2016年 大阪中上級・A 第4回 (2016.7.6)

心ある人間であり続けるための勉強が人生修行   大阪 歯科衛生士 50歳 女性 HN

 私たちの行動は、意識して行っているつもりでいても、実は無意識の状態(細胞のスピードレベル)ですでにスタートしているため、行動は常に遅れて発現しているという。これは事実であるにもかかわらず、自分では当然意識できない時間の出来事のため、なかなか理解できていませんでした。しかし、今回の道塾では下記の検証によって(宇城先生が気を通してくださって)、大変良くわかりました。

 向き合って肩を組んだ二人の後ろに、それぞれ数名の人がそれを動かないように腰をつかんで抑えでいる状態で、別の1人が横から近づいて行って押そうとすると、押す直前に連なった人たち全員が押される側に倒れまいとして一瞬身体が寄るのが分かりました。
 これは、「押す」という行動の前にすでに無意識の段階から「押そう」という行動が始まっていることが分かります。そして、押される側は、その「押そう」とする無意識を感じて、自分では気づいていないが(無意識)「押されまい」とする行動がすでに始まっていました。

 宇城先生の空手のDVDを見ていると、必死に襲いかかろうとしてくる相手が手も足も出せずに固まって、先生に倒されるシーンを何度も見ます。これは相手の行動が始まる前の無意識の時間に先生が入っているためで、「見の目」で見ていては、まったく何もしていないようにしか見えませんが、もし自分が「観の目」で見ることができたなら、そのことの始まりの前の無意識の時間で勝負していることが分かるのだと思います。

 検証では、先生が押す側の人に気をかけると、相手は到底一人で倒せる人数ではないのに簡単に倒れました。 その時はまったく列は動くことなく、自分たちが押されることに気づいていないようでした。それと同時に押されてからは抵抗できずに倒れてしまいました。

 先生は今の世の中を平和にするにはどこに行っても敵を作らないことが大切だとおっしゃっていました。自分で意識できる範囲ですら、他人と「どこか気が合わない」とか「心を開けない」、あるいは「腹が立つ」「好きになれない」などという衝突が生じることがあります。これを無くしていくことに時間を費やしても、もう始まっていることをどうにかしようとするだけで、根本解決にはならないと気づきました。 「席を譲ろうとしてからでは遅い」の意味がやっと分かりました。無意識レベルで席を譲るという行動に出ているからこそ「気が付けば席を譲っていた」という結果が生じるのだと。では、その無意識の時間を変えていくにはどうしたらいいのか? ひとつには、自分を大きなスケールの中で捉えて、「生きている」から「生かされている」に変わらなければならない。毎日グルメ三昧の人も、その日の食事に困る人も、地球に生かされているという視点からみれば優劣などなく、ともに感謝して生きなくてはならないことが良くわかりました。

 また、宇城先生のセミナーを受講するたびに、自分が元気になったり、やる気が出たり、他人に優しくなれるのは、先生が「気を通す」という形でこの無意識レベルにスイッチを入れてくださっているのだと思いました。そのスイッチをONにしたままの心ある人間であり続けるための勉強が人生修行なのだと思います。ありがとうございました。

 

実践を通して身体で感じさせていただくことができました   大阪 大学職員 55歳 男性 MM

 今回もご指導をいただき誠にありがとうございました。
 スピードの速さは、日常の中からの積み重ねであり、集中力とはまさに力を集めることだと気づかせていただきました。頭で考えていては遅く、いくら速くやろうとしてもそれ自体が遅い。
 宇城先生に気を通していただいた瞬間、「できる」という身体に変わることを実感いたしましたし、それが事実できる自分に変わっていました。

 数人がスクラムを組んだものを横から押す場合、出来るかどうかではなく「信じる」中から自身の力が集まり出来てしまう。そして目が変わることを感じました。
 身体が強くなるとは筋トレでは作ることは出来ず、逆に筋トレで弱くなることを証明いただきました。
 強くなるとは重くなる、見た目ではなく、すべてがつながっていって初めて強くなっていくのだと感じました。 身体が強いとは、信じる力であり、それが正に自信であると学ばせていただきました。

 今を大切にするとは、未来を大切にすることであり、すべてはつながっていくということを今回非常に分かりやすくご指導をいただきました。
 すべては自身の中にある。素直になれば身体も素直に変わり、横着は自身の身体そのものをダメにしてしまう。そういったことを実践を通して身体で感じさせていただくことができました。
 「至誠」とは、この上なく誠実なことであり、それが真心であると学ばせていただきました。
 ありがとうございました。