2014年 大阪中上級 第3回 (2014.6.11)

新し情報や気づきを与えてもらっている  兵庫 会社員 41歳 女性 MN

 6月の道塾への参加でしたが、その日は、無関心 調和 対立 の体験を皆さんとやらせて頂きました。 私自身が普段からあまり他人に感心を持つことがなく自身の悪い点と自覚しておりますが、 私の発する「無関心」の気を感じた相手との関係がどうなるのかということに気付くことが出来ました。

また、この日教えて頂いた事ばかりでなく、宇城先生に教えて頂いた事を会社で少しずつ 自分に出来ることから実践してきましたが、最近じわじわと効果があらわれてきています。 人間関係や仕事の進め方、まわりの仲間と協力した業務改善の仕方等です。 感動です。塾にお伺いする度、新しい情報や気づきを与えてくださり本当にありがとうございます。

これからも勉強させてください。 よろしくお願い致します。  

 

調和を大切に厳しく、優しく生徒と接していきたい  広島 教諭 45歳 男性 MT

 『調和』と『対立』、お互いの距離感によって調和が生まれたり、なくなってしまったり、 何気ない営みの中にお互いの関係をよくもしたり、悪くしたりすることがある。 日々中学・高校生と向き合っていますが、こちら側の愛が足りず、 横着な対応をすれば当然生徒の反応もそれと同様な形で返ってくる。

逆の心をこめて、相手を思い接するとそれと同様な形で反応が返ってきます(個人差・時差はありますが)。 まさに調和と対立であるとつくづく思います。

宇城先生に学ばせていただく前の私は、この視点がありませんでした。 適当にしてきたつもりはありませんが、自分が生徒に教えたいこと、 伝えたいことをいかにして発信するか、 そこに対象である生徒の実態をあまり考慮することなく、 一方的に正しいことだからということで強引に進んでいたように思います。

しかし、道塾で実践を通して学ばせていただく中で、自分の至らなさを痛感し、 今までと同じようにやろうとするのではなく(まだ横着な自分が出ることもままありますが)、 いかに調和を図るかということに視点を置いて取り組むようにしました。

それは、スポーツの指導の場面でも同様です。 試合において対戦相手をやっつけようとするのではなく、 相手がいるからこそできることであり、対立の関係でゲームをやろうとするのではなく、 お互いの努力を認め合い、その中で自分たちの力をいかに出し切るか、全力を出し切るか、そこに重きを置いて試合に臨めるようにすることに力点を置けるように、 生徒にも同じ観点で臨めるように指導を心がけています。

このような営みの中で少しずつではありますが、物事の見え方、 周囲の人々の営みの本質のようなものが見えてきたような気がします。 自分も含めて対立の構造を作るような営みをする人は、対立を生みやすく、 うまく物事が進まない傾向にあることがよくわかりました。

心をこめて、調和を大切に厳しく、優しく生徒と接していくことができるよう横着な自分と向き合い、 日々を大切にしていきたいと思います。  

 

調和の強さを改めて実感しました  兵庫 会社員 44歳 男性 JS

 「対立」と「調和」の検証で、私1人対5人一列の構図で、私が力任せに押しても、 列が全くビクともしなかったのに、私が少しずつ後ろに下がり列の先頭の人と対立の心が なくなった状態の位置になった時、横にいた別の第3者が列の先頭を軽く押しただけで、列全体が動きました。

また私がよそを向いて無関心の状況になると、列が動かなくなり、そして今度は私が列に加わり最後尾にいた時、 力が貫通してくることを体感しました。「対立」と「調和」の違い、「調和」の強さを改めて実感した瞬間でした。

また、興味深いのは調和され 正面からの力が貫通するのに、横からの力には強く、列が全く崩れないことです。 それを宇城先生は「調和の力は強さと優しさが一体になっている」とそして「それが絆になる」とおっしゃいました。 本当に心に残る言葉でした。これを心に留めて日常においても実践すること。

ビジネスや日常生活だけでなく、 混沌としている世界情勢の解決方法は「調和」であると言葉ではなく身体で実感しました。 私達は目を覚まし実践していかなければなりません。
先生からは人類の根本原理を教えて頂いたのだと思います。先生の教えは崇高です。

まず我々塾生が「一人革命」により変化し、その絆を広げ、そして、たとえ急激でなくとも、 じわっと全体を動かす(世の中を動かす)。まさに今回の「調和」の検証のように。  

 

自分自身の学びや気づきの浅はかさを再確認  京都 経営者 51歳 男性 SK

 今期3回目の道塾では、今までとは少し感覚の違う体験をさせていただきました。
それは、ご教示における新しいステップの扉を開ける感覚をいただいたことと、 自分自身の学びや気づきの浅はかさを再確認させていただき、 まだまだ麓に居る自分のレベル自覚させていただくものでもありました。 それは、「調和」の力の崇高さ、「調和」と「無関心」の狭間、「自己中心」の世界でした。

 もちろん今までにも、先ず自分が変化することから周囲が変わるということをお示しいただいており、 自分自身が一人革命に向かい、内から導き出す統一体を目指しておりました。
今回のご指導では、それに加えて目に見えることは出来ない周囲との「調和」を実際にはっきりと体現させていただき、 調和を越えた衝突や、さらには無関心における私たちの無意識下での実態をまざまざと体験させていただきました。

 そして、そこから意識下での利欲優先や自己中心における対立についても学ばせていただきました。 検証の中で周囲との「調和」状態や、その逆の「衝突・対立」、 さらに「無関心」を境界線を跨いで感じ取ることができました。 調和時の一体感、利他の精神による純粋な行動が生むエネルギーの大きさや影響力など、 それに反して、調和を解いた無関心の域での孤立感と、喜びや希望の薄さ、 さらに利欲に走るなどの自己中心的な考えや行動における対立と摩擦など、 全ての日常生活における規律や規範そのもので、 この体現は日常の全てに当てはまり、全てに通じるまさに「人生の法則」だと強く感じました。

  打算が存在し、何か見返りを期待した自己変革に向かうことは、自己中心を突き進めることのみで、 それは決して調和でない。一人革命を頭脳で考え脳の理解で変化を追い求めることではなく、 「調和」との境界にある無関心や対立、自己中心を知ったことが、まさに新たなスタートであり、 自分自身が麓に居ることに気付いた瞬間でもあります。 引き続き、気づきの深さを求めて学ばせていただく事に本当に感謝です。 いつも、ご指導有難うございます。  

 

対立の構図に変化は生じないということを学びました  大阪  臨床検査技師 47歳 男性 NI

 冒頭に写真を交えたお話をされましたなかで、サーカスにいたライオンと数年ぶりに再会した女性の動画紹介がありました。ライオンは、鉄の檻越しに女性を抱擁し、まるで人間であるかのようにその女性を抱きしめていました。たとえライオンと人であっても、真心が通じ合うと、ここまで互いが愛おしくなるものかと感動いたしました。互いが人間であっても、このような信頼関係を築くことは少ないのではないでしょうか。

『調和と対立』
 現在のスポーツ、武道としているもの(空手・柔道)などが、対立関係しか生み出すことができず、そのことで互いが弱くなっていくことが、実践として検証されました。まず、ラグビーのモールのように8人がチームで塊になって互いに押し合い、押し合っている状態で横から一人が押すというものです。
 結果は簡単に横に崩れました。対立は、弱さしか生み出さず、8人のどちらかに2人が追加で応援が入った状況でも、状況(押し合いの均衡)はかわりませんでした。このことは、社会での生き方、集団としてどのように向かうべきなのかを、教えていただきました。家庭においても、職場においても、対立関係は日常的におこりやすく、集団の単位が大きくなればなるほど難しくなってきます。
 現在、我が国をとりまく状況は、対立そのものであり、対立の関係を変えようとして、軍備や法体制の変更をしても、先の追加の応援のように、対立の構図に変化は生じないということを学びました。

『型』
 『型』は、経験と照らし合わせて工夫するF.B(フィードバック)であるとともに、未来に向けて進化(深化でもあるかもしれない)していくことの両方を行うことができる。その型を行うときに、最初から呼吸のこと、形のことにとらわれすぎることなく行い、そこに調和の心を入れていくことが大事であると話されました。型は、「自分との調和である」とおっしゃられた時に、自分は違う方向に行こうとしていたと気づかされました。というのも、先生の型をうつすのではなく、真似ていただけであり、足の位置がどうだ、手の角度が、スピードがと、目で追える表面の形ばかりを気にしている、自分の程度の低さを感じました。先生は、型をしているときに「今、かっこつけようとしたな。とか自分で判るやろ。」と言われた時に、「その通りです。」と思いました。まずは、型を自然とできるようにひたすらに行っていきます。
 先生、ありがとうございました。今後とも、ご指導のほどよろしくお願いいたします。 

 

スポーツの本質やあるべき姿に気づく事ができました 滋賀 大学生 21歳 男性 KH

 先日の宇城道塾では、貴重なご講義、またご指導をありがとうございました。
前回の親子塾では大変お世話になり、今回の道塾でもたくさんの学びを得ることができました。
今回、将来の自分の果たしていく役割は何かを深く考える機会となりました。

 と言いますのも、現在、スポーツ健康科学部でスポーツを中心に学んでいる中で、 今回の内容では、本当にスポーツを子どもにさせていいのか? という本質的な問いを自分自身にぶつける機会となったからです。 ラグビーのスクラムを組み、ぶつかり合った時、横から押されると簡単に崩れてしまう。
衝突・対立が起こり、身体が弱くなる。そして、それが怪我の元になる。 相手を潰せばいい、相手よりも筋力等が勝っていればいいという現在のスポーツの考え方の 根本的間違いを体験することができました。

 また、「甲子園がなければ、誰も野球をしない。人参をぶら下げてやっているようなものだ」というお言葉は、 これから野球の指導に関わっていく僕の心に突き刺さるお言葉でした。

 それらスポーツを科学的に分析し、競技力を向上させる事を学部では学んできました。
しかし、今回の道塾で、それらはほとんど意味がないものであるという境地に至りました。
相手に勝った!甲子園に出場した!等、本当に小さい事であると感じました。
今まで学んできた事は何だったのか…と感じました。
スポーツの現状を考えると、確かに頭打ちになっている事が多いです。

 学校に於けるスポーツ指導も特に頭打ちを感じます。 スポーツをしている人が不祥事を起こす事も多いです。 スポーツをすると人間力が落ちるのか?とも思えます。
今の時代に感じる事は、スポーツを根底から考え直さなければならない時期に来ているということです。

 そんな中で、宇城先生の下で、スポーツの本質やあるべき姿に気づく事ができました。
「スポーツ万歳!」と、先生と出会う前までスポーツの表しか見てこなかった自分が、 ナンセンスだったことにも気づきました。

 スポーツの本質に気づいたことで、 本当のスポーツの意味を考える事ができます。そしてそれは、先生がいつもおっしゃる 「スポーツをスポーツ道へ」であると思います。スポーツ道でなければ、スポーツはしない方がいいと思います。 しかし、これから野球の指導やスポーツに関わって、それで生活をしていくので、 しない方がいいと言うと、自分の首を締めることになります。

 そんな矛盾が生じる業界で果たすべき使命は、スポーツをスポーツ道に変える事だと感じます。
今の頭打ちのスポーツを、スポーツ道にできる指導や環境づくり、自分の力量をつけていくことができれば、 もっとスポーツの価値が上がり、スポーツを通じて心身一体の本当に強い子どもを育成することができると思います。 僕の果たすべき役割はここにあると感じました。

 「自ら省みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん」と孟子は言いましたが、 その心でこれからも努力していきたいと思います。 今回の道塾では、改めてスポーツの意味、そして、自分がスポーツを学んでいる意味を考え直すキッカケになりました。 本当にありがとうございました。