2019年 仙台 第3回 (2019.7.7)

気が確実な再現性を有するある意味人間を裏切らない
エネルギーとしての技術であることを実感
            宮城 会社員 62歳 男性 HK

  自然科学の常識からはみ出しているような実践の結果を見せる気の世界は、それを科学の言葉で説明しようとしたときに、どこにその接点を持てばいいのだろうかという自分としては一種の迷いのようなものを感じるところがあります。そんな中今回の講義では気は技術であるというお話が有りました。
 
  哲学、科学、宗教と並び立つ技術として、また教育、政治の元にすべき技術としてあると。一方科学は21世紀を迎えたころから再現性の危機ということが言われています。いろいろな科学の分野のどの領域においてもその再現性は、本来あるべき厳密な学問の姿からは想定できないような低さを示していると言われています。
 
  しかし今回先生に「気は技術だ」と言われたことでそうかなるほどという気持ちがしました。技術としての気は道塾で体験するようにその実証の再現性は100%といっていいほどの確かさ、信頼性の高さを持っています。科学における再現性と比べたその確度の高さは、気が技術として如何にトータルに管理されているか、を示しているように見えます。科学技術と呼ばれる科学を基礎とする技術も設計者が知識・経験を駆使して確度の高い信頼性のある技術に仕立てます。
 
  今の世の中がその信頼性の上に生活の利便性が成り立っていることは否定できないでしょう。しかしその一方で日本を代表するような大企業による一連の品質不祥事や、大きくは原発、身近にはオートマ車の制御不能による事故、介護や育児の現場での虐待など機械と人間、社会と人間のシステムとしての信頼性が簡単に裏切られ、崩れてしまう事態が足元で生じていることも事実です。先生が言われたようにそのような信頼性という観点でTQC(トータルクオリティーコントロール)が出来ていない領域に人間社会が足を踏み入れてしまっているようです。
 
  二人で組んでお互いに向き合い手を取り合って二人の意志で回り始める実技。その速さはある意味想定内であって自分の常識の範囲内にあります。しかし気をかけられると一気にその回転速度は増加し周りの風景が流れ始め自分の前の相手以外は見えなくなります。そして自分で(対峙する相手も)その速度を調整しようにもできなくなるほどのエネルギーが二人の間に生じていることが分かります。しかしそのエネルギーの元は何か筋肉の力で操作しているとかいうものではなく、自然に自ずと二人の互いに引き合う力が推進力となるようなイメージで、無理なく回転動作に繋がっている感じです。そのエネルギーが気から生じている、それは意識ではとても出せないエネルギー、そのことがこの実技でよくわかった感じがします。
 
 そしてこの実技は何回か相手を代えて行いましたが、その結果は同じです。気が確実な再現性を有するある意味人間を裏切らないエネルギーとしての技術であることを実感します。それは無意識の統一体から生じる、人間の質を統合的に維持発展するためのTQCの技術という気の新たな捉え方となるのでしょうか。これは科学との接点を考えるうえで大切な視点にもなりうるのではないか、そんな気持ちが湧いてきた今道塾となりました。
 
 気というものが目には見えないものの決して裏切らない信頼性のある技術であるということ。この頼りがいのある技術としての気を、これからの人間は社会の中で意識ではなく無意識に使いこなすことが求められる時代に生きているのではないかと思いました。今回もご指導ありがとうございました。。

 

異次元の速さを体験   茨城 教員 52歳 男性 YY

 今回の道塾では、まず異次元の速さを体験させていただきました。 二人で組んで両手をつないで回る、自分たちだけでは、ただ回っているという感じでした。スピードもトロトロとしていて、たどたどしい感じでした。ところが先生が気を送られると、桁違いのスピードで回り始めました。

 場の空気が変わるということなのでしょうか。自分では回っている途中で他のグループとぶつかってしまわないか心配になりましたが、先生はやっている最中にぶつからないから大丈夫と言われました。あの空間にあれだけの人がいてぶつからないというのは、どういうことなのかよく分かりませんでしたが、気に包まれているということは、守られているということなのだろうかと思いました。

 それから、今回驚いたことは、立っている先生の腕に、多人数で棒を押し付けても、棒を押した人はみんな揃って跳ね返されてしまい、また、先生の腕には押された跡が残っていないことを見せていただきました。普通に考えてあり得ないことなのに、目の前でその事実を見せていただいている、事実を見せていただいているけれど、何でそんなことが可能なのか全く分かりません。見せていただく、体験させていただくほどに、自分では理解できない度合いが大きくなっいるような気がしています。ても、理屈で理解しようとするところが駄目なのだろうとも思います。

 今の思考の癖、行動の癖から抜け出せないでいる自分がいます。日常生活を振り返って見ても、逆戻りをしているような気のする自分がいます。自分の中では釈然とせず、もどかしい感じがしています。 今の状態に、打ち勝つために、もっと塾生のみなさんとたくさん話をしようと思います。どんな思いで道塾に参加されているのか、学びや気づきをどのように受けとめているのか、話を聞こうと思います。

 

少しでも進歩・成長したい    北海道 事務職 45歳 男性 TM

 今回も統一体である状態では身体が重くなったり強くなったりし、それが人から人へ伝播するということを経験しました。

 自然の理に従う時は強く、そうでないときは弱い。これは我々の日常の過ごし方が誤っているという証拠です。ではどうしたら良いか。この問い自体が身体・自然の理から切り離された頭だけのものであり、我々の生き方が根本から間違っていることを証明しているという負のスパイラル。身体で経験したこと、感覚を信じて、また、宇城先生がなさったこと仰ったことをことあるたびに思い出し、日々真剣に生きるほか、充実した人生を送る手段はないように思います。

 人間の可能性が無限であり、またそれを追い求める深さや高さもまた無限であることをお示し下さる宇城先生に感謝するとともに、同じ道を歩む道塾の仲間たちの姿に思いを新たにできました。次の機会までに少しでも進歩・成長したいと改めて感じております。