2020年 仙台 第2回(2020.6.21)

気は常に自分を、自分の心身全体を厳しくも常に見守ってくれている存在なのだということを実感

宮城 会社員 63 男性 HK

コロナ禍による延期を経て、再開された道塾は先生の気の力が会場に溢れ、講義で話された半導体用クリーンルームの例えのように、ウィルスが入り込む余地を与えない“内圧”の高さを感じさせてくれる雰囲気がありました。気は細胞に働きかけるという先生の観点から見れば、気に依って、一つひとつの細胞がウィルスの入り込む隙間を与えない活性化を遂げる、といったような図式が思い浮かんできます。

自分の頭を後ろから相手が両掌で挟み込む二人一組の実技。気が通っていないと自分が前に歩きだそうとしても進むことはできません。気をかけられるとその挟んだ手ごと頭で相手を引っ張りながら自由に進み動くことができます。このような自分の“常識”では計りきれない実技での体験から眺めてみると、ウィルスと細胞の関係に作用する気の図式がある意味新しい常識の景色にも見えてきます。

宇城式呼吸法による身体の変化の実技では、心の持ち方によってその変化の中身が変わることを検証しました。呼吸は生命を維持するための日常の必要不可欠な動作ですが、気の世界に入るための重要な実践動作としてそれは在り、さらにそこに心がきちんと備わっているか、が結果としての身体の強さや居付きによる弱さとして目に見えるようになります。正しい身体動作としての呼吸と、その際の心の持ち方を自分のものとして気の潜在力を正しく発揮させることが、日常の入り口のところでとても大事なのだということを改めて思いました。実技で検証されるように、少しでも横着な心があると気というものは離れて断絶してしまう。気は常に自分を、自分の心身全体を厳しくも常に見守ってくれている存在なのだということが実感されます。

報道などではウィズコロナの日常へ、と言われています。新型コロナウィルスに留まらず、地球上に存在するウィルス、そして今後さらに現れるかもしれない進化したウィルスと人間が対立せず平和に共存していくためには、断絶してしまっている本来の気の通り道を繋ぎ直し、誰もがそれぞれに気で活性化された細胞の身体で日常を送ること、すなわち気とともに、の日常がますます必要な時代なのだと改めて思います。
今回もご指導ありがとうございました。

道塾の再開、宇城先生や共に学ぶ仲間と再開出来た事、言葉に出来ないくらいの幸せ

宮城 会社員 44歳 男性 AS

宇城先生この度は仙台道塾開催していただきました事、心より感謝申し上げます。
世界的規模で起こっているコロナウィルスに伴い、世の中の人々が不安に包まれ、ストレスが増し攻撃性が強くなり中にはヒステリックやパニック状態になる方々が多く溢れているのを日々仕事を通して肌で感じております。

初めは東日本大震災の時に似たような感じの動きかな?と思っておりましたが、今回はあの時に比べて『お互い様』『思いやり』『助け合う』と言った事が少なく、日増しに攻撃性が増し殺伐とした空気が蔓延してきてるのを痛感する日々でございました。

今回のコロナウィルス騒動が始まった時、私は震災の時と同じようなスイッチが入るのを感じました。以前から先生からご指導いただいております3つの坂の『まさか』を震災時に身体を通して学ばせていただいた事、そして日々の宇城先生の教えがあったからこそ、コロナウィルスに対して迷わずビビらず日々自分がすべき行動を取る事が出来たと思いました。

今回、改めて感じたのは人間の弱さ、人はいかに情報に踊らされてしまう生き物なのかという事、そして人は人と関わる事がいかに大切なのかという事でした。
今回、仙台道塾が再開し、宇城先生や共に学ぶ仲間と再開出来た事、言葉に出来ないくらいの幸せを感じました。

今回の講義の中では先生が私達に分かりやすくクリーンルームに例えて教えていただきました。自分の身体の気圧(免疫力)を上げる事でウィルスが入ってくる隙が出来ないどころか、吹き飛ばす事が出来る事、免疫力をいかに上げ、かつ恐れない『心』がいかに大切であるかという事でした。

水が入ったペットボトルを使った検証では正に少しふにゃふにゃしているペットボトルが気を通した瞬間『ギュッ』と固く強くなり内側からのエネルギーが充満しているのを感じました。更に驚いたのは別室で見えないはずのペットボトルも同様になっていた事でした。同じ空間のペットボトル、別室のペットボトルが何故同じになったかは分かりませんが、ペットボトルが変わった事実があり、それを自分の知識で理解しようとするより、ただただ事実を素直に受け止めようと思います。

これからコロナウィルスと共存していかなければならない中、私達がどのような身体と心で生きていけば良いのか、人生においていかに身体と心が大切かを改めて教えていただいたことを身体で理解し、自分自身がエネルギーを放出し一人でも多くの方々に元気に笑顔になっていただけるよう日々精進して参ります。
これからもご指導のほどお願い申し上げます。

宇城先生のご指導はまさに希望であり、進む道を照らしてくださる光

東京 不動産業 29歳 男性 SM

仙台道塾でのご指導、まことにありがとうございました。大変幸せな気持ちになり、活力にあふれています。
毎回貴重な機会をいただき感謝申し上げます。

呼吸法をはじめ様々な検証を通してエネルギーに満ちた身体とそうでないときの差を何度も体験させてくださり、いかに日々、不要なものをたくさんまとってしまっているかを痛感しました。

エネルギーに満ちているときは、「心に素直に従い、(生かされている)自分を活かす」というシンプルでクリアな思考になっており、不要なことを考える必要も暇もありません。

大宇宙の産物である身体が先にありきで、頭での思考・意識は後追いであるはずが、順序を取り違え、横着から不安や不要な恐れを、自ら生み出してしまっているのだと感じました。

実生活の中で環境に適応し、折り合いをつけることは必要と思いますが、より高い次元、ぶつからないレベルに自らを高めることがさらに重要と感じています。

二人一組で行う「1+1」の検証は、ご指導内容の奥の深さに、毎回新鮮な驚きと新たな気づきがあります。

今回、身体を通じて確かさを求めていく重要さ、思考停止の危うさの両方を感じました。1+1=2、1個+1個=2個、1円+1円=2円、それぞれ身体の状態が違いました。

すべて身体が先に答えを知っており正直であるということに、身体の優秀さはやはり計り知れないと思いました。バーチャルなシミュレーションではなく、身体を通じた生の経験こそが確かな知であり間違いのないものです。

逆に、「皆がそう言っている、ルールでそう決まっている、常識だから」と思考停止状態になることは大変危険であり、せっかくの優秀な身体を置き去りにしてしまう愚かな行為だと思いました。

主体性、意志を放棄してしまうため、自立から反対の方向に行ってしまいます。にもかかわらず、私たちの日常生活においては、意識的というよりは無意識の間に、多くの場面でこの思考停止状態に陥ってしまっているのだと感じます。

コロナショックに続き今後もより大きな社会の変化が間違いなく起こってくる中で、自ら考え、行動することは本当に大事なことだと思います。

宇城先生のご指導はまさに希望であり、進む道を照らしてくださる光です。
道塾で感じたこと、気づかせていただいたことを道しるべに変化のための歩みを止めずに日々過ごして参ります。