2015年 大阪中上級・B 第2回 (2015.04.15)

私一人の「一人革命」を毎日続けていきます  大阪 会社役員 男性 42歳 MO

 今回、宇城先生から柳生兵庫助のマンガを通して「覚悟」について、解説して頂きました。 その中で、「敵の太刀をあえて我が身に受け、切られてやろうと思う心。そう思い込めば、不思議と敵の太刀筋が読めてくる」については、受けて味わうぐらいの余裕があるから、覚悟があるから、避けることが出来るのだと教えて頂きました。それは、相手の全てを飲み込む覚悟。
 相手の全てを飲み込む覚悟があるから、相手と衝突せず調和でき避けることが出来るのだと。覚悟について、普段教えて頂いている「調和の心」との結びつきについて、分りやすく教えて頂きました。またそれは、他尊自信の精神と同じであると私は感じました。
 今回、マンガを通して「覚悟」について分かりやすく解説して頂き、私はこれまで『自分にとって都合の良いことが起こらないか』としか考えていなかった浅はかな人間であることを改めて知りました。
 覚悟なくして謙虚な行動も、相手との調和も出来る訳がありません。こんな浅はかな考え方をしていては、先生の話を理解出来なくて当然です。宇城先生の意図を汲み取れないから、どう行動して良いのかも分からず、居ついた人間になっていました。
 今回、宇城先生が分かりやすく解説して頂いたおかげで、普段良く言われる「仕事は、片手間にやる。」という事も理解できました。片手間にやると言うのは、迷ったり悩んだりしているうちに、私たちのような未熟者は本来一番大切な「判断する」という行為を、結果後回しにしてしまうということを宇城先生は知っておられます。だから宇城先生が、常日頃言われる「片手間にやる」も「スピードを上げる」と言うのも、全て「判断することに集中しなさい」ということだと思いました。判断することに集中しさえすれば、自ずと行動に移すスピードが上がってくるのです。
 私は、今回悩む前にすぐに紹介された柳生兵庫助のマンガを購入し、何度も読み返しました。 そして先生から解説を受けてからの読書は、これまでと全く違ったものになりました。 小説などからも得られる知識にも、雲泥の差がでました。先日、司馬遼太郎の『アームストロング砲』と言う小説を読んでいたら
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桃井春蔵は、江戸一の剣客としてだけでなく書でも評判であった。 ある日水戸の老公斉昭に呼ばれ「書を所望する」と言われ、筆を取り上げたとき、背後からいきなり木刀で打ち込められたが、春蔵はそれを筆で受け止め、拳で相手を悶絶させた。 さらにそのまま書き進めようとすると、べつの近習が春蔵の右腕を抑えかかったが、春蔵は近習の目を見据えて、気を持って萎えさせておき、近習をぶら下げたままゆうゆうと書を書き終えたそうである。 恐るべき怪力であった。
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と言う内容が出てきました。
 これまでなら、ただ読み流していただけの内容ですが、宇城先生から普段同じことを見せて頂いているので、「これは、怪力ではない。相手と衝突することなく調和できたから悠々と書を進めることが出来たのだ。
 桃井春蔵という剣客は、剣の修行だけではなく、大変な人格者だったのだ。」と、小説からより深い学びを得ることが出来ます。よく「洋書は翻訳本ではなく原書を読みなさい」と言われますが、これは翻訳者の能力により解釈が異なってくるからでしょう。そういう意味で、宇城先生から直接お話しを聞かせて頂ける私たちは、まさに原書を受け取っている事になります。
 先生の言葉の解釈は、そのまま今の自分の能力です。
 道塾での回を重ねるたびに、先生の言葉からより深い学びを得られる人間へと成長して行きたいと思います。この度は、浅はかな私でも理解できるように分かりやすく解説をして頂き、ありがとうございました。毎日の生活の中で、判断のスピードを上げることに集中し、周囲を巻き込むぐらいの行動へ移していきたいと思います。 私一人の「一人革命」を毎日続けていきます。 今後ともご指導宜しくお願い致します。

 

今後とも心して学ばせていただきたい  滋賀 教諭 女性 55歳 KI

 今回も貴重なご講義をありがとうございました。
 最初のお話では、今は大企業が下請けになる時代だということで、今までの価値観では通用しない大逆転の時代が来ているのだということを感じました。文明の転換期とも言われていますが、現在の常識では全く通用しない新しい時代に向けて意識を進化させなければ生きていけない時代になるのだと痛感しました。
 そのためには、常識にとらわれず真理を追究し、新しい物を創造していく力をつけなければならないということを常にお示しいただいていますが、今の自分自身のスピードでは追いついていけないのではと感じています。
 最近、今まで気づかなかった自分の中の課題が色々見え始めてきたところですが、気づいた時点ですぐに捨てるべきものはどんどん捨てて、新しいものを取り入れて一人革命をしていくしかないと思っています。
 9人でスクラムを組んだ集団を一人が引っ張る時、円陣を組んで声をあげるとその集団は軽くなり簡単にひっぱられてしまい、たった一人の人がお辞儀をするだけで、その集団は重くなり引っ張ることができなくなりました。心も科学で解き明かされようとしている現在ですが、謙虚な気持ちで相手に対する敬意の念をもつことにより周り と調和し、心のエネルギーが強くなり、それが周囲にも伝わり重くなるのだと思いました。「やるぞー!」という掛け声は、独りよがりであり周りとの調和がとれず軽くなる感じがしました。
 宇城先生がお示しくださっている検証は、ほとんど全て後追いで科学で解き明かされようとしていますが、常に科学の先を行っておられる先生の最先端の講義を受けさせていただいていることに頭が下がる思いです。今後とも心して学ばせていただきたいと思っております。ありがとうございました。

 

エクササイズではない日常の行動を先ずは自分から進めたい 京都 自営業 男性 52歳 SK

 今回の道塾では、江戸時代初期の実話に基づく劇画「柳生兵庫助」をご紹介いただき、その中に伝えられる技や修行の様、人生観等、現代における宇城先生の「気」や「技」、その生き様とあまりにも合致することが多く、大きな衝撃をいただきました。そこに伝えられる「技」以上の事を、私たちは宇城先生に「気」を通していただき、「出来る自分」とその境地を体現させていただいています。まさに、このことは柳生兵庫助にも成し得なかったことでもあり、如何に有難い事かを痛感します。
 宇城先生の人生における一点の曇りもない“修行”や、それに向かう姿勢(全ての行動)の積み重ねが「気」というかたちで、技が昇華されたものと確信する私にとっては、日常の生活の在り方が、一つ一つの蓄積になっているかが最も重要な事だと感じます。
 先生からいただいた注意には、表面的な積み重ねや、心の伴わないまやかし、ごまかし(まさに横着)では、積み重ねにならずむしろ劣化する方向に向かうとあります。日常の中に、自分自身を律し、心を込めた行動で正々堂々と前を向き何よりも先ずは自分自身の実力を高めていくことが一人革命につながり、小兵なれど大兵の権謀術策に巻かれない真の実力を身につけることができると感じます。エクササイズではない日常の行動を先ずは自分から進めたいと思います。

 

講義を糧に邁進します  三重 土地家屋調査士 男性 58歳 TY

 本日のご講義ありがとうございました。
 とみ新三氏の『柳生兵庫助』をカット毎に解説され、先生が今までに指導されている内容と一致する表現に先生の尊さを感じます。

 柳生兵庫助のお話があり、ずいぶん前に山岡壮八の『柳生石舟斎』を読んだことを思い出しました。上泉伊勢守と柳生宗巌(石舟斎)が対峙し弟子に至るまでの剣の達人の境地が書かれていて夢中になって読んだ記憶があります。その頃は小説の中だけの世界であり現実にはない事だから、ただ面白いと思い読みました。今読み返すと気にかかる表現に目が映ります。
 空手で初めて先生にご指導していただいたとき、小説の中の非現実的と思っていた達人の技が現実になり、それを自分が体験したことに驚きと感動、夢を見ているようで、夢と現実が交差したのを覚えています。

 『柳生兵庫助』の言葉等など、先生が解説される個所にマーカーがされていました。他でも先生が読まれた本や資料には必ず要所にマーカーがされています。勉強の仕方、読み取り方、徹底して調べ答えを導く、正しいか検証する。 見習わなければならないのは言葉文章のポイントを見い出し調べようとするその徹底した工夫、努力です。自分はただ文字を読み、表面上の知識としてしか見ておらず、中身を見る力がないのか、ものの見方が出来ていません。全く勉強が足りない、勉強の仕方を知らないと思います。
 私たちに少しでも分からせるために先生は工夫され、『柳生兵庫助』を材料とし大変な量の絵をパソコンに取り込み資料作りをされました。本当に頭が下がります。大企業が下請けになるとのお話でも、既に先生は30代の若さでベンチャーとして取り組み成功され、それこそ大企業を下請けとして開発に注がれており、空手も居合も半端なくこなして現在でも弛まなく勉強され先に先にと進んで行かれていると思います。いつまでも足踏みをしている我々に指導し続けて頂くことに感謝いたします。

 小説のなかではあるけれど、幼い頃から剣の修行をした剣豪兵庫助、石舟斎でさえ極意を得るまでの修行は半端な事ではなかったと思います。 お話で聞いた山岡鉄舟の千日稽古もそうですが、皆、想像を絶するような稽古、修行を自分で工夫し自己に問いかけるようにして悟りを開いていきます。このように剣の達人でさえ相当な想いで修行しなければならない世界と思います。

 私たちは普通であるのにも係らず、何もしていない、結果何も出来ていない。先生は剣豪以上に事理一致を示して下さったり、やって見せて、気を通して同じ事を私たちに体感、体験させてくださったり、本来人間の持っている身体の能力を引き出してくださいます。何年も修行を積まなければ出来ない達人技を一瞬で体感することが出来るなど、まずありえない世界に導いて下さいます。その受ける身体は心を開き先生の気を感じなければ何も変化が起こりません。常識からの脱却などは心を閉ざしたままの孤立状態ではありえない事を教えていただいたと思います。

 合宿でも行なわれたスクラムを組み、引っ張るなどの検証で礼をする、気合いを入れてのスローガンも、心の変化による伝播、雰囲気の差だと思いました。効率の事、組織の事、見えないものが形に現れた事など先生の御説明から、特に身近に活かせ、応用が広がる検証、なにより自然の一部である人間は心があり調和することが本来の姿であり、この事を人類すべてが気付けば世界の平和に繋がるのではと心が弾み感動しました。

 現在の社会はあらゆるところから情報が入るが何が本当で、何が嘘なのか、政治の世界でさえ全く信用出来ない時代になっています。一人一人が規準をもって自分自身で判断しなければ、ついていけなくなる危機感があります。自分で調べ、自分で行動するとのお話があったとおり、自分で物の深さを調べ上げ、答えを導く努力をし、先生という道標を見失わないようにしなければなりません。
 本日の講義を糧に邁進します。 ありがとうございました。

 

エクササイズではない日常の行動を先ずは自分から進めたい 京都 自営業 男性 52歳 SK

 今回の道塾では、江戸時代初期の実話に基づく劇画「柳生兵庫助」をご紹介いただき、その中に伝えられる技や修行の様、人生観等、現代における宇城先生の「気」や「技」、その生き様とあまりにも合致することが多く、大きな衝撃をいただきました。そこに伝えられる「技」以上の事を、私たちは宇城先生に「気」を通していただき、「出来る自分」とその境地を体現させていただいています。まさに、このことは柳生兵庫助にも成し得なかったことでもあり、如何に有難い事かを痛感します。
 宇城先生の人生における一点の曇りもない“修行”や、それに向かう姿勢(全ての行動)の積み重ねが「気」というかたちで、技が昇華されたものと確信する私にとっては、日常の生活の在り方が、一つ一つの蓄積になっているかが最も重要な事だと感じます。
 先生からいただいた注意には、表面的な積み重ねや、心の伴わないまやかし、ごまかし(まさに横着)では、積み重ねにならずむしろ劣化する方向に向かうとあります。日常の中に、自分自身を律し、心を込めた行動で正々堂々と前を向き何よりも先ずは自分自身の実力を高めていくことが一人革命につながり、小兵なれど大兵の権謀術策に巻かれない真の実力を身につけることができると感じます。エクササイズではない日常の行動を先ずは自分から進めたいと思います。

 

虚心坦懐に、素直に感謝の念を持ち、きちんと礼をすることから  滋賀 教諭 男性 49歳 TF

 津本陽氏原作、とみ新蔵氏作のコミックから、柳生新陰流の開祖石舟斎から孫の兵庫助に伝わった兵法の奥義をご紹介いただきました。その中に出てくる言葉の一つ一つが、これまで道塾で体験させていただき、実際に自分の身体で感じたことと見事に繋がっていると感じました。戦国の世から江戸時代を通じて確立された兵法の奥義や秘伝は、言葉こそ残っていますが、それを実際のものとして体現し伝えられていることは非常に少ないと聞きます。それをこの道塾で、宇城先生の技を目の当たりにできること、さらには、歴史の達人たちが修行の末に到達した感覚を、私たち自らの身体を通して実感させていただけることに、望外の喜びを感じます。
 道塾でいろいろな実習を行っていると、心が素直になって、体が自然に動くことや直に感じることの素晴らしさを実感し、人間って本当にすごいなと思えます。とてもありがたいことです。 9人でスクラムを組んだ集団を一人が引っ張る実習で、よくスポーツの世界で行われる円陣を組んだり、拳を突き上げて気勢を上げる所作をした後では、集団自体が軽くなる雰囲気が見て取れるとともに、実際にその集団の中で体の感覚も変わることも体験させていただけました。軽くなってしまった集団でも、一人の人がきちんと礼をすることで、しっかりとした重みが集団全体に行き渡ることに驚きを感じました。
 先生のおっしゃったように、まさにここに小の兵法、まずは一人ひとりが気づいて変わっていくことの大事さ、一人革命の重要さ、が如実に表れていました。また重要なこととして、「礼をすればよくなる」「何かのために礼をする」と礼がエクササイズになることを戒められました。本来の意味や心を置き去りにして、形骸化させて言葉や見かけの動作だけを伝えてしまう傾向が私たちにはあるようです。それが武術の「スポーツ化」であり、学問の「受験勉強化」であり、危機意識の低さ、気づきの遅さ、感覚の鈍さをつくり出しているのだと思います。せっかく気を通していただいても、それを打ち消してしまう心の癖というのか、脳のはたらきが自分にあることを自覚しました。だからこそ、虚心坦懐に、素直に感謝の念を持って、きちんと礼をすることからすべてははじまるのだと肝に銘じて日常を送りたいと思います。先生が「歩くことも修行。24時間修行だ。」とおっしゃったことが心に残っています。ご指導ありがとうございました。

 

確固たる自分を創れるように日々修行   大阪 会社員 男性 47歳 MA

 ひとりで10人の集団を動かす検証がありました。集団が気合をいれると、軽くなって動き、その中の一人が心をこめて礼をすると、重くなって動かなくなりました。また、同じ礼でも形だけですると、軽くて動かされてしまう、それぞれの場合の集団の空気の軽さ、重さが、見ていてもはっきり感じられました。まさに自分が変わることで、周りを変えることができる一人革命だと思います。権謀術策の大兵法ではなく、小兵法に道を求めるというお話が、ありましたが、自分自身を鍛え磨くことで、組織の中で、媚びたり、綺麗ごとを並べたりせず、必要とされて生き抜いて行く道を示していただいたと思います。自分の日常の行動が、ただのエクササイズになっていないか顧みながら、確固たる自分を創れるように日々修行を積み上げていきます。