2022年 東京・A 第5回(2022.9.20)

驚きと楽しさ、温かさにも満ちた時空を体験させて頂きました

東京 植木医 55歳 女性 KM

宇城先生、昨日も、驚きと楽しさ、温かさにも満ちた時空を体験させて頂きまして誠にありがとうございました。また、昨日は体験で参加した知人のためにもたくさんのお心遣いを頂き、心より感謝しております。

宇城先生の存在を知り、できるだけ先生のそばにたくさん行き、できるだけ多くのご指導を受けたい、と思う身にとって、道塾合宿、実践塾、道塾と続けて先生のご指導を受けられるこの時期は、一年のうちでも、もっとも充実した時期です。ですので、この時期は、日常に戻ってからも、はっと気づかされて納得することが多くなります。そのようなことで、先生にお礼とご報告したいことが山盛りで収集がつかなくなりそうです。一部を選んでしたためさせて頂きます。

最近、日常で驚いたことは2つありました。一つ目は、自分が以前書いた文章を見ると、いわゆる「てにをは」という助詞に、自分で何かとかしてやろう、という押す力が入っているのを感じられるようになったことです。
これは、先生が最近「何もしない」といって、多くの人を瞬時に倒されるのを何度も何度も目にしたからこそ、初めて気づけたことのように思います。

もう一つは、長年の課題「surrender」の意味が、やっと腑に落ちたことです。この言葉は、人生に行き詰まりを感じ、わざわざセドナまで行って受けたワークで与えられました。カードの意味は、surrender(明け渡す、降参する、放棄する、身を任せる)とその場で聞きましたが、周りの方の「真実」とか「愛」などというものに比べて、自分のは???となり、かえって途方にくれたことが今になってふと思い出され、そしてその言葉と、先生の「なにもしない」「我を捨てる」は同じことを言っているのだ、とストンと腑に落ちました。
そのカードを与えられて以来、人生の大きな選択では、流れに任せてジタバタしない、ということをやろうとしてきました。それでよしと思っておりましたが、日常のこまやかなところでは、まだまだ、自分でなんとかしたろうモードが満ち満ちていることに気づけ、これを変えていきたい、と改めて感じております。

「寄り添う」ことの日々の実践については、昨日このようなことがありました。道塾の日に限って、少々苦手意識のある2人から連絡がきました。ちょっと小憎らしいと思っている若い人には、心のこもったメッセージを送ることができて、これはセーフ。もう一人に対しては、求めに応じてサポートはしましたが、気持ちに親身さが欠けていたので、こちらはアウトでした。
そのように、先生から「寄り添う」というテーマを与えて頂いているので、日常の行動の一つ一つを丁寧に見つめ直しやすくなってきました。これからは、アウトなことをやって後で悔やむことのないよう「いつも寄り添う」と心にとめておきます。

昨日の道塾でも、たくさんの実証を見て、体験させて頂きましたが、特に心に残っているのは、手やホワイトボードが磁石と化す、というのと、ペットボトルに5次元のエネルギーが入り、それが瞬時に伝達されること、塾生は押されると強いが、新しい人はそれとは違う反応になる、という実証でした。
ですが、私が最強と思うのは、「大丈夫ですか?」というあの寄り添う実証です。これは、いつ、誰がやっても、できないということが皆無で、寄り添うことのパワフルさをこれほどわかりやすくはっきりと体験させてもらえて、何度でも感動できるものは他にないのではないか、と思いました。

今回は長くなってしまいましたが、先生の無限の創造性と温かさに満ちた学びの空間に身を置くことのありがたさをかみしめつつ日常を過ごすことで、お礼の気持ちを表したいと思います。昨日も本当にありがとうございました。

調和を心掛けると、主語は「私たち」になります。この心掛けは日常でもすぐに実践できると思うので、すぐに取り組みます。

群馬 会社員 51歳 男性 KI

今回はいつもより多く実技、実演に指名して頂きラッキーでした。
何度体験しても、頭では理解できない現実。

ただ対立すると、軽く弱くなり、調和すると重く強くなるということを何度も繰り返した今日のあの感触を、帰宅まで思い返し、味わっていました。

今までの経験上、対立するときは「私が」が強くなり、それがいきすぎると「私さえ」になってしまう。この先は孤独しかない。

良くないことはなんとなくわかっていても、こういう心の状態は今まで何度も繰り返してきました。

調和を心掛けると、主語は「私たち」になります。
この心掛けは日常でもすぐに実践できると思うので、すぐに取り組みます。