべき自分に立ち返らせていただいているのだと感じます。
今回も子供さんが数名参加されておられました。先生のお話を聞く大人が正座をしていると、子供も同じように正座をしている。子どもの正座の姿にそれぞれの日常がある(出る)と私なりに感じておりました。子どもはどういった大人(親)と接するかによって変わる。またその子供たちが実践しているのを傍で見ている親御さんのまなざしがすごく印象的でした。普段はこういった穏やかな目で子供を見ているのか、接しているのか、感じているのか。期待ばかりしていないだろうか、親目線だけで押し付けていないだろうか、逆に甘やかしていないだろうか、心から寄り添っている
だろうか、愛情を勘違いしていないだろうか、そういったところに気づかせていただいているような気がします。子供が親を育てるのが子育てと言われていますが、人間は子供がいるから親となり、実は大人(親)が子供にどこか包み込まれているような、様々な事に気づき、学ばせていただいているような気がします。そんな中、私の子供はすでに成人しておりますが、こういった機会を通して参加されておられる子供たちと同じ空間にいることががすごく幸せな事であると感じさせていただけます。後悔ではなく、自分の子供にもこういった経験をさせてやりたかったなと感じますし、だからこそ私の周りの方々に少しでも宇城先生をお繋ぎできればと思っております。それこそが深い意味での幸せに繋がると思っております。

【教師塾】
「時空を超えて」そんなことを強く感じる時間でもありました。特に今回「間」のお話が心に響きました。時間、空間、人間、行間、合間・・・など日本語の中には「間」が入っている文字がたくさんあります。また「気」の入った文字・言葉もたくさんあります。まさに日本は「気」の国であるということを実践を通して教えていただいております。そういった気の中に我々は生かされているということを日常を通して気づかないといけない。自身が日常を大切に生きているのかということに立ち返る中に時空を感じる。
人間は、人と人との間と書きます。その「間」の中に一体何があるのかなど普段はなかなか考えることもありません。人と人との間には、様々な「心」の繋がりがあるのだと感じました。思いやりの心、助け合いの心、敬いの心…など人と人とを繋ぐ様々な心が、実は人と人との間にあると今回実践を通して感じました。まさに対立ではなく調和の世界がそこにあります。争いからは何も生まれません。引っ張り合いをしたところで勝ち負けというレベルでの競争でしかありません。共に(一緒に)という寄り添う心か
らの波動が人を動かすということも実践を通して気づかせていただきました。
何が人を引き付けるのか。年齢や立場や役職、意識などではなく、宇城先生は「魅力で人を引き付ける」と常々仰います。まさに人と人とを繋ぐもの、その魅力の中には「気」の存在がある。魅力は決して出そうとして出るものではなく、自身の生き方から湧き出るものだと感じます。そこには、何の欲も、我も、ごまかしも、捉われもありません。ただ真摯に自分と向き合い続ける素直な生き方を通して染み付き、刻み込まれたものだと感じます。
気を通して皆が笑顔になる、笑顔があふれる、余分な捉われが消え、そして気づけば全てがひとつになっている。 こういった時間、経験、空間が果たして日常の中でどれだけあるでしょうか。
人と人との空間の中に気が通っていると何かに包まれていると感じる。伝わる、繋がるとは、実は包み込むことであり、捉われがなくなりひとつになることにある。それが愛であり、目に見える物ではなく、その人から発せられる気を通してその空間に身を置くことに幸せを感じるのかもしれません。ふとそんなことを感じておりました。胸の前で手を合わせる事ひとつにも、その合わせる手と手の間に何があるか、手を合わせなくても繋がる空間がある。近い遠いではなく「すでに在る」という世界がある。居る居ない、見える見えないではなく、そこに常に在るということになると、すべてが繋がっており、繋がっていき、気を通して我々は宇宙根源の中
に生かされていることに気づかせていただける。
また今回、特に空間の「空」とは一体なにかと考えた時、気を通してそれを実証していただいていると感じました。まさに捉われを捨て去る、元の自分に戻る、そして身体を通して忘れている自分の原点に立ち返る。その根底には「愛」があるというところに時間と共にどんどん繋がって参りました。気を通していただくと簡単に出来てしまう。気を通していただいて出来る自分がある。それも自分であるが出来ないのも自分である。出来ない自分は何かが邪魔をしている。過去も今も未来もすべては繋がりひとつである。今をどう生きるか、どう生きているのか。今と思っている今は既に過去である。止まっている時間はない。前に進み続ける中にこそ未来がある。未来すら感じないくらいスピードを上げて自分を磨き高める必要がある。それが先から今を見るということなのか。見えないところを見ようとするのではなく、気づき、感じ、生かす中でどんどん見えてくる今がある。まさにそれがすべてを包み込む世界であると実証を通して気づかせていただいた。

時代、周りに合わせるのではなく、一人でも前に進む覚悟ある生き方が「一人革命」である。「差をつける」とは勝ち負けではなく全てを包み込むこと。全てを包み込むことができる自分は、既に違う次元で前に進んでいる自分である。そういったことに気づくことで今の自分に気づく。横着な自分では気は通らない、気が通うことはない。自分としっかりと向き合うことが如何に大事であるかを示しいただき、体感させていただいた。単にできたということではなく、できた自分が居るという事実を自身が如何に受け止め周りの人に生かし、伝えていくかが日常を通しての実践にある。呼吸だけであれだけ変わる。驚きではなく無知な自分に気づく。正にそれは知らないということが如何に自分を止めているか。そして身体が知らないままいる自分に気づくことが必要である。まさに一人革命とは、誰かのためにというところを突き抜けた中で、自分一人でもという覚悟ある生き方にある。そして全てを包み込み、周りを幸せにすることができる。捉われのない自分とは、全てをさらけ出すことができる自分であり、全てを受け止め、受け容れる自分である。覚悟ある人間の波動とは捉われのないものであり、目に見えないところで繋がっていき、そこには全てを包み込む無限のエネルギーがある。宇城先生がどこにおられても中心がぶれず、時間と共に会場の空間にどんどんエネルギーが行き渡るのを感じる。
世の中全体が、コロナ禍という状況に捉われ過ぎている今だからこそ、今回このような機会をいただき、様々なことに気づかせていただく貴重な時間になりました。平和とは、何事も思い通りにいく世の中を言うのではなく、お互いが寄り添い、支え合う中にある日本人の本来あるべき「生き方」にあるということを、宇城先生から実践を通して、参加者の皆様と共に気づかせていただきました。
ありがとうございました。

●京都 立命館中学校・高等学校 30代 男性 YK

まず、はじめに、このようなコロナ情勢下においても、教師塾を開催をしてくださった宇城先生、ならびに、事務局の先生方に感謝を申し上げます。

このような情勢下という時期ということもありますが、今年度、何をするにつけても、自分は、エネルギー不足であって、アクセルを踏んでもなかなか、前に進めない状況でした。生徒たちもそのような様子を受け、私のエネルギー不足は伝染してしまっていたような気がしています。また、そろそろ私も10年目が近づき、いわゆる中堅選手という位置に差し掛かる中で、自分の中で、生徒とのかかわり方、接し方に迷いも生まれていました。しかし、宇城先生のお話を聞くたびに、宇城先生の実践を目の当たりにするたびに、自分の日頃の教員としての在り方、一人の大人としての在り方を見つめなおす(自分の日頃の教育活動に疑問を抱く)きっかけをいただいておりました。

生徒の前に立つ大人だからこそ、常に魅力的な大人に、エネルギー溢れる、深い愛情をもった大人に、深化していまいりたいと感じております。

今年度、大変お世話になり、ありがとうございました。

●三重 鳥羽高等学校 30代 男性 HT

この度も、貴重なご指導をいただきありがとうございました。このような情勢の中、学びの機会をいただけるご連絡をいただきたくさんの方の思いがつまった教師塾であることを改めて感じました。全く自信のない自分のような人間にも希望を与えていただける場所である教師塾。宇城先生をはじめ関係の方々に感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。

先日は、教師として忘れかけていた大切な愛情について学ばせていただきました。日々「先生」と言われ調子に乗り実力もない傲慢な自分。力づくで人を動かすことの意味のなさと無力さ。自分の都合と欲。自分に本当の力がないことを認めて、心を込めて行動することの大切さに気付かせていただきました。苦手なタイプの生徒に対して口で言うだけで生徒に寄り添う気持ちもなく、全て生徒のせいにしてしまう弱い自分がいます。もっと言うと、扱いやすいと勝手に思っている生徒に対しても同じでした。生徒の方が自分をよく見て、自分に合わせてくれている情けない状態です。本来、素晴らしい力を持っている子ども達をダメにしているのは自分です。自分は生徒の側に立つということ、一緒に寄り添うことを理解はできていませんが、本当の意味で寄り添い、相手のことを思える真剣な人間になれるように「意識」ではなく「身体」で精進していきたいと思います。

宇城先生のお話の中にあった、「竹刀を振りかざした際に外国の方はピクリとも動かなかった。」「宇城先生を絶対に信じているから。」というお話から信頼関係のとてつもない威力に気付きをいただきました。目には見えないものほど大きい力を持つということ。目に見えないものは確かに存在し尊いということ。それを感じようとする心を持つことの大切さを学ばせていただきました。本当の意味で持てていない愛情と人間(じんかん)、人と人との間を大切にし、自分自身に矢印を向け、実践していきたく思います。1年間、貴重な学びを頂きありがとうございました。来年度も引き続きご指導のほどよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

●奈良 田原小・中学校 20代 男性 MI

今回もお忙しい中、教師塾を開催していただきありがとうございました。今回特に私自身新たに感じれたことは、「自分本位ではいけない」と言うことでした。物を拾ったら落としましたよ、一緒に行きましょうでは、行けないこと。私自身、自分本位になっていたかも知れないと感じる出来事でしたし、それが子ども達にも伝わっていたのかと考えると自分自身の未熟さに改めて気付きました。また,先生に実践をしていただく中で、まだ知識や力ばかりが先走っている状態です。「自分本位」ではなく、「寄り添う」をテーマにまた子ども達とともに成長していきたいと思います。

実践先にありき、深さを知ること、まだまだ自分自身足りない部分は多いですが、これからも日々精進していきます。コロナ渦の中教師塾を開催していただき本当にありがとうございました。まだまだ寒い日が続きますがお体ご自愛下さい。ありがとうございました。

●奈良 白橿中学校 30代 男性 YI

今回の教師塾の中で一番印象に残ったのは、やはり「人間」〔じんかん〕です。自らの生活の中で、人と人の間を自分はどのような心で通っているのか。「通っているのか」と感じた時点で、まず自分の中に横着を感じました。「通らせていただく。」その中心に愛を持て。言葉にするのは簡単ですが、今の自分は意識しないとできない。まさに顕在意識です。人によって、自分の機嫌によって通らせていただきかたが違う。横着そのもの。背筋が伸びた思いです。教師の上から目線ほど、お粗末なものはないと痛感しました。早く潜在意識となるよう、まずは常に心がけていくことから始めます。部分体の愛では意味がない。常に意識します。

また、TeachingではなくEducationでないといけない。という言葉も印象に残りました。今までの教師塾の中でも聞かせていただいたこともありましたが、今回の教師塾の中で印象に残ったことに意味を感じます。自分と関わる生徒達の潜在意識を引き出し育む。知識の顕在意識を引き出し育む方に、自分の中でも意識が傾いていたんだと感じました。人間〔じんかん〕のお話と内容が繋がったことで自分の中でもその間違いに気づけました。

同僚の先生方との間。生徒と生徒との間。先生方と生徒との間。すべての人間〔じんかん〕で自分がどのような心持ちで通らせていただくのか。その基本に愛が絶対必要であることは宇城先生のご指導からも理解しています。大切なことは「常に」です。まだまだ顕在意識で行動してしまう自分の弱さを見つめて克服していくことが、自分の今後の課題です。部分的な一人革命ではなくずっと一人革命。今日からまた前進します。

最後になりましたが、コロナウイルスの影響で開催が危ぶまれる中、無事に教師塾を開いていただけたことに感謝します。開催に向けて準備していただきました、どう出版の皆様、教師塾の皆様、宇城塾の皆様、ありがとうございました。また、宇城先生におかれましても、ご多忙な中、ご指導いただきありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します。

●京都 桂東小学校 20代 男性 KH

先日の教師塾では、大変貴重なご講義をありがとうございました。

コロナ禍の学校現場は、見えないウイルスに対する恐怖や怯え、対策の矛盾などで混沌としています。その中で働くと、エントロピーの法則のように、自分もその色に自然と染まってしまいます。それが本当に怖いと感じております。しかし、その中でも、宇城先生のご指導のお陰様で、子ども達の前で、笑顔と希望をもって立つことができます。本当にありがとうございます。

今回の教師塾で、宇城先生から真に子ども達に寄り添えているかの問題を投げかけていただいたと感じます。マスクの着用や新型コロナに対する怯えなど、身体的・精神的に子ども達に及ぼす影響は計り知れません。そのような状況で、必要とされていることは、マスクの着用を指摘する教師よりも、寄り添い歩く教師であると思いました。学校現場では、マスクをつけることを必須とし、声かけをするように指示されています。自分自身はというと、マスクが及ぼす身体への影響を実感しているにも関わらず、マスクをつけるように子ども達に伝えている部分もあり、職場の指示に従わざるを得ない状況であります。これが本当に、真に寄り添えているのかを思うと、違うのではないかと感じました。コロナ禍で、子ども達が不安の中、自分自身もその思いに寄り添っていたつもりでしたが、それは真に寄り添えていないのではないかと感じました。

寄り添い歩くとはどういったことなのか。それは、常に教師塾で拝見していることであります。寄り添っていると思った時、それは寄り添っていないことになります。顕在意識ではどうしようもありません。大切なのは、潜在意識であり、教師のもつ空気感、そして、統一体の身体であると思います。そういった潜在意識の部分を求め続けることが、稽古であり、思考を深めることにもつながると思います。寄り添い歩くとは何なのか、それを自分自身の生き様に焦点を当てながら、仕事に励んでいきたいと思います。

教師塾での学びはとても深く、子ども達とどう向き合うかの前に、自分自身とどのように向き合うのかといったところに気付かされます。来年度も、教師塾で継続して学び続けていき、自分自身の生き方を探求していきたいと思います。

●大阪 咲くやこの花中学校 30代 男性 HS

まず、冒頭で、宇城先生が以前より触れておられたマスクの素材による効果の違いについて確認がありました。布マスクに比して不織布マスクの方が効果が高いわけですが、100%防げるわけではありません。“五十歩百歩”の感があります。なので、それ以外の対策を用意しないといけないのに、宇城先生の御指導を受けていなければ、私はその答えを持ち合わせてはいませんでした。それが、昨年、この新型コロナ禍の中でも不安なく日々を過ごす事が出来たのも、ひとえに宇城先生の道塾や教師塾の御蔭だと感じております。

“活人剣”のエネルギーを与えて頂き、そして自分自身でも「統一体」の入り口へと導いてくれる「宇城式呼吸法」を実践出来ている御蔭。「本当に有り難いなぁ~」と、感じております。

そして、何度も繰り返し示して頂いていますが、“寄り添う”事の強さ,“心”の大切さ。4人一組になり,縦に並んだ3人を引っ張る検証。前回は上手くいかなかったのですが、先頭の方の傍らに寄り添い、一度相手の方の肩をポンッと叩いて導くと、今回は上手くいきました。このように、生徒に寄り添う姿勢が大切なのだという事を目に見える形で体験させて頂けました。しかし、「ほんまに上手く出来るんかなぁ?」と、少しでも頭が介在すると上手くいきません。では,実際に生徒に寄り添う場面では、同じように頭が介在するとはどういった事だろうか?…と今、思います。

また、2人一組になり、一方が他方に腕を握られて前に進もうとしても、引っ掛かってしまいます。この検証は初めて体験させて頂きました。この時、一度後ろに重心を預けてから前に行くと引っ掛からずに行けました。この、一度後ろに重心を預ける事が、「前に行きたい!」という“我欲”を無くしてくれているのだなぁ…と思いました。

そして、「(ものが)落ちましたよ」と言って拾う行為の強さ。“心”、それも相手との関係性…“間(ま)”が繋がった“心”が大事なのだと今回も改めて示して頂けました。このように生徒に向き合うヒントを色々と頂けたと思います。

●京都 立命館宇治中学校・高等学校 30代 男性 TN

今回の講演でご指導いただいた中で「人間(じんかん)」という言葉がありました。この「間」は、「時間・空間」であり、この「間」がいかに大切かということを教えていただきました。鳥が空を飛んでいる時、深海に住む生き物の重さは、ゼロである。空気に、水に。という空間に溶け込むことができている。私たち人間は、自分たちの住む地球という空間で一体となることが全くできていない。だから力任せになり、自分本位の行動となってしまう。つながる方法として、呼吸法を教えていただいき、いかに自然体でいるのか。人間という存在の中で、互いに寄り添う、助け合うということがいかに大切なのか。席を譲ること一つとっても気持ちがつながるという目に見えないエネルギー。「ないけどある」それを私たちのレベルまで下げて丁寧に教えてくださいました。

エネルギーがあるかないかということでいうと四つん這いになり、先生に気を通していただくと手足を抑えられても前に進むことができ、気が通らないと動きが止まる。そして、一度できた人が前に立つと、前に進むことができる。これは、仕事の場面でもすごく感じるところです。リーダーはやって見せる!これが次につながる。やってきたから次につなぐことができる。という連鎖をうみ、発言する言葉にもエネルギーが出る。だから、一緒にやりたくなる。この良い循環になるよう現場でしていかなくてはと。うまくいっていない時は自分にエネルギーがないということ。なければ謙虚にそれを受け入れる。そんな時に共に学ぶ仲間が前に立つような役割をしてくれるとエネルギーをもらい、また元気になる。ここが宇城ファミリーのつながりなのかと思いました。いい時ばかりではないし、強い人ばかりでもない。だからこそ、その変化に気づき、寄り添うことで助け合う。そんな関係が世界中に広がれば争いなど起きようもないのに。心の底から先生の考えが広がっていくこと。また自分が微力ながらその一部になりたいと思いました。

現代の最新技術で昔を知る。昔に戻る。そこに本質があることに気づき、母なる大地に生きる人間としての使命を次の世代に伝えていくことが本来の教育だと考えます。

●兵庫 甲南高等学校 40代 男性 TO

宇城先生、コロナ禍での午前実践講演会、午後教師塾ご指導ありがとうございました。初めて先生に触れた方々の反応が素晴らしく、自分自身が横着になってしまっていることを反省しました。子供は完成形。子供ができて大人ができない、女性ができて男性ができない。守っているのではなく守られている。何で?何でできるの?は自分の狭い世界でしか考えていないから。常識と頭で考えていることの脱却。器を大きくしていかないといけません。見えないものにこそ大切なことエネルギーがある。

できない人が気を通してもらいできるようになる。その人が別のできない人の前に立つとできなかった人ができるようになる。その様な教師になっていかなければなりません。コロナ禍で生徒の精神状態も不安定になっています。コロナウイルスに怯え潔癖になっている生徒。休み時間のたびにトイレで10分以上手を洗い毎授業遅刻してくる生徒。帰宅後不安でシャワーを2時間も浴び続ける生徒。家業を閉じなくてはならなくなり笑顔が消えた生徒。上からではなく寄り添い関わっていく。その様な生徒を守れるように一人革命です。

呼吸法を行い統一体になった身体。2人の手のひらがくっつく。何かやるときに一緒にやってくれる仲間。対立ではなく調和。謙虚に毎日を過ごしていく。実際は肩書き、資格で教師をしてしまっている。勉強が足りません。

「時間」「空間」人間の「間」。今回「間」が変わり戦わずして勝つ体験を何度もさせていただきました。欲が先に出るのではなく自然体で、自分はすぐに切ってしまうのでブレずにできるように努力していきます。

行動、継続。

2021年もご指導よろしくお願い致します。

●奈良 田原小・中学校 20代 男性 KS

数時間が光陰矢の如く過ぎていき、集合写真を見ると、確かに良い顔をしていました。それだけ充実した時間を教師塾に通う皆様と過ごすことが出来て、本当に有り難いことだと感じました。いつも本当にありがとうございます。

さて、肝心な内容ですが、今回の受講で特に印象に残っていることは、「時間・空間・人間」の話です。私は常日頃、魅力ある教師を目指し、指導にあたっています。特に気にかけているのは、「柔和な雰囲気づくり」です。生徒たちは、毎日、教師である私と顔を合わせます。その際に、「今日も会えて良かった。」と思ってもらえるように心がけています。授業の時だけでなく、さまざまな場面で、顔を合わせるので、生徒から「出来るだけ顔を合わせたくない先生。」と思われないように、注意して指導に当たっています。宇城先生のお話は、子どもたちと接するときに大事なことをいつも言っておられ、実践すると、子どもたちの反応や表情が毎年良くなっているように感じます。

前置きが長くなりましたが、「子どもたちを褒めること」以外に、もう一つ私には大事にしていることがあり、子どもたちとユーモアを交えて、会話するということです。ユーモアは、人の表情や気持ちを和らげ、リラックスする効果があると考えています。自分自身、ユーモアを交える時は、「間」が大切だと思っており、その部分が今回の受講で、点と点が繋がったような気がしました。楽しい(調和した)時間や空間を過ごすためには、人と人との間が大切で、相手を思いやり、傷つけない「絶妙な間」が、調和した空間を作り出すような気がいたしました。考えてみれば、宇城先生も指導の際は、ユーモアを交えて、ご指導されています。やはり、そのユーモアを理解し合うとき、互いの「間」が一致するのではないかなと感じています。

それから、縦一列に並び、「1人が4人を押すという実践」の中で、感じたことは、1人側で押す経験と4人で押す経験を比べると、1人の時の方が息が詰まり(行き詰まり)、目先のことしか見えない(1人目しか見ていなかった)ということです。「先を取る」ということは、知識として、頭に入っていたのですが、やはりそれは自分の中で、身に付いておらず、1人目を「押そう、押そう。」という感覚でいるということに気付きました。

おこがましい話ですが、宇城先生とは、見ている世界が違う、見えている世界が違うと痛感致しました。まさにレベルが違うといったような感じです。驕ることなく、日頃から、精進していきたいと感じました。おそらく、4人目より先を見ていれば、少しは結果が違ったのではないかなと、今となっては思います。また、4人の時の方が、安心して「構えること」ができ、大きな違いだなと感じました。

毎回のことですが、宇城先生の指導には、人間として持ち合わせるべき、手本を指導いただいているような気がします。手本に沿って、指導や子どもたちの接し方を考えれば、ほとんどの場合でうまくいっていると感じています。まだまだこれからですが、引き続いて自ら学び、子どもたちのためになるよう指導にあたってまいりたいと考えています。

●京都 田辺中学校 30代 男性 AH

宇城先生この度は、京都講演会ありがとうございました。コロナ禍で覚悟と確信を持って突き進める先生の生き様、あり方、全てが学びです。

常識や固定概念が先生の前ではぶっ壊れる。アインシュタインが言っていることが目の前に現れる。自分の中の強いは正しいのか?

対立ではなく調和の力。教師塾の中で先生が子どもたちと調和できるヒントを沢山投げかけてくださいました。その全てが、調和と愛、自己中心的ではなく思いやりなくしては出ない答えだと思います。目の前の子どもの幸せを思うからこそ出てくる答えです。その答えの前に改めて教師たるもの1に勉強、2に勉強、3に勉強だと痛感しました。

答えは出ないかもしれない。誰も認めてくれないかもしれない。生徒が変わらないかもしれない。それでも、生徒の成長と幸せ。これをひたすらに求めていく生き方、生き様、その中心はやはり宇城先生の教えであると今日の講演会で痛感しました。目の前にできた人が現れたら、どんな状況でも、その人は前に進める。それができる空気になる。しかし、その空気を知らない人が前に立ったとしても空気は変わらない。これが真実です。頭や理屈で人は動かない。空気でその場は変わる。これが事実です。これが希望です。だからこそ、我々教員のやるべきこと、やりがいは無限です。

先生のおっしゃる言葉は全ての人の心に突き刺さるものです。私はその中でも1番好きな言葉は「楽しいやろ」というシンプルなものです。これで全てが救われる。そんな一言です。それが響くのも先生の生き様あってこそです。この出逢いに感謝し、自分を変えていき、映して行けるよう精進します。

御指導ありがとうございました。

●京都 立命館宇治中学校・高等学校 30代 女性 TA

教師塾でのご指導ありがとうございました。回を重ねるにつれ、場の空気が一体となり、宇城先生や共に学ぶ先生方から大きな刺激をいただいていることを感じています。教員こそが1番学び、自らの魅力で人を惹きつけなければならないことを、宇城先生から学ばせていただくたびに痛感しています。一見すると生徒を想い、寄り添っているように見えても、結局は本質がわかっておらず、相手の力に蓋をしてしまってきたのではないかと、自分の教員生活を振り返ると恐ろしくなります。教え育てるのではなく、気付かせ引き出すことが教育の本質である。その言葉の意味をわかったつもりになっているのではないかと自分に問う毎日です。

実践を通じて、教育の世界で当たり前のように実践されていることが間違っているという事実を目の当たりにし、これまでやってきたことを辞める勇気がない弱い自分と、変わりたいと強く願う自分がいることも事実です。そんな葛藤の中でもぶれないことは、人は幸せになるために生きているということです。教育も、経済活動も、技術の発展も、人が幸せになれないのであればそれは間違っている、そう宇城先生は教えて下さいました。

2人組でどちらか一方が上から押さえていても下の人が膝を回せたのも、片方の人に腕を掴まれていても前に進むことができたのも、一度止まり相手と調和することができたからでした。私利私欲や対立の中では、誰も幸せになることはできません。そんなものすごくシンプルなことがなぜ理解できないのか。それは未来ばかりに答えを探しているからなのだと先生のお話を聞き、感じました。過去に立ち返り、人間が生かされている原点をもう一度見つめ直さなければ、人間は自分たちの手でこの地球を破壊していく一方です。また、人間が人との間を大切にしなくなっていけば、人の心は荒み、生きている意味を見失っていってしまいます。そうならないために、教育が担う役割は本当に大きいということを、宇城先生はいつも教えてくださり、背中を押して下さいます。

前に立つ人間次第で、目の前の人たちの行動は変わる。四つん這いの実践からもわかるように、結局は自分が変わる以外に誰かを幸せにできることはないということです。今、自分は真剣か。言い訳はしていないか。逃げたくなること、逃げてしまうこともまだまだありますが、その度に宇城先生なら絶対にこんなことはしないと自分に言い聞かせ、奮闘する日々です。自分の中には素晴らしい力がある。宇城先生に引き出して頂き、そう気づくことができました。本質から目を背けるのではなく、本質に向かっていける自分であれるよう、自分を信じ日々学び続けていきます。

一人革命。誰かを頼るのではなく、自らの力で前に進んでいくという覚悟を決めることでしかそれを成し遂げることはできません。稽古照今という言葉を胸に刻み、日々実践を続けていきます。宇城先生、いつも本当にありがとうございます。

引き続きご指導、ご教授をお願い致します。

●京都・私立 中学校・高等学校 30代 女性

教師塾でのご指導ありがとうございました。回を重ねるにつれ、場の空気が一体となり、宇城先生や共に学ぶ先生方から大きな刺激をいただいていることを感じています。

教員こそが1番学び、自らの魅力で人を惹きつけなければならないことを、宇城先生から学ばせていただくたびに痛感しています。一見すると生徒を想い、寄り添っているように見えても、結局は本質がわかっておらず、相手の力に蓋をしてしまってきたのではないかと、自分の教員生活を振り返ると恐ろしくなります。

教え育てるのではなく、気付かせ引き出すことが教育の本質である。その言葉の意味をわかったつもりになっているのではないかと自分に問う毎日です。

実践を通じて、教育の世界で当たり前のように実践されていることが間違っているという事実を目の当たりにし、これまでやってきたことを辞める勇気がない弱い自分と、変わりたいと強く願う自分がいることも事実です。

そんな葛藤の中でもぶれないことは、人は幸せになるために生きているということです。教育も、経済活動も、技術の発展も、人が幸せになれないのであればそれは間違っている、そう宇城先生は教えて下さいました。

2人組でどちらか一方が上から押さえていても下の人が膝を回せたのも、片方の人に腕を掴まれていても前に進むことができたのも、一度止まり相手と調和することができたからでした。私利私欲や対立の中では、誰も幸せになることはできません。

そんなものすごくシンプルなことがなぜ理解できないのか。それは未来ばかりに答えを探しているからなのだと先生のお話を聞き、感じました。過去に立ち返り、人間が生かされている原点をもう一度見つめ直さなければ、人間は自分たちの手でこの地球を破壊していく一方です。また、人間が人との間を大切にしなくなっていけば、人の心は荒み、生きている意味を見失っていってしまいます。そうならないために、教育が担う役割は本当に大きいということを、宇城先生はいつも教えてくださり、背中を押して下さいます。

前に立つ人間次第で、目の前の人たちの行動は変わる。四つん這いの実践からもわかるように、結局は自分が変わる以外に誰かを幸せにできることはないということです。今、自分は真剣か。言い訳はしていないか。逃げたくなること、逃げてしまうこともまだまだありますが、その度に宇城先生なら絶対にこんなことはしないと自分に言い聞かせ、奮闘する日々です。

自分の中には素晴らしい力がある。宇城先生に引き出して頂き、そう気づくことができました。本質から目を背けるのではなく、本質に向かっていける自分であれるよう、自分を信じ日々学び続けていきます。

一人革命。

誰かを頼るのではなく、自らの力で前に進んでいくという覚悟を決めることでしかそれを成し遂げることはできません。稽古照今という言葉を胸に刻み、日々実践を続けていきます。宇城先生、いつも本当にありがとうございます。引き続きご指導、ご教授をお願い致します。

●奈良・公立 高等学校 40代 男性

先日は、コロナ禍の中ご指導いただきありがとうございました。予定時間を超えても、宇城先生からご指導いただけたこと、また最後に教員相手だからこそ話せることがある、と言っていただいたことに宇城先生から我々教員への熱い期待を感じました。

今回様々な実証を通して感じたのは、私を含め大人、教師は自分の知っている知識、持っている既存の物差しで物事を見る危険性を持つということです。

何も知らなければ、連日報道される新型コロナウィルスの脅威に怯え、無意味に自粛する自分になっていると思います。また、世間はそうなっています。可哀想なことに子どもたちも、です。(それは、私たち教員の責任ですが・・・)しかし、我々は宇城先生に学び、「気」の実証を体験することにより、コロナウィルスに負けない方法を教えていただいています。

「気」は目に見えません。しかし、本質が「気」にあることは、実践を通じ身体で気づかせていただいています。

生徒と相対するときも同じだと感じました。自分の知識や頭だけで判断し、生徒を観ることに本質は何もない。自分の見方や物差しを取っ払い生徒を観ることがこの教師塾で言っていただいた「寄り添う」ことかなと思いました。

宇城先生から指導いただくたびに、頭の癖が修正されます。また、一人一人の生徒が頭をよぎり、肩書きや地位で物を語り生徒を奴隷化させている横着な自分に気づかせていただきます。今回の教師塾では、「呼吸」を通じ、人間が本来持つ力に気づかせていただきました。しかし、生まれながらに持つ子どもたちの力を大人が壊していることも教えていただきました。自分自身を磨くことにより、宇城先生の教えを子ども、クラス、職場で繋げていきたいです。

1年間、我々未熟な教師に対しご指導いただきありがとうございました。そして、次年度もまたご指導のほどよろしくお願い致します。

●岐阜 教育委員会 40代 男性

京都での実践講習会および教師塾でのご指導ありがとうございました。
今回の1日を通して最も感じたのは「感謝」です。宇城先生ご自身が果てしない修行、稽古の末にたどり着いている世界・宇宙を、日々の多忙な雑事の毎日に汲々として何も見えなくなっている私たちに見せていただけていること、しかもそれを実際に私たち自身の身体や目、耳などすべての感覚を通して実感させていただけていること、その事実に対する感謝です。

今回私はご指導を受けながら、何度かめまいや貧血のような症状で頭が「くらっと」することがありました。単なる睡眠不足や疲労なのかもしれませんが、よほどエネルギーが枯渇していたようです。また、身体のなかでこれまで自身がため込んできた、汚れたもの、どろどろしたものがあって、目の前の真実から怖くて逃げだそうとしていたのかもしれないとも感じました。

思えば私はこれまで、ずっと逃げ回ってきました。
何かを成し遂げたいと思い、真剣に歩み始めてきたつもりが、いざとなったら逃げる。言い訳をする。本当に卑怯な人生を歩んでいると思います。

宇城先生が新潟で野球を指導されたときのお話で、「雪が降っているから野球はできない」「雪のないところにいくにはお金がない」そんなだから甲子園にはいつまで経ってもいけないというお話をされました。また、「大人は真面目ではダメだ。真剣でなければ」とも話されました。私が甲子園に行けなかった理由が分かった気がしました。私は「甲子園に行きたい」と思いながら、「甲子園に行く」と決めていなかったのだと思います。旅に出たいと思いながら、お金も切符もホテルも何も用意せずにいるようなものです。

これは野球に限らず、すべての仕事や生き方にも通じる話です。真剣に道を歩めば歩むほど、障害や困難が出てきて、それは真剣さがなければ乗り越えられないし深さも強さも生まれてこないはずです。しかし私のこれまでは、真剣にやっている「つもり」で、いざ目の前に困難が現れたら、そこから逃げ続けてきたいわゆる「真剣ごっこ」をしてきたに過ぎませんでした。だから力が出ない、エネルギーが出ない。一方で年齢ばかり重ね、謙虚さを忘れ、知らず知らずのうちに嘘ばかりで自分をまとうようになる…。

今回「できた人が前に立つとできる」実証を改めて目の当たりにしました。宇城先生によって「できる」を知っている人の目には、やさしく柔らかい「強さ」がありました。そこに立っているだけなのに、言葉にならないエールを身体全体から出して、そのエネルギーで目の前の人とつながっている感じがしました。

一方で「できる」を知らない人の目は、自信がなく、強さも弱さも何もないように感じました。そこに立っているのに、逆にそこから後ろに引っ込んでいるような感じでした。この検証は、まさに「人間」が「じんかん」であることの証左でした。人と人とがエネルギーによってつながり時間と空間が変化することがよく分かりました。

「真剣ごっこ」の私は、当然後者のあり方で仕事をし、人と関わってきたことになります。このことのなんと恐ろしいこと…。そしてそのことに知らず、気づかず何食わぬ顔をして生きていくことはさらに恐ろしいことです。

今回に限らず宇城先生によって感じられる世界、見せていただける世界、そして私たちへのメッセージ。これまでは宇城先生の言葉を理屈で(言葉で=顕在意識で)理解しようとしてきましたが、そうではなくて宇城先生の存在、エネルギーを身体全体で(潜在意識で)理解しようとすることで、ほんの少しだけですがこれまでとは別の次元の「感謝」を感じられたように思います。

実は、「もうダメだ」「こんな自分には価値がない」最近はそう思うことも少なくなかったです。それが今回のご指導で救われました。結局は自分自身。一人革命。そのエネルギーをいただきました。本当にありがとうございます。今後ともご指導よろしくお願いいたします。