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 あ 行


【あ】
赤坂憲雄 あかさか のりお
1953年東京生まれ。東京大学文学部卒。民俗学者、学習院大学教授、福島県立博物館館長。1999年『東北学』を創刊。2007年『岡本太郎の見た日本』でドゥマゴ文学賞受賞、2008同書で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2011年4月東日本大震災復興構想会議委員。
『道』184号 記事「福島こそはじまりの地」

赤沢善三郎 あかざわ ぜんざぶろう
1919〜2007年。1933年頃内弟子として皇武館道場に入門。戦時中海軍兵学校で合気道を指導。茨城道場を岩間に誘致し、合気神社の建設にあたる。
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』(1981年の会見を掲載)

秋吉 忠 あきよし ただし
1937年(昭和12)生まれ。大分県中津市出身。昭和41年に12年間住み込みで修行しながら勤めた緒方時計店から独立し店を構える。同時に木彫の腕も磨き、様々な木彫細工を制作。なかでも古民家や実際に使える道具の精巧なミニチュアは見る人を圧倒している。現在は、木彫『夢多工房』主宰。
『道』176号 会見「志をたて、やり抜く」
木彫りの夢多工房 http://lalasuke.sakura.ne.jp/
葦原万象 あしはら ばんしょう
1903〜1989年。京都府、福知山市に生まれる。1922年、慶応義塾大学経済学部に入学。卒業後郷里福知山市に帰り、呉服店に勤務。1931年、大本教に入信。武道宣揚会時代(1932年頃)には、植芝盛平の下で修業した。また1930年代初期に刊行された会報『武道』の編集に携わり、盛平の講義を記事としてまとめ発表した。1935年第2次大本教事件に関わり、出口聖師と共に、3年間投獄された。出獄後、経済調査局、行政監査局に勤務し、1961年、退職。退職後は大本教に奉仕した。大本教において、人類愛善会理事、宣伝部長等を務め、1975年、大本総務となる。1977年、綾部参事となり、1980年、退職。1989年4月3日、没。86歳。
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』(1980年の会見を掲載)

阿部醒石 あべ せいせき
1915年〜2011年5月20日。1952年頃より合気道を始める。大阪在住。書道家。
開祖の弟子であるとともに、晩年の開祖に書道を教授した。生前の開祖より非公式に10段を許された。 天之武産塾合気道道場長。
『合気ニュース』134号 会見「合気道は小戸の神技」
『合気ニュース』138号 会見「古事記と植芝先生」
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』(1980年の会見を掲載)
オンライン記事 会見「合気道は小戸の神技」

阿部 正 あべ ただし
1927(昭和2)年頃〜1984(昭和59)年11月23日。1942年頃合気道を始める。戦時中、岩間道場に内弟子として入門。1952年に渡仏、ソルボンヌ大学で法律を学ぶと共に合気道を教えた。以後数年間滞仏し、フランスにおける合気道の先駆者の1人となる。氏の何百枚にわたる技写真は、1950年代後期、ジョン・ザン執筆のフランス語の本(3冊)に掲載された。1984年11月23日、日本にて死去。

荒川 博 あらかわ ひろし
1930年8月6日〜2016年12月4日。東京・浅草に生まれる。早稲田実業高校、早稲田大学を経て毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団。オリオンズで榎本喜八を首位打者に導いたほか、コーチとして就任したジャイアンツで王貞治をホームラン王に育て、長島、広岡、高田、末次などの選手に独自の打撃を伝授(62〜70年)。ジャイアンツの日本シリーズ九連覇の基盤を築いた。 合気道、居合道を応用した独特の打撃指導には定評があり、現在は日本ティーボール協会副会長として少年への指導に情熱を燃やしている。合気会6段。
『合気ニュース』142号 会見「野球に活かす合気道」
オンライン記事 142号「野球に活かす合気道」

有川定輝 ありかわ さだてる
1930(昭和5)年〜2003(平成15)年。合気会9段。1947年に合気会に入門。1959年から1974年まで合気会発行の合気道新聞の編集を務めた。合気道関係資料の研究及び収集家でもあり、植芝盛平の写真及び映画を多く所持。合気会本部道場では水曜日、夜のクラスを長年担当していた。ほかに朝日合気会、一橋大学、法政大学、津田塾大学、日本大学、東海大学、工学院大学、千葉工業大学等で広く指導、合気道の普及に尽力された。平成15年10月11日逝去。享年73歳。
『合気ニュース』139号 追悼 有川定輝師範
『合気ニュース』142号 特集『開祖の残した合気道』「あくまでも武道としての合気道を」有川氏会見録
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』(1980年の会見を掲載)

有沢章太 ありさわ しょうた
1985年富山県生まれ。大学卒業後就職したが、『道』160号近藤亨先生の会見記事を読んだのを機に退職、近藤先生の生き様に学ぶべくムスタン農場に飛び込む。学生時代より宇城憲治師範の指導を受けている。
『道』167号〜 連載「ムスタン便り 」
『道』169号 会見「至誠通天の生き方」
MDSAネパール・ムスタン白嶺会 http://mdsa.info/

アンジェ、ドン Ange,don
1933年〜。柳流合気武芸師範。戦後、吉田幸太郎の息子である吉田憲治の弟子となる。吉田幸太郎は、1915年、北海道北見で武田惣角に入門し、惣角を植芝盛平に引き合わせたことで知られている。その子息憲治は、戦前アメリカに移住し、1948年頃より吉田家に伝わる柳流合気武芸をアンジェに指導した。求道的な武道家・吉田憲治の影響を色濃く受けたアンジェの姿は、日本の武術家以上に武術家らしい姿を伝えている。吉田憲治とアンジェの交流の模様は、映画『ベストキッド』の題材となった。AIKI EXPO2002参加師範の一人。
『合気ニュース』124号 会見「私と吉田憲治先生」
『AIKI EXPO 2002 ハイライト版』
オンライン記事 会見「私と吉田憲治先生」


【い】
飯田宏雄 いいだ ひろお
昭和17年、横浜市に生まれる。昭和35年、北海道旭川商業高等学校卒業。同年鞄立家電北海道支社に入社。平成7年退社。昭和42年、全日本スキー連盟(SAJ)準指導員取得。42年〜47年、札幌スキー連盟デモンストレーター6期選抜。61年、SAJ指導員取得。昭和43年、大東流合気柔術幸道会入門、堀川幸道永世名人に師事。平成11年大東流合気柔術幸道会師範を印可。平成12年幸道会創立50周年記念演武大会に出演。平成13年大東流合気柔術無傳塾を創設。大東流合気柔術無傳塾 塾長。
『合気ニュース』134号 会見「開かれた大東流を目指す」

池川 明 いけがわ あきら
1954年東京生まれ。帝京大学医学部卒・同大学院修了。医学博士。 上尾中央総合病院産婦人科部長を経て、1989年横浜市に池川クリニックを開設。「胎内記憶」の研究発表がマスコミで紹介され話題に。その成果を医療現場に活かし、母と子の立場に立ったお産と医療をめざしている。「出生前・周産期心理学協会」の日本におけるアドバイザー。
『道』184号  会見「胎内記憶 子供が届けてくれる、命のメッセージ」
池川クリニック ttp://www1.seaple.icc.ne.jp/aikegawa/

池嶋和子 いけしま かずこ
1927年〜2012年10月。大阪府生まれ。1944年、黒山高等女学校卒業。1945年、大日本武徳会薙刀術教員養成所修了。以後、多くの高校でなぎなたを指導。1960年、61年、全日本なぎなた選手権2連覇。日本体育協会上級コーチ。全日本なぎなた連盟参与・審査員。なぎなた範士。
『道』165号  会見「深さに向かう稽古が人を育てる」

池田裕 いけだ ひろし
1950年〜。合気道7段。ボルダー合気会主宰。アメリカ(コロラド州)でボルダー合気会道場経営と武道用具の製造販売会社・「武人」の経営を行なう。国学院大学時代より五月女貢師範の指導を受け、76年渡米、フロリダ州サラソタ合気会で79年まで指導。80年、コロラド州ボルダー市に移り、ボルダー合気会を設立。現在アメリカ内外で精力的に指導を行なう。AIKI EXPO 2002、2003、2005 の参加師範の一人。
『AIKI EXPO 2002 ハイライト版』
『AIKI EXPO 2003 講習会編2』
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2005 講習会編1』
『AIKI EXPO 2005 友好演武会編』
オンライン記事 会見 「人と分かち合える心を合気道から学ぶ

石井みどり いしい みどり
1913年、宇都宮生まれ。16歳で現代舞踊の石井漠に師事し、1930年には、師の相手役としてデビュー。35年には独立して石井みどり舞踊研究所を開設し、公演活動を開始。戦中は戦地での慰問、戦後も各地で創作、公演活動を積極的に行なう。とくに65年から7年間にわたって日本全国で行なった公演回数は、1万回以上になる。69年 舞踊芸術賞、77年 紫綬褒章、84年 勲四等宝冠章を受章。折田克子と舞踊研究所を主宰、現役舞踊家として活動中。現代舞踊協会名誉会長、全日本舞踊連合会長。2008年3月逝去、享年94歳。 著書に『よく生きるとは、よく動くこと』(草思社)。
『道』143号 対談「言葉でなく心と身体で学ぶ」
対談集『大河にコップ一杯の水 第1集』

石原忠美  いしはら ただよし
大正5年(1916)、岡山県生まれ。剣道範士。大日本武徳会武道専門学校本科卒業。旧制豊中中学校教諭を経て、岡山県警に奉職。第5回全日本都道府県対抗のほか全日本選手権、全日本東西対抗、八段選抜などに出場。全日本剣道連盟相談役。岡山県剣道連盟名誉会長。岡山県警察剣道名誉師範。剣道範士。著書に、『円相の風光』(共著)『活人剣・殺人剣と人間形成』(いずれも体育とスポーツ出版社刊)がある。
『道』152号 会見「我が剣道を語る 剣による人間形成を目指して」

市橋紀彦  いちはし のりひこ
昭和15年、東京生まれ。昭和33年4月、合気会本部道場入門。昭和37年、合気会本部道場指導部に入り、現在に至る。
合気道八段。
『合気ニュース』125号 会見「自他共に己を研く砥石となれ」
オンライン記事 会見「自他共に己を研く砥石となれ」

稲田美織 いなた みおり
写真家。多摩美術大学 油絵科卒業。一ツ橋中学校で教職を務めた後、1991年からNYを中心に活動する。ハーバード大学、NY工科大学、NJ工科大学、アートスペースギャラリー、Wadaファインアーツ、東京農大博物館、ニコンなど世界中で個展を開催。また、MOMAやイスラエル美術館でも展覧会に出品。2001年に目撃したアメリカ同時多発テロ以来、世界中の聖地や伊勢神宮の式年遷宮の撮影を続けている。様々な雑誌や新聞にも写真と記事を掲載する。NHK「にっぽん巡礼」「ラジオ深夜便」などに出演。
『道』168号 会見「日本の聖地 伊勢神宮 世界の聖地を巡り帰り着いた場所」
『道』171号『道』179号 連載「日本の心を継ぐ」
http://www.mioriinata.com

稲葉稔 いなば みのる
1944(昭和19)年、東京生まれ。明治大学卒。高校卒業時に合気会系本部道場に入門。植芝盛平翁に親近した島田和繁氏と知り合う。その縁で山口清吾師に入門。40年春、鹿島神流国井道之師に入門、最晩年の教えを受け、歿後、独自の武道探求をすすめる。神道思想家、葦津珍彦氏に師事し、日本思想を学ぶため神社新報社記者となり、民族精神回復運動にかかわる。1973年10月、至誠館の武道研修科師範となる。現在、館長。
『道』156号 会見「時は命―― 有限なる人生に、志を定め行動せよ」
『道』159号〜164号 連載「日本人たれ」
オンライン記事 会見「合気道における術と道

稲村雲洞 いなむら うんどう
1924年、福井市に生まれる。福井師範学校に入学(15歳)、書に対する情熱、探究心を与えてくれる師に恵まれ、書に傾倒する。戦争中という時代背景のなか、心静かに書く環境ではなかったが、終夜明かりのついている部屋で徹夜するなどした。
当時、福井師範学校では毎年極寒大雪のなか、大本山永平寺に参禅合宿が義務付けられていた。「朝四時起床、朝食前の掃除、写経、参禅、食後の作業が日課で、寒さと空腹に耐えての荒修行であった。写経は専ら般若心経を一巻書きあげるのだが、知識も意味も知らないままに半紙に写すだけで大変な労作であり、一回で書けたことがない。 誤字、脱字でほごの山、紙も配給で貴重だが、失敗続きでまた観自在にもどる。やっと終わりに近づいたと思う緩みにまた間違い、正に賽の河原である。」(稲村雲洞作品集『心経類聚』より)
1944年、師範学校卒業後、軍隊に入隊、復員後、新制高等学校の教員となる。
その頃、宇野雪村の書に魅かれ、面識もないまま自宅へ参上、師事を乞い許される。以来、福井で教員を勤めながら通信で書を学び、奎星展、日展、毎日展の折には必ず上京、宇野氏と共に古書店をまわったり、氏収蔵の法帖や文房四宝の解説を受ける。 宇野雪村は、上田桑鳩(奎星会創設者であり初代会長)の跡を継ぎ前衛書の確立へと導いた。上田桑鳩が「品」という文字に「愛」という題名をつけ日展に出品したことから論争が起こり、上田は日展を退会、宇野雪村、稲村氏をはじめ前衛書を追求する書家も次々と日展を去り独自の道を歩むことになる。
1968年、奎星会二代会長に就任した宇野雪村から自分の片腕として上京するよう依頼を受ける。教職を捨て家族を福井に残し、東京での生活のめどがつくまでの一年間を宇野宅で過ごす。氏45歳の一大転機であった。 作家活動に専念して以来、国内はもとより、アジア、ヨーロッパ、アメリカでの書展、交流展でも活躍。さまざまな催しのタイトルや、渋谷区代々木八幡宮石柱(1993)など、碑なども多く揮毫している。
1995年、宇野雪村死去にともない、奎星会三代会長に就任(1996)。
「現代書に舞う 稲村雲洞の世界展」(1983)、「日本稲村雲洞現代書法新作展」(1992北京)、「今を啓く 稲村雲洞新作書展」(1993)などの個展を経て、2004年10月に「極の宇宙―― 瞬発の集中 持続の止観 ――」を銀座セントラル美術館にて開催。現在、奎星会会長 (財)毎日書道会理事 毎日書道展参与審査会員。全日本書道連盟副理事長 日中文化交流協会常任理事 玄同社主宰。
『道』143号 会見「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる ―― 道なき道の開拓」
オンライン記事 会見「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」

井上強一 いのうえ きょういち
1935年〜2017。合気道親和館館長。1955年、中央大学に在学中に養神館へ入門、塩田剛三館長より長年指導を受ける。1970年、警視庁教養課兼警察学校に勤務し、1996年まで婦人警察官、機動隊員に合気道を指導。定年退職後、養神館本部道場道場長に就任、その後平成14年6月より2007年まで、養神館館長を努める。AIKI EXPO 2002、2003参加師範の一人。創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。 2017年12月23日逝去。
『合気ニュース』121号 会見「養神館指導を語る」
『合気ニュース』134号 会見「井上強一 新養神館館長の素顔に迫る!」
『道』153号 会見「自然体が生む 合気即生活」
『AIKI EXPO 2002 ハイライト版』
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2003 講習会編2』
『武―融合への祭典』
オンライン記事 会見「自然体が生む合気即生活」

井上善蔵 いのうえ ぜんぞう
1861頃〜1928。井上要一郎(植芝盛平の甥)の父。善蔵は盛平の姉ためと1889年(明治22)頃に結婚、8人の子供をもうけた。要一郎はその4番目。善蔵は田辺や田辺以外にかなりの土地を持ち、様々な製造業も手がけていた。 善蔵の弟小四郎は善蔵と共に上京後、石鹸製造、金属、金具や製紙、貿易などを手がけた。のちに日本の高額納税者の1人に数えられる。また松下幸之助の事業について工場の生産から経営面まで全面的にバックアップをした。惣角の謝礼録の中に日付はないが植芝与六と井上善蔵の署名が見られる。おそらく1915年(大正4)か1916年の記録であると考えられる。これらの謝礼録には柔術教授に対して惣角に金銭が支払われた(金額は記されていないが)ことが記録されている。このことから、盛平の大東流修行を善蔵と与六の二人が援助していたという事実が判明する。
『合気ニュース』127号 特集「植芝盛平と共に合気道への道を拓いた男
――合気道のもうひとりの先駆者 井上要一郎」

井上鑑昭(要一郎) いのうえ のりあき(よういちろう)
1902〜1994。和歌山県に生まれる。植芝盛平の甥。本名は井上要一郎(旧来合気道史で使われていた“与一郎”は、“要一郎”の誤り)。幼年期の一時期を植芝家で過ごし、13歳のときに当時北海道白滝村で開拓にたずさわっていた叔父盛平のもとへ行き、ともに開拓時代を過ごした。綾部の大本教出口王仁三郎聖師にも師事。盛平とともに戦前戦後の合気武道の普及発展に重要な役割を果たした。親和体道を創設、のちに親英体道と改名した。平成6年(1994)4月死去。
『合気ニュース』127号 記事「合気道のもう一人の先駆者・井上要一郎」
『合気ニュース』128号 記事「親英体道道主井上鑑昭の世界(1)――雷撃電飛の技」
『合気ニュース』129号 記事「親英体道道主井上鑑昭の世界(2)――宇宙の動きを武道のなかに」
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』 (1986年〜1988年の会見を掲載)
〈ビデオ〉『井上鑑昭と親英体道』上巻/下巻(合気武道から親英体道へ
――親英体道秘蔵の貴重フィルムより)

井上義彦 いのうえ よしひこ
昭和3年3月9日、兵庫県生まれ。剣道範士。小学校の頃より剣道をはじめ、神戸市立第一神南商業学校時代に松本敏夫範士九段および喜多川義晃範士の指導を受ける。昭和19年には三重海軍飛行隊に入隊。同20年に復員。同30年より大阪拘置所法務事務官、看守を拝命。このときに西善延範士九段の門下生となる。その後京都拘置所の特別警備隊長を経て、静岡県警察術科指導監として58年まで勤める。現在、静岡県警察名誉師範、静岡県剣道連盟顧問相談役、知恩剣修館館長、焼津市剣道連盟最高顧問、全日本剣道連盟審議員、駿遠三菱自動車販売株式会社取締役。剣道範士八段 。
著書に、『剣道清談』『剣道清談2』『剣道清談3』(体育とスポーツ出版社)、『にっぽん人の心を磨く本』(ベースボール・マガジン社)がある。
『道』155号 会見「『生きる』尊さへの気づきが、武道を命と結びつける」
『道』156号159号 連載「剣と生きる」
オンライン記事 155号 「『生きる』尊さへの気づきが、武道を命と結びつける」

井口 潔 いのくち きよし
医学・理学博士 
1921年、福岡県久留米市生まれ。
旧制福岡高校・九州帝大在学中、国体射撃競技で2年連続全国優勝 
九州大学教授(外科学第二講座)1963〜1985年
九州大学名誉教授 日本外科学会名誉会長 日本学術会議会員(12・13・14期)フランス・アカデミー会員
日本学術振興会井口記念人間科学振興基金運営委員 井口野間病院理事長
「ヒトの教育の会」を立ち上げ現在会長を務める。 勲二等瑞宝章
『道』177号 会見「『ヒト』は教育によって『人間』になる 『科学の光』で照らし出す 日本の伝統教育」
ヒトの教育の会 http://www.hito-kyoiku.com/

今井通子 いまい みちこ
1942年東京都生まれ。東京女子医科大学卒業。登山家。医学博士。 医師となる一方、幼い頃から親に連れられ親しんできた登山を続ける。67年女性パーティーとして欧州アルプス・マッターホルン北壁登攀に初成功。69年アイガー北壁、71年グランドジョラス北壁と、女性初の欧州三大北壁完登者となる。79年ネパールヒマラヤ・ダウラギリの三山登山隊、85年エベレスト中国側チョモランマ峰北壁に挑み、冬季世界最高到達点を記録した隊隊長。87年チョ・オュー峰登頂等、全てに世界初が付く記録。東京農業大学客員教授として環境問題を研究。さらに国内外のトレッキングツアー、講演などをこなす。 著書は『あなたと歩く世界の名峰』(小学館)『マッターホルンの空中トイレ』(中央公論新社)『今井通子―私の北壁 マッターホルン』(日本図書センター)など多数。
『道』189号 対談「自然はいつも教えている  冒険心、探究心、観察力――生き抜く知恵と力を子供たちへ」

今泉鎮夫 いまいずみ しずお
1938(昭和13)年12月13日、東京生まれ。1959年5月、早稲田大学商学部在学中に合気会本部に入門。1965年1月、合気会本部道場指導員となる。盛平翁逝去後、当時師範部長だった藤平光一が開設した『氣の研究会』のメンバーとして、普及指導にも活躍。1974年5月、藤平師範が合気会から独立し、心身統一合氣道を新設すると同時に合気会を辞職。藤平のもとで指導員として国内外で活躍。その後1987年9月、『氣の研究会』を辞職。翌1988年10月、真武道会を設立し、現在に至る。AIKI EXPO 2003参加師範の一人。
『合気ニュース』116号、117号 会見「我が合気道遍歴を語る」
『AIKI EXPO 2003 講習会編2』 (参加師範の一人)

岩井喜代仁 いわい きよひろ
1947年京都府宮津に生まれる。薬物依存者のための民間の社会復帰施設・茨城ダルク「今日一日ハウス」代表。元やくざ組長。28歳から17年間覚せい剤を使い、麻薬の密売人をするが、自身が薬物中毒となり、45歳の時、ダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを2800人以上預かり、共に生きて回復を目指す。施設長としての責務を果たすかたわら、小学校から高校、大学で、講演を行ない、薬物の怖さを訴え続けている。季刊『道』にて連載記事「薬物依存症 ―― 子供たちと共に生きる」を掲載。
『道』153号 会見「今日を精一杯生きてみろ 薬物依存症に苦しむ子供たちと、共に生きる」
『道』154号 対談「今を生き、原点を貫く」
『道』162号 特集「薬物依存からの人間再生」
『道』163号〜 連載「薬物依存症――共に生きる」「今日一日を生きる」
『道』193号 対談「立ちはだかる行政と矛盾の中で取り組む人間再生」
特別講演録『人間と生き様』
対談集『大河にコップ一杯の水 第2集』
『わが魂は仲間とともに』
『薬物依存者とその家族 回復への実践録』
薬物依存者 社会復帰施設・茨城ダルク
http://www004.upp.so-net.ne.jp/i-darc

岩崎雅典 いわさき まさのり
映画監督。1940年秋田県生まれ。1964年、早稲田大学教育学部卒。1970年以降、北斗映画、岩波映画製作所などで主に野生動物の記録映画やテレビ番組の演出に携わる。1981年(株)群像舎を設立、代表となり現在に至る。主な作品は、映画『ニホンザル物語 家族』『イヌワシ 風の砦』、テレビ作品『野生の王国』『生きもの地球紀行』など、多数。
『道』182号 対談「福島 生きものたちの記録 真実に目を向け、伝え続ける」

岩崎靖子 いわさき やすこ
ドキュメンタリー映画監督、映画配給NPO法人ハートオブミラクル代表。 京都府出身。会社員として5年間勤めた後、女優に挑戦し舞台や自主製作映画に出演。その後ドキュメンタリー映画制作に専念する。 主な監督作品は『宇宙との約束』 『僕のうしろに道はできる 〜奇跡が奇跡でなくなる日に向かって〜』(文部科学省特別選定)『日本一幸せな従業員をつくる! 〜ホテルアソシア名古屋ターミナルの挑戦〜』(文部科学省選定)、最新作は2015年8月公開の『大地の花咲き』。、代表となり現在に至る。主な作品は、映画『ニホンザル物語 家族』『イヌワシ 風の砦』、テレビ作品『野生の王国』『生きもの地球紀行』など、多数。
『道』186号 対談「福島 生きものたちの記録 真実に目を向け、伝え続ける」
ハートオブミラクル http://www.heartofmiracle.net

岩田一空斎 いわた いっくうさい
1909(明治42)年7月3日〜2003年1月1日。愛知県に生まれる。本名は一(はじめ)、通称は和也。合気会9段。1930(昭和5)年、東京の目白道場で指導していた植芝盛平翁に入門。日本武道協議会より武道功労者として表彰を受ける。
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』 (1985年の会見を掲載)


【う】
植芝吉祥丸 うえしば きっしょうまる
1921(大正10)年〜1999年。植芝盛平とはつの三男として京都府綾部に生まれる。植芝守央・吉照の父。早稲田大学政経学部政治学科卒業。日本及び海外、特にアメリカとヨーロッパにおける戦後の合気道の発展に貢献した。1969(昭和44)年5月、開祖逝去により合気道二代道主を継承、日本語及び英語の合気道書を数多く執筆した。
『合気ニュース』120号 特集「合気道二代道主植芝吉祥丸氏逝く」
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』
(財)合気会 http://www.aikikai.or.jp

植芝はつ うえしば はつ
1881(明治14)年11月25日〜1969(昭和44)年6月26日。旧姓糸川。1903年頃田辺で植芝盛平と結婚。植芝より2歳年上、姻戚関係で幼馴染の仲であった。植芝との間に4人の子供をもうけた。開祖が他界して2ヶ月後に死去。

植芝守央 うえしば もりてる
1951(昭和26)年4月2日、合気道二代道主植芝吉祥丸の次男として東京に生まれる。植芝盛平の孫。明治学院大学経済学部卒。1985年(財)合気会専務理事、翌86年1月に合気会合気道本部道場長となる。1996年、合気会理事長に就任。1999年1月の二代道主逝去により、道主を継承。国際合気道連盟会長。著書に、『規範合気道基本編』『写真で学ぶ合気道』など多数。
2013年(平成25) 秋の藍綬褒章受章。
『合気ニュース』121号 特別会見「ともに歩む道をつくる」
(財)合気会 http://www.aikikai.or.jp

植芝盛平 うえしば もりへい
1883(明治16)年12月14日〜1969(昭和44)年4月26日。植芝常盛及び植芝守高としても知られている。和歌山県田辺市出身。植芝与六の第四子、長男。合気道開祖。 50余年にも及ぶ武道教授人生の中で何万人という門人を指導をした植芝は、相手を倒すというよりも無闘争の概念を理想とする、倫理的・人間的武道観で知られている。肝臓癌のため東京にて1969年4月26日死去。 ※詳しくは年譜参照
『合気ニュース』130号 特集「岩間と植芝盛平」
『合気ニュース』131号 特集「皇武館道場 第1回」
『合気ニュース』132号 特集「皇武館道場 第2回」
『合気ニュース』135号 特集「田辺と植芝盛平――開祖の青少年時代」
『合気ニュース』142号 特集「開祖の残した合気道――その技と心」
植芝盛平翁・ラジオ会見録
会見集『植芝盛平と合気道』 第1巻第2巻
『植芝盛平と合気道』 第1巻〜6巻
第1巻「合気武道編」  第2巻「武産合気編」  第3巻「米国TV制作編」
第4巻「和合の道編」  第5巻「神業編」  第6巻「合気道の心編」
『合気道クラシックス Vol.1』
『開祖直弟子に見る合気道』

植芝ゆき(旧姓糸川) うえしば ゆき
1850(嘉永3)年10月17日〜1922(大正11)年7月7日。植芝与六の妻、盛平の母。

植芝与六 うえしば よろく
1843(天保14)年11月16日〜1920(大正9年)1月2日。植芝盛平の父。漁業および材木商にたずさわった裕福な地主。1892年より1910年まで田辺および西ノ谷村の村会議員の要職にあった。井上善蔵と共に1917年頃北海道へ息子達を訪ねた。両者は樺戸郡新十津村字ソフチで武田惣角に会い、武田の謝礼録に住所と名前を記している。謝礼録のその記載ページが破損しているので正確な日付は分かっていない。
『合気ニュース』127号 「合気道のもう一人の先駆者・井上要一郎」

上田喜三郎 うえだ きさぶろう
大本教聖師・出口王仁三郎の旧名。

植松努 うえまつ つとむ
1966年、北海道芦別市生まれ。子どものころから紙飛行機が好きで宇宙にあこがれ大学では流体力学を学ぶ。卒業後、名古屋で航空機設計を手がける会社に入社。94年、北海道へ戻り、父親が経営する植松電機入社。99年に植松電機を株式会社に改組し専務取締役に就任。バッテリー式マグネットでトップシェアを獲得。
2006年12月、株式会社カムイスペースワークス(略称/CSW)を設立し、代表取締役に就任。
2007年カムイロケット250sの打ち上げ実験で到達高度3500b達成。
2008年 カムイロケットを1年間で18機打ち上げる。小中学校の工場見学/体験学習業務を本格化し始める。
2009年 宇宙航空研究開発機構(JAXA)と共同で打ち上げ実験を実施する。ものづくり人材育成プロジェクトのための新しい学校施設ARC棟(発展型研究施設)を着工し、2010年ARCプロジェクトを開始。NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC)理事
『道』174号 対談「ロケット開発に込める思い」

宇城憲治 うしろ けんじ
1949年1月15日、宮崎県小林市に生まれる。1967年宮崎大学入学と同時に空手部に入部。最年少で第二回全日本空手道選手権に出場するも競技空手に疑問を感じ、大学卒業後心道会座波仁吉宗家に身近に接し直接指導を受ける。1982年全剣連居合道に入門し50回以上の優勝をかざる。
一方、長年エレクトロニクス分野の第一線でリレー、空調機、有機EL、ビデオムービー、イリジウム衛星携帯電話、二次電池充電器など電源部門の開発者として活躍。特に電源必須の人命保障(感電死)、財産保障(火災)を根底にした百数十項目に及ぶ安全規格取得の必要から世界の安全規格に精通し、そのものの見方、考え方は徹底している。また技術の最先端分野としてNASAやシリコンバレーの企業との共同開発でも多くの成果を残し、その「先を見る姿勢」は経営トップとしても抜擢され活躍する。
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長
1986年 由村電器(株) 技術研究所所長
1991年 同常務取締役
1996年 東軽電工(株) 代表取締役
1997年 加賀コンポーネント(株)代表取締役
2008年 (株)UK実践塾 代表取締役
現在、空手に限らず様々な分野において、国内外で指導を行なっている。
AIKI EXPO 2002、2003、2005参加師範の一人。
創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。
季刊『道』にて毎号、対談記事および連載記事「気づく、気づかせる」を掲載。
どう出版から出版の著書(以下参照)のほかに、『武道の心で日常を生きる』(サンマーク出版)、また宇城師範監修(小林信也著)による『宇城憲治師に学ぶ 心技体の鍛え方』(草思社)、『古伝空手の発想』(光文社新書)もある。
季刊『道』で巻頭対談と連載を毎号掲載。
『武道の原点』(2000年6月刊)
『武術空手の知と実践』(2001年12月刊)
『武術空手への道』(2003年2月刊)
『武術空手の極意・型』(2003年9月刊)
『頭脳から身体脳へ』(2004年10月刊)
『武術を活かす』(2005年12月20日刊)
『空手と気』(2007年7月20日刊)
『大河にコップ一杯の水』(2008年2月6日刊)
『気の開発メソッド 初級編』(2008年5月20日刊)
『Karate and Ki』(英語版 空手と気)(2008年刊)
『気の開発メソッド 中級編』(2009年3月20日刊)
『人間は生まれながらに完成形』(2010年3月18日刊)
『謙虚に生きる』(2010年6月18日刊)
『大河にコップ一杯の水 第2集』(2010年8月4日刊)
『どうする日本!』(2010年9月30日刊)
『人間と気』(2010年12月24日刊)
『子どもにできて 大人にできないこと 』(2011年3月31日刊)
『「気」でよみがえる人間力 』(20121年6月6日刊)
『心と体 つよい子に育てる躾』(2012年11月27日刊)
『気によって解き明かされる 心と身体の神秘』(2013年5月29日刊)
『ゼロと無限』(2014年4月8日刊)
『一人革命』(2015年6月9日刊)
『大河にコップ一杯の水 第3集』(2016年1月28日刊)
『異次元時空を生み出す気と重力』(2016年6月28日刊)
『すべての人に気は満ちている』(2017年4月4日刊)

『武――融合への祭典』
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2005 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2005 講習会編1』
『宇城空手 第1巻』 武術の絶対条件 その1
『宇城空手 第2巻』 武術の絶対条件 その2
『宇城空手 第3巻』 武術の究極・気
『人間の潜在能力・気 第1巻』
『人間の潜在能力・気 第2巻』
『サンチン 上巻』
『サンチン 中巻』
サンチン下巻 『サンチン 下巻』
『宇城憲治 講演・実演録』
『〈宇城道塾教材DVD〉 コロラド合気道合宿 指導の記録』
『〈宇城道塾教材DVD〉 宇城空手 in AIKI EXPO』
『〈宇城道塾教材DVD〉 永遠なる宇城空手』
『 ネパールの神様と呼ばれた 近藤亨先生の偉業をこの目で』

歌田行男 うただ ゆきお
1948年〜。養神館合気道7段。ドーシンカン道場(フィラデルフィア)道場長。1965年、養神館合気道本部道場入門。1972年、デトロイトで合気道指導のため渡米。1974年、フィラデルフィアで養神館合気道道場を設立、同年、テンプル大学の指導陣の一員となる。1991年、ドーシンカン道場を設立。AIKI EXPO 2002参加師範の一人。
『合気ニュース』134号 会見「善の心を生み出す合気道を伝えたい」
『AIKI EXPO 2002 ハイライト版』

浦上博子 うらかみ ひろこ
大正11年生まれ。兵庫県出身。弓道範士九段。神戸女学院専門学校卒業。7歳より父・岡崎清二郎教士七段の手ほどきを受け、結婚後は夫の父・浦上栄範士十段に日置流印西派を学ぶ。全日本弓道連盟審議委員会委員、同指導普及対策委員会委員、女子部委員会委員長、東京都第二地区弓道連盟会長などを歴任。現在は審議委員会委員。著書に『初心者のための弓道』(成美堂出版)『型の完成にむかって』(言叢社)がある。
『道』150号 会見「型で自由になる弓と心」
オンライン記事 150号「型で自由になる弓と心」


【え】
エルナンデス、マヌエル Hernandez,Manuel
修道士 カトリック麹町 聖イグナチオ教会所属。
1931年、スペイン・サラゴサに生まれる。1962年、イエズス会修道士となる。
1955年、来日。日本語学習後、久里浜特別少年院、横浜刑務所鑑別所をはじめとして数々の矯正施設で青少年の更生を助け、アルコール・薬物依存の青少年にも長くかかわってきた。現在は関東医療少年院、愛光女子学園の教誨師、府中刑務所篤志面接委員を務める。長年の功績を認められ、2007年、瑞宝双光章を授与される。
『道』170号 会見「人の幸せこそが生きる喜び 受刑者・収容者に寄り添って50年」
遠藤征四郎 えんどう せいしろう
1942年長野県佐久市生まれ。学習院大学卒。大学時代より合気道を始め、1967年(財)合気会に入会。本部道場師範。合気道8段。合気道佐久道場長。
『合気ニュース』106号 会見記事「心技体一致の道を、ただゆくのみ」
『合気ニュース』141号 グラビア「術と心は車の両輪」合気道佐久道場創立10周年記念演武大会
『道』144号 会見「“道”を求める合気道を」
合気道佐久道場 http://homepage3.nifty.com/aikido_sakudojo/index-j.html



【お】
大倉正之助 おおくら しょうのすけ
大倉流大小鼓15世宗家 故大倉長十郎の長男。9歳で初舞台を踏み、以来能舞台の活動のほか、大鼓ソリストとしての地位を確立。ローマ法王より招聘され、バチカン宮殿内のクリスマスコンサートで演奏するなど、世界各国の式典やイベントで演奏を続け、世界に日本文化を発信し続けている。能楽囃子 大倉流大鼓。重要無形文化財総合認定保持者。
『道』165号 対談「鼓・人・自然の調べ 今に息づかせ、次世代へつなぐ伝統」
公式HP http://www.hiten-jp.com/

大澤喜三郎 おおさわ きさぶろう
1910(明治43)年12月28日〜1991(平成3)年。埼玉県出身。合気会9段。1929(昭和4)年、新宿の柔道の野口道場に入門。4年後には講道館へ。第二次世界大戦前の1943年、皇武館道場に入門。1957年4月合気会師範となる。1986年5月より合気道道主補佐を務めた。日本武道協議会より武道功労者として表彰を受ける。
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』(1975年の会見を掲載)
大沢文夫 おおさわ ふみお
1922年大阪府生まれ。理学博士。
1944年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業。名古屋帝国大学理学部助手。50年に助教授、59年に教授。1961年に理学部付属分子生物学研究施設教授。68年より大阪大学基礎工学部教授を併任。研究テーマは物理学、生命科学の広範囲にわたり、とくに生命現象の機構を解明すべく展開した物理学的方法論は世界的に高い評価を受け、生物物理学の発展に大きく寄与した。
中日文化賞(1963年)、朝日賞(1975年)、藤原賞、紫綬褒章(ともに1985年)、さらに2009年には若手研究者の育成に貢献した、科学研究において優れた指導者に与えられるネイチャーメンター賞を受賞してい。現在、日本学士院会員、名古屋大学名誉教授、大阪大学名誉教授、愛知工業大学客員教授。
『道』180号 会見「生物物理学で追究する『生き物らしさ』 のびのび生きる」

大沢万治 おおさわ まんじ
昭和6年、岩手県岩手中学校入学と共に弓道を始める。岩手県盛岡農林学校獣医学科に入学、弓道部にて指導を受ける。昭和14年 四段允許(大日本武徳会)。昭和18年、一等(五段)(大日本武徳会)。昭和25年 六段位認許(財団法人全日本弓道連盟)。昭和26年岩手県弓道連盟理事に就任。昭和28年 錬士号拝受(財団法人全日本弓道連盟)。昭和32年、教士号拝受(財団法人全日本弓道連盟)。昭和39年、東京オリンピック開催にあたり、弓道デモンストレーションに出場。昭和50年〜岩手県弓道連盟会長に就任、現在に至る。昭和51年、範士号授与(財団法人全日本弓道連盟)。昭和59年、財団法人全日本弓道連盟理事に就任(至 平成14年5月)。平成8年、財団法人全日本弓道連盟副会長に就任(至 平成14年5月)。平成13年、十段位認許(財団法人全日本弓道連盟)。
平成15年、財団法人全日本弓道連盟顧問に就任。国内の各種講習会講師、及び審査会の審査委員として活動。また、諸外国においてもイギリス、フランス、スイス等、各国で実施された弓道セミナーの講師として渡欧。弓道範士十段
『道』144号 会見「阿波研造範士の教え 正しきを求めて」
オンライン記事 『道』144号 会見「阿波研造範士の教え 正しきを求めて」
大島 貴美子 おおしま きみこ
1947年長野県川中島生まれ。上智社会福祉専修学校卒。 行き場のない乳児を預かり、自宅を開放し保育を始める。 40年間無認可保育園を貫いてきたが、2017年7月行政の方針転換に応じ認可保育園となる。愛称は「みこべ」。
『道』194号 会見「自然の中でのびのび育つ子供たち」
麦っ子畑保育園 http://www.mugikko.org

大塚 貢 おおつか みつぐ
昭和11年(1936)長野県生まれ。信州大学卒業後、中学校教員を経て、東京都内で会社員生活を送る。その後、長野に戻り、県教育委員会指導主事、中学校教頭を経て、平成4年から校長に。9年、旧真田町教育長就任。市町村合併後、18年より上田市教育委員長。19年、退任後、現在は教育・食育アドバイザーとして活躍。
『道』158号 会見「人間をつくる 食の力」

岡田武史 おかだ たけし
1956年、大阪府生まれ。高校・大学時代に日本代表で脚光を浴び、早稲田大学卒業と同時に古河電工に入社、頭脳派のディフェンダーとして活躍。1990年、現役引退し、1994年から約4年間日本代表コーチ・監督を務め、1998年フランスW杯予選途中から本大会まで指揮を執る。その後コンサドーレ札幌、横浜F・マリノス監督を経て、2007年末、急病のオシム監督に代わり日本代表監督に復帰。2010年、W杯南アフリカ大会においてベスト16入りを果たし、監督退任。7月に(財)日本サッカー協会理事に就任。サッカー日本代表 前監督。
『道』166号 対談「目覚めよ日本人の底力!」
緒方孝市 おがた こういち
1968年佐賀県鳥栖市出身。元プロ野球選手(外野手)。現広島東洋カープ監督。鳥栖高校を卒業後、ドラフト3位で広島東洋カープに入団。走攻守の三拍子揃った選手として活躍し、現役選手として22年間にわたり、盗塁王やゴールデングラブ賞など数々のタイトルを獲得。2015年から広島東洋カープ監督となり、2016年、チームを25年ぶりのリーグ優勝に導いた。
『道』191号 対談「勝ちは希望を与え 負けは人間を強くする」
岡田守弘(本名 信也)
昭和3年、東京府下〔今の江戸川区〕に生まれる。東京府立第三中学校、横浜専門学校、神奈川大学外国貿易専修(学士)。昭和26年頃より合気道を始める。 平成6年、合気道5段位取得。
『合気ニュース』139号会見「正食(マクロビオティック)と合気道を日々の支えとして」
岡野弘彦 おかの ひろひこ
歌人。国學学院大學名誉教授。宮内庁御用掛。大正13年、三重県生まれ。神宮皇學館普通科を経て国學院大學国文科に進み、折口信夫の家にあって7年間教えを受ける。研究分野は和歌史、古代学。歌集に『滄浪歌』『天の鶴群』『バグダッド燃ゆ』などがある。
『道』152号 会見「伊勢に伝わる人と伝統 日本古来の「心」を求めて」

岡本正剛 おかもと せいごう
1925年、北海道夕張市生まれ。1963年、堀川幸道に師事。1974年、七段取得。1977年に東京へ移住し、1978年免許。堀川師範の他界後、大東流合気柔術六方会を設立し、国内外で後進の指導に活躍中である。
『合気ニュース』122号 会見「今後も自然体で岡本大東流合気柔術を伝えていきたい」
会見集『改訂版 武田惣角と大東流合気柔術』(1989年会見記事掲載)

小川三夫 おがわ みつお
昭和22(1947)年、栃木県矢板市に生まれる。宮大工 棟梁。高校生のときに修学旅行で法隆寺を見て感激し、宮大工を志す。21歳のときに法隆寺宮大工の西岡常一棟梁に入門し、唯一の内弟子となる。法輪寺三重塔、薬師寺西塔、金堂の再建では副棟梁を務める。昭和52年に独自の徒弟制度による寺社建築会社「鵤工舎」を設立。平成15年、「現代の名工」に選ばれる。平成19年、設立三十周年を機に棟梁の地位を後進に譲る。
著書に、『棟梁』(文藝春秋)、『木のいのち木のこころ〈地〉』(草思社)、『鵤工舎の仕事 ― 長泉寺建立記』(文藝春秋 塩野米松著)などがある。
『道』167号 対談「身体で気づき 心で学べ 執念のものづくり」

奥村繁信 おくむら しげのぶ
1922〜2008年。合気会9段。北海道小樽市出身。戦前、満州で富木謙治のもとで合気道を始める。戦後の合気道発展に重要な位置を占める。満州建国大学経済学部卒。税理士。前日本合気道連盟理事長。著書に『合気道』(日東社刊)がある。
『合気ニュース』120号 会見「現代と合気道」
『合気ニュース』132号 会見「ナンバーワンではなくオンリーワンを目指す」
『道』151号 会見「道からはずれた現代教育の再生に向けて
―― これからの君たちに託すもの」
『道』152号〜157号 連載「失われた日本人の美徳」
『道』159号 追悼記事
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』(1983年の会見を掲載)
オンライン記事 『道』151号 会見「道からはずれた現代教育の再生に向けて」
尾坐原實雄 おざはら じつお
昭和元(1926)年生まれ、鹿児島県出身。剣道範士八段。25歳で自衛隊に入り、転勤で長崎をはじめ各地を転々とし、昭和42年に現在の茨城県に転属と同時に若葉会道場に入門。初代館長のあとを継ぎ二代館長就任、ひたちなか市唯一の剣道専門道場として指導にあたる。(財)全日本剣道道場連盟副会長、茨城県剣道連盟相談役、茨城県剣道道場連盟名誉会長、茨城県ひたちなか地区剣道連盟名誉会長。(財)勝田若葉会名誉館長。 (財)勝田若葉会名誉館長。 剣道範士八段。
『道』157号 会見「弱い自分に勝て 剣道で子供たちに伝えたいこと」

オブライエン、リアム O'Brien,Liam
昭和21年4月、イギリスに生まれる。昭和45年、オイゲン・へリゲル著の『弓と禅』を読んだことが日本との出合いとなる。昭和46年、来日。昭和47年1月、弓道入門(東京)同年8月、鎌倉弓友会に入会 武田行雄範士の指導を受ける。昭和49年6月、弓道四段認許。9 月、帰英。ロンドンで弓道グループを結成。昭和59年9月、再来日。兵庫県芦屋弓道協会に入門。竹内修範士に師事、修練を続ける。平成3年10月、帰英。ロンドン弓道協会を結成。弓道教士七段。国際弓道連盟副会長。英国弓道連盟会長。平成27(2015)年9月、逝去。
『道』153号 会見「弱い自分に勝て 剣道で子供たちに伝えたいこと」
オンライ記事 153号「弱い自分に勝て 剣道で子供たちに伝えたいこと」

小野田寛郎 おのだ ひろお
大正11年3月和歌山県生まれ。昭和14年、旧制海南中学卒業後、商社員として中国へ。昭和17年和歌山歩兵第61連帯に入隊。昭和19年1月、久留米第一予備士官学校、同年9月より陸軍中野学校二俣分校での訓練ののちフィリピンに派遣される。ルバング島では遊撃指揮・残置諜者の任務を遂行、以来30年間、任務解除命令を受けられぬまま戦闘を続行した。昭和49年に鈴木紀夫氏と遭遇し、同年3月、日本に帰還。翌年春には、ブラジルに渡り、牧場を開拓。昭和59年からは、ルバング島での経験を生かして、青少年育成を目的に「小野田自然塾」を開く。現在、年に3ヶ月間ブラジルに滞在する以外は、日本に滞在し、自然塾での活動とともに、日本各地で多くの講演活動を行なっている。
『道』155号 対談「人間、一人では生きられない「生き抜いた命」
―― 覚悟して生きる
対談集『大河にコップ一杯の水 第2集』
折田克子 おりた かつこ
現代舞踊家 石井みどりの娘として生まれる。 11歳で第一回個人リサイタルを日比谷公会堂にて開催。以後、石井みどり舞踊団スターとして活躍。全国舞踊コンクールにて文部大臣賞を3度受賞。1961年、モダンダンス初の芸術祭にて個人演技賞受賞。活動は、舞踊界のみにとどまらず、音楽、演劇関係においても精力的で、欧米、アジア、中近東、東欧など、世界各地で公演。各コンクール審査員を務める。2003年、紫綬褒章受章、2009年、旭日小綬章受章。(社)現代舞踊協会常務理事。 石井みどり、折田克子舞踊研究所主宰
『道』165号 会見「感じて動く 日本人の感性を踊りに込めて」

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