2013年 熊本 第3回 (2013.8.9)

生まれもって完成形であることを信じて   福岡 自営業 39歳 女性 N.F

 絶対に無理だとされていた完全無農薬のリンゴ作りに成功された木村さんとの対談内容をお話してくださる中で、宇城先生は「メディアは何故木村さんが成功されたのかをとりあげようとするが、誰も成し得ていない先の見えない、結果が出るかどうかもわからないことに多大な犠牲を払いながらも諦めずに苦境逆境を乗り越えられたことが人並みではない。自分が聞きたかったのは、何故成功したかではなく何故諦めなかったのか、ということ」と仰いました。先生は「自分に何を聞いてくるかで変わっていく人なのかがわかる」と仰います。リンゴの木村さんも同じことを仰っていたそうです。先頭に立ち、未知なる道を切り開いている方ならではの言葉だと思いました。
 そして、真理に向かう方は分野は違えど求道者でしか感じ得ない共通点、三次元の向こう側を確信している感覚があるのだと思いました。大変有り難く、お話を聞かせていただけるだけで謙虚な気持ちになります。
 先生がピラミッドの頂点だとしたら、頂点を知らない私たちのレベルでいくら質問しても答えの意味すら理解できない、ということだと思います。先生のご指導のもと、真理に向かわせていただくなかでの気付き(自分の認識が間違っていたことを受け入れることではないかと思うのですが)が答え(真理)に繋がる可能性があることを、先生の気で「不可能→可能」になる実践は教えてくれます。その体験がいかに有り難いことか。どんな状況でも周りに対して怯まず心を開くということができない弱さを隠すかのように手段を求めるズルさが大人には少なからずある。それを捨てて正々堂々と闘う強さ、他尊自信の先にある真実を先生は常に示してくださいます。自分は自分のレベルでの気付きを謙虚に受け止めて進むしかありませんが、終わりのない世界を示してくださる宇城先生には感謝しかありません。
 先生がその場にいらっしゃるだけでそこに私たちは先生のエネルギーに包まれ、守られます。日常で守るエネルギーを微々たるレベルからでも発信できる大人であるよう、先生の仰るように我々は生まれもって完成形であることを信じて進んでいきたいと思います。

 

言葉で伝えるのではなく行動で   福岡 会社員 43歳 女性 Y.Y

 初めて参加させていただきましたが、時の流れが早くとても貴重な時間を過ごすことができました。 ご指導いただいた中で、奇跡のリンゴの木村さんの10年間の生き様を話してくださいました。以前メディアで奇跡のリンゴができるまでの語りは涙して見たことがあったので、どんどん吸い込まれていきました。土壌などの環境づくりや人間関係など、メディアで見たものとは違い、想像を絶する試練から背かず、固い信念を貫き通された10年の重みの凄さに感動しました。この固い信念、そして平常心・不動心こそがこれから先を観る目へと変え、成長へと繋がっていく事を教えていただき、自分自身の甘い心に気づかせていただきました。
 そして、人との関わりの中で言葉で伝えるのではなく行動で示して伝えることも教えていただきました。私生活において口が先に動いてしまうことがまだまだあり、振り返ることができました。
 3人組で1人を持ち上げる検証においては、重たくなるという自己暗示(プラス思考)をかけても体は重くならず、簡単に持ち上げられてしまいました。今まで問題が起きた時、プラス思考で乗り切ろうなんて思って行動を起こしていたことが多々ありましたが、「プラス思考・マイナス思考」に全く意味がないことを思い知らせてくださいました。
 新たな気づきをいただけたことに心より感謝いたします。これから新たに「見る目」から「観る目」への変化を求めて邁進していく所存です。

 

自分を見つめ直す機会に出会え感謝   福岡 会社員 28歳 男性 S.Y

 改めて感じたことですが、 この宇宙が自分という存在を構造上、生まれながらに して人間としての究極、極致として作ってくれたことに 感謝するとともに、なぜ自分が人間という生命体として ここまで形骸化し今日のように至ったのか、怒りと疑問 が尽きません。
なぜ、私はこうなったのか?人間が悪くなる ことを喜んでいる奴は誰だ?そしてそれを、知ってか知らず か支えて、悦にいっているのは誰だ?というようなことを突き詰めていくと、 敵が少しずつですが見えてくる気がします。最終的に、そういったものを受け入れたのは 私だということはわかるのですが、人間が悪くなるように仕向けている人間がいるのも事実だと思います。また、それを理由をつけて支えている人間がいるのも事実だと思います。そういったことに自分なりに気がついたときに、自分がいままで感じたことのないような怒りが社会というシステムに対して沸き起こるのですが、よくよく考えれば私個人もどこかでそういったことを望んでいるのだろう、なぜだろうか、と自問に入っていきます。
生命体としての人間を裏切ったのはいつだろうか、このあたりだろうと思いつつも、更なる段階に進めば、私が今出した結論も 結局は嘘ということになるのだから、今の段階の結論に固執してはいけないなと思います。
 気を通されると、本来地球や宇宙が用意してくれた自分に戻り始め、人間という種族本来の力を発揮できる体験というのは、とても気分がよくて気持ちが良いです。場の速さがグッと速くなるのもとても不思議です。見た目は変わっていないように見えますが、注意して感じてみると場全体の「今はできる」「もう出来ない」という変化がとても面白いです。
 宇城先生が竹刀を操ったときに、やわらかい動きで剣を廻して使っていたのが拝見できて非常に感動しました。昔の剣豪もこのようにやわらかく剣を操っていたの だろうな、ということを改めて確信できて感動しました。
 宇城道塾を受講すると、いろいろな気づきがあります。自分が一個の生命体として、いかに生き死んでいくかということを深く考えざるをえません。自分というものが極限まで引き上げられ、人としての究極、自然として自分を体験したとき、自分は何を感じるのだろう、何を考えるだろうか、今の自分はそこからどのぐらい離れているのだろう、と様々な考えを頭をよぎります。
 宇城先生を見ていると、人間のすごさというものを実感します。私にもそのような力が、今は眠っているけど、常に今もここにあるということを改めて確信し感動しています。宇城先生は何を見ているのだろう、どこに行こうとしているのだろうか、私が向かっている方向は間違ってはいないだろうか、と自分を見つめ直す機会に出会えたことに感謝しています。そしてその宇城先生の心身を培った型というものに畏怖を抱かずにはいられません。また宇城先生のお話が伺えるときが今から楽しみです。

 

部分体と統一体との大きな違い   大分 公務員 45歳 男性 K.H

 今回も色々と学ばせていただき、ありがとうございました。
奇跡のリンゴの木村氏との対談でのお話では無農薬栽培、そしてJAとの関係や、さらに政治まで関わるところまでお聞きし、世の中の仕組み(一部)を気づかされました。・・・次回の季刊『道』が楽しみになりました。
 正座も、「長く続けられるように」ではなく「侍になる」との意識でと講義を受けまして、空手での正座の際にはそういう意識を持とうと思った次第です。これまでは前者の意識で座っていましたが、ただ正座するにしても前者と後者では大きな違いを感じました。10日の高校野球、桜井高校の試合をテレビで観戦しました。礼の仕方が相手チームの礼と全く違い、一人一人の人間性のレベルが数段違うように見え驚いたところです。
 実技では多くの体験をさせていただき、部分体と統一体との違い、先生から気を入れてもらった時の身体の凄さ、ひとつひとつの事象にただ驚くのと同時に先生の力に圧倒されます。なかでも、立った姿勢で左右の腕(手首)を二人の男性が掴んで下げている状態でも、先生から気を入れていただくと、相手の力を感じず跳び続けられたことです。気を止められると瞬時に、相手の力が身体に伝わってきました。この違いは一体なんなんだろうと、凄さに感動するばかりです。
 男性の足首をがっちりつかんで動かさないようにしていた時も、先生の気で男性が軽く動け、つかんでいた私の身体も浮いてしまうほどの動きであったということもありました。 

 統一体になれる呼吸方法も教えていただき、まず毎朝から取り組んでいこうと思い、翌日から実行しておりますし、家族にも呼吸方法や宇城先生の凄さを知らせています。
 いつも貴重な体験をさせていただきましてありがとうございます。謙虚な気持ちを持ち続けます。

 

全ての行動は真心が基準   大分 53歳 男性 T.M

 樹木は養分で成長し、人間は重力で人間力が育つというお話、更に実証に驚きました。
宇城先生から気を送っていただくと、抱きかかえられても持ち上がらない。自分で重くしようと考えると、軽くなる。気合いを入れるとさらに軽くなる。頭で考えたことは、部分体にしかならない。精神論も統一体の前では通用しない。正座して、痺れないようにしようと考えるのではなく、侍になるという気概を持つこと、宇城先生のお言葉に鳥肌が立ちました。覚悟と真心の大切さを、宇城先生から学んでいます。しかし、横着な自分がいまだに存在しています。目で見て、耳で聞いて、頭で考えて行動するのではなく、全ての行動は真心を基準とし、観の目で見れるような自分になること。私の心を支配する、欲望、執着という雲を、可能な限り薄くすることこそが、心の発動を形とすることに通じる。実現するには、宇城先生の教えを日々の中で、実践すること。学ぶ都度に、身にしみていきます。

 宇城先生が投げるボールが、統一体と部分体では捕球する側の手の痛みが違う。 部分体のスキルアップ方法では身体を勘違いさせ、筋肉を破壊するような結果となり、統一体となったエネルギーの前には、話にならないくらいの低レベル。その上、部分体トレーニングは心が伴わないので、人間力は向上せず、逆に退化していく。最近、違和感を覚えたのは、世界水泳のメドレーリレーです。他国が失格となり、繰り上げ3位になった日本の選手達は大喜び。彼らは大会前に口々に「我々の泳ぎで、日本の皆さんに元気になっていただきたい」。相手の失敗で入賞して大喜びする日本を代表する選手達と、選手達の言葉のギャップ。勝てば何でも良し、結果に一喜一憂する選手達。何を目標とし、誰のために戦っているのだろうかと疑問に思います。
 リーダー不在の頼りない日本という国。宇城先生の教えの通りに、我々塾生が自分自身を進歩成長させる一人革命を実践すること。自分が変われば、家族や仲間、またその周りの人達と、真心の和が広がっていきます。時間はかかりますが、今の日本を侍の国に戻すには、それしかないと思います。

 宇城先生に、部分体と統一体の違いを、形にして見せていただき、気を通していただくことで、不可能が可能なる瞬間を、身体を通して学べる私達塾生は、大変に貴重な体験をさせていただいています。更に、大分県在住の私が、家族全員で奈良県代表の桜井高校を応援することができたことは、宇城先生に学ぶことで実現したことです。試合には敗れましたが、野球道を見せていただき、最後まで諦めない姿勢に感動いたしました。 謙虚さ、素直さを持ち、スピードを上げて、真心ありの人間になれるように、日々精進 したいと思います。