2015年 大阪中上級・B 第3回 (2015.6.3)

「片手間」の言葉の意味の深さに気付き、感銘を受けました  大阪 教諭 女性 57歳 YS

 いつも先生からたくさんの事を教えていただきます。本当にありがとうございます。前回は「片手間」という事を教えて 頂きました。先生は「全て物事は片手間でする」と言われました。私は先生の言われる「片手間」の意味がわかりませんでした。続け て「 片手間でしたことの一つ一つが すべて ほかの人が 全力全霊を傾けて やっとなし得るような事だ」という意味の事 を言われました。先生は以前に「簡単な道と困難な道がある時は、必ず困難な方の道を選んできた。だから今の自分があ る。」と言われていたことがあります。困難な道を選びながら、それをずっと片手間でしてきたと言われるのです。
 考えているうちに先生の言われた「片手間」の言葉の意味の深さに、気付きました。そして感銘を受けました。私は、今 まで、立ち向かう事を避けて、「出来るだろう」と思われる安易な道を選択しながら、その小さな世界で汲々と生きてき た気がします。一生懸命に生きてきたつもりでしたが、その小さな世界の中で心を囚われていました。
 「片手間」とは 通常は 「本業の合間にする、 いい加減な」という意味があります。しかし先生が言われる「片手間」と は 「そのことに心を奪われない」「没頭してしまわない」「夢中にならない」「平常心をもって行う」「余裕をもって行 う」「 一途でありながら 心は自由で囚われない」という意味だと考えました。それは私にとって、全く欠けていることでした。「一生懸命に生きることが大切」と思うことと、単眼的にやっている事 だけに心を奪われることは全く違うことでした。与えられた命を活かし、人生を味わうためには決定的に違う視点が必要 だったのです。 常に学びを怠らず、一歩引いて全体を見たうえで、現状分析し正しい判断力を持って行動することの重要性を先生の「片手間」という言葉で考えさせて頂きました。
 先日、いつものように課題に取り組んでいた時に、先生の「片手間」という言葉が頭に浮かび、急に肩から力が抜け、し かめ面をして取り組む自分を笑う余裕が出てきました。先生は本当に必要なことを教えて下さいます。 先生は、 本来人間の 生きるべき道と、現在の地球上の人間の姿との違いを、誰よりも感じておられながら、いつも「 楽しいやろ。」 とおっしゃいます。「拘らない」「 執着しない」「 心をいつも 自由にして 束縛されない」 ことを、 教えてくださっているのだと思います。ありがとうございます。果てしない道のりですが、少しでも先生の思いに近づけますように学び続けたいと考えておりま す。本当にありがとうございます。

 

「一人革命」することへの希望を、身体を通して教えていただいた  大阪 教員 男性 42歳 OT

 今回は、日本人として生まれてきたことへの誇りを感じさせていただいたことからのスタートでした。「君が代」の本来の意味を知り、古来(平安時代)から日本人は、調和することを重んじ、それを継承することに重きを置いてきたことを教えていただきました。
 他国の国歌の意味を見てみると、戦いに対して勇んで進むといった内容が多く、日本人は独特の価値観を持った民族であり、調和することを重んじてきたからこそ、世界の中で一目置かれる民族である所以だと解釈しています。しかしながら、その立派なDNAを活かしきれていないのが現在の日本であります。世界の大学ランキングトップ10には入っておらず、ノーベル賞を受賞した日本人は、活動の拠点を海外に置いているということからも、素晴らしい人材を生かせないのが今の日本だと思います。  
 教育の再興が急務だと思われますが、学校現場では、式典のたびに「国歌斉唱」に賛成・反対の問題が起こるような有様で、真実を知り、深さを知り、謙虚に学ぶといったものとはかけ離れているようです。道塾では、心ある教員の方が真剣に学ばれています。その方々に少しでも誇りある日本人の育成にご尽力していただくとともに、私も親として、子供の教育に対して、もっと学ばねばいけないと思います。学校・保護者の教育観が一致すれば、教育の再興は実現すると思います。なかなか厳しいようですが、「大河にコップ一杯の水」で、まずは自分が実践していくことが大事であると感じています。  調和する力の偉大さは、毎回の道塾の中で感じさせていただいています。
 今回は、「一人革命」することへの希望を、身体を通して教えていただきました。大勢の「心なし」の中に、1人の「心あり」がいれば、エネルギーが働くことの検証があり、組織の中で、1人で進むことの怖さに、勇気を与えていただいたものでした。今の社会に、前進する大きなエネルギーは感じられません。それは社会全体が対立・衝突の方向を向いていることの表れであるとの認識です。我々塾生が一人革命することでエネルギーを生み出すことが必要で、そのエネルギーが、周りに波及して大きな力になれば、日本は変わると思います。 我々の国家である「君が代」の意味を実践すること、このことが日本人としての誇りであると私は思います。  
 次回のご指導も、よろしくお願いいたします。

 

『一人革命』こそすぐに実践でき未来を変える希望  奈良 美容室経営 男性 37歳 KO

 ご講義の初め「君が代」のお話をお聴きし、私は日の丸が賛成であるとか、反対であるとかそういうことですら、意識がいっておりませんでした。賛成でも反対でも そうですか と・・・無関心にもほどがある感じで物事を捉え横着な人生を歩み続けてきました。 宇城先生がおっしゃられているように 賛成だとか、反対であるとかではなく、日本人として、「君が代」本当 の意味や誇りを伝えてくださり本当にありがたいと思います。
 宇城先生のご講義を受け、4年ずっと宇城先生がおっしゃられていたこのまま日本はダメになるというお言葉 がずっと頭に残っていて、4年後の今 本当に宇城先生のおっしゃられていたことが現実味をだし、私自身いろ んな事に危機感が増すばかりです。それなのに世間では、その危機感や、ダメな方に流れていく様子を感じることもなく、あれ? といった気持ち になりますが作られた世界とはこういうことなのでしょうか・・・ そのことがものすごく恐ろしく思えます。
 本当に私は惰性で生きてきました。 何の不自由もないといえばそれまでですが、私達の子供の時代はきっと違うと感じています。恐ろしい未来を宇城先生に警告していただき、今までにない危機感を覚えています。その危機感の中で、宇城先生に御教え頂いている『一人革命』こそすぐに実践でき未来を変える希望だと感じています。お辞儀や、正しい行動 心を創り1人1人が変わらなくてはいけないと感じています。そして、何か大きい事をすることだけが行動ではなく自分の生き方を変える 変わろうとする意志、行動少しで も多く宇城先生に教えていただいたことを実践し1分1秒を 真剣に生き抜きたいと思います。ありがとうございました。

 

直接道塾でご指導いただけることに改めて感謝  大阪 会社員 男性 41歳 KY

 「一人革命」を成そうとする時に必要な物の見方。それが、事実、真実、真理という切り口だと改めて教えていただきました。
 日本の報道の「自由度」が59位とは、正直驚きでした。内戦で混乱のある国々と大差無い順位だったからです。 しかし冷静に考えてみれば、テレビにしろ新聞にしろネットにしろ、「バイアス」のかかった情報に満ちあふれています。であれば、自らが情報の求め方、とらえ方を変えるほかありません。それは、その人自身の生き方の軸を問われている事にもなると思いました。言い換えれば、『師』と呼べる存在を持っているかいないか。それを心に持って日々を生きているかどうか。横着で傲慢な自分自身を師にできないことはすでにわかりきっています。
 今の日本は、子どもから老人に至るまで、そんな自分を『師=私』とした人間が普通の世の中になってしまった。私は、私淑している『先生』とお呼びすべき方が二人おられますが、宇城先生からは、直接道塾でご指導いただけることに改めて感謝しなければらないと思いました。
 先生は半ば冗談交じりに『皆さんはもう手遅れですが、子どもに悪影響を与えないでください』と言われます。私は笑えません。どれだけ道塾で学んでも、それを生身の人間と相対して、日常に組みこもうとしても、ものの数ヶ月もすれば元の木阿弥ということを何度も経験しているからです。
 夏目漱石は、小説で『絵に描いたような悪人などいない。普通の人間が一瞬にして悪に染まる。だから怖い』ということを描写しています。今の日本人はまさに、人間として退化するような誘惑と瘴気の中で日々生き、瞬間瞬間を悪というよりも、横着でわがままな自我に染められていっているような気さえしました。けれども、同時に、たった一人が真剣に礼を行う。それだけでがっしりと組み合った複数の人間のスクラムが強くなるという「事実」もある。それは、人間が持つ希望というものと、私心のない人としての振る舞いが周囲に何をもたらすのか、その「真理」を示しているとも、思いました。
 職場で挨拶をしても誰も返してくれない。こうすればいいのではないかと仕事の進め方を工夫しても周囲から浮いてしまう。そんな日々でいつしか元の自分に戻っていた今でしたが、それこそ自分の思い通りにならない現場から逃げていただけだと気づくことができました。認められるからやる、認められないからやらない、ではなく、ただ当たり前のことだからやる。それがまた一人革命と独立自尊への道と信じてまた日々やるべきことに取り組んでいこうと思います。今回もご指導、本当にありがとうございました。