2017年 東京中上級・B 第5回 (2017.10.25)

裏切らない回路も優しさの回路も身につけるのは自分  神奈川 会社員 30歳 男性 NS

 今回の道塾では「潜在能力は眠っているのではなく、回路を創らなくてはならない」といった話がありました。裏切りたくないと思えば、裏切らない回路を。優しくなりたいと思えば優しさの回路を自分に創らなくてはならないと先生は話されていました。ゆえに私達の「裏切らない」や「優しさ」はあまりにも虚であり、バーチャルであることを痛感致しました。

 私達が意識せずとも自然と自転車に乗れるのと同じように、裏切らないことや優しさも身体に身につけなくてはなりません。自転車に乗ることが身に付くことにより創造される「自転車に乗れるという脳」の形成。これと同じように裏切らない脳、優しさの脳を身体を通して創らなくてはならないと思います。
 しかし私達は頭で切り換えての意識(頭)が出発点となり行動を取ろうとします。裏切らないことや優しさもすべて頭、知識で行おうとします。知識が先行してしまう私達は「知識=脳」であると大きな勘違いを起こしている。これではいつまで経っても裏切らない脳、優しさの脳は創造されない。

 以前の道塾で学んだ八識のお話でも、人間個人を成り立たせる全体から見ても知識はわずか約1%に過ぎません。身体先にありき、身体を通して虚から実へ。頭脳から身体脳へ。身体を土台にした実践、その裏付けが伴わなくては何を言っても虚であり、バーチャルであると痛感しました。

 サンタクロースのお話でも、大人はサンタクロースを信じていません。 それはいないことを大人になる過程で知ったからです。 しかし私達はサンタクロースがいないことに気づいたのにも拘らず、また子供達にサンタクロースが恰もいるように伝え同じことを繰り返しています。
 これを先生は日本人の私達が気づいていない病気であると話されました。 私達がいかにその場限りの表面的な行動を取っているのか、バーチャルであり、部分体であることを思い知る話でもありました。子供が喜ぶ、子供に夢を与えているような気になりますが、物凄く部分体であり、インスタント的な物の見方、考え方が染みついてしまっている自分自身に気づかされました。

 心のなかではいないとわかっているのに、それを信じ込ませて何になるのか。心のなかではいないとわかっているのに信じ込ませる、まさに虚であり、バーチャルだと思いました。そこには何の想いも、何の信念も抱くことはできません。夢や希望も、虚であり、バーチャルとなってしまっている私達。
 また日本の大半がクリスマスやバレンタインデーをあたかも特別な日であると盛り上がりますが、どれも仕掛人がおり、その副作用に気づいているようで気づいていない実情に怖さも感じました。 自分自身が無知の知に気づいていくような常なる勉強が必要だと思います。

 今回、左右で棒を引っ張り合う検証でも、固くてしっかりした棒が伸びるなんてことは通常あり得ません。しかし先生が「気」をかけると棒が伸びたり縮んだりする現象を実際に体験します。傍から見ていても、棒を掴んでいる人の背中に触れているだけでも伸びたり縮んだりすることがはっきりとわかります。また棒だけが伸びたり縮んだりするのではなく、その場の空間全体が伸びたり縮んだりしているように感じました。
 従来の常識では絶対にあり得ない事象。しかし実際に体験することにより人間にはこんなに凄いことができるのかという感動、人間の無限の可能性を心から感じずにはいられない体験です。
 夢や希望、信念も、実体ある身体なくしてはあり得ないのだと痛感致しました。

 だからこそ常に宇城先生が私達に示してくださる今の常識では想像すらできない事象の数々や、先生の生き様、本物の人の姿を見て、触れることは最高の夢や希望になるのだと深く感じました。
 なぜならそこには嘘や誤魔化しは一切なく、永遠に追い求めることができる本当の夢や希望だからです。 虚やバーチャルの夢や希望は現実を知ったときに裏切られ、心に深い傷を負うことにも成りかねません。純真な子供達なら尚更です。

 しかし先生は身体を土台にした真実の世界で常識では考えられないことをやってのけてしまう。 そこには嘘や誤魔化し、裏切りはなく、人間はこんなに凄いのかという無限の可能性、夢と希望、永遠なる感動を与えてくれます。

 先生の「大河にコップ一杯の水」の教えのように周囲に合わせても心の底では常にぶれない自分を置いておかなくてはならないことを痛感致しました。それには自身のスピードがなくてはどうしてもぶれるし、染まってしまいます。車の運転もずっとしなければペーパードライバーとなってしまいますが、船の操縦は自転車と同じように身に付くのだそうです。それは海という恐怖心、一歩間違えれば命を落しかねないという身の危険の感知。真剣になることだと思いました。

 平和ボケしたバーチャルの世界から、身体を通して身の危険の感知が持つ時間(スピード)を引き出し、その感覚を身につけていくような稽古をしていかなくていけないように思います。毎日を真剣に臨む、日常のなかで宇城先生の姿を自分の心に焼き映していく。本当の優しさ、何があっても裏切らない生き様を常に宇城先生は私達に見せてくださっています。裏切らない回路も優しさの回路も身につけるのは自分だということ。師の教えを絶対とし、自分自身の気づき、工夫を重ねながら稽古して参ります。

 

「調和と対立」「無意識の意識」  東京 環境NPO 55歳 男性 HT

 今回のご指導では2つのことが印象に残りました。
 ひとつは、「調和と対立」に関してです。相手と対峙すると、どうしてもその相手を倒そうとするあまり、対立の意識、姿勢が先に立ってしまい、意識の世界、力の世界で、相手と争ってしまいます。いくつかの実技を通して、それでは本質的にダメであり、相手を包み込むように調和の世界に引き込んでこそ、無意識の世界、技の世界で、相手を同化し、相手を上回れるということを再発見、再認識 しました。
 現実には、凡人の私たちは、人と意見の相違などがあると、どうしてもささくれだった感情が前面に出てしまい、いとも簡単に対立の構図の中に自ら身を投じてしまいます。一朝一夕にはとてもできることではありませんが、相手を包み込むような調和ということを念 頭に置いて、日々の生活に臨みたいと思います。

 もうひとつは、「無意識の意識」です。この言葉は非常に重要という認識はあったのですが、今ひとつ腹に落ちて理解できていません でした。いくつか実技を見せて頂き、「お年寄りに席を譲ろうとする自分と席を譲った自分とではまるで意味が違う。」ということを 教えて頂き、ああそうかと思いました。

 無意識がまるで意識のように発動して、自分でも知らぬ間に勝手に身体が動き、時空を制することが、「無意識の意識」のひとつの理想の形ではないかと自分なりに理解しました。

 これを自分の行動規範とするには、「対立と調和」以上に修練が必要だと感じますが、少しでもそうした域に近づけるよう、先生のご指導についていって、自分を高めていきたいと思います。
 今後ともご指導の程、よろしくお願い申し上げます。

 

深さを知れば知るほど気づきは増える   神奈川 会社員 49歳 男性 YO

 私は道塾に参加させていただいてから、初級クラスも含めてもうすぐ2年が過ぎようとしています。その間、成長がなかったわけではないと思うのですが、目指すべきところはまだまだ先にあるという事が進めば進むほど分かるのです。
 確かに2年も経てば一通りの事は全て教えていただけます。しかし改めて思うのは道塾という のはハウツーを教えてくれるセミナーではないのだなという事です。
 語弊があることを承知であえて言うなれば、稽古のようなものであると思っています。表面的なことは分かっているけれど、その先の深さを求めるためには、こうして定期的に先生の人格に 直接触れつつ、またそれを日々の一瞬一瞬に活かしていく。その繰り返しこそが必要なのだと感じています。

 また、2年も経てば一通りの事は教えてくれるとは言っても、では今は新味に欠けるかと言ったら全くそうではありません。むしろその逆。先を知れば知るほど、深さを知れば知るほど気づきは増えてきます。2時間の講習が何と濃密な事か。その事を回を経る毎に強く思い知らされます。

 今回は最初の受付の時、事務局の方に「来年はどうしますか」と聞かれました。継続するのかしないのかという問いに聞こえましたが、これで継続しないという選択肢などあり得るのでしょうか。私はもちろん継続で即答。先はまだまだこれから、という思いで精進していきたいと考えています。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。