2014年 東京上級 第4回 (2014.8.20-8.21)

気を体感して、クリアになり、その状態が通常になってきた        千葉 会社員 44歳 男性 SN 冒頭で宇城先生が紹介して下さったセヴァン・スズキさんの“伝説のスピーチ”に圧倒されました。 当時12歳だったという彼女は「世界を5分間沈黙させた少女」として世界中で有名になったそうですが、 私はこれまで知りませんでした。調べてみると、2011年には彼女のことをとりあげた映画が公開されていて、 今年には来日もされていたようです。全く遠い世界の出来事ではありませんでした。

その映画は2010年のフランス映画で、原子力発電の危険性もとりあげているようですが、その後日本で起こったことは説明するまでもありません。その映画は日本においては震災後・原発事故後の2011年に劇場公開されたようです。彼女のスピーチに感銘を受けたであろうサミットの出席者の方々が、具体的なアクションを起こしたかはわかりませんが、 映画公開に際して彼女が寄せたコメントには「リオの地球サミット以降の政治的リーダーシップにはひどく幻滅しています」とあります。

しかし同時に彼女はこう続けています「でも私には、諦めることができません。人々を信じていますから」。宇城先生が私達に正しい道を示して下さるのも、私たちを信じて下さっているからだと気付くと、自分の歩みが遅々としている事にもどかしくなりますが、希望を持って進んでいきたいと思います。前回の感想文にも書きましたが、宇城先生の気を体感して、自分の頭を覆っていた頑固な膜のようなものがとれてクリアになり、その状態が通常になってきていると思います。第5回も何卒よろしくお願い致します。

 

本質を見極めることが大切だと改めて実感しました  東京 会社員 41歳 男性 YG 道塾でのご指導ありがとうございます。今回の道塾の最初に見せて頂いたビデオを見て、非常に考えされました。 福島の放射線計測方法については、政府がいかに数値を低くするかのために小細工をしている。そして、その政府の発表する数値を単純に信じてしまっている自分。12歳の少女であるセヴァン・スズキさんが、地球は一度破壊したら、 戻すことが出来ないのだから、今すぐやめなければならない。本当にシンプルな考え方であるけれども、それが本質だと感じました。

大人になれば、欲、知識、利害関係などで、あれこれ考えるけどれも、それは言い訳や自分勝手な解釈でしかないと思います。宇城先生が日頃仰っておられる、人間はもともと完成形なのに、大人になるに連れて余計なものを吸収して、崩れていっていることを実感します。常に物事を考えるときには、本質を見極めることが大切だと改めて実感しました。

その後に、二人組で中心視野の検証をした時も、目の前の相手の親指に集中、固執してしまうと、そのすぐ隣からきた相手の指に反応できず。視野を広げて、統一体になると簡単に対応が出来る。これを通しても、常に視野を広げて、統一体的思考で考えていかないと、今の世の中で物事の本質を考えることが出来ないと思います。

最近の御岳山噴火や大型台風の影響など次々と自然災害も発生しており、本当に人間の力は自然の前では無力なのもだと実感させられます。今いつ何が起こるかわからない時代だからこそ、不必要な過信や恐れを抱くのではなく、視野を広く持ち、物事の本質を見極めていける力が必要だと思います。今後ともご指導の程、よろしくお願い申し上げます。

 

誰しも潜在能力があって、心の調和により強くなっていく  東京 弁護士 34歳 男性 YT 身体は完全体として、もうできあがっている。 けれども、心ができていない。 だから心を修養すること、心に全てを乗せていくことが大事だ。 今回の道塾では、そういう見方・捉え方を教わったように思います。 普段、何のトレーニングもしていない私達が、 気をかけられることですごい力を発揮していく。 気をかけられなくても、心の持ちようで、すごい力が出てくる。 これらは、いつも道塾でやっていることですが、 今から振り返ってみると、いつも、「気って凄いな」「宇城先生はすごいな」という感想を持っていたように思います。

しかし、 今回の道塾では、「あなたたちみんなそういう力があるんだよ」と言われているような気がしました。 家に帰って、『人間は生まれながらに完成形』を読み直してみると、 やはり、「急がなくてはならないのは、人間を『すでに事実として存在している完成形』として捉えることです」と書かれていました。 そう思って、色々な本を読み直したり、 どう出版から送られてくるメルマガなどを見ていると、 やっぱり、 人には誰しも潜在能力があって、心の調和によって強くなっていく、 というような見方、捉え方がされていることに気付きました。

何度も目にはしていたはずなのに、自分の中に、そういう捉え方が入ってきていなかったのです。 自分に殻があったことにも気付きました。 今回学んだ見方・捉え方が、今後、どうなっていくのか、 自分でも楽しみです。 今回も、学びの機会を与えて頂き、ありがとうございました。

 

先生が気を通して、自分の中心視野が広がった  神奈川 販売店 36歳 男性 OO 今回も沢山のご指導ありがとうございます。 今回の講義で私は視野の広さの大切さ、観の目の大切さを学ばせて頂きました。 視野の広さのお話で先生は、身体のお話や、日本規模・世界規模・宇宙規模のお話まで、 とても幅広いお話をされました。 先生が「私達が見ている中心視野は、自分の目の前に親指を立てて出した親指くらいだ」 とおっしゃった事が印象に残ってます。

先生が気を通して、自分の中心視野が広がった時は、大変驚きました。 先生の気は相手を倒したり崩したりするだけではなく、 私達の視野まで広げてもらう事が出来るとは思いませんでした。 本当に先生の気の無限さを感じます。 また私の中で強烈に印象に残っているのが、先生と空手経験者の組手でした。 先生は「当てていいから、本気で打って来なさい」と煽り、塾生は必死の形相で攻撃していましたが、 塾生の攻撃は一切当たる事なく、先生はわずかな動きでかわされて、 塾生を圧倒し最後には態勢を崩したり、投げ飛ばしたりしていました。

空手経験者の塾生の方が遙かに動きが早く攻撃がスピーディーなのに対し、 逆に宇城先生の方が動きが遅く感じるのです。 なのに先生の攻撃が先に相手の顔面をとらえているのです。 速いのに遅い。遅いのに速い。 ふたつの時間が同時に存在する不思議さ。先生は直接は言っていませんが、私達に「これが観の目だ。 頭で考えているうちはスピードが遅く、身体に任せるとスピードが速いんだ」と教えられている気がしました。

また今回の講義でも、先生が発した言葉が自分の身体に浸透した言葉がありました。 「必死になれば変わる」 「光の速さで考える」 「頭は遅い、身体は速い」 「人生は、自分との戦いである」 「人生は、死ぬまで修行である」 今回も今後の人生に役立つヒント・お言葉を与えて頂き、ありがとうございます。 この言葉をしっかりと身体に刻み込み、また道塾を通して自分の視野を広げ、 過去の弱い自分・臆病な自分に打ち勝ち、「見の目から観の目へ」「想像から創造へ」 「高速から光速へ」自分を変えられるよう、日々努力・精進し、そして真剣に生きていきたいと思います。

 

医療人はもっと謙虚に、患者さんに向き合っていくべき  静岡 理学療法士 50歳 男性 TO 今回も大変、勉強になりました。 宇城先生のお話は、本当に奥が深くどこまで知っているのだろうかと感嘆しております。 また、先生の生きてこられたエピソードは大変興味く、実体験された嘘のないお話は本当に真実であり説得力があります。 先生の今までの出来事を、もっと詳細に知りたいという欲望が強いので、 回顧録のような著書を発行していただくことはできないものでしょうか?切望しております。

さて、今回も多岐に渡るお話をしてくださいました。 その中で神秘に関しての感想を中心に書かせていただきます。 私は理学療法士として医療の世界にいます。年毎に、身体は宇宙のように神秘であると実感しております。 私の治療も年毎に、どの教科書・論文にも載っていない、いわゆる医療の世界ではエビデンスのないものが 占める割合がかなり多くなってきています。この世界ではエビデンスがない治療法や論文は、 いわゆる怪しいものとして捉えられてしまう傾向にあります。

しかし、本とは違う、セオリーとは違う、自分の発見を大切にしてきてからは、 自分の治療技術がどんどん進歩していると実感しています。 それは、身体は神秘であるから身体に聞くことを大切にするようになったからだと思います。 どんな治療でも、身体が気持ち良くなくてはだめであるし、患者さんが治ったと実感しなくてはいい治療だとは思いません。宇城塾に入るまでは、知識中心で、自分の治療で治らない患者はもともと治らない重症だったのだという、 今思えばとても傲慢な態度であったことは否めません。

しかし、宇城先生に出会い、身体は小宇宙であり神秘な存在であることに眼が覚めて、 95%はわかっていない現実を受け入れることにしました。今までで自分が治せた患者さんは、 たまたま治っただけであって、そこには運や何らかの力が働いた結果であり、 自分の力を過信してはいけないと戒めるようになりました。 もっともっと患者さんの声を聞き、身体からの訴えを聞くことが治療のスタートだと思い心掛けています。 そうしますと、私中心の患者さんの診方の時と比べ、かなり身体の小さな変化を捉えられるようになってきました。

今までの知識が主だったころは、思い込みが患者さんを真に診ることが出来なかったと思っています。 宇城先生がおしゃられた、見ると観るとの違いであると感じております。 治してやるという欲が事理一致の理を損なうものであり、いわゆる心無しの医療人になってしまいます。 身体の神秘に敬意を払い、患者さんから教えていただく謙虚な気持ち、 患者さんのわずかな回復への変化を共に一緒に喜べることが、 医療人としての事理一致につながる行為として取り組んでいきたいと思っております。

科学とは、万人に何回やっても通用することであると以前、宇城先生がお話をされていたことが頭の中に巡っています。 今の医療界のように治せないことがまだまだ多いレベルは、非科学的なのかもしれません。 医療人はもっと謙虚に、患者さんに向き合っていくべきだと、宇城先生のお話からつくづく感じました。 今回もありがとうございました。

 

調和の世界を楽しめばいい、その時を生きるしかない  東京 生活支援員 31歳 女性 ES 宇城先生、この度もありがとうございました。 講義中に先生が書かれた、視野がどんどん狭くなっていく図を見ていて、私は生まれてからどのような出来事を通して、 これ程視野の狭く常識に縛られた人間になってきたのだろうと疑問に感じていました。 その疑問は道塾後も続いていたのですが、そのうち、何故人間が存在するのか、何故これ程壮大な法則なのか、 何故心が存在するのか、何故宇城先生と出会ったのか、とあらゆる疑問が胸いっぱいに湧き上がってきました。

何故か涙も伴い、ひとしきり泣いた後、今度は、そもそも自分は何故宇城先生の下で学ぶのか。 何故修行の道に励むのか。何故幸せになりたいのか。と自問自答が始まりました。 そして最後に、何故生きたいのかという疑問が生じた瞬間、驚く程にあっさりと「そっか、私は生かされているのか。」と、 言葉になるかならないかの間に納得してしまったのです。自分でも驚いている中、また更に 「それにしてもなんで生かされているのだろう」と、まるでついでに考えるかのように自問が生じた時 「私にもきっと役割があるんだろうけど、基本的には楽しんだらいいんだろうな」と非常に楽観的な事を、また言葉になるかならないかの間に勝手に納得してしまう私がいたのです。

しかしそんなに楽観的で良いのかと戸惑う私もおり、様々な悲劇の場面を想定したりしましたが、 ただただ感じたのは、その時を生きるしかないという事でした。 ご縁のある方々や出来事との調和の世界を楽しめばいい。それに対して他者がどう思うかはあまり気にする必要はない。 そして悲しい時は泣けばいいし、腹立つ時は怒ればいい。分からない時は尋ねれば良くて、間違えた時は心から謝る。 そして反省する。それしかないのだな、と感じました。 そしてその上で、私は人の道を歩むのだという確固たる意思も生じ、その瞬間、私の焦点が少し定まっていくのを感じました。

そして今後の人生において、私の役割がはっきりと感じられた時、私は思いっきりその時を生きようと思いました。 そう思うと、今度は喜びで胸がいっぱいになりました。 宇城先生の側で過ごさせて頂いた後、このような事がよく起こる気がします。 涙と共に、何かが意識化されます。先生の気が無意識の部分に働きかけているのだと実感する瞬間です。 そして宇城先生から感じる妥協のなさというのは、厳しいという事でなく、純粋に謙虚に人間の尊さに眼を向け続けている事に 対する妥協のなさなのだと今回感じました。

それが人への深い愛情となり、愛するが故の厳しさになるのだと感じます。 「他尊自信」の境地をずーっとただひたすらに歩まれている。 だからこそ、まるで魔法をかけるかのように様々な人へ気づきを促す事ができるのだと感じました。 宇城先生の座右の銘が「調子に乗らない」と伺い、人の道の厳しさ、危うさを感じました。 そしてその厳しさを想像した時、師の存在の有り難さを殊更に想いました。心して歩んで行きます。 今後とも厳しいご指導の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

自分自身の我欲に溺れず、周りを気遣う姿勢が大切  東京 アルバイト 39歳 男性 MK   宇城先生をはじめ道塾関係者の皆様、誠にありがとうございました。 今回も厳しいお言葉を頂きました。 福島原発周辺の状況とチェルノブイリの映像、そしてブラジルでの少女の演説の映像、 すべてが胸に突き刺さりました。 人間は、生活に必要なエネルギーを得るために化石燃料を使って発電をしております。 しかし、二酸化炭素の排出や、事故による放射性物質の拡散など、 取り返しのつかない事故を起こして、徐々に自然を破壊しております。 すべては利益・利便性を追求した結果であり、我欲以外の何物でもありません。

そこには、先生のおっしゃる想像力が欠けているのではないか、と思います。 そしてさらに異常気象を招き、今日も集中豪雨による犠牲者が後をたちません。 このままでは人間は滅びてしまうのではないか?と思うような崩壊のスピードに感じられます。 子孫に美しい自然を残してあげたい。ブラジルでの少女のスピーチに対して、今を生きる大人として責任を果たさなければならないと感じました。

手の親指を立て、爪をじっと見た状態から、パートナーが自分の親指の横から、 スっと指を出し避けられるかどうかの実技を行いました。 結果は、見えているのにも関わらず、真ん中から来る攻撃を避けることが出来ませんでした。 統一体になっていない我々は、目先のことしか考えられないことなのかと思いました。 気を通してもらうと、親指の爪以外の周りもよく見え、視野が広がり、 同じように攻撃されてもしっかりと避けることが出来ました。

今、人間に必要なのは、目先のこと=部分体ではなく、周りの見える統一体です。 自分自身の我欲に溺れず、周りを気遣う姿勢が大切だと思います。 それが先生のおっしゃる「愛」なのだと思います。 私も愛情のある行動を取るように努力いたします。 講義後、先生が「今、言っていることが分からなくても、成長すれば必ず分かる時が来る。 だから素直に師の教えを受けることが大事」とおっしゃっていました。 確かに先生を師と仰いでから、いろいろなことが分かりました。

最初の頃は分からなくても、徐々に分かってきています。 知ることが出来て、本当に感謝しております。 しかし、まだ分からないことばかりです。 まだ知らないことを教わる喜びを感じ、日々成長していきたいです。 講義、ありがとうございました。 失礼いたします。

 

真実は自ら求めて知ろうとしなければいけない  東京 会社員 40歳 男性 TT  冒頭の福島の映像、少女のスピーチはとても衝撃的でした。 真実は自ら求めて知ろうとしないと知ることは出来ないと痛切に思いました。 また、少女のスピーチの「なぜ、大人達は子供達にするなという事をしているのですか」 との問いかけに何も返す言葉がありませんでした。 環境サミットのスピーチではありましたが、仕事や日々の生活など全てに当てはまるスピーチだと思います。

22年前のスピーチでしたので、誰もがその後、世界の環境がどうなってしまったか分かってしまいました。 仕事を行う上で、理想と現実、本音と建前に必ずぶち当たります。「想像と創造」。 良い想像は創造に繋がりますが、悪い想像は創造を止めてしまうと思います。 自分一人頑張っても大きな組織は変わらないと思ってしまえば、そこで終わってしまいます。 今まで自分を変えることだけで精一杯でしたが、最近、少しづつではありますが、全体のことを想って行動、 発信をするように心掛けています。

同じ発信する内容でも、自分の事の延長として発信するのと、 全体を想って発信するのとでは、違う受け止められ方をすると実感します。 なんとなく、周りとの接し方、また、声の掛けられ方が変わってきたように思います。 スピーチにもありました「何を言うかではなく、何を行ったか」、宇城先生がいつも仰っていますマザーテレサの 「愛とは言葉ではなく行動である」、雑誌『道』の記事にもありました「動より生ずる」。 出来ない想像は打ち消して、創造出来るように日々行動をしていきたいと思います。 宇城先生、ご指導の程、ありがとうございました。

 

調和にはバランス、好循環が必要  埼玉 不動産 47歳 男性 KS  道塾上級第4回目の講義、ありがとうございました。 ここ最近の講義を受け、普段の生活の中でも、よく調和の事を考える様になりました。 対人であれば、相手と調和する事により友好的な関係を築いたり、 先生に見せていただく武術の領域では、相手を制する究極的な術となりえたり、 更に人に限らず、小さな物から大きな物、形ある物から、形の無い物迄、 身近に調和が必要な物が数々ある様に思っています。

調和を考える上で、今回重要に思えたお話が、ニワトリが先か卵が先かというお話で、 これについては様々な論が有りますが、ニワトリと卵を輪で結ぶ循環の考えは印象的でした。 この世は、様々な無数の循環で成り立っていますが、その一つで今、問題になっている、 異常気象も人間が自然界のバランスを崩す様な事をしたため、悪循環となり、 我々に負の要素となって廻って来ています。

検証の方でも、一人真中に立ち胸の前で、手を合わせ、両サイドで数人が一列で連なり、真中の人の合わせた両手を横へ引くという事を行いました。30センチ位、力で手の平を引き離し、その状態を維持します。 普通に行うと真中の人はガチガチに力が入っており、手をグーパー等するという事は出来ません。 その時、全員竹刀で叩かれると、皆、痛みを感じます。

しかし、気を通されると、 真中の人は力で引き離されているにも関わらず、居着きが無く、手をグーパーとする事が出来る様になり、全員竹刀で叩かれても痛みを感じなくなりました。しかし、サイドの人、1人が他の事を考えると、 その人だけは叩かれると痛みを感じる様になってしまい、更に、真中の人が他の事を考え、 気を散らしてしまうと、他の人は集中していても、全員、叩かれると痛みを感じる様になってしまいました。

中心人物の影響はまわりの人とは違うという事であり、そして先生は、これが会社の社長だったらどう?とおっしゃいました。 社長や集団のリーダーの影響力、それに伴う責任は重いと感じました。 そして、会社であれば社長が負の要素を社員に連鎖させれば、やはり経営も上手くいかなくなるはずです。 それは社長にとって良くない事であり、悪循環が起こってしまうという事になります。会社レベルから部署レベル、個人レベル、あらゆる所で悪循環を起こしてはいけないと思います。

自分の行いの連鎖の先に起こる結果、それは自分に放っているものでもある、と心せねばならないと思いました。 この事から、調和を考える時に外してはいけない要素として、基本的にバランスが大切だと考えていますが、 プラス、好循環がそこにあるかという事も必要と考える様になりました。 ただ、私の周りには恐らく悪循環が多く、好循環と出来ないのは、悪循環に陥るのは、たやすく、それを好循環に変えるには、より多くのエネルギーが必要と考えられ、更に自身もまだ理屈だけであり、この様な事が、身体で実感として感じ、広い視野をもって本当にこの環が観えた時は、何をすべきかがわかり、 身のまわりに好循環、調和を増やせるのではないかと思います。その時が一歩前進出来る時だと思っています。 今年度、終盤に向け、もう一度気を引き締めてまいります。今回もお忙しい中、本当に有難うございました。

 

この国の未来を創る子供たちを、この国がダメにしている 神奈川 大学生 20歳 女性 HO  今回は、セヴァン・スズキさんが行った環境サミットでの演説を観させていただきました。 彼女の存在、その演説の内容は知ってはいたものの、実際にその様子を映像で観たのは初めてでした。 彼女が話した内容も人を動かす力があったと思いますが、それ以上に、各国の代表者が視線を向ける中でみせた、 12歳の1人の少女の堂々たる姿が世界を驚かせ、突き動かしたのでしょう。そう感じました。

ほんの12歳と思う大人たちよりもずっと、真っ直ぐな眼差しで深いところを見つめていたのですね。 最近、学校教育において、子供に戦争の事実をどの程度教えてよいのかなど議論がなされています。 我が国ではその内容を国が定め、さらに事実上教師が教科書を選べないようになっていますね。 それを知ったとき、なぜ隠そうとする必要があるのかと疑問に思っていましたが、 宇城先生のご指導を受けるにしたがって、それが確信に変わっていきました。 先生が仰った必要なもの「想像する力」と「創造する力」。これらを子供たちはすでに持っています。 それを知らず隠そうとしても無駄で、さらに子供たちの可能性を摘み取っていることに気づくべきです。

この国の未来を創る子供たちを、この国がダメにしていっている。 先生が仰る意味、はっきりと感じました。エヴァン・スズキさんが演説のなかで言ったように、 本当に子供たちを、自分の子供を愛していると言うのならば、今こそ行動で示さなくてはなりません。 それが上辺だけのものだと、すぐに気づかれてしまうのですから、初めから真っ直ぐ向き合えばいいのです。 そうすれば、逆に我々の方が子供たちから気づかされ、教わることになるでしょう。

 

相手を思うのではなく想う、憎まないで怒る  埼玉 飲食店 40歳 男性 KK  
 いつも貴重なお時間を割いて我々の為に講義をして頂き、誠にありがとうございます。講義の前に先生に福島、チェルノブイリの映像を見せて頂きました。 福島の映像は今、日本の現実がまざまざと映し出されてました。 特に放射線量を測定してる場面は怒りを通り越して呆れました。 コンクリの上に測定器を設置し、壁を作り、放射線量を低く測定する。 こんなバカげた事をやってなにしてるんだ!と思いました。

何故、こんな事をするのか?それは先生が指摘された現代人の病気、 ①自己中心、②想像、創造が出来ないからだと思います。 実技でも自己中心なので視野が狭い、腕を掴んでもお互い反発しあうという事になりましたが、 先生が気を通すと視野が広がりますし、お互い反発しあうない。 この様な事が出来るのは心を分母して、行動するからだと先生は仰いました。 相手を思うのではなく想う、憎まないで怒る、我慢するのではなく忍ぶ、そういった心が何よりも大切だと痛感しました。

今、我々は自己中心という殻に閉じこもってます。その殻を突き破るのは我々自身の心だと思います。 特に自分は飲食店で働いてる者としてお客様への心配り、気配りをもっと充実させ、現状に甘んじるのではなくもっと深く探求する。 その様な姿勢を従業員に見せ、従業員達を変えてく事がとても大切な事だと感じました。 先生、いつも貴重な気づきを教えて頂き誠にありがとうございます。これからも御指導よろしくお願い致します。

 

 

世界を眼で見るのではなく心で観る  東京 無職 64歳 男性 TK 
 最初の、福島原発事故の放射線量の政策上の都合で、数値を意識的に低く見せたり、 チェルノブイリと福島の事故後の政府の対応の違い、原発事故の他国の協力を受け入れないことなど、 不信に陥ることばかりでした。もともと、まだまだ人間が制御しきれない技術など、完成には程遠く研究の必要性はあっても、 それに頼る実用化は行う時期ではないと考えます。

すでに50基以上も完成させてしまった責任は、政府だけでなくその政策に無関心で、 電力状況を享受していた私たちにもあるわけで、止めたとしても放射性廃棄物の問題は まだ何世代も引き継いでいかねばなりません。どんなに微力でも、すこしづつでも解決する方向に向けて、 一人でもその立場の出来ることを行動していきたいと思います。 実技では、座って軸を歪めると立てなくなったり、空間がゆがむ状況が初めての感覚で 「気」という未知のエネルギーの存在のすごさを、改めて感じました。

毎回感じることですが、95%もの未知のエネルギーの一部でも、 使いこなせる能力を人間は持っていることに感動させられます。 それには心の持ち方と行動を変えていかねばならないことを、いつも教えていただいています。 宇宙や地球、また人間そのものも調和した状態で「生きている」のだけど、世界を眼で「見る」のではなく 心で「観る」ことが出来ないと、本質が見れないことを、深く感じています。
ありがとうございました。

 

 

我々の子ども世代のことまで思ってご指導してくれる  東京 会社員 28歳 男性 OM
 冒頭、セヴァン・スズキさんのスピーチを拝聴して、言葉や想いが胸に突き刺さり、 涙が出ました。自分のことを恥ずかしいと感じました。裏表のない本心からの想い、 心は人の心を打つのだと感じ、先生から普段、ご指導いただいていることの意味を改めて感じました。 先生が、塾生の手に指一本で触れるだけで、塾生は手をひっこめることができなくなりました。 しかもその押さえ方も、常識とは全然違うやり方、場所で、どうしてそこに触れることで 動けなくなるのか全く分かりません。

しかもそうした場所は「すき」になっており、そこを先生が突くと、 皆驚いた表情で吹っ飛んでいました。これまでも先生が、塾生に突かせて、その腕に手をぱっと触れてから、 投げられたり関節をきめたりするのを拝見してきましたが、まさか最初に手を触れたときに 相手の動きが止まってしまっていたとは思いませんでしたし、そのあと打っている場所の全てが、 「すき」になっている個所だなんて思いもよりませんでした。

そういうものが私の目に見えないので、 そんなことが起きているなんて、思いもよりませんでした。 見の目を観の目にすることでは、中心視野が全体に広がり、普段とは違い、目に入る風景の中で いろいろな動きのものをとらえることができました。科学や現在の研究では分かっていない、 大変凄いことだと思います。もし自分の目がそうなれば、これまでとは全く違う人生になるであろうことが 容易に想像できました。また筆を持つように空間をつくって握った手が瞬時に強くなって、 その手をつぶそうと握ってくる人を投げることができるなど、どれも常識ではありえない体験で、 なぜ瞬時にそういうことが起きるのか、何がいつもと違うのか、分かりませんでした。

人間は本当はすごい存在なのに、自ら堕落し、地球上に不幸の種をばらまいている。 人間は本当は存在なんだと気づくことは、そこから立ち上がり、幸福の実を世界にもたらす鍵となる。 先生は我々の子どもの世代のことまで思ってご指導してくださっていることを感じました。 講義中、ものすごく体が暑くて、体中が汗が噴き出ていました。 先生のエネルギーを肌で感じ、あらためて敬意をもった次第です。 謙虚になって、少しでも成長し、学び、セヴァンさんが指摘するような大人の在り方ではなく、 真の人間として生き直すこと。そのためにこれからも、先生のもとで学ばせて下さい。 ご指導ありがとうございました。

 

 

先生の気の世界は、次の世代へ続く気付きがある  千葉 会社員 44歳 男性 AU  
 今回もありがとうございました。 お話拝聴し大きな気付きをたくさんいただきました。 私たちは近視眼的に物事を捉えがちです。 毎度のことながら今目の前で起きてる現象がなぜそうなっているのか もっと深いレベルでの洞察が必要だと感じました。 今こうしているも世界各地で紛争や災害等で多くの命が奪われ続けています。 こうした出来事が日々大なり小なり報道されていますが、 自分なりにもう詳しく掘り下げて調べてみると、 今私たち日本人(特に首都圏在住の人々)が何とか無事に暮らしていけるのは 本当に奇跡としかいいようがなことがわかります。

それは見方によって多くの犠牲の元に成り立っていたとも言えるのかも知れません。 そんな中で、宇城先生が提唱されている「ひとり革命」ほど重要なことはないと認識しています。 自分の心が変わらずして本当の意味で何かが変わることなどはあり得ない気がしております。 もしかしたら私たち一般大衆はどんなに気張ったところで大きな事ができないのかも知れません。 無理に行えば新たな紛争を生み出し更なる犠牲を生み出すこともなりかねません。

しかし、誰でも今すぐできる簡単な方法もあるはずです。 それにはまず自分自身の内面に焦点を当てて己を深く知ることが大切だと思いました。 自分の心をなるべく多くの時間、欲望を不安の中立でいることができれば、 自分の内面に平和を見出すことができます。 常に自分に足りない何かを追い求めるのではなく、今の自分に豊かさを見出し感謝の念が湧いてきます。 そうすれば、自分にとって本当に欲しい物と必要な物、そしてその適量がわかれば、 ムダにモノやサービスを消費することがないのではないでしょうか。

世の大半の企業が過当競争で疲れており、まともな判断ができなくなっているように見えます。 冷静に考えてみれば誰で気がつくことだと思いますが、巷に溢れているモノやサービスの殆どはが 必要ないものばかりです。必要ないどころか、自然環境や人体にとって有害なものが大半です。 支配層による陰謀が暴かれつつある今、モノに依存して心の隙間を埋めるような時代はやがて 終わる日がくると私は信じています。

大半の人が理不尽極まりない歪んだ構造の組織の中で本音も言えず奴隷となって働き、 実体は負債でしかないような家を資産だと踊らされて家を買い、その住宅ローンによって更に そのシステムから抜けられなくなってしまう。ストレスを発散させるためにお金を使っているはずが、 その安易なストレス解消法は更なるストレスを構築し、農薬や添加物だらけの食品で生きる力を奪われる。 やがて肉体が衰える頃の中年になると病気がいろいろ出てきて、切るかクスリの選択肢しかない治療に お金を費やすことになり、結局何の解決にもなっていないので医者に言われるがまま半永久クスリ漬けにされてしまう・・・。 こんな馬鹿げた人生は終わっています。

今の若者に元気がないというのも当然のような気がします。 このような環境では希望を見出すことは困難です。 そして、生きる上で呼吸はとても大切ですが現代人は一般的に呼吸が浅いとも言われてます。 しかし、どこに行っても空気が汚いので無意識的な本能なのかも知れません。 そもそも私たちはGDPのために生きているのではありません。 自分の保身しか考えない政治家や人を騙したりあげ足をとるような企業を儲けさせる筋合いはありません。 心ある会社だけが繁栄してくれればきっといい世の中になると信じています。 そういう会社を応援する必要があるのではないでしょうか。

また、無駄なエネルギーは使わない、 テレビをあまり観ない、食べ過ぎない、食品添加物や農薬はなるべく口にしない、ゴミをなるべく出さない、 ちょと考えれば身近で私たちが実行できることはいくらでもあります。 いい加減、自分たちが支配層のカモにされているか気がつくときがきているようです。 でもいつまでも気がつこうとしない人もいますが、かつて福沢諭吉は『学問のススメ』で、 本来人は平等であるはずなのに、世の中を見渡すとそうなっていなのは、 あなた方が無知なんだと言っています。

今の学校教育の在り方はそれはそれで問題ありですが、 それにも増して私たちはもっと自分を磨いて賢くなる必要がありそうです。 私は何の宗教には属していませんが、人は今生において解決できない課題は次の生まれ変わりでも その課題を引き継がれるのではないかと考えています。 死んでも決して逃れることはできないのだと。 人類にとって原発問題、貧困や差別問題、紛争問題などはその代表的なものだと思います。 私たちはどの道今この瞬間しか認識できないのですから、常に気がついた今しか変われないのだと思います。

今変わらなければ、今できることをしなければ、 何十万年か経ってまた自分たちが原発問題を解決せざる得ないような気がしています。 動物は大自然の摂理によって食物連鎖で必要的に他の生命を奪うことが自然との調和となっていますが、 私たち人間同士は対立を調和によって乗り越える能力と、協力によって持続可能な社会が作れる能力が 予め備わっていると信じたいです。

いつの時代もニセモノが幅を利かせるこの世の中ですが、宇城先生の気の世界に触れると、 肉眼では観察できない偉大なエネルギーを感じることができ、 本物が存在しているという感動と人間である原点を思い出させていただいております。 宇城先生の気の世界は次の世代へと続く大きな気付きがたくさんあると思います。 今回もありがとうございました。 今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げま 。

 

 

平和ボケしている自分が情けない  新潟 高校教諭 49歳 男性 MS  
 8月の講習を受けさせていただきありがとうございました。 最初に福島原発の被害についてDVDを見せていただき、 時間がたつにつれ少しずつ自分の中でも薄れていってしまっていることが沢山あると思いました。 平和ボケしている自分が情けないです。また、大震災から何年も過ぎているのに日本の対応の遅さ、 今の子供が親になったときの被害など大変な問題がありすぎます。自分に何ができるか分かりませんが、 生徒を教えていく中で少しでも薄れていかないように気付かせて行けたらと思いました。 機会があれば、福島へいって生徒にも今の現状を見せてやりたいと思います。 実現はできるかどうかわかりませんが、少しでも前進させていきたいと強く感じました。 今回も宇城先生から多くのことを気付かせていただきありがとうございました 。

 

 

再受講していることの意味が少しわかった  神奈川 会社員 53歳 男性 YS  
 2009年7月に初めて道塾に参加させていただき“気”というものを体験できる機会をいただきました、 実践で気を入れられた時の体験はまことに不思議なものでありました。  その時に目に見えないものではありましたけれど、この偉大な気は塾長が地球全ての生命体 (我々も含まれる)と通じることが出来るので、その力を自由に操ることができるのだと直感しました。

5年前に初めて初級を受けさせていただいた時に比べて、上級を受けさせていただくたびに、 “自分は少しでも成長しているのだろうか?”という不安と、このまま受講させていただいていてよいのだろうかという一抹の迷いがありました。上級の再受講をさせていただくなかで、何度か同じ実践を体験させていただく機会がありました。

今回の腕を伸ばして親指の爪を凝視して、隣から向かってくる相手の指で自分の視野の狭さを確認する実践も以前に体験したものでありました。同じ実践ではありましたけれど、今回は少し違ったように感じました。 自分だけでやった時は視野が狭くて指の動きが見えない、気を通していただくと楽に指を視界にとらえられるということに変わりはないのですけれど、 気を通していただいた時に何か本質的な波動に繋がれているという感覚がしました。 

日頃、自分の中心を持ち、希望を持って力強く生きたい、 それが本当の自分の生き方なんだと自分に言ってきましたけど、いくら経っても心のどこかに“不安”という二文字がちらつくのです。
ところが気を通していただいているにせよ、何か出来ている自分を体感でき、やる気というエネルギーが自分の中にでてくるように感じました。  ここのところ、正直なところ自分ではできない、気を通されると出来る、そればかりを繰り返していて何になるのだろうかと思うこともありました。

けれど、今はこのように感じます。気を通していただき、何か望むべき波動に繋がれる事は心に栄養を与えているような感じです。毎日何かを食して自分の身体には栄養を与え続けているのに、何故、自分の心に栄養を与えつづけないのかと言う事です。 今更ながらではありますけれど、再受講させていただいていることの意味が少しわかったような気がします。言葉では上手く言いあらわせないのですけれど、それはまるで、先日水平線を見て、地球が丸い事を再確認したときの感じに似ています。

 他人に地球が丸い事を教えられ、宇宙からの映像をみせられても、自分のこの目で見る事とは違うような感じです。水平線は地球のほんの一部分の弧にすぎませんけれど、それでも地球は丸くて、とても大きいということを想像させてくれました。 これからも学び続けて、自分の人生を少しでも高いエネルギーで満たしてゆきます。 いつもありがとうございます。 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

生活のなかで、積み重ねることが大事  東京 大学教員 46歳 女性 US  
 自己中心的、想像と創造の喪失が奴隷化を生み出している点、まさにそうだったと、 大学の奴隷になるのはいやだと飛び出した自分自身の心を先生に見通されたと感じつつ、とてもありがたく感じました。 しかし、福島、原発、そして今回の広島の件、自分のなかで他人事にしていないかと、講義のなかであらためて突きつけられました。 南相馬で保護された猫を引きとって家で一緒に暮らしていますが、それ以上のことに踏み出せていない。 ちょっとやって、何かやったふりをしているのではないか、と問い直さざるを得ませんでした。

やったふり、即効策でその場しのぎをして、根本的には取り組みをしない状況。 社会もそうですが、自分もそうですね。 講義に出ている間中、先生のエネルギーの中にいると、ぶれない身体、心になっていくのですが、 問題はそこから先に自分自身の取り組み方を日常のなかで実践していない。 玄関の靴をそろえていても、それだけでは結局やったふりではないかと。

もっともっと日常の所作に、あるいは生活のなかで、礼をつくし、感謝し、謙虚であることを重ねていくこと、 それが何につながるという打算ではなく、積み重ねること。 長い時間の、系という大きなつながりのなかでの存在でありながら、それが人間個別の日々の存在、 生活一つ一つの細かいものとつながっている・・・・そうした先生の講義と実践感覚のなかで、 今日からの日常が大切なものになっていきます。次にお会いする日までに、しっかりと過ごしたいと思います。 まだ、言葉にしにくい部分が多く、舌足らずとなり申し訳ありません。 宇城先生、事務局の皆さま、ありがとうございました。

 

大きな気力、気づきを与えていただいた  東京 会社員 50歳 女性 MY  
 第4回目の講義、どうもありがとうございました。
今回は、毎週末の勤務で自分の体に疲労が溜まっている中で参加しましたが、
終わるころには自分の中にエネルギーがリチャージされたのを感じました。それは自分の疲労困憊の原因が、業務量や時間の制約にあるのではなく、先生のお話や実演や演習によって繰り返し発せられるメッセージにより、自分の心にあることに気づかされたからです。

伸ばした腕の先の自分の指先を凝視している時と、相手の指先に視点をシフトさせた時に、
明らかに体の感知度が違いました。私は自分の指先に囚われ、狭い視野の中でストレスを溜め込んでいました。腕を押さえた人と押さえられた人とが衝突している状態では無駄な対立がおきているだけなのに、先生のやわらかな調和のある動きでは、相手が無抵抗のままに倒れていくシーンが焼き付けられました。それは無心で取り組めば難なくこなせるものの、私の無駄に抵抗して消耗している姿と重なりました。

また「胃が痛いときは医者に行くのではなく、アルコールで洗浄するのがいい」という話は、
単なるジョークではなく、私のいつもの愚かな行動にはっと気づかされるインパクトのある発想でした。自分という我にとらわれず、人のためになるように楽しく生きる、という先生の生き様に触れ、体の中にさわやかな風が通った気がしました。

今回も、明日も頑張ろうという大きな気力を与えていただきました。道塾に何度も足を運んでも、いつも新たな気づきを与えられていることに感謝をしています。また次回まで、先生の生き様に少しでも近づけるように、心して行動していきたいと思います。どうもありがとうございました!

 

地球に生かされてるとゆう感謝の気持ちを持つ  神奈川 サービス業 37歳 男性 TK  
 福島の原発の映像で、線量計の値の低いところを探しさらに下に鉄板をひくとゆう心無い政府の対応を見て、 そこまでヒドイことをやってると思わず今まで自分は福島の原発事故のことを何も分かってなかったんだと気付かされました。 2人1組で軽く握った手を潰す検証では、気が入ると潰されることなく気の凄さを体感できました。 3人1組でお祈りした腕を2人が横から引っ張る検証では、気が入ると手が自由になり簡単に相手を投げることができ、気の世界の深さを体感できました。 『自分たちで作れないものを壊すな』とゆう宇城先生の言葉が凄く自分の中に入ってきました。 自分は地球に生かされてるとゆう感謝の気持ちを持って日常生活を送っていきます。