2017年 東京初級(後期) 第5回 (2017.11.7)

道塾に通う意義というものを再確認できた        東京 作業療法士 45歳 男性 YI

 今回は、初参加者の方が多くお見えになったこともあり、塾長からも、今までの内容を要点をピックアップして全体がつながるようにわかりやすくお話しいただいたように感じました。改めて、この道塾に通う意義というものを再確認できた一日でした。

 今、初球の段階で具体的に、日々心掛けることができるものといえば、「気づいたら行動している」という身体を、たとえば以下のようなことについて実践することです。

・ごみがあったら、考える前に拾っている
・知人と顔を合わせたら、考える前に礼をしている
・電車でお年寄りや体の不自由な方がいれば、考える前に席を譲っている
・困っていそうな人を見かけたら、考える前に「どうかしましたか、大丈夫ですか」と声をかけている

 これらが、いかに意味のあることかということを、回を追うごとに納得できるようになりました。
 細胞の動くスピードと意識のスピードには圧倒的な隔たりがあり、細胞のスピードで行動しなければ、人はついてこないし世の中に影響力を及ぼすこともできない。 では、意識で細胞を動かせないのだとすれば、どうすれば動かせるようになるのか、といえば、すべては上記のような考える前に動いているという身体を身つけることだし、しかもそれは、困っている人を助ける、人に敬意を払うといった、広くとらえれば「愛」に通じるやり方で実践されるのでなければならない。そうすれば、阿頼耶識が変化していき、細胞が勝手にいい方向へと動いてくれるようになるというトレーニングを、我々は日々課せられているのだと考えています。

 今、改めて、これまでの人生では知ることのできなかった日本的な意味での「愛」というものに触れているのだという感動があります。実際、このような「愛」の概念を説明ではなく、気の実践によって肌で感じさせていただくことで日常でこれまで常に抱えていた精神的不安が薄らいできているのを感じられるまでになりました。
 たった10回程度、しかも1回2時間程度の講義と実践でここまで変化を感じられるというのは夢にも思っていませんでした。ましてや、私は東大(というより、東大に合格するに至るまでの小中高の教育課程で)完全に毒されてしまっている人間なので、なおさら難しいとは思っていたのですが有難いことです。

 気を受信するための回路をつくらなくてはならないという意味でいえば私はまだまだだと思います。できれば、この歳からでも、子供に比べれば圧倒的に時間がかかってしまうでしょうが少しずつ回路ができていくことを今は信じて頑張りたいと思います。早く、周りの人たちにいい影響を与えられる存在になりたいと強く願っております。

 このような教育の場を提供してくださっている宇城塾長に対してはもちろんのこと、サポートのスタッフの皆様にも心より感謝しております。

 

理屈や意識的な努力ではどうにもならないことが、「気」によって可能になる
                                                                                    東京 作業療法士 45歳 男性 YI

 相手に両腕で締め付けられた時に感じた内に籠る力。それを意識的な努力で解放しようとしてもできず、「気」によって楽に解放できる。動かせなかった腕を楽に動かせる…。内に籠って心身共に硬くなり、自由を失い、閉塞感を抱きがちな自分にとって、印象的な体験でした。理屈や意識的な努力ではどうにもならないことが、「気」によって可能になること、その体験を積み重ねることで少しずつでも心と身体が変化するのを見守っていくことが大切なのだと感じました。貴重な気付きを有難うございました。