2013年 東京上級 第1回 (2013.2.19~20)

心が変化したから、行動が変わった   東京 弁護士 33歳 男性 Y.T

 実演の中で、先生は女性の大腿に乗ったまま、連なった5人の男性を押して動かすということをされました。これまでも、数々の実演の中で先生が使う「力」の内容は、我々が通常考えているものと全く異なっていることを見て感じてきましたが、今回のこの実演で、「普通の力」とは違う、力みも衝突もない力というものがあるということを、改めて、衝撃をもって感じました。そういう力、世界がある、ということを知ること自体が、貴重な体験をさせてもらっていると思います。

 手を合わせると強くなるけれども、心の中で「お金が儲かるように」とか、「みんな幸せに」と思うと、弱くなるということも体験しました。「人のために」と「思った」としても弱くなるので、「思うこと」は、先生が言われる「心」とは違うものだという気がしました。
では、「心」とは何なのだろうか、と思います。

 今回は、「身体は気の流れに応じて動き、気は心の向かうところに応ずる。だから、心が変化すれば気が変化し、気が変化すれば身体が変化する」というお話がありました。
電車で席を譲ることについて言えば、最初はぎこちなさがあったり、「席を代わりましょうか」と相手に尋ねていましたが、慣れてくると、すっと立てるようにもなり、言い方も「どうぞ」に変わっていきました。
ここには、何かしら私の「心」の変化があり、心が変化したから、行動が変わった一例ではないかと思います。
「思うこと」は一瞬でできるけれども、行動にはつながらない。
行動につながる「心」は一朝一夕ではできない。
「心」が何かということはまだ言葉にはできませんが、行動にまでつながる根本的な何かなのだと思いました。
 先生がいつも「真心」、「心を創る」というお話をされているのは、「心」というものがいかに大切であるかをいつも教えて下さっているのだと思います。意識で行動を変えるのではなく、心を変えて行動を変えていくということを、日常の中で掴んでいきたいと思います。

 

一人革命は常に日常の中に愛をもつこと   埼玉 教諭 40代 女性

 はじめに世界中にひろがる先生の足跡を写真で見せていただきました。先生の見せてくださる映像と言葉と表情から、「愛」についてずんと胸に響くものがありました。特に心に残ったのは 「菩薩は民衆を救うために 自らの解脱を後回しにしている」という言葉です。えっ、逆ではなかったのか、と驚きました。自らの解脱を一心に求めてこそ菩薩になった、それから人々を救ったのでは?先生のさらりとおっしゃる言葉が私の頭をひっくり返してくださいました。自分ではない、人々のためにすべての時間を費やし、一心不乱に人々のために尽くす、その日常が菩薩の姿だったのかと。通りすがりであっても署名活動をされている方に「がんばって」と声をかけるような、考えずに動く速さが必要だというお話、弱者が救われるのは犠牲者が出てからだというお話。すべて日常の中、すべての時間、今、「愛をもつこと」が大切なのだとつながった気がしました。
 さまざまな検証の中で、今までよりもっと身体が軽く力が入らなくなった自分を感じました。人の肩を押すとか横に倒すような検証があると、意識はしていませんでしたが自分は人より力がないのだと、逆に頑張って力を入れていたのだと今になって気付きました。それが、今回はいつのまにか頭がからっぽになっていて、すっと動くと、前の人の列が吹っ飛ぶように倒れてしまい、皆さんがわざと大げさに倒れたのではないかと思ってしまうほどでした。ここで自分の身体に通ったものを、いかに長く継続して日常に生かせるか、が大切なのだと感じてました。「一人革命は常に日常の中に愛をもつこと」と心にしみました。

 

頭で考えている心は意味がない   東京 卸売業 51歳 男性 H.M

 毎回行なわれる検証の実技はどれも感銘を受けるのですが、今回は特に心に染み入りました。頭で考えてなんとかしようとしている自分と、宇城先生に気を通していただいて相手と調和したときの自分を体験しました。そして改めて身体に気が通った統一体になった身体の凄さに驚かされました。このような体験を通して初めて目に見えない世界が意識できるようにもなるのではとも思いました。
実技の合間に言われた「頭で考えてる心は意味がない」の言葉が特に印象に残っています。
日常生活で人と接するときにも、まだまだ謙虚さが足りずにいる自分に反省することが多いですが、毎朝、自分の身体としっかり対話できるようにがんばりたいと思います。

 

平和の中で過ごせることにもっと感謝を   東京 会社員 39歳 男性 T.T

 今回より上級に参加させていただくことになりました。講義の内容は盛り沢山で、どれもとても深いものでした。その中でも今回「平和ボケしてはいけない」「自分の言葉に置き換えて理解した気になってはいけない」が特に心に染みました。
 戦争など、常に戦いの中にいれば神経は研ぎ澄まされ、身体も瞬時に反応するようになると思いますが、心は育たず、そこに調和が生まれることはありません。平和な中でこそ心が育ち、調和が生まれます。平和の中で過ごせることにもっと感謝しなければいけません。
 しかし、現在は平和で豊であることに甘え過ぎて、一人一人の心が貧しくなり、親が子を殺し、子が親を殺す、誰でもいいから殺す、ちょっとしたことで自殺するといった悲しい出来事が多発するようになってしまいました。命の大切さ、人の気持ちや痛みも分からなくなってしまっています。スクラムを引っ張る、人の足の上に乗るといった検証でも、出来ないと分かっていてもいってしまう。人の痛みを考えず、言われた通りやってみようとする。まさに平和ボケです。これは子の世代になると、もっと顕著に出ると教えていただき、ゾッとしました。子供達がしっかりと生きていけるように、こんな現状を自分達の世代で食い止めなければならないと思いました。甘い気持ちを捨て、常に自ら必死に取り組む姿を子供達に見せていかなければならないと思いました。自らが変わり、子供達も変えていかなければなりません。
 また、宇城先生は事実を最優先で考えると仰いました。先生が気を使い、我々に事実を示してくださっているのに、自分なりに解釈しようとしてしまう。身体が開いた世界を体験しているのに、頭で閉じた世界に戻してしまっています。祈りも余計なことを考えると弱くなると教えていただきました。ただただ物事を謙虚に受け止め、日々精進していきたいと思います。個人的な思いとしては中級から上級になり、生徒から弟子になった心構えで努力して参ります。

 宇城先生をホテルまでお見送りした後、皆でタクシー乗り場に向かいました。タクシーで帰る人を順次皆で手を振り見送り、私もタクシーに乗ったところで運転手さんに、こういった皆で楽しそうに仲間を見送る光景を久しぶりに見て心が温まったと言われました。20年前は良く見た光景だったけれども、最近はほとんど見なくなったとのこと。だから今回の光景を見てすごく温かい気持ちになったとのことでした。今は人のつながりが本当に薄れているんだなあと、そしてちょっとした思いも周りの人に影響を与えるんだなあと思った出来事でした。

 

心で行動出来るようになりたい   東京 学生 20歳 男性 Y.T

 素手で突いてきた相手に入るということをやらせていただきましたが、その技が出来ず、相手の突きが入ってしまいました。先生はこの時「これが平和ボケです」と仰いました。次に、相手がメリケンサックを持つとビビってしまい、後ろに下がってしまいました。宇城先生は相手がメリケンサックを持っても関係なく、一瞬のうちに相手を封じます。普段が大事だ、といつも先生が仰ることの意味を痛切に感じました。今の日本でメリケンサックをはめて日常を送る人はいませんが、幕末の日本は常に真剣を差して歩いています。日常の重さが違います。平和ボケの中で成長し、中途半端な大人になったと認識し、出来ないことはやらない、素直に生きることを徹底して実践していかなければと思いました。道塾で学んだ厳しさを、日常に持って帰って始めて階段を登れると思いました。その真剣さが、今までの僕に欠けていたことを深く反省しました。
 宇城先生が突き出している腕を思いっきり叩かせていただきましたが、硬く、僕の手が痛くなりました。「これが日常の技なんです。歩き方も違うんです」とその場で足踏みをされました。日常の細やかな所まで、技は活きるのだなと思いました。
 また、学んだ技を知識で覚えないことを学びました。「こうすれば力が出る」という方法論的な理解でなく、身体で覚えることが重要だと思いました。ミーハーな人は、そこで「凄い、凄い」となる。そうではなく、出来る様になることが大事だと思いました。宇城先生のご指導を切実に受け止め、毎日の中で稽古していきたいと思います。まずは心を解放し、大きく広い心で相手を受け入れることから始めたいと思います。今まで自分の中にあった、怯える、怖れるといった部分をなくし、心で行動出来るようになりたいです。

 

単純な所作の中に無限とも思える深さが   埼玉 会社員 52歳 男性 T.T

 今回強く感じたのは、初級から教えていただいている単純な所作の中に無限とも思える深さがあるということです。
道塾が開催されるたびにその期間中の自己の行動を反芻し、
「このあたりはわかってきたのではないか」
「この辺は実践できているのではないか」
「このくらいのレベルにはなってきたのではないか」
などと、ささやかな自負を求めている自分がいます。
 
わかったと思って頭に入れてしまってしまうこと。
またそれを脳からの命令という形で引き出してしまったら何も学んでいないのと同じではないかという宇城先生からの問いかけにはっとしました。
今ある自分は、宇宙の神秘の中で地球から恩恵を得て存在しているのだから謙虚でなければならない。苦しい事態が好転するのは、周囲の人のおかげなのだから感謝を忘れてはいけない。できたと思う自惚れは、いつも自分の中から現れるものだから用心しなければいけない。
 
心が向かう方向を整え、身体を惜しみなく使うことで事理一致に近づいていけるように。
自分が変わり続けていけるように。
日々の横着を点検し、今をしっかり見据えて過ごしていきたいと思います。

 

まさに自分が向かいたい方向   千葉 男性 27歳 Y.T

 2013年初の道塾。今年の道塾は昨年に比べてさらに深くなっていくようでした。
事実の出来事しか信用しないと言われた先生の言葉がとても深く入ってきました。
確かに自分はなになにがよかったよ!などという根拠のないものを信じたりする節がありました。それを自分では立証できないのに、凄そうな人が言ったから信じるといった感じです。ですが宇城先生は必ずその場で実証して疑いのない『事実』を見せてくれる。科学では証明できないことをいとも簡単に再現し、普遍的に行ない客観的にも明らかな事実。今の科学では証明できないことをより科学らしく理解できることが本当にすごいです。 
 そして、最後のちょっとした時間で宇城先生が受講生の方にやられた、身体に気を通されていたのを間近で見せていただいて手汗をかきました。まさに自分が向かいたい方向!身体の奥に響かせる事。表面でなく奥に。10年近く体を触る仕事について毎日触れているのにも関わらず、到達できない領域をいとも簡単に先生がやられているのを見て鳥肌が立ちました。
まさにスキーの話とリンクしました。
その世界にしかわからないことがあるということ。
高校を卒業してから業界に入り、ずっと人の体に触れてきたからわかることもあります。
そんなたいした経験ではありませんが、それでも明らかに宇城先生の治療は違いました。
見せていただいたあとは筋無力症の人がおんぶできるようになったというのもうなずけました。
あのようなことができるように、という明確な目標をいただけた今回の道塾でした。

 

百の書籍よりも一つの実践のわかりやすさ   神奈川 会社員 52歳 男性 Y.S

今回も色々な気づきをいただきありがとうございました。
 心あるということ、覚悟が出来ているということが本物であるか否かは活字では何もわからないという事を改めて実践を通じて感じました。また、己の遅さも改めて痛感いたしました。 
 メリケンサックの実践をしている人を見てはっとしました。置いてあるメリケンサックを見て誰も怖いとは感じませんが、実際にそれを手にはめている人と対峙したときには攻撃を受ける前から恐れてしまいます。それが自分の仕事上のことにダブりました。通常の範囲内の時には何でもないはずのメリケンサックが、数々の障害や問題に忙殺されている時に思わぬ形でふりかかってきた時に一瞬怯んでしまい、エネルギーレベルが落ちてしまっていることがありました。 多くの場合は恐怖心は幻想なのでしょうけれど、意識はもう今でなく、未来の不安へ飛んでいってしまっています。弱い、本当に弱いです。
 別の実践で過去にも何度かやっていただいたものがありました。正座して座り、後ろから肩を抑えてもらい立ち上がるというものです。そのままでは立ち上がれないものが、一度立ち上がってから座り、また立ち上がるとすんなり立ち上がれますが、次に余計な事を考えた瞬間に立ち上がれなくなります。“愛は言葉でなくて行動である”ということを何度もお話いただきましたが、何故か今回はこの実践を通してこの言葉が腑に落ちました。頭で考えている何かをしようと思っている限りは何もできないし、今という瞬間には生きられません。仕事上でも自分で細かいところに気遣いしながら、結構仕事したと感じることがありますけれど、実際は人にどう見られるか、人に認められるかがベースになっており、自分にどれだけ認められるかがベースになっていないように感じました。それである限りは自分の本当の力など出せないことがよくわかりました。
  海馬には未来への時間があるとお聞きしました。そして希望がなくなると海馬の働きが止ったようになり、生きる力が無くなると。何度も気を通していただき、実践で自分では出来ない事を出来ると体験させていただいている中に希望を感じました。
 また、塾長の「地球の歴史、地球の大きさから物事を捉えれば悩むことなど何もない」というお言葉に、数ヵ月ぶりに我に返った心地がしました。
 塾長に倒された繋がった5人が床から起き上がれないのを、塾長は「これが今の日本の現状だ」とおっしゃっていました。今回は起き上がれない5人を見る側ではなく、起き上がれない側におりましたが、これはまるで、起き上がれない日本が諸外国から見られているような感じでした。百の書籍よりも一つの実践のわかりやすさを感じました。
 これまで頭で色々なことがわかったと思ったり、わからなくなったり、わかったり、わからなかったりの繰り返しで何か自分が退化しているようにも感じました。しかしながら塾長の時事のお話、体罰の事、オリンピックの競技種目縮小などのお話を聞かせていただき、数年前であればレベルの低いマスコミに惑わされていた私が、少なくとも今はそうではない事を感じる事ができました。レベルは別としても、方向としては間違っていないという確信だけは持てました。
 まだまだ、自分の心という庭には絶えず“横着、心配、恐れ、不安、散漫・・・”といった雑草が生えてきます。しかしながら、感謝の気持ちを持って雑草を刈り続ければ、いずれ手入れされた庭が自分の天性になるのだと信じます。せっかく、美しい銀河、美しい地球、美しい日本に生かされているのですから、その美しさに自然に感動できるような自分でありたいです。

 

大切なもの全てに「愛」を与えられる人に   神奈川 大学生 19歳 女性 H.O

 たとえ繁栄していた都市であっても、滅びて人が住まなくなれば最後は自然にかえり、元あった姿に戻る。宇城先生が見せて下さった、木に侵食される遺跡の写真が物語っていました。地球の力は計り知れず、人が簡単にコントロールできるものではないんですね。だから私たちは、自然の力に逆らわず、愛をもった調和の中で生きていかなければならないのだと強く感じました。
 検証でも、宇城先生が私の足に乗り、人を引っ張るということをしました。しかし、私には最初から恐怖心はなく、痛みもありませんでした。それも、愛の力だと先生はおっしゃいました。瞬時に伝わり、相手を変えてしまえる、究極の力「愛」。それを大切な人、大切なもの全てに与えられる、そんな人になろうと強く思います。