2013年 大阪中上級 第4回 (2013.8.6)

「野球道」を貫く高校生に感銘   石川 中学校教員 61歳 男性 A.N

 3人1組になり、中央の人の腕を両脇の人が持ち上げることは容易であったが、中央の人に「気」を通されると、重くて持ち上げることができなくなった。「気」を通されなくても「統一体」になることで身体を軽くし、水泳では水に浮きやすくすることができたり、重くして、野球でスピードのあるボールを投げることができることを学びました。
 1月13日に奈良県立桜井高等学校の体育館で学校実践講習会でお会いした森島監督と野球部の選手が甲子園に出場したことに驚きました。出場が決まった瞬間、森島監督が思わずガッツポーズをしたことを反省し、選手の冷静さに学んだとおっしゃっていたことに感動しました。さらに宇城先生が甲子園に出場するより高いレベルを目標におかねばいけないとおっしゃったことにもっと感動しました。8月10日の試合では、学校紹介で、他校と全く違って選手全員がきちんと礼をして好感をもてました。応援席に「他尊自信」の横断幕が張られ、ホームランを打っても表情を変えることもなく淡々と走り、試合終了後は、桜井高校の選手全員が正座して、グラウンドに礼をしたのを見て感銘を受けました。野球の目的は勝つことではなく、人間力を高める「野球道」を貫いている高校生がいることを見た人は、天動説から地動説を知るような驚きだったと思います。

 

見えないものを観る機会   大阪 医師 54歳 女性 H.A

 文字は見えなければ無いのと同じ。言葉も聞こえなければ無いのと同じ。
けれど文字や言葉に乗せた心は、見えない、聞こえない相手にも伝わっていく。
『道』の中で美輪明宏さんが仰っておられた言葉を思い出しました。
「見えないけれど、常にそこにある。スイッチを切ったら何も見えなくなる」
気や電波も見えない、掴めない。科学の力が、その“無いもの”を使える形にして見せてくれています。宇城先生が見せてくださる“気”や心が持つ力については、科学の力がまだ事実に追いついていない。
けれど私たちは先生の力をお借りして、見えないものを観る機会を与えられています。

 その体験を重ねるたびに、常にそこに在る“気”が初めは自分の信念として、やがては自分の肉として感じ始めるような気がします。もっとずっと心を開き、途切れがちな自分のスイッチをオンにしていきます。
 また、先生は“侍”として生きるということをお話してくださいました。私はこれまで医療の仕事上、死を受け入れられない方を多く見てきました。そして、侍のように死を恐れないで生きるためにはどうしたらいいのか、答えを見つけなければ自分自身が患者やその家族の前に立てないように感じてきました。 
 これまで、その答えは魂や来世の存在を信じることにあると思ってきました。死生観です。先生のご指導を受けてからは、少し違うと感じます。そのためには命を捨てても・・・というものを自分の中に見つけることが、その答えだと思うようになりました。宇城先生に接すると、子を想う母親の気持ちよりもっと深く大きい愛が人の中にはあるのだと思えてきます。
子を想うのと同じくらい愛しい命が自分にあり、その命の完成形を“侍”の如く求めて生きたいと思いました。