2018年 仙台 第3回 (2018.7.8)

道塾での講義と実践は、科学の理論と実証との相似を
気という心に関わる世界において見せている
        宮城 非常勤職員 61歳 男性 HK

  講義では気の世界と科学との関連が一つのテーマとなりました。科学で語られてきた対象はこれまで主に物質についてでした。精神性のようなスピリチュアルな面は科学では語れないとされてきました。オウム事件が示すように偏ったスピリチュアル側から綴られた科学はその本質をゆがませ悲劇を生んでしまいます。先生は気の根幹ともなっている心の部分、精神的なところと物質としての身体のつながりを科学側の言葉で語れるようにすることの大切さを言われました。それはオウムのような偏った精神世界と気は対極にあることを示すことにもつながると。科学における一つの基はその実証性ですが、先生の体現する気の世界は身体を使った実践を基本としています。道塾での講義と実践は、科学の理論と実証との相似を気という心に関わる世界において見せているように思います。

 両肩を両側からそれぞれ二人がかりで押さえられその状態で身体をスクワットの様に屈伸させる実技。気が通らないとまるで重力が倍増したかのような抵抗感に膝を曲げた状態から伸ばそうにもの伸ばせません。気を通されると自在に身体を上下に屈伸できます。両側の4人は一生懸命押さえつけようとしながらも逆に私の動きに同調しているかのように上下に振られてしまいます。その時は自分が鳥の様に大空を重力や空気抵抗をものともせず自由に羽ばたいているような感じがします。自分の身体を使うことで気による身体の変化を直接的に感じることができます。そして併せてその際に感じる心の部分、すなわち気が通った瞬間にこれは自在に動けるという確信のような気持ちが生まれるのですが、そのような心の部分が気と密接にかかわっていることも実証されます。そういう気が通った時の状態を感じること、感じられるようになることが大切だと先生は言われました。それは感じるものであって説明されるものではありません。人間だけではなくおそらく生命を持つものだけがそれを感じることができるのだろう思います。決してAIではその感じを捉えることはできないでしょう。

 道塾では気が通った状態とそうでない状態を交互に体験します。それは生活の場ではなかなか味わえない稀有な状況でもあります。その分緊張感をもって集中した意識で参加しなければならないという気持ちが自分の中での道塾の位置付けとしてありました。しかし、じつはそういう場を楽しむ姿勢というのもとても大切なことだということに今回改めて気付かせていただきました。その楽しさは身体に気が通ること自体の楽しい部分でもありますが、もっと自分の中の深い部分で楽しめるようにすることがさらにこれから大切になってくるのではないかと思いました。先生が一人で多くの塾生に腕を掴まれながらも気によって全員を振り回してしまう、その振り回されることの楽しさを味わいながらも、そのこれからの大切さの意味を考えていました。今回もご指導ありがとうございました。