2015年 東京初級(後期) 第5回 (2015.11.17)

真の人と人とのつながり。まさしく、これが本物の強さ   千葉 会社員 男性 47歳 TS

 先週末、一国の首都において組織的テロにより、多くの人命が失われるという痛ましい事態が発生しました。平和的世界の創造への希望が失われてしまうかのように、またしても世界が恐怖と不安に満たされてしまいました。未だ世界がその混乱の中にある今週の火曜日、日本の首都東京において、道塾の初級講義が行なわれました。  
 今回の事態に対して「これはさすがに一人の力ではどうにもならない。とにかく人の連帯が大切だ」くらいにしか考えられなかった私は、今回衝撃的な実証を体験させていただくことになりました。  

 最初に立ち姿勢で向かい合った2人がお互いの肩をつかんで組み、もう1人(今回は私)がそれを押すというもので、2人が対立したときよりも調和したときの力の方がはるかに強いことがまず実証されました。これで充分に納得したつもりの私は、続く実証で更なる衝撃を受けることになります。  
 今度は、先程の2人に手の下に1人が正座します。すると、立っている2人が調和すると、その2人はもちろん正座した人も強くなったのです。そして更に、正座したした1人が気を通されて調和の心になると、その場の3人が強くなりました。周りに一切触れてもいない、たった一人の力で! 一人革命における本当の個人の力。口先だけでない、真の人と人とのつながり。まさしく、これが本物の強さなのだと改めて思い知らされました。  

 個々の人間。その人間のつくる社会。その社会が国家となり、国際社会となる。それら数多くの社会が生かされている地球。そしてこの惑星が存在している未知なる大宇宙。…あまりに規模の大きな世界に呆然としてしまいそうな私は、先生のお言葉で我に帰ることができます。「己が内なる宇宙を見よ」と。  

 私の約60兆個の細胞から成る宇宙が、母なる地球を包む宇宙とつながっている事に思いを馳せつつ、これからも感謝の気持ちを忘れず、謙虚に学ばせていただきたいと思います。

 

絶対不変の真理があり、真実は一つであることを強く感じた   東京 生活支援員 女性 32歳 ES

 大宇宙と小宇宙の話を聞いていて、高校時代の校長先生が「宇宙には行けないけど、宇宙を感じたければ内面を見なさい」と教えてくれたのを思い出しました。  

 まず、絶対に外にはない。お金や名誉など、欲望(外)に向かい続ければ、益々宇宙は感じられなくなると言っていたと思います。そして私達の内面は宇宙と同じくらい壮大な広がりがあるのだとも言っていました。宇宙に興味がなかった私も、その言葉で宇宙や私という人間に関心が向いた事を思い出しました。  
 そして高校三年生の受験という時期においては、あなたの本当の願いは何ですかと、一年間通し授業の中で問い続け、そして学校生活最後の試験として、私達に返答を求めて下さった方でもありました。  

 サムシンググレートの存在を示し、そして内なる私の存在を忘れさせないようにして下さったのだと、改めて、その有り難さを知りました。 社会人になって唯一会いに行った先生でしたが、また会いに行って、宇城先生の下で学ばせて頂いていることを伝えたくなりました。絶対不変の真理があり、真実は一つであること。その事を今回強く感じました。  

 また、テーブルを持ち上げられなくなる検証では、時間の速さの違いとのことでした。 すごく気になり、私の頭の中に何か手がかりがないものかと、色々思い巡らせてしまいます。  
 やはり理解はできませんでしたが、これまで宇城先生が示し続けて下さっている様々なエネルギーの作用、心を根源とした調和のエネルギー、その圧倒的な力と速さの違い、そして宇宙空間では調和を保ちながら様々なエネルギーが物凄いスピードで作用していること。そしてその様々な作用により、何億年もかけて様々なものが創り出されてきたこと。その一つに、地球の誕生があり、そして生命の誕生、その延長上に人間があるのだと思い出していると、人間は宇宙の創造物であるのだという説明にいつの間にか辿り着いており、その部分体らしい理解の遅さを痛感した瞬間でもあるのですが、遅ればせながら気づけた喜びで胸がワクワク致しました。実感はないですが、 一気に私の関心が未知なる世界へと向かいます。  

 人間は宇宙の創造物であるからこそ、創造を繰り返し進み続けることが、宇宙の働きに適う在り方であり、そしてその創造を繰り返すには、調和できない根源となる欲や我があっては、いつも体験させて頂いている通り、何があっても絶対に不可能である。だから、内なる闘い、宇宙を感じるには内面を見ないと始まらないのだと、私の中で色々な事が繋がっていきました。  

 歩みののろい学びに恐縮致しますが、少しずつながら思いは深くなり、視野が拡がっていきます。強く、そして自由になっていきます。  

 いつの間にか、山や空を見る事が増えたように思います。何故、山はこんなに大きいのだろう。何十年前には、ここにはどんな人が住んでいたのだろう、あの人は大丈夫だろうかなど、色々なことに思いを馳せる事が増えました。  

 人間らしさ、血が通った人間らしい感情を、私は少しずつ取り戻させて頂いているのだと感じております。 とりとめのない感想を長々と申し訳ありません。そして、本当にありがとうございます。  
 今後とも厳しいご指導を賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。

 

本当に気の力は計り知れない   埼玉 自営業 女性 37歳 MT

 毎回いろんな気付きがあり、勉強になっています。

 今回見せて頂いた中では、腕を組んだ二人が、気が通って調和すると組んだ腕を外しても強くなること改めて、気の力の大きさを知りました。
 それでも、まだ気の力の一部に過ぎないのだと思います。本当に気の力は計り知れないです。

 それから一直線上を走ってきた人を避けるのに気がとおっていないと、明らかに対立の避け方でした。避けようとするのは同じ気持ちなのに、その事にとらわれた 二人の向かっている方向が違っている。ぶつかる、ぶつからないという事柄にとらわれて、先が見えていないからなのだと思います。
 お互いの体が不安定に見えました。 気がとおっていると調和しているから、ぶつかる、ぶつからないという事柄の狭い視野ではなく、まるでどこに向かおうと、スーッと導かれるように体が向き、しかもお互いの体はぶれません。

 バーチャルな頭の理解での言葉の発信は、口先だけになるから浅く、深みが無い。何十人どころか、目の前の一人さえも惹き付けることができません。そこで殻に閉じこもり孤立する。そこから脱出するには、やはり自分自身が何かに気付いて切り開くしかないのだと思います。

 相手を押し込めるのではなく、心地よく導く。確かにそこには優劣は無いと思います。優劣や勝ち負けで考えた時点でゴールがそこにしかなくなり、益々視野が狭くなります。機械に支配されると、益々そんな癖がついてしまうのだと、もっともっと気付かなければならないのだと思います。

 私たち人間には心があるのだから。調和することの大切さや喜びをもっともっと敏感に感じとらなければいけない、まだまだ自分には足りないと思った道塾でした。
 後期も残すところ、あと一回ですが、宜しくお願い致します。