2014年 潜在能力開発講座 大阪 第2回 (2014.11.04)

気を通され、空間そのものが一まとまりになったと感じた      京都  医師 28歳 男性 TK

 潜在能力開発講座2回目ありがとうございました。先生の話を拝聴していると、毎回自分の体の奥で何かが高速回転をしていく気がいたします。日常生活においても調子が良い時は体の中から湧き上がってくるものに素直に従って物事に取り組めば物事が進んでいく、もしくは状況が悪くても何とか切り抜けられますが、逆に体の中が止まってしまっていると、そもそも時計の時間についていけず、すべてが後手後手にまわってしまう気がします。

これは先生が仰っている、「気が通った状態」と「気が抜けた状態」の一端を示しているのだと思います。 (当然ながら「気が通っている」と表現しているものの、先生が仰る「気が通った状態」に比べて全くもって低レベルの次元に留まっているものですが。)この気を出来る限り抜かないために、「正座をする」、「しっかりお茶碗とお箸を持つ」、「靴をそろえる」、「挨拶とお辞儀をしっかりする」、「ごみを拾う」、「物を丁寧に扱う」、「正々堂々といる」などという、当たり前なことながらすぐに自分の緩みから出来なくなってしまうことに取り組んでいければと思っております。

ただ今回は、先生が「気を通します」とおっしゃられてからの空気の変化は、自分の中で高速回転していく体の変化と比べて、ずっとずっと細かくて繊細がために、触覚・視覚・嗅覚等を通して頭で感知することが出来ないものではないかと感じました。(少なくとも自分が感知する体内の高速回転する何かは頭での感知にとどまっている気がします。) しかし頭で感知できない中で強いて表現するとしたら、その変化は「空間そのものが一まとまりになった」と感じました。

椅子を持つ実践にしても、目の前に縦に並んだ人を触れずに左右に揺らす実践にしても、自分が動いているもしくは動かしているという感触よりは、自分の行っていることはあまり大きな変化はないものの、一まとまりに濃縮した空間の中で全体が動いているような感覚を受けました。

また空間が一まとまりになる要素として先生が時間のお話をされたことが印象的でした。机をてこにした実践で、時間が先生と相手で一致したとき調和が生まれて机が持ち上がりましたが、時間差がある場合には相手は机は持ち上がらない。

次に書くことは自分の無理解からの見当はずれかもしれませんが、相手と先生が同じ(高速化した)時間の中にあると調和して(空間が一まとまりとなり)、 相手は先生に対して無力化しながらも統一体化して強くなりますが、相手が先生から時間的に置いて行かれると相手は部分体のままとなります。

この状態の違いは活人剣(拳)と殺人剣(拳)の違いに現れるということなのでしょうか。今回宮本武蔵と柳生石舟斎・山岡鉄舟のお話がありましたが、後者二人が相手と調和する(無力化しながら強くする)という域(活人の状態)にいたのに対して、宮本武蔵は相手に比べれば相対的に高速化した時間は持っていたかもしれませんが、相手を時間的に置いていくのみで部分体の相手を切り続ける(殺人剣の状態)にとどまったのかもしれないと勝手に考えておりました。

恐らく、根底に心がない状態ではいくら技を磨いても、それは相対の世界から抜け出せないということを感じました。心がない状態といえば「忙」という漢字を思い出します。先生は今回「時間を作ること」と仰りましたが、まさに「忙しい(心を亡くした)」状態だと時間が遅くなり、逆に心が出来てくると時間が速くなって(時間に入り込めるため)、時間が作られるのではないかと思いました。

その高速化された時間が先にあってこその気であり、その根底には鍛えられた心が必要不可欠と感じました。 このような科学の理解をはるかに凌駕するような力を生み出す源泉となりえる、文化の力とは本当に素晴らしいものと思います。

歴史から学ぶというお話がありましたが、まさに現在の短期的な常識にとらわれて視野狭窄の状態に陥ってしまっている状況から、 少しずつでも成長できればと思っております。最初の話に戻ってしまいますが、当たり前にもかかわらず自分の緩みからすぐにできなくなってしまうことを出来るように努力していければと思います。 今後ともご指導よろしくお願いいたします。