2014年 仙台 第1回 (2014.3.2)

実際に体験したら事実を事実と認めるよりほかない  北海道 市職員 40歳 男性 TM
 先生のお話の中で大変印象に残っているのは、我々がマインドコントロールされており「奴隷」となっているということです。この世界は未知のことに溢れているのに、一般の「常識」を無批判に事実として自己の形成の前提に据えることにより一種のフィルターを作ることとなり、すべての思考・行動が誤った前提を基になされるということだということだと思います。このことにより、本来人間が持つ計り知れない力を自ら台無しにしているというのが、我々の現在の姿であると思います。本来人間が持つ力の凄さは、先生が自ら実技指導により示してくださりました。
 特に凄いと思ったのは、縦に一列に前の人の両肩を掴んで大勢並んだ列の真ん中に対して、同じように直角に何名か並びT字を作った状態で、先生が直角に交差している方の列の先頭を押すと、先生の心のままに交差されている方の列が前に動いたり後ろに動いたりすることです。一般的に考えると、押されたところから列が膨らむと考えるのが普通だと思います。また、気を通していただくことにより、常識では到底できそうにないことを我々塾生にさせることができることが、全く「常識」外れであり信じがたいことですが、実際に体験したら事実を事実と認めるよりほかありません。
 なぜ宇城先生に出来て我々にできないのか。そしてなぜ先生は出来ない我々を一瞬で出来るように出来るのか。それは出来ない自分たちの認識を超えているため分からないのだと思います。目に見えないことを信じないという習慣から脱皮し、自然の理に従う謙虚さが求められているように思います。道塾に参加するということは、今までの誤った習慣を改め、正しい行動・心の持ち方により、人間性を向上させる「道」であると思います。ここで教わり体験したことを日常で実践し、進歩していくよう努力を続けたいです。

 

気が通ることで、常識では測れない世界が現れてくる   宮城 会社員 57歳 男性 HK

 “常識”から“非常識”へ。古典物理学(ニュートン力学)から量子論(量子力学)へ。見える世界から、見えない世界へ。これが今回のテーマでした。
 医学や生物学などの世界はこれまでの心身2元論から脱却できずに現代になっても古典物理学の世界に閉じこもっている、そして人間のもっている力というのは細胞一つひとつが量子論の世界を具現化した結果であって、実技で行う気の世界はまさにこの量子論的現象を体現したものである、と。
 生物である人間もその身体は一つ一つは見えない原子・分子というものの集まった結果としての総体です。そしてさらに見えないものの代表的ともいえる心(こころ)をその中に持っています。そのような身体に気というやはり見えないものが通ることで、実技で体験するような常識では測れない世界が現れてきます。これを量子論的な観点でみた場合どういう医学的、生物学的記述になるのでしょうか。
 また、実技前の映像用いた講義にて、不幸にも病を患い、手術治療後も良くて車いすと病院から言われていた実践塾生に対して、先生が気を用いて医学的常識を変えてしまうほどのスピードでその症状を回復させている姿が紹介されました。医学界はこの姿の中にある大切な事実に真摯に向き合うことが必要なのではないでしょうか。
 さらに無心で拝む形をしただけで地球に根が生えたごとく”重く”なった自分の身体が実技の中でありました。たとえばこれは持ち上げようとする人と持ち上げられる人、すなわち“重さ”を観測する人とそれを観測される人との関係について、身体と見えない心と気の関係でどのような科学的説明が可能となるでしょうか。
 このように気の作用として身体に現れるいろいろな不可能を可能とする事実、それも誰もが再現性のある形でできるという事実。ここから出発する気の世界をこれからどんな形で科学が“常識”に囚われずに追いかけていくのか、なにか楽しみになる道塾でした。ありがとうございました。

 

常識だと思ってきたことが全て間違いだった   千葉 鉄鋼業 30歳 男性 SF

 今年最初の道塾で一番印象に残ったのが手の組み方、正しい正座の所作でした。それは今まで私達が生きてきて常識だと思ってきたことが全て間違いだったからです。ニュートン信者の目に見えるものしか信じないという考えをもつ私達の考えを真っ向から覆されました。 正しい所作をすることによって身体が強くなり、地球と一体になる喜びは計り知れません。
 心のエネルギー、本当の意味での心身を学ぶ場は道塾だと思います。しかし、それを実践するのは日常の行動で示すかどうかだと思います。はたして私は日常で先生の教えが行動にうつせているかと思うと至らぬ点が多々あります。
 懇親会での塾生の皆さんのお話を聞くと、その変わり様と行動力に驚くのと同時になにも変われていない自分が恥ずかしくなりました。しかし、それを見透かすかのように先生は「宇宙の永い歴史からみたら人間なんて点にも満たない。悩んでいてもしょうがない。」とその言葉を聞いたときは私の中にズドンと響きました。吹っ切れました。その言葉を胸に日々精進して参ります。

 

生きる希望がでてくる体験をさせて頂いた   福島 会社員 38歳 男性 HE

 今回も大変力が出る講習でした。ありがとうございます。冒頭での身体が麻痺された方が歩く、驚く映像を見せて頂いたり、 生きる希望がでてくる体験をさせて頂きました。誠にありがとうございます。いつも宇城先生が講習の初めにいろいろなお話をされますが、聞けば聞くほど 耳が痛くなる、胸に手を当てれば思いあたる節があるような話ばかりで 自分を反省する事ができ、これが謙虚さにつなげられるよう頑張りたいと思います。
 今回も会社や組織の中で、上の言う事を聞くだけで奴隷のように生きているのは生きる屍のようなものだ。なぜそうなるか、心がガス欠の状態のまま生きているから、また、河に映る月を例えに出して、師を映すというのはありのままを映さなけば意味がない。自分に都合のいい所だけを真似て、都合の悪い部分は 見ないようにするにするのでは、師につく意味がない。という内容をお話されていたと思いましたが、つくづく身に覚えのある事ばかりで自分が恥ずかしくなりました。
 靴を使っての検証では、自分の靴を並べた時、並べない時、自分の靴だけを 並べた時、自分以外の靴も並べた時、身体がどんな状態になっているかを 見せて頂き、いままで、自分がどれだけ弱い状態で日常を生きているかを 知り怖くなりました。
 また、四つん這いの体勢で、10人程の人間に抑えられても、「これはちょっと無理だろう」気が身体に通っていれば、それすらも投げとばせる。その気は皆さんの中にすでにある。 ただ、それを自分で使えなくしているだけ。とお話されていたと思います。
 今回の講習で、正しい正座の姿勢から立ち上がった時の検証など体験できた事はまだまだありますが、今年も一年間貴重な体験をできる事が幸せです。
 今回、参加させて頂き感じた事は道塾に参加されている方でも自分で行動に 移している方は、どんどん積極的になって変わっていく。自分が道塾に参加されている周りの人を少し離れた所ですごいなと見ていただけで何も行動していなかった事に気付かされました。謙虚さという道の最初の入り口でうろうろしている自分、まずはこの事を認めて少しずつ変化させたいと思います。今後もまた宜しくお願い致します。ありがとうございました。

 

一生かかっても目指すべき道が見えました   山形 団体職員 42歳 男性 NN

 この度、3月2日に道塾に参加させていただき、筆舌に尽くしがたい体験の数々でなかなか言葉が見つからないのが正直なところです。今までの常識が覆っただけではなく、それがもともと我々が持ち合わせている身体の能力であるならばそれだけ先生のおっしゃる人間力が下がっているのかと恐ろしくもあります。しかし、先生に間近に接し内面の正しさ、心の美しさがあの壮絶な武術の技となって身体に発現する事実を目の当たりにするにつけ、まだまだ人間、いや自分も捨てたもんじゃないかもしれないと希望がもてます。俗っぽくキレイな心には程遠い自分ですが、先生のようになりたい・・・少しでも近づきたいと素直に思いました。一生かかっても目指すべき道が見えました。これからもよろしくご指導お願いいたします。

 

言葉だけでなくいつも事実を見せてくださる   埼玉 教諭 37歳 男性 TS

 今回の道塾も驚くことばかりの内容でした。前の人の肩を掴み縦に一列に並び、垂直にも同じような形で並び、先生が後ろから押すという検証では信じられないことが起きました。
 縦に並んだ人達が先生の思う方向に動かされていくのです。「気は心の向かう所に応じる」という事実を目の当たりし、心底驚きました。四つん這いになって重なった二人を上から押すという実習でも「気」の力の凄さを改めて感じました。自分が下になって押し潰された時でもなぜか楽しい気持ちになることが不思議です。「勝ちも負けもない」という先生の教えをここでも感じることができました。  
 先生に倒された人が掴んできた人を投げ、投げられた人がまた掴んできた人を倒すという実習では、身体の一部が繋がっていなくても投げてしまうという事実に驚きました。「気」に距離は関係ないんだと思いました。先生の気は離れていても相手に届くということがよく分かりました。もし、この気が自分にあればそこにいるだけで周囲に影響を与えられることができます。少しでもそうした力をつけたいと思いました。 

 宇城先生は言葉だけでなくいつも事実を私達に見せてくださります。そのことの凄さを今回も改めて感じました。 正しい正座をすることによって腰が柔らかくなり掴む相手を倒したり、靴をきちんと揃える事によって生み出される力、そういったことを体験させていただき日常が稽古であるということを改めて感じました。今回教えていただいたことを日常で実践していきます。 
 今回の道塾で特に感じた事は、自分はまだ心のどこかで「何かを『得る』ことで気が使えるようになる」と思っていたことです。先生が仰るように「私達は現象としてそれぞれの姿に分かれているが、分子、原子レベルでは同じものであり、本来誰もが凄い力を持っている」のです。これまで間違って身につけてしまった習慣、考えを捨てることでしか先生の教えを発揮する事はできないことが分かりました。とにかくこれまでの自分を捨て、宇城先生の姿を映すことだけに集中してやっていこうと思いました。

 

「気」の存在を身近に感じることができました   山形 公務員 49歳 男性 AH

 今年で3年目になります。本日は形と気の関係をわかりやすく説明頂きありがとうございました。気が通っていると、重くなるということは、目には見えない気を形あるものとして捉えることが出来る指標となります。その結果、今までより、「気」の存在を身近に感じることができました。家族の協力も得ながら、まずは形を通しての気の実践を行っていきます。
 また、今日の講義で最も感動した言葉は「心」でしした。心の大切さは、今までも幾度となく、先生がおっしゃられたことではありますが、今日は特に心に響きました。言葉では表しにくいのですが、胸に「ドン」という衝撃を受けたような感じです。そして、目には見えない「心」についてもっと知りたいという気持ちが自分の中で高まっています。自分の中で、心というものに対して向かい合う準備が出来たように思います。自分にとって、道塾3年目のスタートでしたが、とてもいいスタートがきれたと感じています。それから、本日の最後に教えていただきました、歩くことの大切さはとても参考になりました。歩くことをもっと大切にしていかなければならないと思っています。本日はありがとうございました。