2013年 大阪中上級 第3回 (2013.6.11)

昔の志士にはできた、この違いは   滋賀 大学生 23歳 男性 K.I

 大人が何人か、先頭の人に続いて、前の人の腰をしっかり抱え、列を作る。普通は、先頭に立っている人の腕をしっかりつかんで引っ張っても、列はびくともしません。しかし、宇城先生に気を通していただくと、接点が先頭の人の親指と自分の手のひらだけでも列を自由自在に動かすことができます。さらには、先頭の人の指と自分の腹という普通はほとんど摩擦も起きないはずの接点でも、気を通されると、歩き始めるだけで、列が付いてきます。やはり、「気」の力はものすごい。不思議としか言いようがありません。
 また、先生はこの検証の際に「本気になれば、こうやって人は付いてくるんです」とおっしゃいました。この言葉が印象に残りました。何かことをなそうとした時、私は「なんでみんなわかってくれないんだ」「なんで誰も付いてきてくれないんだ」という思考がまだまだ抜けません。しかし、そのような思考は、ただ単に実力がない自分自身を過大評価しているだけに過ぎません。そのことが、この検証からもよくわかります。
 「本気になれば人は付いてくる」このことで頭に浮かんでくるのが、幕末の志士の高杉晋作の功山寺挙兵です。長州藩3,000名の兵力に対し、わずか84名で挙兵する。一見無謀としか思えないような挙兵ですが、次々と高杉に加勢する人々は増え、最終的には長州藩を倒したといいます。数字だけを見ると、とても勝てるような戦ではありません。実際、高杉は遺書を残していたといわれています。「生きている限り、大きな仕事が出来ると思うなら、いつまででも生きよ。死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし」と吉田松陰は高杉に言ったそうですが、まさに死ぬ気で、本気で、高杉が立ち上がったからこそ、他の人々が付いてきたのだと推測できます。

 そして、当時の高杉と私の年齢はさほど変わりません。しかし、今の私に高杉と同じようなことができるかといえば、全く話にならないレベルです。しかし、昔の志士にはそれができました。この違いは何なのか。宇城先生の気と、この高杉晋作の話を踏まえると、容易に「侍」という言葉や、「志士」という言葉を使うことの浅はかさ、横着さが見えてきます。

 まだ若い私も、今の日本の現状を知れば知るほど、すぐに「何かやってやる」「何かしなければ」という思考が出て、焦って行動をしてしまいがちです。昔であれば、即座に斬られてしまうでしょう。では、今の私には何ができるのか。まずは、宇城先生、そして先生の下で学ばれている緒先輩方に習い、その教えを受け継ぎ、実践することです。今の世には、世の中を変えようという、学生団体や、思想団体、様々な団体がたくさんあります。しかし、それらのほとんどは、見た目のかっこよさや人から認められたいという気持ちがついつい先走ってしまっているように思えます。それらの団体の人が本当に幕末の志士のような志と、びびらない身体を持っているかといえば、疑問が残ります。

 なぜ宇城先生が、私から見たらとんでもないご境地におられるのに、地道ともいえる活動をされているのか。これまで、あまりわかっておりませんでした。今も、とてもわかっているとは言えませんが、様々な団体を見れば見るほど「やはり宇城先生の下で学びたい」という気持ちが強まっております。そのためには、まずは宇城先生に気づかせていただいたことを、日常の中で実践していかなくてはなりません。最近は、何か「大きなことをしよう」と焦り、驕り高ぶっているところがありました。何をするにも師を持ち、師を中心に仲間を得て、皆で師に学び続けることが大切なのではないか。そのように反省しております。これからは再び日常を見つめ直し、謙虚な気持ちで引き続き宇城先生の下で学ばせていただければと思います。

 

身体に気が宿った貴重な体験   兵庫 会社員 43歳 男性 J.S

 宇城先生にご指導いただくようになってから、大宇宙の中では本当に小さな存在である自分、そして母なる地球に生かされている自分、自分は何のために生きているのか、これからどう生きなければならないかを深く考えるようになりました。現在の日本は厳しい状況におかれていますが、これからどうしなければならないか、それは一人一人が強くなること。その為にはどうしなければならないのか、それは「身体」を強くしなければならい、その為にはまず「心」ありにならなければならないこと。そして、今回の講義で「身体は内なる気に応じて動き、気は心の向かう所に応ずる」の教えの通り、改めて部分体と統一体の身体の強さの違いを実感させていただきました。
 特に、サンチンの呼吸法により自分自身が統一体になり、その強さを実感できたことは本当に貴重な体験をさせていただいていると思い、心から感動しました。DVDで拝見していたように先生がサンチンの型をした後にその腕をつかんできた相手を何も力を入れずに投げ転がしているシーン・・・ 私が先生の腕をつかんだその瞬間、何か身体が回転して瞬時に床にたたきつけられる体験、それだけでなく私自身、先生のご指示に従い、呼吸しながらサンチンの型の前半部分で塾生の方が私の腕をつかんだ瞬間に何も力を入れずに、手を少し動かしただけで、その相手の方を床に転ばせてしまいました。これは、サンチンにより身体が統一体になり、まさに身体に気が宿った貴重な体験でした。

 このような体験を身体に記憶できるようにしていただいているのだと考えると、改めて先生の御指導に感激しておりますが、この感覚を身体に記憶させる為に、日常でもサンチンの心がけで日々の生活を修行と思い、生きていこうと思います。そして、まさに先生から御指導いただいている通り、幕末のように人間の誇りの為に生死を賭け、必死に生きていた人々を見習う必要があると思いました。

 

統一体のボールに見た内面の力   滋賀 大学生 22歳 男性 S.M

 今回のご指導のなかで、宇城先生の投球を捕らせていただきました。普通のボールと統一体のボールでは、球の見え方が全然違いました。普通の状態だと、球の速度が上がっても難なく取れます。それが統一体だと、ボールが突然出てきて、ずっしりと重かったです。また、グッと差し込まれるような迫力と安定感がありました。投げているのはどちらも宇城先生であり、投げ方や球の速さも見た目にはそれほど変わらないはずなのに、これほど球の質に違いがある。統一体の力、内面の力という、目に見えない力が働くことによる変化を体験させていただきました。目に見えない力を、こうして検証によって見える形にしてくださることに、宇城先生の優しさと、そうしていただかないと感じ取ることができない自分のレベルの低さが表れているのかな、と感じました。しかし、気による実践指導によって、自分にもそうした内面の力が確かにある、できる、という希望を同時にいただいているので、ただ自分には「できない」で終わることなく、自分の心、行動を見つめるきっかけをいただいています。 まだまだ執着が多く、甘えが多い自分ですが、信じることはやめないで少しずつ前進したいです。

 講義後、初めて懇親会に参加させていただきました。宇城先生から貴重なお話をいただき、また他の道塾生の方ともお話ができてよかったです。自分の行動の遅さに気づかせていただきました。自分のものさしで生きていては、すぐに置いていかれてしまいます。大きな目を持つこと、身体のスピードを高めることを、日常の小さなことに当てはめて、「まず動く」ということを実践していきます。

 

統一体はノウハウでは身につかない   三重 公務員 57歳 男性 T.N

 今回の塾では、次々と目の前に示され、体験させていただいた多くの実証で、統一体と部分体の違いを今までよりも強く感じさせていただくことができました。特に「身体は内なる気に応じて動き、気は心の向かうところに応ずる」という宇城先生のお言葉のあとで、7人の塾生の列を先頭の人が立てた親指に触れるだけで、また、脇腹を押す人差指だけのつながりだけで自在に引っ張っていく実証を体験させていただいたことで、自分の心のありようや覚悟の有無がものごとの成否を決め、人間関係を左右してしまうことがストンと自分の胸に落ちました。

 さらに、統一体の動きや呼吸をして膝を高く上げたり、深く前屈したりすることが出来ていたのに、柔軟体操をしただけでたちまち部分体に戻ってしまうという事実も体験させていただきました。
これまでは、「どうすることが統一体的なのか、部分体的なのか」をさまざまな場面に応じてたくさん教えていただきたいと思っていたというのが正直なところです。しかし、今回の講座で統一体はそのようなノウハウを身に付けることで成り得るものではないということがよくわかりました。今更ながらですが、身体面では統一体体操や呼吸を、また、心の面では周囲の人々への思いやりや信頼といった、これまでの塾で学んできたことを日常生活のなかに定着させるよう努めていきたいと思います。

 

全身が協力しあう「統一体」を   京都 販売業 43歳 男性 S.I

 今回は、宇城先生の二刀での演武を見せていただき感激しました。二本の木刀を、宇城先生が統一体で 中段、上段に構えられると、向き合う人はなす術なく、すっと振り下ろされる太刀にフ~っと首筋を撫でられるだけでスト~ンと崩されてしまう。見ている人全員が深く驚嘆するような、静かで凄みのある演武でした。「左脳ではなく右脳で、とよく言われるが、それだけではダメで、真の創造性は統一体から生まれる」と言う宇城先生の言葉に襟を正したい気持ちになりました。
今の教育が脳だけへのアプローチに偏りがちなのは、人間の能力を知識の側面でしか評価していない事の現れだと感じました。脳だけが大切なのではなく、全身に気が通り、全身が協力しあう「統一体」を創っていく事の大切さを痛感しました。

 

心が変化すれば気も変化する   兵庫 会社員 47歳 男性 M.Y

 今回の道塾では「身体は内なる気に応じ動き、気は心の向かう所に応じる」という言葉を我々のからだで体験、感じとる貴重な時間となりました。5人の列をつくりその先頭の者は親指を立て、後ろの4人はしっかりと先頭の者を動かないように固定する。一方、気を動かすことによって、その列を動かす主体者はその列の指を立てた先頭の者と後ろの4人を動かすのである。自分でやってみせたが、5人の列はビクとも動かない。しかし、塾長が気を通すと列を動かすことができた。
 次に、指を立てていた先頭の者は人差し指を主体者の脇腹に当ててみる。同じく、その状態で列を動かそうとするのだ。やはり、動かない・・・ 塾長が気を通すと、人差し指と主体者がくっついているかのように離れず、列を簡単に動かすことができた。
 気が通っている状況だと、これだけの力を発揮する。「気」が通っているエネルギーの強さには毎回のことながら驚かされ、同時に、自分の未熟さを痛感させられる。「力」ではどうすることもできないのだ、内面・心の発動が大切さなのだという事を再認識できました。これからも、姿勢・謙虚な心とそれに根差した行動を日々心がけます。今回の「心が変化すれば気も変化し、気が変化すれば身体も変化する」という教えを「心」に刻み込んで行動してまいりたいと思います。

 また、その後の懇親会に出席させていただきました。あれだけのケタ外れの能力・技量を持った人との会話。恐れ多い気持ちであったのですが、お酒の場では全く逆で、気さくで話しやすく笑顔も優しさに包まれており、人間味あふれた塾長でありました。そのギャップに更に心惹かれ、本当に良い師に巡り合えたものだとただひたすら感謝する気持ちになりました。教えてもらうという他力ではダメで、その教えを基に自分が「行動」「思考」で活かしていかなければならないことは心得ております。しかし、その「教え」の影響力は当然大きいものとなります。今後、少しでも時間が許される限り塾長に接することができることを望んでおります。

 

自分だけでなく、他人を幸福にする   京都 会社経営 50歳 男性 S.K

 動かない“はず”のもの(部分体では動かないもの)が、統一体では簡単に動く。
動かす人間や動く者(物)が変わることなく、同じ人間が同じことをして事実が変わる。ほんの数秒後にその変化を目の当たりにします。
人間本来に備わる潜在的な能力が、宇城先生に気を通していただくことで覚醒したとき、私たちの価値観が180°変わります。

 完成形の身体に気を通していただくことで、“動かすことの”出来る自分と、出来ない自分の違いが何なのかを身体に問います。頭脳や知識にたよるとたちまち気が消えます・・・。
「身体は内なる気に応じて動き、気は心の向かうところに応じる」と教えていただきました。
必死と本気や魅力の意味を改めて身体で感じた瞬間です。
私自身に集団を動かすだけの必死や本気もなく、集団を惹き(引き)つけるだけの魅力も無いことがよくわかりました。内なる気が必死や本気、覚悟で、そこから拡散される心の発動エネルギーが、人間的な魅力となって、向かうところに引き寄せ、応じさせるなのだと確信します。

 そして先生は、居合や空手で勝ち続け、研究者として開発に携わり、経営者として多くの実績を持つことに、何の自信も無いとおっしゃいました。そのことが自分自身のの自信に結び付いていることは、ほとんど無いとも・・・。しかし、先生は人間が本来持つ潜在能力の素晴らしさに自信を持ち、その能力を呼び起こす「心」の存在と、それを実践した生きざまに大きな自信を持っているとおっしゃいました。 私は、この言葉に何よりも大きな感銘を受けるとともに、この「心」の存在とは、「公」という一つの真理にの中にあり、利他を重んじて調和を優先するものであり、結局は自分だけが幸福になろうとするところに、この能力は呼び起こされないと改めて感じました。
自分だけでなく、他人を幸福にする。
そのために、先ずは自分と向き合い、自分がまず幸福に向かう。事理一致を手掛かりに、統一体が呼び起こされる「心」と、その在り方を求めて、ひきつづき修行を続けたいと思います。

 

自分という人間を信用できる人生に   大阪 医師 54歳 女性 H.A
 今回も様々な実証を示していただきありごとうございました。今までより落ち着いてお話を聞き、実証に参加できたように思います。『心と身体の神秘』を読ませていただいたからだと思います。身体は気に応じ、気は心の向かうところに応じる。心の有り様がすべての根っこであり、心とそれに応じる身体はすでに完成して生まれてくる。それを繰り返し繰り返し実証の中で教えて下さっているのだと、今になってはっきりと意識できました。これまでは、実証で得た確信や感覚は自分の中で散在していました。まるで家の設計図をやっと見れたようです。この3年間に集めた資材は、家のどの部分であったのか、やっとわかった気がしました。
 いつも、先生にご指導いただく時間は、夢中の内に過ぎてしまいます。そして、多くの方の感想文や先生のご本を読ませていただいたり、自分の感想文を書いたりすることでやっと少し先生の教えが見えてきます。その腑に落ちるプロセスが余りに遅い!試験勉強をするように物事を理解しようとする癖が染み付いているのだと思います。先生は『試合で勝って自信がついたことは一度もない』と仰いました。私も本物の自信を身につけて、自分という人間を信用できる人生を生きたいと思います。

 

深く感じた統一体をつくり動く事の大切さ   大阪 高校教員 50歳 男性 Y.K

 今回、あらためて統一体をつくり、動くことの大切さを深く感じました。このことは、今までの道塾や塾長の書物などを読み十分わかっていたつもりでしたが、なぜか今日それが自分の心の中におさまった感じがありました。数日前に親子で参加した親子塾(今年度で3回目)で、先生の講義実践の中での自分の子供の質問に答えながらや、子供がとてつもない力を発揮するのを見て「頭で考えてから理性や知性で動くのは、動いたり動かなかったりする。心から動くこと、その心を育てることが大切なのだ」ということが、それこそ自分の心でわかったのかなという気がします。
 先生がボードに書かれていた「身体は内なる気に応じて動き、気は心の向かうところに応じる」という言葉そのものです。自分の心を育て、子供の心を育て、また生徒の心を育て、一人でも多く、少しでも長い時間、統一体をつくって動いていくことを目指そうと思います。