2015年 仙台 第1回 (2015.2.08)

わかるということのレベルの違いが感じられた実技でした   宮城 会社員 男性 58歳 HK 

 一人が多人数と腕相撲祖する実技。力でやろうとしても、ひとりの側のほうはとても多人数側に対抗することはできません。周りで見ていてもああ無理そうだなとわかります。そして周りから見ていて無理とわかるのと、実際に参加して無理とわかるのではその質が違います。わかる深さが違うということ。すなわち身体でわかるということです。そういうわかるということのレベルの違いが感じられた実技でした。これを別な視点で考えると、力で対抗しようとしている人の行為は多人数側から見ると確信をもって無理だとわかります。その確信は先が見えるということでもあります。見えるからこそ、見えている側にとっては自信につながります。人生一寸先は闇ともいいますが、それは頭で考えている場合で、身体で感じれば未来が見えてくる。それが今を広げるということなのかもしれないと思いました。そして、その広げることによって、ではどうするという次の行動につながっていくのだと思います。

 今回、道塾に初めて参加した女性が腕相撲の一人側になりました。もちろん常識的には女性の力では多人数のそれも男性をとても倒せるものではありません。しかし先生に気を通されると倒せるのです。多人数側は女性のか弱い力はもちろん脅威には感じません。しかし気が通ることによって別の次元の力、気のエネルギーのようなものを感じたかのような反応をします。女性に気が通ったことによって、それまで余裕の表情だった男性たちの表情が変わることでわかります。この気の力、気が通った身体から発せられる常識からは考えられない力、これはなにか人間のなかに生じているまだ科学ではうまく説明できない別の次元の力なのではないかと、その事実を前にすれば素直に考えてしまいます。
 先生が言われた「この多人数側が地球の土であれば、耕作者がその土地に対して取り組む姿勢、心構えがおざなりだとその土からじっと見られて、結果として見透かされあなたには無理ですよと分かってしまう。」。この言葉からは、わかるということが持っている意味の広さ、深さが感じられました。人対人だけでなく、自然対人も、そしてたぶん技術対人のような関係にも言えるのでしょう。あることに全身全霊をかけて対峙する人にとって、自然なり技術はその果実を最終的にはその人にもたらす気がします。それは例えば奇跡のリンゴの木村秋則さんなど、古今東西、歴史が証明しているところでもあると思います。

 私たちは日頃どうしても常識に囚われた力の世界で物事を見てしまいがちです。そしてそのような常識の力の先には、力を力で抑えるという争いの世界、そしてさらにその世界の悪循環が起こす地球レベルでの現象が、“イスラム国”やウクライナ問題、そして原発や核兵器などの核の問題があるのだと思います。
 地球とつながるということを先生は言われます。つながるということの意味をなかなかつかめないでいたのですが、このような次元の違う力、エネルギーを目の当たりにすると、そのつながりが気という作用を通して行われていることを素直に受け入れることが必要なのだと改めて気づかされました。地球の上に生きている人間が、地球とのつながりを少しでも意識し身体でわかることができれば、今の囚われた力の世界を脱することができるのではないかと感じた道塾でした。ありがとうございました。

 

師がいることの大切さを身に染みて感じました   宮城 公務員 男性 40歳 MW 

 先生ご指導有難うございました。今回のご指導では、部分体=過去、居着き、とらわれ、統一体=未来、先、速さというものを、先生のお話をはじめてとしてまざまざと感じました。
 特に、身体による実践では、我々がとらわれている部分を今一度教えて下さいました。あいさつで強くなる、礼で強くなる、前から押されたときに後ろに隙が出来るということはこれまでも先生の教えていただいた事ですが、前から押されて簡単に後ろに隙が出来てしまうところは改善できておらず、自分自身何をしていたのだろうかと感じました。自分自身の実践の足りなさを感じました。
 そして、何よりも恐いと感じたのは“知った気になること”でした。これは先生とのお話の中でまず気付かせていただきましたが、物事の本質を捉えず、やった気になる、それで何か安心している自分がある、稽古と実践の足りなさだと感じました。今回のご指導での体の実践のなかでそれを改めて感じました。
 先生の身体に触れさせていただき、気による身体の変化を皆が感じましたが、百見は一触にしかず、全く次元が違うと感じました。先生の教えを実践していれば、人生の中で先生の姿を自らに投影し足りないところを直し実践を重ね、少しであっても先生の姿に近づける。師がいることの大切さを身に染みて感じました。
 私は、今回横着が出始める寸前で直していただき、自らの足りなさを大いに知ることが出来ました。さらに、「心」という言葉が持つ意味から、日本人のDNAに刻まれたものを教えていただきました。LOVEと愛の違い。「心」が入っているかどうか。私の身体にも宿っている力を信じ、実践を続けます。やった気になるのではなく、行動でどう実践し示していくか。先生にこれまで教わってきた当たり前のことが、本当にできていたのか、未熟さを改めて教えていただいたからこそ、やりぬく。先生、今後ともご指導何卒よろしくお願い申し上げます。

 

心を起点にし行動することが大切だと学びました   宮城  会社員 男性 38歳 TS 

 全体を通して、統一体(無意識)と部分体(意識)との違いを様々な事例にて、体験させて頂きました。宇城先生に気を通して頂くと統一体になり、普段、部分体の時の身体とは、比較できない位の身体能力を発揮している自分。部分体は頭脳で考え、筋肉を使い呼吸が止まった状態、対する統一体は心で行動し細胞で動き、呼吸が止まらない状態。損得などを考えずに、心を起点にして行動することが大切だという事を学びました。
 統一体になった時は、相手と調和し簡単に投げることが出来る。しかし、部分体になった瞬間に相手と衝突し投げるどころか居ついてしまう。統一体で生きることの大切さを痛感します。道塾で宇城先生に気を通して頂き統一体になり、相手と調和し、身体が強くなり出来る自分と仕事や家庭などの日常で、頭で考え、部分体になってしまい衝突して出来ない自分。毎回、道塾に参加させて頂く度に反省しております。

 今回の講義で、相手に対して、感謝をして礼をした瞬間、自分の身体が重くなり、フルコンタクト空手の十字の礼をすると身体が軽くなるという体験をさせて頂き、「ハッ」としました。日常の仕事や生活の中で、心を起点にして、宇宙に生かされているという謙虚さと感謝の念を持ち生きることが統一体になるための基本であり入口だという事を再確認させて頂きました。日常において、日々少しでも長く統一体で生きていけるように、サンチンの型を継続し日常で、呼吸を意識し、謙虚に心を起点に行動し、一人革命出来る人間になれるよう努力していきたいと思います。

 

仕事に家庭に社会との関わりにと自分が変わってきた   茨城  会社員 男性 52歳 KO 

 宇城先生、この度も仙台道塾でのご指導をいただき誠に有り難うございます。道塾に参加させて頂き心身とも元気になった様に感じます。先生から頂くエネルギーが学び、家族、仕事へもよい循環をもたらしてくれています。

 今回、最初に部分体と統一体についてホワイトボードに比較を書いて頂きました。「人間は本来完成形」と学ばせて頂いていますが、本来の身体と部分体の身体の大きな差と身体先にありきの人間の本来の力の素晴らしさを示して頂きました。この本来の「人間力」を取り戻さずして現在の社会の矛盾や混乱、問題を乗り越えて日本や世界の未来を見いだす事は出来ないのではないかと感じます。
 今の対処法的な社会の問題への対応は、温暖化といえばCO2排出の低減で原発が推進され、震災で原発事故が発生すれば脱原発といい、燃料費は年間3兆円の増となり貿易赤字国へ転落しました。少子化といえば婚活や育メン、駅に保育所を設けるなどいかにも対処方法ばかりです。良く先生がおっしゃる様なスローガンではなく実践行動こそが現状を打破してくれる。「挨拶をしましょう」という言葉ではなく「感謝の心」があれば挨拶は自然にでてくる。LOVEでなく「愛」、「愛」という文字の中には「心」が入っている。この「心」と「実践行動」を学べる道塾の場に参加させて頂いて少しずつですが仕事に家庭に社会との関わりにと自分が変わってきました。受け身ではなく自然に動くようになったように思います。

 今回の指導の中でスクラムを組んで前から押されて部分体は前に強くても、後ろに隙が出来て弱くなっていました。頭でがんばる、根性といった姿勢と身体に気が通った時の前後左右からも隙がない強さの違いを感じて「人生の困難を乗り越える力」「社会を変えていく力」はこうした身体の本来の力が必要だと感じます。
 こうして講義と実技で「本来完成形」の「人間力」を先生から学ばせて頂けるのは「希望」です。実際に出来る自分を体験させて頂くたびに「自分の身体の素晴らしさ」を実感させていただいています。この方向は深さを求める事であり師無くしてあり得ないものです。その末席にて学ばせて頂ける事を有り難く感じこの事を活かし社会に貢献できる自分へと成長し続けたいと思います。

 先生は、いつも新しいものをもって来られ驚くのですが、今回も硬式球の部分対と統一体での投球、そして魔球は、球だけでなく受け手も瞬時に変化するまさに「ひとり革命」は相手も周りも変えてゆく事を表していました。
 また今回、新たに参加された方で自然農法を目指す方への言葉は先生から学ぶ私達への言葉でもありました。先生が「道塾はファミリーだと思っている」との暖かい想いに感謝し歩み続けてまいります。ありがとうございました。

 

改めて部分体と統一体の違いを感じた   埼玉  支援学校教諭 男性 38歳 TS

 今回の道塾では、改めて部分体と統一体の違いを感じました。部分体と統一体は全く異なる次元の世界であり、部分体の延長上に統一体があるわけではないことがはっきりとしました。女性が腕相撲をして数人の男性を倒しているのを目の当たりにしたり、先生の気を受けた方が次々に人を投げていく姿を見ると部分体で生きることの無意味さを感じずにはいられません。再三先生が言われるように私達は崖っぷちに追い込まれています。やるしかないのです。自分の中にある部分体の要素をしっかりと見つめ、捨てていきたいと思います。今は統一体になることを意識して行動するしかありませんが、いずれ無意識で統一体になれるよう日常の稽古を大切にしていきたいと思います。
 
 先生の気に包まれると何ともいえない安らぎを感じます。次元を超えた圧倒的な力で調和の状態を感じる事ができます。だから、投げられても倒されても笑いが起きるのだと思います。つねられて痛くてもそれがまた嬉しいです。
 何度か先生は道塾はファミリーだからということを仰っていました。時折厳しい事も言われておりましたが、全部自分のこととして受け止めました。今後も先生の一言一言を忘れる事なく日々の実践にいかしていこうと思います。ありがとうございました。

 

自分自身の横着さや甘さに改めて気付かされた   群馬  営業 男性 28歳 YT

 今回もご指導ありがとうございました。今回は特に「行動が心をつくる」ということの大切さを学ばせて頂きました。頭で考えた行動と身体・心からくる行動の違いなどの講義・検証を通じて、日々の生活・仕事の中においてまだどこか他人事のように振る舞っていたり、今までの悪い習慣を繰り返している自分自身の横着さや甘さに改めて気付かされました。
 道塾に参加させて頂き、実践することで周りの評価や人間関係など大きく変化しました。しかし、特に震災以降の政府や原発、復興についてなど、宇城先生や東北の仲間たち、あすなろの会での活動などを通じて現状を知っているにも関わらず、自分自身それに対して何もできていない、していない、どこか他人事のような、バーチャルな感覚で捉えている部分があることを大いに反省させられました。以前の講義の中で、「本気になれば変われる」という宇城先生の言葉を思いだし、私にはその本気さが全然足りていない、まだまだ甘すぎると思いました。少しでも今の自分から脱却できるように、今一度日々の行動を見直し、心ある人として成長できるように努力致します。