2015年 熊本 第2回 (2015.5.29)

現象として確実に存在する気のお話、非常に勉強になった  大分 団体職員 男性 49歳 KM

 日本を含む世界情勢や、現代の科学では解明できないが、現象として確実に存在する気のお話など非常に勉強になりました。世界を見渡すと未だ紛争や格差が存在しますが、宇城先生の言われる一人革命により多くの人が気付きを得て、平和で平等な社会が訪れることを切に願います。
 道塾では、素直になることや謙虚になることの大切さを実感するものの、日が経つと元の状態に戻ってしまい自分の未熟さを感じます。先生の言われるようにあいさつや靴を揃えることを日々繰り返していき、気付きを継続して行こうと思います。

 

後世にこの学びを伝えていく義務があるとあらためて思いました  福岡 領事館勤務 女性 65歳 YN

 脳にインプットされた常識では「できない」を覆す「できる」を毎回、宇城先生から体感させていただき、勇気や希望をいただいています。
 今回の検証でも集団が「頑張ろう」と声をあげたら、たった一人のひとから押されてもずるずると後退するのに、集団の中のひとりが黙礼するだけで、状況が一変しました。第三者には頑張ろうのかけ声で「彼らは頑張っているんだな」とアピールはできるでしょうし、集団のひとりひとりもその気になっているはずですが、見える世界の常識がどれほど脆弱であり、時として無意味であるかということです。
 見えないものを信じようとしない人が私の周りにも実に多くいます。日常でも無意識の「心ある行動」が思わぬ力を引き出すことに遭遇してさえも、ひとは偶然とか、たまたまよと言って、認めないことが多いのは、今の科学で解明できないからだということを先生の「気」の検証のたびに思います。
 日本のあちこちで起こる地震や火山の爆発に、「早く気づけよ」と警告されているようでなりません。ずっと「ひとり革命」を実践されている先生から直接ご指導していただける幸運をいただき、私たちも小さい日常のことから自分を律して変わっていかなければならないし、後世にこの学びを伝えていく義務があるとあらためて思いました。
 職場でもオフでも先生に学ばせていただくおかげで毎日を楽しく過ごすことができています。幸も不幸も心次第。 いつもいつも熱いご指導をいただき、誠にありがとうございます。

 

道塾で学べることに毎回感謝の気持ちでいっぱい   大分 会社員 女性 42歳 KM

 道塾で学ばせて頂くようになって5年。言葉では上手く表現できませんが、少しずつですがやっと何かを感じられる、やっと何かを理解出来る感覚になってきたと、自分の変化を感じることができ、とても嬉しく思いました。

 宇城先生の教えである『進歩成長とは変化することである。変化することは深さを知ることである。深さを知ることは謙虚になることである。』という言葉を、いつも心に留めていました。しかし、いまひとつ漠然とした解釈しかできず、とりあえず日々謙虚になることを課題、目標としていました。
 今回、宇城先生が「目先の目標に向かって前進するのではなく(上部だけで軽くなる)、深さに向かうことが大事と仰られた言葉がとても胸に響きました。確かにそうです。目先の勝敗を重視するスポーツや、受験を目標とした偏差値重視、知識偏重の教育。現代社会は、何かと目標を掲げ浮わついた人間教育をしていることを改めて理解し、とても恐ろしく感じました。その教育を受けて来た自分もまた、当たり前のように自分自身や子供に目標を掲げ、日常生活を繰り返していたことに気づき呆れました。現代の学校教育で『深さの大事さ』を教えることは不可能です。絶対、道塾に通わなければ、宇城先生に御教示頂かなければ、学べない事だと改めて思いました。

 宇城先生に御指導頂き、何かに気づいた時は、目の前が明るくなったような、心が解放されたような、とても身体が心地好く嬉しくなります。本当に宇城先生、道塾で学べることに毎回感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

 

短い時間でしたが、学び取ることが凝縮されていた   鹿児島 自営業 男性 52歳 HA

 水の上を歩くためには、まず片足を上げる。という不可能な理論に対し、実際できないし当然プロセスもない。自転車の場合、こけながらも、体で覚えるというプロセスを経て、乗ることができる。
 気に至っては、理論もなければ、プロセスもないが、確かに先生の検証によって、その存在は明らかである。
 気について、どうしたら気が出ますか?とか、how toなものをインスタントに学ぶよりも、まず、深さを求め、歴史や伝統、礼儀といった伝統ある物の考え方や行動を知ることより、そのなかの根底にあるものの深さを学び知る事が、人を愛し国を愛し、国を守る姿勢へとつながっていくこと。
 現状から逃げず、真正面から向き合って行動すること、そこに命を懸ける事、失敗を恐れるあまりに行動できなくなっていることこと(いつかないこと)それには、何事も平常心で臨む事、平常心で臨むためには、普段からの行動や、心が伴わない行動を慎む事など、短い時間でしたが、学び取ることを凝縮されていました。自分自身も肝に銘じて行動して行きたいと思います。 いつも、有難うございます。