2013年 仙台 第2回 (2013.6.1)

常識では考えつかない事が現実になる統一体   茨城 中学校教員 45歳 男性 Y.Y

 今回は、統一体でボールを手放すと重くなるという体験をさせていただきました。また、統一体で投げると空気を巻き込むため、受け手であり、打者はいずれも取りづらく打ちづらくなってしまうことを、この目で見させていただきました。
 訳は分かりませんが、統一体の状態では、とにかく重力のエネルギーをたっぷりといただくことができ、常識では考えもつかないことが現実になることを見せていただきした。
 では統一体とはいったい何なのだろうという、分析的な考えがまたよぎってしまいます。
よくは分かりませんが、体の感じるままに、自分のもてる自然な力を信じて身を任せきったところで、偉大なパワーが発揮されているようでした。
 初めて宇城先生に出会って、すでに数年にわたって学び続けさせていただいていますが、いまだに「これは…」、「あれは…」と、何やらあれこれと理由を考えている自分がいます。今、自分にできることは身も心もまかせきることであって、そういう意味ではもっともっと謙虚になることが必要だと思いました。
 それから時間についてです。 
前に一度、先生は器と時間の関係をホワイトボードに書いてくださいましたが、今回の新刊にも描いてあったように、たとえ同じ1秒であっても、器の大きさによってその意味合いがとても異なってくるということを感じました。器が大きい人にとっては、一秒の大きさは、とてつもなく意味のある大きなエネルギーをもった時間にもなるし、一方で、器が小さいほど、一秒は本当にはかない刹那にもなってしまうのだと感じました。
 この差はなぜ生まれるのか。それは日々の生活を如何に真剣に生きるか、その真剣さを如何に積み重ね続けるか、また如何にたゆまずよりよい日々の生活を送り続けるかによって生まれるのではないかと感じました。
 まさしく「統一」とは、何をなすにしてもほんの短い積み重ねの上に成り立つものではなく、時間の一瞬一瞬、すべての今を意味あるものとして生活し続けることによって、「過去-現在-未来」が一つの確固たる歴史として統合され、それゆえに統一体という状態が生じるのではないかと思いました。  一日24時間が修行であるという気概をもって、今できることを精一杯やる日常生活を積み重ねていきたいです。

 

一人革命で自分も周りも幸せになれるように   茨城 会社員 43歳 男性 M.S

 今回の講義で特に勉強になったのは、「人は魅力でひきつける」と、 「砂漠に咲く花」についてです。会社や組織において、人に指示したりお願いをするときに、どうしても命令口調になったり、「やって当たり前」みたいな言い方になってしまっている気がします。 しかし、実践でやったように、「魅力」があれば言葉は不要で、人はどこまでもついてくる。 
 私は今まで、「言葉」だけで人を動かそうとしていたことに気がつきました。 他人は「言葉」ではなく、「行動」に魅力や敬意を感じ、ついていく。 そういう人間力をつけていきたいです。
 また、「砂漠に咲く花」は誰にも見られることがなくても、自分の役割を果たして生命を全うする。 自分は、他人に評価されたい、見てもらいたい、褒められたい、という気持ちに基づいて行動していました。 でも、他人が見ていようが、いまいが、たったひとつの自分だけの花を咲かせて幸せになるという人生の目的は不変であります。 目的が不変なのに、日頃の自分がすべき行動が他人の目を気にして、ブレてはいけないなと強く思いました。
 日頃のゴミ拾いにしても、他人が見ていないところで自然にやるのが「行動」であり、そういった行動を積み重ねることによって、「魅力」があふれる人間になれるのかなと思います。
これからも、一人革命を実践し自分も周りも幸せになれるように、日々の生活を大切に過ごしていきます。ありがとうございました。

 

私たちにも可能性がある   宮城 元アナウンサー 38歳 男性 M.W

 今回は「気」の凄さが、体感だけでなく視覚でも良くわかり、こんなにも凄いものなのだと驚嘆いたしました。まず、ボールの重さが統一体と部分体で変わるということに驚きました。宇城先生が、待ち構えている人の手の平に上からボールを落とした時、部分体であれば受け手の衝撃はほとんどなく、統一体の時はずっしりと重さが伝わることが、見た様子でも明らかにわかりました。
 そして、人を率いる、人がついてくる、という動きにも衝撃を受けました。宇城先生に指だけで触れている何人もが、宇城先生にくっつくように動いていく。人を率いることを、実社会で実践してきた先生の凄みと、「気」の凄さを感じました。
 一方、私がやってもだめでした。しかし、「気」を通していただいたら私を含めて皆が出来ました。これは、先生の領域には達しないにしても、私たちにもそういった可能性があるということがわかりました。すなわち、私は人を率いるための人生の修行が、まだまだ足りないということを痛感いたしました。
 併せて、政治家が「人の為」と安易に言うが、それは「人」+「為」で「偽」であると先生はおっしゃいました。国政を目指す私にとって、この言葉から多くのことを学ばせていただきました。被災地の復興が進まない、それは口だけの政治家があまりに多いこと、政治の不在に原因があると私は考えています。すなわち、先生のおっしゃる「偽」であるわけです。
 責任を取らない政治家が多くなりました。江戸時代であれば、自分の言ったことに行動が伴わず「偽」であれば、切腹でした。私は必ず勝ち抜いて、言ったことを実現していく政治家になります。

 

「見えないものは信じない」という考えが無になりました  千葉 鉄鋼業 29歳 男性 S.F

  同じ高さの位置からボールを落としたときの部分体のときと統一体のときは重さが全く異なるのを間近で見させていただきました。普通に考えたらボールの重さが変わることなんてありえないことなのですが、実際にそれを見たら信じざるをえません。
 また、先生がボールを投げるとき、部分体のときの投げ方はたしかに球は速いのですが目でしっかりと追うことができ、統一体で投げたときは先生の体が一瞬大きく見えて、球の速度は遅いのに気付いたら目の前まで来ていました。何事にも目で見えるものにしか信じず、目に見えない物は信じないといった私のあさはかな考えは全て無になりました。目に見えない物への素晴らしさを言葉ではなく、体で学ばせていただきました。
 私は生きる事への大切さ、地球への感謝の念、宇宙から生かされているということを忘れていました。
 今一度自分の存在する意義を考えさせられる一日になりました。

 

印象的な「人は魅力で引っ張る」   宮城 主婦 55歳 R.K

 今回の道塾で一番の驚きは、ミラーニューロンの実技でした。
立って下に下げた両手に二人の人がぶら下がり、その状態でジャンプをしました。下に引っ張られているので、思うようにジャンプできません。ところが、先生がジャンプするのに合わせてジャンプすると、ビックリするほど軽々ジャンプができました。次に交代してぶら下がる方になって、立っている人が先生に合わせてジャンプしたら、 しゃがんでいた私ともう一人の人は、しゃがんだままピョンピョンと跳ねてしまいました。ありえない体験でした。あまりにビックリして、思わず笑ってしまいました。
 また、手を握るのではなく、手を触れるだけで相手の人を引っ張ることができてしまう。先生に気を通されると、一人ではなく数人の人たちも引っ張ることができてしまいました。それも普通の受講生のみんなが。「人は魅力で引っ張る」の言葉が印象的でした。
 また、先生が溺れた人を助けるという想定で、数人の男性を引っ張ったときの力強さとスピードの速さはすごかったです。ものすごいエネルギーを感じました。

 つぎに、横になった人の上に人が乗って、下の人がパワーを感じたり、上の人が感じたりそのスイッチの切り替えが素晴らしかったです。そんな信じられないことも一瞬にしてできてしまう気のパワー。
先生がボールを肩の高さから落とされました。次に統一体の先生が同じところからボールを落とされました。それを二人の人が下で受けます。見ているだけではっきり重さの違いが伝わってきました。目の前でこれまでの常識では考えられないことが次々起こって、相変わらずビックリの連続でした。人間の不思議なパワーをたくさん見せていただきました。そして、それはみんなも持っている、かもしれない?
 漢字の「辛い」は一か所線を加えると「幸せ」という字に変わる。気が付きませんでした。なるほど!! という感じです。何だか希望が持てる気がしました。これから先、辛いことがあっても、少し何か考え方を変えたり、何か一工夫したら幸せに変えることができる。そんな風に言われた気がしました。ありがとうございます。
 部分体から統一体へ少しずつでも変わっていけるように、毎日を丁寧に生活するようにしたいと思います。
 先を読む、気を配る、「他尊自信」これらの言葉の大切さがやっとわかってきた気がします。今回の道塾でさっぱりできていない自分に気が付きました。
呼吸法も教えていただきました。地球からのエネルギーをいただいて、元気に過ごしたいと思います。 「いつもの生活が修行」ということを忘れずに暮らしたいと思います。実技が盛りだくさんの道塾でした。皆さんの目もキラキラ輝いていました。

 

悩める日本を救うのは統一体   青森 41歳 男性 O.N

 ボールをただ上から落とすだけなのに、部分体と統一体でその衝撃が変化するというのは本当に驚きでした。まさに言葉では説明できない世界です。これを我々の狭い器の中で、自分の都合のいいように理解しようとしても全く意味がありません。ただひたすら心を素直に、師の心を感じ続けるしかないなと改めて思いました。
 宇城先生に学ばせていただき、わずかですが進歩が見られるのかなと思う時があります。まず、私自身が心身共に健康になったということです。以前の私は心身共に浮き沈みが激しく、常に体調の悪い状態でした。しかし、宇城先生に学び、気を入れていただくうちに、いつの間にか心も体もスランプということが全く無くなっていました。それはそのまま人間関係にも及び、衝突、対立といったことがほとんど無くなりました。
 また、家のゴミを捨てに行く時、我が家ではゴミ収集所に着いてからゴミ袋をくくるようにしています。そうすればその間に落ちているゴミを拾いながら歩くことができるからです。ほんの些細なことですが、ゴミ拾いをイベントとしてだけでなく、日常生活の中に組み込むことが大切であると思い、家族で実践しています。
 そして何よりそういう生活を営めることが幸せです。この感謝の心を利他の行動に繋げていきたい、というエネルギーが頭のスローガンではなく、体の中から湧き上がっているのを感じます。先生の言われる「心の発動」という言葉の一端が理解しかけてきたのかな、という気がします。
 こうして考えてみますと、体の健康、心の健康、感謝の心、利他の心というのは別個のものではなく、すべて繋がっているのだということがわかります。それを繋げてくれるのが統一体なのだと思います。やはり今の停滞した、悩める日本を救うのは統一体であると確信いたしました。

 

見られない場所でこそ全力を   埼玉 教諭 36歳 男性 T.S

 あっと言う間の3時間でした。まず驚いたのが、宇城先生が部分体でボールを投げた時と統一体で投げた時の違いです。部分体で投げた時には投球フォームにつられてこちらも打ち返そうという気持ちが強くなり、ボールの軌道も目で追えました。しかし、統一体で投げた時にはこちらは無力化されており、手も足も出ないという感じになりました。先生の投球を間近で拝見し、一流のプロ野球選手が先生に指導を求める意味がよく分かりました。
 次に驚いたのが「人は魅力でひきつける」ということを体験した時です。私達が触っている時はすぐに相手と手が離れてしまいますが、先生に気を入れていただいた時には相手の手が自分に吸い付いてきて離れません。観念や理想ではなく、実際に身をもって体験すると「人は魅力でひきつける」ということの意味がよく分かります。私達の言葉と行動はかけ離れていることばかりですが、先生のお言葉と行動は常に一致されています。「事理一致」の意味を先生の姿から改めて学ぶことができました。

 今回強く心に残ったのは「砂漠に咲く花になれ」という先生のお言葉です。砂漠に咲く花は誰に見せるわけでもなく、自分の命を最大限に生きようとして咲いています。しかし私は人に見てもらいたいとか評価されたいとかケチな根性で動くことが未だに多々あります。今回の道塾でそんなケチな根性はもう捨てようと素直に思いました。世間や人にどう見られるかは関係ありません。見られない場所でこそ全力を尽くしていきます。そう思えたのは宇城先生ご自身がそういう生き方をされてきているからです。他の人から聞いても頭での理解に終わったと思いますが、宇城先生から聞くと自発的にやりたいという気持ちが沸き上がってきます。本当に大事なことを伝えてくださり、ありがとうございます。

 

儚いけれど叶えてこその夢   福島 会社員 51歳 男性 M.O
 宇城先生から学ぶ気を通す事により統一体になり、不可が可になる検証では毎回驚きはありますが、もう宇城先生に学び始めて5年です。その検証の真の意味を理解しないといけないと思いました。
今回の検証では、手のひらや人差し指で複数人を動かす調和の検証。スクラムを組んで座った複数人を一人が気を通されて倒す検証、その中で全員リラックスした状態で一人が力を入れると、押す人に気が通ってなくともその力を入れた人の方向に倒れていってしまう調和を乱す検証。また、一人の手を二人で引っ張り一人はジャンプするができない。でも宇城先生のジャンプに合わせてジャンプするとできてしまう、先生の気が写るミラーニューロンの検証。いずれの検証も調和し統一体になる事、部分体ではなにもできないばかりか危険な時さえある事。
 宇城先生の仰られる現在の日本人の人間力の低下、それが政治やマスコミや社会生活の中でありありと見てとれる現在において、自分たち宇城先生の塾生は、ほんの少しでも自分を良い方向に変えていき、人間力の向上とともに今の日本をみんなが幸せを感じられる世に変化させるべく、心からの行動ができるようにならないといけないと思います。

 今日小学校のそばで仕事をしていたら、小学2年生位の男子生徒がこんにちはと挨拶していきました。おそらく何も考えずこんにちはと挨拶していったのだと思います。心からの行動だと思いました。恥ずかしいのは自分でした。こんにちはと挨拶されてから間をおいてこんにちはと返してしまいました。この小学校は福島原発から20数キロに位置し放射線も高く、最近除染が終わり学校が始まった所です。このようなすばらしい子供のいる学校ひいては地区を、原発の放射能は汚してしまったのです。原発で利を得る政治家や大人達によってです。東電役員や当時の政治家はこの子供たちに最初に詫びなければいけないのです。
 このような世の中、社会を変えていけるのは子供たちです。その子供たちを良い方向に導くのが大人の役目です。そのためには、できない自分たちに宇城先生が何度も何度も根気よく教えて下さること、調和、統一体、心の発動を少しでも身につけ自分が変わり、周りが変わり、そしてみんなで幸せになりたい。大河にコップ一杯の水とはいきませんが、大河にスポイトで一滴の水くらいは頑張ってみたいです。宇城先生は仰いました。夢は儚いけれど叶えてこその夢である。叶えなかったら空想で終わってしまう。ありがとうございました。

 

実は最も現実的な宇城塾長の空手   茨城 団体職員 46歳 男性 S.Y

 サンチンの形をやっていても悟りがあるから楽しい。人に認めてもらえなくても関係ない。砂漠に咲いた一輪の花は誰かのために咲いているのではない。その言葉を聞いて私は、地位や権力を振り回したり名誉や肩書をひけらかしたりするような人間には絶対なりたくないと思っていたはずの自分が、実はやっぱり人に認めてもらいたいのだとよく分かりました。何の悟りもないです。人の事ばかり非難して自分の事は何も見えてない。怖くて見ようともしてないのだと思いました。
 私は昔から、無人島で一人になっても空手の稽古は続けると思っていましたが、それもとんでもない間違いでした。今のままでは嫌気がさしてきて、そんな気力は湧き上がらないと思います。しかし、宇城先生の空手は無人島で一人になっても活力になる空手だと思います。人が思う夢は儚い空想であり嘘の世界です。誰に話しても信じてもらえず現実離れしているような宇城先生の空手が、実は最も現実的な空手であると感じました。

 

部分体から抜け出したい   東京 会社員 30歳 男性 R.Y

 今回も特別な体験をいただきありがとうございました。
ボールを持っての引き合いでは、宇城先生が指一本で相手ごと抑えているのを見て、統一体というものの深さに驚きました。
「ボールの片側を指一本で抑える」という発想自体が自分の中に無く、部分体で考えることの限界を思い知るような光景でした。
 また、お腹に指一本あてていただいて全員がついてくる「魅力で惹きつける」検証においても、先生に気を通していただいた時には、「お腹の指が外れるんじゃないか」といった不安がなくなり、とにかく動いてみると相手の塾生がついて来ました。ここでも、部分体でいることの限界を感じるとともに、部分体から抜け出したいという気持ちが強くなりました。
 仕事においてもメンバーをまとめ上げるのに必要なのは話し合いでもルールでもなく、先生のおっしゃる通り、まずは自分が整うことだということを身体で教えていただきました。そのうえで、自分なりの発見の楽しさがエネルギーとなり、相手にもエネルギーが伝わり良く変わっていく、その嬉しさがまた自分のエネルギーとなる、という良い循環に 早く乗りたいと思います。
 まずは日常に多々ある「不安定な自分」というものと戦っていこうと思いました。
大変な時でも「重力」という何処までも自分と一緒にいてくれるエネルギーを糧に乗り切っていけるような気がします。今回もお力をいただき、ありがとうございました。