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 か 行


【か】
香葉村真由美 かばむら まゆみ
子どもたちの真実の物語を全国で伝え続ける、福岡市の現役小学校教師。日本メンタルヘルス協会認定心理カウンセラー。「月刊 致知」「みやざき中央新聞」などそのメッセージは数々のメディアに取り上げられ、2012年には陶彩画家・絵本作家の草場一壽氏によるドキュメンタリー映画「いのちのまつり・地球が教室」に出演を果たす。2008年よりスタートさせた講師活動は2018年1月現在、全国で350ヵ所、およそ3万5千人の参加者を集めている。
『道』195号 会見「大好きな子どもたちの声を届けたい」

金澤弘和 かなざわ ひろかず
1931年岩手県出身。拓殖大学時代から空手を始め、晩年の船越義珍の謦咳に接する。卒業後は日本空手協会第一期甲種研修生として専門の道へ。1960年代からハワイ、ヨーロッパを手始めに空手を普及指導し、世界への空手普及の基盤をつくる。1978年、国際松濤館空手道連盟を設立。現在も、人を育成する武道空手の普及のため、海外で年間8ヵ月以上滞在、世界110ヵ国以上で指導。
国際松濤館空手道連盟館長。
著書に『我が空手人生』(日本武道館)。
『道』144号 対談「武道で創る 日本の宝――人」
対談集『大河にコップ一杯の水 第1集』

金澤泰子 かなざわ やすこ(蘭凰)
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。
明治大学卒。歌人馬場あき子、能楽「喜多流」の喜多節世、書道「学書院」の柳田泰雲、書道「泰書會」の柳田泰山に師事。自宅にて久が原書道教室を開いている。
『道』166号 会見「あふれる真心と愛」
『道』168号〜 連載「あふれる真心と愛」
『道』194号 対談「湧き上がる愛のエネルギー 翔子が見せる、人間本来の力」

金子兜太 かねこ とうた
俳人。現代俳句協会名誉会長。1919年、埼玉県小川町出身。旧制高校時代に俳句を始める。東京帝国大(現東京大)卒。1943年に海軍経理学校に入校。44年から終戦まで、海軍主計中尉、後大尉としてトラック島に赴任。戦後「社会性俳句」の旗手となり、56年に句集『少年』で現代俳句協会賞。62年、俳句雑誌『海程』を創刊、主宰。
『道』191号 会見「信念のままに伝え続ける反戦の思い」

嘉納治五郎 かのう じごろう
1860(万延元)年10月〜1938(昭和13)年5月4日。柔道開祖。古流柔術、特に起倒流、天神真楊流の要素、及び教育哲学を総合して現代柔道を創始。柔道は1964年よりオリンピック種目となった。1930年10月、植芝盛平の演武を見た嘉納は、高く評価し、望月稔など柔道の高段位弟子数人を植芝の下に派遣した。

鎌田久雄 かまた ひさお
1911年〜1986(昭和61)年。和歌山県、湯浅町に生まれる。1929年、東京都芝高輪泉岳寺の道場に内弟子として入門し、以後数年間、皇武館道場、亀岡、竹田などで修業。道場の事務、経理なども担当していた。1933年、和歌山第六十一連隊に入隊、1936年、除隊後上海に渡り、製氷販売業などにたずさわり、敗戦後大阪市天王寺区にて袋物業を営んだ。1977年、長野県上田市に転居。
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』(1981年の会見を掲載)

川嶋みどり かわしま みどり
1931年ソウル生まれ、1951年日本赤十字女子専門学校卒業 1957年東京看護セミナー設立。1951年〜1971年 日本赤十字社中央病院 (1952〜1955日赤女専、日赤女子短期大学派遣)1971年退職 1971年より看護基礎教育、卒後研修、教員養成講座等講師。1974〜1976 中野総合病院看護婦教育顧問。1982 健和会臨床看護学研究所所長。2003〜2011日本赤十字看護大学教授(2006〜2010看護学部長) 1995年 第4回若月賞受賞
2007年 第41回フローレンス・ナイチンゲール記章受章(赤十字国際委員会)
日本て・あーて TE・ARTE推進協会代表理事。
『道』192号 会見「自然治癒力を引き出す看護師の手とハート」
 http://tearte.or.jp/

川畠成道 かわばた なりみち
1971年、東京生まれ。8歳の時、風邪薬の副作用で視力をほとんど失う。10歳で父親と同じヴァイオリニストへの道を決意。1994年、桐朋学園大学卒業。97年、英国王立音楽院主席卒業。98年、日本デビュー。ファーストアルバム『歌の翼に』は記録的なヒットとなる。2000年、国内のみならず、英国、米国でリサイタルを行なう。04年、英国チャールズ皇太子主催のリサイタルで高い評価を得る。現在はイギリスを本拠に、ソリストとして音楽活動をするかたわら積極的に国内外でチャリティコンサートを行なう。 著書に『僕は、涙の出ない目で泣いた』(扶桑社)。
『道』146号 対談「古典の魅力を現代に活かす――音楽と武の響演(前編)」
『道』147号 対談「自分が変わるその喜びこそ、継続のエネルギー(後編)」
対談集『大河にコップ一杯の水 第1集』
川畠成道 オフィシャルホームページ http://www.kawabatanarimichi.jp

カンベンガ・マリールイズ (永遠瑠)・マリールイズ
NPO法人 ルワンダの教育を考える会理事長。1965年10月、ルワンダ人の父親の赴任先であるコンゴ民主共和国(旧ザイール)に生まれる。1986年9月、キガリ市の専門学校に洋裁の教師として赴任。1993年5月、青年海外協力隊カウンターパートナー(現地協力員)として福島文化学園にて洋裁の研修を受ける。
1994年2月、帰国。同年4月7日、内戦勃発、必死の逃亡を経て隣国コンゴ民主共和国へ。難民キャンプで偶然出会ったアムダの日本人医師の通訳になる。同年12月、研修生時代の友人らの尽力で家族そろって再来日。
2000年10月、「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、キガリ市に学校を建設。2001年8月、同会がNPO法人格を取得。2010年6月、同会理事長に就任。命の尊さ、教育の大切さを訴える講演活動で全国を駆け回っている。
2011年3月、在住する福島で震災、原発事故を経験。以後、南相馬市など避難所でボランティア活動も行なっている。
『道』182号 会見「二つのふるさと ルワンダと福島に生きる」
NPO法人ルワンダの教育を考える会  http://www.rwanda-npo.org/


【き】
木内信夫 きうち のぶお
1923年(大正12)、東京赤坂に生まれ育つ。 航空技能養成校卒業。満州で航空隊・飛行戦隊を経て、終戦後旧ソ連に抑留。1948年(昭和23)7月に復員後、絵を描き始める。 活動範囲はイラストのみに留まらず、劇団四季の歴史三部作『異国の丘』においては舞台衣装の時代考証を担当。その公演に際しては東京、名古屋、京都のそれぞれの四季劇場内で展示会が開催された。望月龍平シアターカンパニーの音楽劇『君よ 生きて』への協力。その他にも樋口一葉記念館での展示会、千葉県柏市や大阪府藤井寺市「平和展」など、数多くの展覧会を開催。 現在、地元千葉県柏市の地元紙に連載する傍ら、柏プラネタリウムのための投影イラストの制作、学校講演、各種講演会の開催など積極的な活動を続けている。 2015年10月10日、京都府舞鶴引揚記念館に寄贈した抑留イラストのうち40枚が、ユネスコ世界記憶遺産として登録された。ユネスコ世界記憶遺産としては日本初の生存作家となった。同年、11月3日に柏ユネスコ協会より感謝状が授与された。
『道』192号 会見「世界の人は、みんな仲良くなれるのです」

金昴先 キム ミョウソン
韓国伝統舞踊「僧舞」人間国宝後継者。 四国八十八ヶ所霊場 第十三番札所 「大日寺」住職。 1957年韓国生まれ。1976年より韓国舞踊の人間国宝・李梅芳氏に師事。1988年、韓国仁川市に金昴先舞踊団を設立。1996年徳島で舞踊公演した際に大日寺住職大栗弘栄氏と出会い、結婚、徳島へ。2007年4月に夫が急死したため、その跡を継いで一から修行をして翌年、四国八十八ヶ所で初の外国籍の住職となった。2005年人間国宝後継者に指名される。2011年、大韓民国文化勲章受章。
『道』179号 対談「世界一美しい言葉『ありがとう』の文化を世界遺産に」

木村秋則 きむら あきのり
1949年青森県弘前市生まれ。木村興農社代表。
弘前実業高校卒業後、首都圏の会社に勤務したが、1971年に故郷に戻り結婚、リンゴ栽培を中心にした農業に従事。農薬の影響に苦しむ妻のために1978年頃から絶対不可能と言われた無農薬・無肥料のリンゴ栽培に挑戦する。以後、11年間近く、無収穫、無収入の苦しく厳しい日々が続いたが、ついに無農薬・無肥料のリンゴの自然栽培法を確立。その取り組みと苦難の歴史が2007年にNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で紹介され、続く2008年に刊行された『奇跡のリンゴ』(幻冬舎)はベストセラーになり、広く自然栽培が知られるところとなった。現在は、リンゴ栽培のかたわら、国内はもとより海外各地での講演活動、自然栽培法の農業指導に力を注いでいる。
『道』178号 対談「決してあきらめない!! 覚悟と勇気が生んだ自然界の道しるべ」
『道』184号188号 連載「見えないものを見る目をもとう」
『農業再生 人間再生』 木村秋則・宇城憲治 共著

木村達雄 きむら たつお
1947(昭和22)年、東京に生まれる。中学、高校時代は剣道部に所属。中学3年より合気道を始め、山口清吾師範に師事。また、その間、植芝盛平翁の朝稽古にも通う。1970(昭和45)年、東京大学理学部数学科を卒業。1973(昭和48)年、同大学院修士課程終了。大学院時代、稲葉稔師範に就き、鹿島神流を学ぶ。1973(昭和48)年より1980(昭和55)年まで、名古屋大学数学科助手を務める。その際、同大の合気道部を創設。その後、アメリカのプリンストン高等学術研究所の数学研究員のほか、アメリカ(ジョンズ・ホプキンス大学)、ドイツ(マンハイム大学)、フランス(グルノーブル大学)の各大学で客員助教授を務める。1979(昭和54)年、佐川幸義宗範に入門。最高教程である第十元までの直伝講習を受ける。また、佐川宗範を世に出した『透明な力』(1995年 講談社、2004年10刷発行)を著わす。1993(平成5)年、筑波大学数学系教授に就任。現在、筑波大学大学院数理物質科学研究科教授。理学博士。剣道3段。合気道5段。大東流奥伝4段(教授代理)。
『合気ニュース』82号 「佐川幸義先生のこと」
『合気ニュース』117号 「佐川幸義宗範追悼特集」門人座談会
『合気ニュース』140号 「生かされる文と武のエネルギー」会見(前編)
『合気ニュース』141号 「合気の先に広がる人間の可能性」会見(後編)
『合気修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年』


【く】
国越孝子 くにごし たかこ
1911(明治44)年、高松市に生まれる。1932(昭和7)年、日本女子美術大学卒業直前に皇武館道場に入門。戦前の合気道を修業した初期の女性の一人。合気道3段。1933(昭和8)年に出版された合気道技術書『武道練習』の挿絵を描いたことで知られている。のちに竹下勇大将の道場で数年間稽古し、さまざまな婦人団体に護身術を教えた。
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』(1992年の会見を掲載)

窪田育弘 くぼた いくひろ
1943(昭和18)年6月18日、奈良県橿原市に生まれる。武蔵工業大学工学部建築学科卒。昭和38年多田塾合気会自由が丘道場に入門。昭和40年、武蔵工業大学合気道部創設。初代主将。合気会七段。(財)合気会奈良県支部長。全日本合気道連盟理事。(株)ジーエヌ企画代表取締役。一級建築士。
『合気ニュース』133号 会見記事「私と合気道――合気道で学んだ“同化”ということ」
奈良合気会 http://www.geocities.jp/aikikai_nara/

黒岩洋志雄 くろいわ よしお
1932(昭和7)年〜2010年。合気会6段。東京出身。1954年頃、合気会本部にて合気道を始める。技の実戦性及びその効用性を強調。ボクシングの経験あり。立教大学合気道クラブ発行「和合」に幾つかの記事を執筆している。1985年度合気道友好演武会に出場した師範の一人。
『開祖直弟子に見る合気道』(演武者の一人)

黒木国昭 くろき くにあき
1945年宮崎県生まれ。県立小林高校卒業と同時に、ガラス会社に就職し、ガラスの道に入る。1974年より創作活動を開始し、1977年国家ガラス技能一級を取得。1984年に独立。1989年グラスアート宮崎綾工房を創設し、ガラス工芸では初めての国の卓越技能者「現代の名工」を受賞。西洋のガラスの素材に日本の装飾美・琳派などを融合させてまったく新しい世界を生み出した。国内外で展覧会を展開するなど幅広く活躍中。
『道』164号 対談「日本の心と歴史文化をガラスアートに込めて
                         時代を革新する伝統の継承」
『道』165号172号 連載「文化を生き抜く力に」
グラスアート宮崎 http://www.glass-art-m.com/

黒田鉄山 くろだ てつざん
1950年埼玉県に生まれる。幼時より祖父・泰治鉄心斎および父・繁樹に就いて、駒川改心流剣術・四心多久間流柔術・民弥流居合術・椿木小天狗流棒術・誠玉小栗流殺活術を修行し宗家を継承。現在、振武舘黒田道場(大宮市)で指導。AIKI EXPO 2003参加師範の一人。創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。
『合気ニュース』139号 特別対談「黒田鉄山 vs 宇城憲治」型から学ぶ技と心
その他連載記事「パリ合宿の思い出」「柔術万華鏡」 、135号コラム「私の愛読書」
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2003 講習会編2』
振武舘 黒田道場 http://www010.upp.so-net.ne.jp/shinbukan/
【Kindle版】 『消える動きを求めて 鉄山パリ合宿記』 


【け】


【こ】
小出裕章 こいで ひろあき
1949年東京生まれ。元京都大学原子炉実験所助教。 原子力の平和利用を志して1968年、東北大学工学部原子核工学科に入学。 原子力を学ぶことでその危険性に気づき、原発を止めるために原子力の研究を続けることを決意。専門は放射線計測、原子力安全。 伊方原発裁判、人形峠のウラン残土問題、JCO臨界事故などで、放射線被害を受ける住民の側に立って活動。原子力の専門家としての立場から、その危険性を訴え続けている。 著書に『原発のウソ』(扶桑社新書)『隠される原子力・核の真実 ― 原子力の専門家が原発に反対するわけ』(創史社)『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社)『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)など他多数。
『道』197号 会見「子どもたちを被曝から守る それが私たち大人の責任です」
五井昌久 ごい まさひさ
1916(大正5)年〜1980(昭和55)年。白光真宏会(創立1955年2月26日)の創始者。五井は植芝盛平と親交もあった。植芝盛平は白光真宏会の会員達にいくつかの講義をしており、これが同会員である高橋英雄氏によって筆記され『武産合気』と題する本として出版された。

木暮浩明 こぐれ ひろあき
1936年神奈川県生まれ。1958年早稲田大学商学部卒。大学時代は早稲田大学柔道部に席を置き、当時の首席師範富 木謙治から指導を受けた。卒業後伊藤忠商事株式会社に入社。ユーゴスラビア、ブルガリア、イギリス、アメリカ、ドバイ 、エジプトなど約20年弱の海外勤務を経験。 伊藤忠商事株式会社理事/新合気道連合総裁/日本合気道協会顧問(八段)/新極真会顧問/元東京都教育委員会専門委員 /元(公)日本相撲協会 生活指導委員/元東京消防庁幹部講師
『道』148号 会見「誇りある日本人こそ真の国際人」
『道』149号194号 連載「うつくし、日本」
『道』198 対談武で培った人間力 誇りある国際人として生きよ!」

児嶋 克 こじま まさる
1924年(大正13年)、鹿児島県串木野市に生まれる。旧制伊集院中学にて遠矢良将に剣道を学び、日本体育専門学校(現日本体育大学)では森正純、中倉清らに指導を受ける。昭和19年9月に繰り上げ卒業し、四国・高松の幹部候補学校に入校、そこで終戦を迎える。戦後は船舶会社に勤務し、かたわら県警師範を拝命した中倉に就いて剣道修行に励む。また日体専時代に三菱の企業人である江頭一雄(中山博道門下・長谷川英信流)から手ほどきを受けた居合の稽古も続け、平成11年に居合道範士九段を授与。全剣連居合道委員会委員長ほか鹿児島、全日本の剣連役員を歴任。全日本東西対抗、七段選抜(準優勝)、明治村、国体、全日本都道府県対抗(昭和43年優勝)など各種大会出場の戦歴を有し、明治村大会は第一回大会から連続11回出場(第5回大会準優勝、3位1回)を果たしている。昭和51年剣道八段、同年範士。誠道館館長。全日本剣道連盟相談役。
『道』164号 会見「相手を迎えて一つになる」

小林弘明 こばやし ひろあき
1965(昭和40)年11月3日、東京に生まれる。1989年、青年海外協力隊員としてインドネシアで合気道を指導。その後台湾、韓国、ポーランド、ハンガリーなどでも指導。合気会5段、居合道3段、杖道初段、剣玉3段。中国語、インドネシア語、英語に堪能。
『合気ニュース』113号 会見「修業人生を世界にむけて」

小林裕和 こばやし ひろかず
1929(昭和4)年2月14日〜1998年8月28日。合気会8段。大阪府出身。大阪で1950年代初期に合気道を始める。ヨーロッパ、特にフランス、イタリアを数多く訪問、指導した。

小林保雄 こばやし やすお
1936(昭和11)年9月20日〜。東京に生まれる。合気会8段。明治大学工学部電機工学科卒。学生時代より合気道を始め、1955(昭和30)年に内弟子として合気会に入門。1959(昭和34)年に指導を開始。1969(昭和44)年4月6日、小平道場を開設した。その後、多数の支部道場の開設、発展に努め、現在は小林道場も75の傘下道場をもつに至り、その組織能力は高く評価されている。AIKI EXPO 2003参加師範の一人。創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』(1984年の会見を掲載)
自伝『我が道 合気道 合気道小林道場の軌跡』(2004年10月刊行)
『開祖直弟子に見る合気道』
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』(参加師範の一人)
『AIKI EXPO 2003 講習会編1』(参加師範の一人)
合気道小林道場 http://www.kobayashi-dojo.com/

近藤勝之 こんどう かつゆき
1945年〜。大東流合気柔術本部長・総務長。免許皆伝。幼少の頃より武道修業に励む。東京都江戸川区北小岩にある振栄館道場にて細野恒次郎(武田惣角の高弟)より大東流を学ぶ。1961年、大東流合気柔術武田時宗宗家に学び、1966年、武田時宗の直門となる。1988年に、宗家代理、免許皆伝を授与される。1994年大東流合気柔術本部本部長、総務長に全国支部長会議で推挙され就任。1963年より武田惣角の高弟・吉田幸太郎にも学んでいる。千葉工業大学合気道部創設者(1964年4月)。山岡鉄舟の研究家でもある。AIKI EXPO 2002、2003参加師範の一人。創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。
『合気ニュース』133号 特別座談会「組織・会派の壁を越えて」
会見集『改訂版 武田惣角と大東流合気柔術 』(1989年と1991年の会見記事掲載)
『開祖直弟子に見る合気道』
『AIKI EXPO 2002 ハイライト版』
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』(参加師範の一人)
『AIKI EXPO 2003 講習会編1』(参加師範の一人)
大東流合気柔術本部 http://www.daito-ryu.org/

近藤 亨 こんどう とおる
1921(大正10)年 新潟県加茂市に生まれる。1938(昭和13)年 旧制高校受験の際、肺結核が見つかり、7年間、加茂で療養生活を余儀なくされる。日米の開戦で学友たちが次々と戦場へ赴き命を落とすなか、「自分は戦争にも行けず悔し涙に明け暮れた。死んだ仲間に申し訳ない」の一念が常に氏を前へ前へと進ませた。
1948年 新潟県立農林専門学校を卒業。果樹専門の農業技術者として同校助教授に就任。
1976年 55歳から新潟を離れJICAの国際協力員・果樹専門家としてネパールの果樹栽培指導に尽力する。
70歳でJICA定年後、私財を売り払い家族とも離れ、単身秘境ムスタンに定住。飢えと寒さに泣く人々のために、個人での本格的支援活動を始める。
1991(平成3)年 ムスタン地域開発協力会(MDSA)を設立、自ら理事長となる。
1995年 ジョムソンにて世界一高い土地(標高約2800m)での稲作に成功。
1996年 アッパームスタン/ガミ地区(標高3600m)の国有地200haの不毛の台地を借り受け、果樹、畜産主体の完全有機農法による総合農場の開発に着手、88歳の現在もムスタンで精力的に活動を展開中。
 これまでに17の学校をムスタンに建設、完全給食実施の奉仕や橋の建設、道路整備などに尽力するほか、98年からは病院を建設運営するなど、総合的な奉仕活動を展開中。
 ネパール国より二つの勲章を受けるほか、読売国際協力賞、毎日国際協力賞、米百俵特別賞、地球倫理推進賞ほか各賞を受賞。 2016年6月9日逝去。
『道』160号 対談「常に弱者とともに 秘境ムスタンに生きる」
『道』162号 特集「やってみせるから、人はついてくる 人生は、行動実践先にありき」
『道』163号〜166号  連載記事「夢に生きよ」
『道』167号〜 連載「ムスタン便り」有沢章太
『道』169号 会見「至誠通天の生き方」
『宇城憲治 ネパール・ムスタン訪問記録 ネパールの神様と呼ばれた
近藤亨先生の偉業をこの目で』



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