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 な行


【な】
名嘉睦稔 なか ぼくねん
1953年、沖縄県伊是名島に生まれる。版画家。デザイン会社「プロジェクト・コア」代表。 絵画、イラスト、デザインを経て版画と出合う。創作活動は版画にとどまらず、琉歌、三線、絵本、作詞などを手がける。個展多数。世界規模プロジェクトのポスターや記念切手の原画制作。映画やテレビへの出演など活動多彩。映画『地球交響曲 第四番』(龍村仁 監督)出演。絵本『紅逢黒逢の刻』(マガジンハウス)、『ボクネン〜大自然の伝言を彫る〜』(サンマーク出版)など、著書多数。
『道』167号 会見「眠っている野生の五感を呼び覚ませ!」
ボクネン オフィシャルウェブサイト http://bokunen.com

中倉清 なかくら きよし
1910(明治43)年〜2000年、鹿児島県出身。少年の頃より剣道を始める。17歳の時、剣道で身をたてるため大道館に入門。1930年1月、上京し中山博道の有信館に入門。植芝盛平の娘松子との婚姻により、植芝の養子となり、将来の後継者と目されたが、5年後婚姻を解消し植芝道場を去り、剣道界へ戻った。剣道および居合道において、70歳代まで長くそのキャリアを誇る。剣道9段範士、居合道9段範士、日本剣道界の第一人者である。逝去まで一ツ橋大学において剣道指導を行なった。
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』(1987年の会見を掲載)
『植芝盛平と合気道 第1巻』 (中倉清へのインタビュー収録)

長倉洋海 ながくら ひろみ
1952年、北海道釧路市生まれ。大学生時代は探検部に所属し、手製筏による日本海漂流やアフガン遊牧民接触などの探検行をする。1980年、勤めていた通信社を辞めてフリーの写真家となり、以降、世界の紛争地を取材している。アフガニスタン抵抗運動の指導者マスードやエルサルバドルの難民キャンプの少女へスースを長いスパンで撮影し続けた。
著書に、写真集『マスード 愛しの大地アフガン』(第12回土門拳賞)、『サルバドル 救世主の国』(日本ジャーナリスト会議奨励賞)、『きみが微笑む時』、『アフガニスタンの少女 マジャミン』『アフガニスタン 山の学校の子どもたち』『だけど、くじけない』など多数。2004年に放映された「課外授業・ようこそ先輩『世界に広がれ、笑顔の力』」は、カナダ・バンフのテレビ祭で青少年・ファミリー部門の最優秀賞「ロッキー賞」を受賞した。また2006年には、フランス・ペルピニャンの国際フォトジャーナリズム祭に招かれ、写真展「マスード敗れざる魂」を開催、大きな反響を呼んだ。フォト・ジャーナリスト。
『道』173号 会見「世界とつながる子供たち」
http://www.h-nagakura.net/

中沢啓治 なかざわ  けいじ
1938(昭和13年)〜2012年12月19日。広島市生まれ。1945年8月6日、小学校1年の時に被爆するが奇跡的に助かる。戦後は、漫画家を志しながら看板業に就く。1961年に上京し漫画家としてスタートを切る。当初は原爆被害者に対する偏見差別から自らの被爆体験を公にすることはなかったが、1967年の母親の死をきっかけに、原爆や戦争をテーマとした作品を発表。『はだしのゲン』は、『少年ジャンプ』に73年から1年半にわたって連載され子供たちから圧倒的な支持を受けた。広く海外でも注目され、核保有国18ヶ国のうち、17ヶ国で翻訳されている。
著書に『中沢啓治 平和マンガシリーズ』全17巻(汐文社)、『はだしのゲンはピカドンを忘れない』(岩波ブックレット)、『はだしのゲン 自伝』(教育史料出版会)など、多数。
『道』161号 会見「広島原爆の惨状を生き抜いて 踏まれて育つ麦のように強くあれ」

中嶌哲演 なかじま てつえん
福井県小浜市 明通寺住職。1942年、福井県生まれ。東京藝術大学中退。高野山大学仏教学科卒。学生時代、日本宗教者平和協議会にかかわり、広島の被爆者支援をつづける。「世界一の原発銀座」である若狭・明通寺の住職として、原発現地での反原発市民運動を展開。「原発設置反対小浜市民の会」事務局長を務める。93年、「原子力行政を問い直す宗教者の会」結成に参加。
『道』174号 会見「第二の福島を繰り返さないために」

中島義孝 なかじま よしたか
大正11(1922)年1月2日生まれ。国士舘専門学校で小城満睦、堀口清、小川忠太郎の薫陶を受け、卒業後、県立高崎高校に勤務。戦後は木材業を営み、昭和41年に錬心館中島道場を創設。全日本選抜八段戦優勝(昭和50年8月)の他、国体18回出場などの戦歴を持つ。全日本剣道道場連盟副会長、群馬県剣道連盟会長、群馬県剣道道場連盟会長。
錬心館 中島道場。剣道範士八段。
『道』159号 会見「無心で駆け抜けた剣道人生」

中洞 正 なかほら ただし
1952年岩手県宮古市生まれ。山地酪農家。東京農業大学農学部卒。猶原恭爾氏が提唱する山地酪農に出合い、直接教えを受ける。卒業後、岩手県岩泉町で酪農を開始。24時間365日、畜舎に牛を戻さない通年昼夜型放牧、自然交配、自然分娩など、山地に放牧を行なうことで健康な牛を育成し、牛乳・乳製品プラントの設計・建築、商品開発、販売まで行なう中洞式山地酪農を確立した。東京農業大学客員教授。
『道』185号 会見「山地酪農が教えてくれること 真実を見極めれば見えてくる、日本の未来」
中洞牧場公式サイト http://nakahora-bokujou.jp/index.html

中村桂子 なかむら けいこ
1936年、東京都出身。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所 人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。
1993年、JT生命誌研究館を設立し副館長に就任。2002年より同研究館館長。
主な著書として、『「子ども力」を信じて、伸ばす』(三笠書房)、『ゲノムが語る生命』(集英社新書)、『生命誌の世界』(日本放送出版協会)、『自己創出する生命』(ちくま学芸文庫)、『科学者が人間であること』(岩波新書)他、共著・訳書等多数。また、児童向けの科学雑誌等の監修も多数。。
『道』190号 対談「生命科学から生命誌へ、部分体から統一体へ
真の人間力の発揮にむけて 今、私たちができること」

中村修二 なかむら しゅうじ
1954年愛媛県生まれ。徳島大学工学部電子工学科卒業後、同大学院で修士号を取得。1979年徳島の地元企業、日亜化学工業に入社、開発課で半導体の研究開発を開始。1993年12月、20世紀中には不可能と言われた、従来の100倍明るい、ダブルヘテロ構造高輝度青色LEDの世界初の実用製品化に成功する。1999年に日亜化学工業を退社し、2000年、米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校工学部教授(現職)。 その後、2000年末に企業秘密漏洩の疑いで日亜化学工業に米国で訴えられる(数年後、日亜の主張は却下され、中村氏の完全勝訴で終結)。その反訴として、青色発光ダイオードの発明対価の支払いを求めて日亜化学工業を日本で訴える。東京地裁は判決で、2004年日亜化学工業に対し中村氏に200億円を支払うよう命じ、会社側が控訴。2005年日亜化学工業側が約8億4000万を支払うことで和解が成立した。 2006年に「ミレニアム賞」受賞。2014年10月ノーベル物理学賞を受賞。 2014年11月文化勲章受章。
『道』183号 対談「現状を直視し、世界と勝負できる日本へ 青色LEDの開発から見えてきたこと」

中村鶴治 なかむら つるじ
大正7年生まれ。剣道範士。
昭和32年に父・彦太の跡を継ぎ、東京修道館で40年の長きにわたり少年指導を務める。昭和37年、(財)全日本剣道道場連盟創立にかかわり、以来副会長として連盟の運営に携わる。昭和48年、(財)鹿島神武殿を設立。
現在、修道館名誉館長、(財)鹿島神武殿理事長、(財)全日本剣道道場連盟副会長、東京都剣道道場連盟会長、東京都中野区剣道連盟会長を務める。平成15年、全剣連より剣道功労賞を受賞 。
『道』147号 会見「青少年育成を終生の仕事として」

納谷幸喜 なや こうき
昭和15年(1940年)5月29日樺太出身。 第48代横綱大鵬(たいほう)。幼少時代は北海道で育ち、16歳から相撲界に入る。昭和35年1月、新入幕、11月20歳で初優勝、大関昇進。昭和36年に横綱昇進。ライバル・柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」と呼ばれる大相撲の黄金期を築いた。優勝32回、6連覇2回、45連勝などを記録した。新入幕の翌年に横綱になった力士はそれまでになく、その後も出ていない。昭和46年に引退、一代年寄大鵬親方として後進の指導にあたり、平成17年に相撲博物館館長となる。
『道』156号 対談「もう一丁!」その厳しさが育てる越える力
対談集『大河にコップ一杯の水 第2集』



【に】
西尾昭二 にしお しょうじ
1927(昭和2)年12月5日〜2005(平成17)年3月15日。青森県出身。合気会8段。1951年暮れに本部に入門。1955年頃より指導を始める。柔道、空手、居合道、杖道等の経験も豊富で、その各要素が氏の合気道に取り入れられている。北欧諸国やアメリカ、フランス、ドイツにおいて頻繁に指導を行なう。東京をはじめ神奈川、埼玉、千葉、長野、滋賀、愛媛、広島の各県および御殿場、北陸方面で指導した。
『合気ニュース』110号 会見「開祖の言葉を技の中に追求し続けていきたい」
『合気ニュース』133号 コラム「私の修業時代」
『合気ニュース』136号 特別会見「入身一足――勝負は触れ合う前に決まっている――」合気道が真の武道であるために
『合気ニュース』142号 特集『開祖の残した合気道』 「稽古は調和を図る語り合いの場」文・西尾昭二
『道』145号 追悼 第一部「合気道界の革命児逝く」/第二部「西尾昭二 語録」
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』 (1983、1991、2003年の会見を掲載)
『許す武道 合気道――入身一足の理合』
『詳説 先進の武道 西尾昭二の合気道 【全4巻】
オンライン記事 136号「入身一足――勝負は触れ合う前に決まっている――」
オンライン記事 142号「稽古は調和を図る語り合いの場」 


【ぬ】


【ね】


【の】
野口勲 のぐち いさお
1944年東京・青梅市生まれ。親子3代にわたり在来種・固定種、全国各地の伝統野菜のタネを扱う種苗店を埼玉県飯能市で経営。店を継ぐ以前は手塚治虫氏の担当編集者をしていたという異色の経歴を持つ。 2008年「農業・農村や環境に有意義な活動を行ない、成果を上げている個人や団体」に与えられる山崎記念農業賞を受賞。 野口種苗研究所代表。
『道』186号 会見「命のタネを未来へつなぐ 今、一人ひとりができること 」
野口のタネ http://noguchiseed.com/

野口健 のぐち  けん
アルピニスト。亜細亜大学国際関係学部卒。 1973年8月21日、アメリカ・ボストン生まれ。母はエジプト人。父が外交官であったため、世界各地で幼年時代を過ごす。4歳の時はじめて日本の地を踏み、中学、高校は立教英国学院へ入学。偶然書店で見つけた故・植村直己氏の著書『青春を山に賭けて』に感銘を受け、登山を始める。16歳にしてヨーロッパ大陸最高峰モンブランへの登頂を果たし、1999年5月には、2度の失敗を経て念願のエベレスト(ネパール側)の登頂に成功し、「七大陸最高峰世界最年少登頂記録」を25歳で樹立した。 エベレスト登頂時に、これまでの日本登山隊が捨てたゴミの多さに欧米登山隊から「日本の経済は一流、しかし、文化、マナーは三流」と批判されたことから、エベレスト、そして富士山で清掃登山を開始。「富士山から日本を変える」をスローガンに日本の象徴である富士山の環境保全や様々な環境問題に取り組んでいる。 さらに次世代の環境問題を担っていく人材の必要性を感じ、主に小中学生を対象とした「野口健 環境学校」を開校。日本全国各地で環境の大切さを訴え実践していくメッセンジャーが生まれている。現在は、環境問題にとどまらず、「第二次世界大戦時の日本兵の御遺骨115万体が戻るまで、あの戦争は終わらない」との思いから、遺骨を収集し日本に帰す活動にも積極的に取り組んでいる。
著書に、『確かに生きる』(集英社文庫)、『自然と国家と人間と』(日経プレミアシリーズ)、『落ちこぼれてエベレスト』『100万回のコンチクショー』(集英社)など多数。
『道』162号 対談「先に『やる』その覚悟が人を動かす」
『道』165号〜 169号 連載「実践こそが全て」
野口健公式WEBサイト http://www.noguchi-ken.com

ノケ、アンドレ Nocquet,Andre
1914年〜1999年3月12日。フランスに生まれる。1930年、柔道を学び1951年よりフランスで合気道を始める。1955年来日して植芝盛平翁の内弟子となる。1957年、合気会本部より指導員認定書、また講道館より護身術認定書を授与される。1958年、フランスに帰国。1971年、数カ国の師範たちの協力をもとに、ヨーロッパ合気道連合を発足。1990年、植芝吉祥丸道主にゴールドメダルを授与するため来日。
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』 (1990年の会見記事掲載)

野中ともよ のなか ともよ
ジャーナリスト。上智大学大学院文学研究科博士前期課程修了。 1979年よりNHKで「サンデースポーツスペシャル」「海外ウィークリー」、テレビ東京「ワールド・ビジネス・サテライト」など、スポーツから国際政治まで幅広い分野の番組キャスターとして活躍。ジャーナリスト活動のほか、各種社会団体、政府審議会の委員、企業の社外取締役などの役員として活躍。2002年には三洋電機の社外取締役に就任、その後2005年〜2007年同社代表取締役会長。2008年より宇宙航空研究開発機構(JAXA)経営顧問。2007年にNPO法人「ガイア・イニシアティブ」を立ち上げ、地球環境問題解決を目指し、政府・消費者・企業に向けて様々な活動を展開している。
『道』185号 対談「地球といのちを守るために 人間の可能性を開花させ未来を創る」
野中ともよ オフィシャルサイトhttp://tomoyononaka.com/about
NPO法人 ガイア・イニシアティブ http://www.gaiainitiative.org/

野村哲也 のむら てつや
1974年生まれ。岐阜県出身。高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、“地球の息吹き”をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。 2007年より、南米のチリに移り住み、四季を通してパタゴニアの自然を撮影。写真はCMや新聞、雑誌などに数多く掲載されている。今までの渡航先は92ヶ国に及び、海外の辺境ツアーガイド、TV局やマスコミのアテンドにも携わる。国内では幼稚園から生涯学習センターまで、幅広い年齢層に講演活動を続けている。
『道』179号 会見「土の中に眠る生命 全力で“時”を待つ砂漠の花のエネルギーを伝えたい」
『道』181号 〜連載「地球を歩く」
ホームページ http://www.glacierblue.org/home.shtml
   ブログ http://fieldvill.blog115.fc2.com/


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