2014年 東京上級 第1回 (2013.2.19~20)

先生の教えて下さる気の世界は、説明のつかない世界  千葉 教員 57歳 男性 MN 
  今回は、古典物理学と量子物理学の世界があるということを教えていただきました。
先生の教えて下さる気の世界は、古典物理学ではもちろんのこと、量子物理学でも説明のつかない世界だと思います。宇宙や神様が力を貸してくれているとしか思えません。県立高校の前期試験で不合格になり、後期受検を控えた生徒が掃除にまじめに取り組んでいなかったので、「神様がみているからね」と話し、その後きちんと取り組んでいましたが、後期では倍率も上がらず見事合格することができました。きっと神様が力を貸してくれたんだと思います。自分の力のなさで良いクラスには ならなかったと思いますが、みんなの表情が明るくなりました。これも、道塾に行ってエネルギーをもらってきたからだと思います。 どうもありがとうございました。 また、今年もよろしくお願いいたします。

 

心を育てることの大切さを教えてくださる   東京 通訳 53歳 女性 KM

 ニュートンの古典物理学と量子物理学の違いにも匹敵する、旧態依然とした「常識」に囚われている部分体の私たちが生きる世界と、先生のおられる統一体の世界。右脳と左脳、ガリレオの望遠鏡、天動説と地動説などなど、宇城先生はあらゆる切り口から文字通り「不可思議」である気の世界を私たちに教え、実際に体験させることで、頭では理解できなくともまず身体にその感覚を植え付けようとしてくださっています。そして、その感覚を突破口として、自らの潜在能力を発揮できるよう、心を育てることの大切さを教えてくださいます。
 今回の道塾では、目の前で見せていただいている先生の気の力があまりにも「常識」とかけ離れているために、私の頭は理解不能のフリーズ状態になりました。「否定」ではなく、単純に私の理解の許容範囲を超えすぎていて、消化できない状態でした。
 今の私が一番感じていることは、「素直でない自分」の存在です。これまでは、道塾で人知を遥かに超えた気の力に触れるたびに感動し、時には涙し、自分にもこの力が眠っているのだという可能性に勇気づけられて、奮い立つことができました。ところが今回は、私の心がどこか硬直していると感じています。素直に体験したことを受け止められないでいます。なんと表現したら良いのでしょうか、余りにも究極の力に触れて、私の生命の奥底がこれ以上真実に近づくのを恐れているような、拒否しているような感覚です。思考停止状態で、知覚が鈍っているような状態です。唯一今自覚できているのは、自分という器の小ささです。これまでも小さいことはわかっていましたが、究極に触れたことに恐れをなして、尻尾を巻いて逃げ出したくなるほど器の小さい人間だとは思っていませんでした。根本がこれだから、自分の様々な矛盾を許し、漫然と生きることに甘んじているのだろう、と感じています。おかしな表現かもしれませんが、今回の道塾で、また一枚、私の化けの皮を更に深いレベルで一気にはがしていただいたような気がします。これを良い機会として、気持ちを新たに、裏表がなく誠実で情に厚い人間になれるよう、本来なら見たくない自分の醜い心や怠惰な精神に正面から挑戦し、更なる究極の真実を宇城先生から学べる器へと成長したいと思います。本当にありがとうございました。

 

真理や本質的な部分に導こうとして下さっている   東京 生活支援員 31歳 女性 ES

 宇城先生、ご指導ありがとうございました。
 講義前のピアノを持ち上げる検証では、中途半端な形で持ち上げる方々の中に加わろうとして大変失礼致しました。ピアノという非常に重たい物を扱う検証であり危険な行動でした。申し訳ありませんでした。道塾で学ばせて頂くようになり6年が経とうとしております。それだけ学ばせて頂いている者としての立ち居振る舞いがある事を想いました。気をつけて参りたいと思います。
 今後ともご指導の程、宜しくお願い申し上げます。

 講義では、古典物理学と量子物理学の比較、説明を伺い、本当に先生の幅広い講義内容に改めて驚いておりました。私は量子物理学の話を聞いているうちに、今までの様々な検証やお話を思い出していました。先生が何十名と連なった方々を押した時に、後ろの方に行けばいく程エネルギーが増して伝わっていく様子。先生に気を通して頂き、スクラムを組んだ男性を倒した時。相手の掌と私の掌がピタッとくっつく感触。また脳梗塞を経験した脳科学者が語った、身体が周囲に溶け込んでいくという説明。人間が微粒子の集合体であるとイメージした時、それら一つ一つの現象が、その決して見えない微粒子の働きによるものであると想像すると、大変納得できるような気がしたのです。
 特に、数名のスクラムを組んだ男性を押し倒した時、グッと押し始めてから徐々に倒れていくその間、押し続けようとできるのは、鈍感ながらも、相手との間に衝突して止まってしまう事のない何かを感じていたからだと気づかされました。こうした“非常識”な体験を通して、私の身に起きた事を頭でも理解できた時、見たり聞いたりする世界が変わるような気がします。先生が本当にあらゆる切り口から、真理や本質的な部分に導こうとして下さっている事を、また今回も感じました。本当にありがとうございます。連なった塾生の一番先頭の方の手を、先生は触れていないにも関わらず、塾生達を動かした検証は大変に驚きました。
 連なった方々の肩を支えていましたが、いつの間にか、こらえる間もなく、連なっている塾生全体が一つの塊のように一気にグワッと動かされた感じがしました。また連なった塾生を、先生が押している方向とは違う方向へ動かした検証も同様の驚きでした。先生の放つ気のエネルギーが、強力かつ自由になっていらっしゃる事を、塾生ながらに感じさせて頂きました。これは先生ご自身が、事理一致という修行の道を歩んでいらっしゃる何よりの証である事を想いました。益々の驚きと感動を与え続けて下さる事に敬服致します。到底追いつくことのできない先生の背中をしっかり見据えて、私も必死についていきたいと思います。
 講義の最後に、礼と正座の仕方を教えて頂きました。すればするほど所作に品が出てくるというお話を伺った時、首の手術をされた方の身体に先生が手を当てている姿を思い出しました。手術された方の話を伺う際、いつもはその内容に驚き映像に集中していましたが、今回の講義では先生の姿に見入ってしまっていたのです。言葉にならない何かを感じており、所作の話を聞いた時に、気品漂う姿(特に背中や手の動き)に目が奪われた事を理解しました。少しずつ“心の眼”が創られていっている気がして嬉しく思いました。今回も貴重なお時間を、そして内容の豊かな講義を、本当にありがとうございました。精進して参ります。

 

力の世界の現象では無く、エネルギーの領域   埼玉 宅地建物取引業 47歳 男性 KS

 道塾上級第1回目の講義、ありがとうございました。開始早々にして、今の日本における重要な現在の状況、これから起こるかも知れぬいくつかの出来事に関するお話をいただき、非常に恐ろしさを感じました。そこで、まさかと思う自分もいますが、いくつかの事は、本当は薄々感じているはずでした。それはまずい現実から目をそらし、その場しのぎの逃げ、といういつもの悪癖でした。身の危険は受け入れ、覚悟をしておかなければならず、いざという時に、動ける自分である様、先をしっかり見据え、身構え心構えをとっておかなければならないと感じています。
 そして今回、検証で見せて頂いたものは物理の法則、常識を超えたものでした。数人縦に組んだ列を、先生が横から押すと縦に動きました。ベクトルがおかしな事になっています。これは、力の世界の現象では無く、エネルギーの領域のものだという事を、示して頂きました。先生の気、人間力は私の様な者とは、かけ離れています。同じ人間とは思えぬ、天と地程の差があります。
 エネルギーを力の源とする先生に対し、物理的な力しか使えない私とでは、全く違う世界の存在です。先生は人間離れして見えますが、本当に人間離れしてしまったのは、実は私達の方なのでしょう。自然、宇宙と仲良くなれない、またその方法を忘れ、失い、伝承もされなくなり、本来あるべき姿を失ってしまいました。それによる弊害は、現代人には解りづらく、とんでもない所から人類にとって負の要素として蔓延して来ている様です。
 これらに関する検証も行い、具体的に知らしめていただきました。手を合わせ祈りますが、無心で祈ると身体が強く、願い事を考えると弱くなってしまいました。それと、腕組み等、自然に組んだ形はやはり強く、逆の組み方をすると弱くなりました。思考より心、理にかなった形、これらが全て合ったとき、宇宙からエネルギーを受取れるという事を、おぼろげながら実感しました。これは事理一致との事ですが、普通なかなか理解に困難なものであります。しかしシンプルな形で、その片鱗を実際体験させて頂きました。
 結果、宇宙のエネルギーと無縁なのは、自分がどれ程、事理一致から遠ざかった心持ち、行動をとっているのか、という事を改めて考えさせられました。これに対し、ではどうすべきか?という事を先生にはたくさんのヒントや答えを頂いております。それらの言葉や体験を、体を通り抜けさせてしまわず、しっかり細胞で受け止めて、成長の糧としなければ、宝の価値が判らず捨ててしまう様なもので、それでは、先生、それこそ地球、宇宙に対しても申し訳ないと思います。
 果てしなく長い道のりですが、今年も歩みを止めず進んで行き、去年より、少しでも本来の人間のあるべき姿に、変わって行ける様にと思っています。何卒宜しくお願い致します。

 

体の伸びや強さで「気」の存在を改めて認識   東京 会社員 50歳 女性 MY

 上級第一回の講義、ありがとうございました。今回は、目で見ることはできないけれど、体の伸びや体の強さで確認できる「気」の存在を、改めて認識することができました。私たちはともすれば、目に見えるものだけを信じる傾向にあります。しかし、目に見えない「気」が出ているか出ていないか、それが体や行動に大きな違いを生むことをまた認識させられました。力んでいる時は一見力が入っているようで、実は呼吸が止まっており、その力がブロックされていて、うまく伝わっていないように思えます。しかし先生のサンチンはとても柔らかいのに、弱くはない。そこから発せられるエネルギーが無意識のうちに、確実に私たちに伝わるのを感じることができます。クラスでは様々な気づきを与えられますが、それを姿勢を正す、心を磨く、日常を修行とするなど、日々の実践に生かすにはどうしたらよいかを、常に考えるようにしたいと思います。

 

心ある行動というのは無意識に自然と出てくる行動   新潟 海上保安官 46歳 男性 TY

 先生がホワイトボードに書かれた宇宙の渦巻き銀河系を見ていたら自分がとてもちっぽけな人間に思えてきて情けなくなりました。 自分は細かいことやどうでもいいようなことにこだわり過ぎているのではないかと思えてきたからです。 また、先生のお話に、人間なんて大きな宇宙からみれば存在しないに等しい、だから人間の悩みなんてないようなものだ、ということがあり、 仕事のことなどで不安を増幅させている自分に対し更に情けなく思えてきてしまいました。 最初はこんな状態でありましたが、道塾が終わったころには、あれこれ考えたり、一夜漬けの知識を求めたりせず、正々堂々立ち向かっていけばいいじゃないかと思えるようになっていました。本を読んでいるだけではなかなか前向きな気持ちになれないことがありますが、道塾で先生から直接お話しを聞くと一発で気持ちが変わります。
 毎回道塾で「未来志向でいけばいい」と教えていただいているにもかかわらず、すぐに悩みが出てきてしまいます。悩んではリセットしての繰り返しではありますが、ひどく落ち込んだりすることはないので気づかぬうちに強くなってきているのだとは感じております。  
 今まで何回も経験している「手の平を合わせる」「指を組ませる」という実践と 「ただひたすらにサンチンをする」ということが心が残りました。 祈りや自然に出た動きからスタートした無意識の行動は、身体が強くなる。心ある行動というのは無意識に自然と出てくる行動であり、頭でいろいろと考えて行動することは心ない行動だということがわかりました。今まで全く逆のとらえ方をしていたと思います。 よく考えて行動することが心あることだと思っていました。これも常識だと思っていたことが非常識に当てはまることだと思いました。
 サンチンをする時に細かい手足の動きのことを考えていることは「心ないサンチン」ということになります。ただひたすらに無意識のサンチンを心がけていきます。 御指導ありがとうございました。

 

桁違いの師に会って桁違いの体験をする   埼玉 広告代理業 53歳 男性 TT

 今回はニュートン力学に代表される古典物理学と量子物理学の比較から、私たちの中に存在するエネルギーについてお話しいただき、それを体験させていただきました。
 自分なりに調べてみたところによると、地球が太陽を回る公転運動やロケット・飛行機・自動車などのマクロの物体の運動は、古典力学で計算し、結果の予言ができるようで、この考え方に沿って、今でも多くのことが「常識」として人間を拘束し、部分体を助長しているというのが今回のお話でした。
 分子・原子・素粒子のような小さくて見えない世界では古典力学は使えなくて、量子論の範疇になり、これは半導体チップの中を支配する物理法則であるだけでなく遺伝子やDNAの構造を決めていたり、核分裂反応や太陽エネルギーを生み出す核融合反応も量子論に従って起こっているとされ、人を含む生物の構造や進化と、マクロの極限である宇宙の創生までが解明されようとしているものなのですが20世紀の初めに作られたこの理論は一般的にはまだあまりなじみがなく、宇宙や素粒子についての解明は進められている反面、人間の成り立ちやあるべき姿を解いていくレベルには達していないことで、医学や生物学、スポーツの世界などは依然として古典物理学を根底に置く解釈のままであり、それが本来の人間のあるべき姿との乖離を生んでいるようなのです。
 ミクロとマクロを切り離して考えること自体、この世界全体の調和とそぐわないはずなのに、見えないものは認めないという人間の横着がここにある。字城先生はそれを、神経伝達ではなく細胞の活性化で身体の機能を回復させる実例や心の状態による身体への影響等を私たちに具体的に体験させることで、わかりやすく解説してくださいました。
 聞き様によっては、桁違いすぎるお話に聞こえるかもしれませんがこの桁違いの視点・観点を縦横無尽に展開できることが、横着を捨てた後にある自身の、というか人間の望ましい状態なのではないかと思います。桁違いの師に会って桁違いの体験をする。それによって自分のあるべき姿を謙虚にひたすらに追求する。この連続を繰り返していくのだと受け止めました。

 毎回、自分の心身にこびりつく錆の存在を認識し、それを落とすために、この道塾の時空を使わせていただいていると感じます。いつも本当にありがとうございます。今年もまた、よろしくお願いいたします。以上です。 次回も楽しみにしています。よろしくお願いいたします。

 

見えない心が人を支えているということを実感しました   千葉 会社員 45歳 YT

 今年初めての道塾ではニュートン力学とアインシュタインの量子力学の違いを交えて講義をして頂きました。見えるものと見えないものでは、その価値をはかることが難しいだけではなく、存在そのものを理解することも簡単ではありません。目に見えるものの方が求めやすく、結果も分かりやすい為、伝えることも簡単です。見えないものは逆に時間や根気が必要になる為、分かりにくく面倒です。
 先生が私達に伝えようとして下さっているのはその分かりにくく面倒な方です。大人たちが伝えようとすることを忘れかけている見えないものの強さを実践を通して教えて頂きました。手を合わせて祈る動作をすると背中を押されてもずっしりとして動かなくなりました。しかしその状態でお金のことを祈ると、とたんに軽くなりぐらついてしまいます。見た目は全く同じ動作なのに思っただけでこんなにも変わってしまうということを身をもって感じました。見えない心が人を支えているということを実感しました。
 人の為という字をあわせると偽りという文字になってしまうのが、私は長い間腑に落ちませんでした。人の為に善いことをするのを偽善と書きます。きっと昔の人はこの見えない心の動きをよくわかっていて、人の為と考えて行動することと、自分の内側から出てくる行動は大きく違うんだということを知っていたんだと思います。
 動作は同じでも、スタート地点が違っていては辿りつくところも違う。だから似ていても違う「偽り」なんだと。良く見られたいとか、いい人だと思われたいという他の人を意識した時点でそれは純粋な利他の行動ではなくなってしまい「偽り」になってしまうということ。私が長い間勘違いしていたことを、先生は理解できるように教えてくれました。
 教えて頂いたことは次の世代に伝えていかなくてはいけません。それを伝えるためには言葉や文字ではやはり駄目なのです。まず自分自身が自然に行動できるようになること。いつも足踏みばかりしているところから一歩踏み出して行こうと思います。
 今回道塾に来るまで仕事のことで悩んでいたのが嘘のようです。たかだか80年の人生。今を目いっぱい生きていきたいと思います。ありがとうございました。

 

気はすべてを変えるエネルギーがある   静岡 会社員 49歳 NY

 今年も、上級クラスに参加でき、宇城先生をはじめ、スタッフの皆様、塾生の皆様と、過ごせる事が嬉しく思います。
 私事ですが、昨年は、作業中、右足踵骨を骨折してしまい、後半は参加できなくなり、悔しい思いをしました。今回は、かなり驚く体験をしました、骨折から半年近くなり日常生活には、支障のない 所まで、回復したのですが、足首が、伸びず正座とあぐらが、できなかったのですが、 最初の実践講義のあと、無意識に、自然に正座していました、えーっ?と、驚きと、 嬉しさで、感動してました。
 先生の気というのは、こんなにも、すばらしく、人を助け、 自分をも変えるエネルギーがあるのだと、スッと心の中に入りました。目に見えてないものが、本当であり、今まで常識だと、捉えているものは、実はそう思わされているのですね、自分を変え、大きなエネルギーを出し、渦を作り、人を巻きこんで行くのだと、身体を通し、勉強になった講義でした。ありがとうございます、次の講義が待ちどうしいです。