2015年 東京初級(後期) 第2回 (2015.8.18)

「ピンチはチャンスではない」という話は印象的でした   千葉 学生 男性 24歳 PF

 今回の宇城先生のお話で僕がとても印象的であったことは、「ピンチはチャンスではない」という話です。ピンチがチャンスになりうるのは平和ボケのうち。このことを聞いて、私が普段生きている環境は、平和ボケの中であることを確認しました。

 また、村上和夫先生の著書のお話をもって宇城先生が説明して下さいましたが、宇城先生がいつも私たち道塾生に講義して下さるとき、ナイトサイエンスの領域のことをどうにか工夫してデイサイエンスの形に近づけて表現できるようにしていたのだと思いました。それだけ我々は、本当は存在するナイトサイエンスの領域を無視して生きているのだと思いました。
 宇城先生は、ナイトサイエンスを超えたところに気の世界が存在すると言っていましたが、宇城先生はとんでもなく多くのことを感じながら日々生活されている、と改めて思いました。

 講義の最後に、我々道塾生が道塾に来ることは、宇城先生が実演して下さることと同じことができるようになることに繋がっていくのではなく、我々がそれぞれの生活の中で、現在いる段階より少し上の段階にステップアップすることに繋がっていくのだという話をして下さいました。
 このことを聞いて、私は、いきなり遠くにたどり着くことを目指すのではなく、日々歩み続けていき、そうすれば少しずつ飛び越えらる段差や壁が増えていくのだと思いました。
 私は、本当にピンチな状態である今日の状況を把握するための勉強をしていくことと、自分の目の前のハードルを少しずつ飛び越えていくことはかけ離れたことではないのだと思いました。これからは両者の勉強と行動に取り組んでいきたいです。 この度はとても貴重な講義をありがとうございました。

 

体で感じて学ぶ驚きと感動を覚えた   千葉 公務員 男性 47歳 TS

 今回の道塾での最初の実証は、私が検証させていただいたので、言葉では完全には理解できない、体で感じて学ぶ驚きと感動を覚えました。

 それは、野球のボールを力で扱うのと、「気」で扱うことがどれだけ違うかというものでした。
 驚くことにボールは力を込めて握らなくても、気を使えば「しっかり」と持つことができ、しかも扱いも楽にできます。更に、筋力が邪魔しないせいか、自由に、しかも強く投げることができます。
 現在のスポーツのように腕力や握力を鍛えなくてもいいのです。

 実は私は野球が好きで、子供の頃は草野球くらいはよくやりました。しかし、中学・高校の部活をやるとなると、体格、体力は平均以下で、上下関係やしごきなどが怖くて、結局スポーツは出来ませんでした。これがどんなコンプレックスになるか、普通の人には想像してもらうことは不可能だと思います。 しかし、私のような臆病とは正反対の道を極められた先生には、このことが分かっていただけているものと確信しました。

 今回、講義中に先生は、「努力と犠牲を強いるような日本の部活動は異常だ。世界に例がない。スポーツでは心が育たないのだ」とおっしゃいました。
 真の教育者、真の人生の師の言葉。私が子供の時に、このような指導、教育を受けていればと悔しい思いがしますが、過去は変わりません。
 素晴らしいことに、先生が親子塾を立ち上げられたことを知りました。先生の道塾の力で多くの子供たちが救われる。未来が明るくなる。私の期待は多くの人々の幸せに通じるものと思います。

 今まで劣等感の塊だった私ですが、少々の尊大な言い方をさせていただければ、私には、世の中に私と同じように間違った指導、教育を素直に信じてしまい、受験勉強やスポーツの成績が優劣を決めるなどと言われて様々なものを見失っている子供たちに「気」の存在、「心」の重要性、真の人間をつくるものを教えてあげられる素質(未だ覚悟ではなく)があるのではないかとさえ思えてきました。
 そのためには、「一人革命」です。
 この実践は人それぞれでしょうが、私にとっては道塾での教えを素直に謙虚に自分のものとし、そこから繋がる自分の思いを人々に伝えるために行動することだと思います。
 過去にとらわれず、未来を考えすぎない。そして、「現在」でもない「今」をしっかりと生きて行こうと思います。
 今回も大きな大きな貴重なご指導をいただき、ありがとうございました。

 

回を重ねるごとに理解が深まり、点が線でつながってきた   静岡 教諭 男性 41歳 ST

 回を重ねるごとに「あの時宇城先生が言われたことはこういう事だったのか」と理解が深まり、また、私の頭の中ではバラバラの点であったものが線でつながるようになってきました。

 今回の講義で聞いた「戦争を経験した人は『戦争反対』と言う。だから語り部に語ってもらうことや映像を見せることは非常に大切だ。」というお話が、常々先生が言っておられる「指導者が間違えると大変なことになる。」と結びつきました。

 私は生徒を修学旅行に連れていった経験が今までに2度あります。いずれの際も「他は適当でもいいから、平和学習に関するところだけはしっかりと見て来なさい」と指導してきました。他の教師よりも力を入れていたつもりでした。
 しかし今回のお話を聞き、「果して真剣に戦争の事を考えた生徒がいただろうか。いや、その場限りの学習になっていたに違いない。」と気づいたのです。
 今年の秋、3度目の修学旅行があります。行先は鹿児島(知覧その他)、長崎。
 今回は入念な準備をし、失敗を繰り返すまいと思っております。

 先日、1学期に行なったハイパーQUというアンケートの結果が返ってきました。これは生徒一人一人にマークシート方式で質問をし、学級集団及び集団における各生徒の様子を測るものです。
 昨年まで、私のクラスは「規律が保たれている。ただし、それは上から押さえつけられてのものであり、不安定である。」という評価であることが常でした。
 ところが今年は「無理なくしっかりとルールが定着している。人間関係は親和的に形成されて生徒同士の支え合いが生まれ・・・」という評価に変わりました。
 1年間道塾に通わせていただいたおかげです。以前の「俺の話を聞け」というスタンスから変わることができました。そして「こんなアンケートごときで何がわかる」という傲慢な考えも改めることができました。ご指導ありがとうございました。

 

見返りを求めずに人の喜ぶことをしていきたい   東京 自営業 男性 23歳 YA

 今回で2回目の参加をさせて頂きました。
 今回で1番強く感じた事、また強く心に残ったことは、歴史を学ばなければいけない。と言うことです。
 今回は原爆の事について強くお話して頂きましたが、世間で出回っている常識的な歴史が如何に間違いだらけであるか、ということが凄く良くわかりました。
 この世界で生きていくなかで真実を知り、またその真実を伝えていくことが世の中に起きた繰り返してはいけない出来事を断ち切る事に繋がるのだと感じました。 

 気の力を体験させて頂いたときは前回と同様に信じられませんでした。
 宇城先生が目の前の空気を無くした時は腰回りに力が入らなくなり正座をしてペアの人に上から抑えられているにもかかわらず気を通されると立ち上がれる様になりました。
 先生が口にしている「重さなどは関係無い」と言っている事が身を持って体験できました。 

 人が喜ぶ事をする、と宇城先生は仰っています。
 僕は今までも人の喜ぶ事をして生きて来たつもりだったのですが、今までは見返りを求めて人の喜ぶ事をしていたと感じます。上手く言葉に出来ないのですが、見返りを求めずに無意識でそれが出来る様になりたいです。
 日々全てのものに愛を持って接する事を心がけていきます。

 

日々に感謝して、調和や愛を基準に、生きていきたい   東京 団体職員 男性 33歳 KS

 今回考えさせられたことは、”私たちは何のために生まれたのか?”
先生からまず戦争についての話がありました。
私たちは、人を殺すために、自分だけ贅沢暮らしをしたくて、生まれてきたのか? 
きっと、そうではないと思います。

 先生の話や「気」についての実践を体験させていただいていると、調和や愛、真心、統一体、という言葉を何度も繰り返し耳にします。
 また、今回の最後に、生き方について、「人(みんな)を喜ばすことは実践して間違いない」とおっしゃていました。
 私は、今回の道塾の受講を踏まえ、「何のために生まれてきたのか?」という自分への問に、人生を、ワクワク楽しみにながら、愛や調和を体験したい、そして人を喜ばせたいと、そう想って生まれてきたのではないかと感じました。
 先生は、「人間の神秘、素晴らしさや可能性、また、私たちは見えない何かに生かされている」ということを、話してくれました。 だからこそ、日々に感謝して、調和や愛を基準に、生きていきたいと今回特に感じました。

 私は、11月に父になります。いつか、これから生まれてくる子どもたちに対して、「地球は美しく、素晴らしくて楽しいよ、戦争や貧困もなくて、みんな文化や考え方、見た目も違うけど、人々、それに生き物、や自然が調和し愛溢れる世の中なんだよ」と声をかけれる。そんな自分を道塾を通して、創造していけたらと思います。