2013年 大阪中上級 第1回 (2013.1.16)

祈りの形をするだけで強くなった   大阪 小学校教諭 55歳 女性 Y.S

 先生は私たち塾生に本当に手取り足取りして意識の世界・無意識の世界について説いて下さいます。今回のお話もとてもわかりやすく、なるほどと感じさせて頂くものばかりでした

 座るところからでは立つことができないが、流れの中で立つ座る立つはできる。
正座からだと立てるが体育座りから正座しても立てない。
あぐらから正座だと立てるが、あぐらが悪い座りかたと思っていると立てないなど、人間の無意識の認識に行動は左右されているのだと思うと、自分の知っている世界のちっぽけさが改めて痛感されます。
 今回初めて祈ることについてのお話がありました。祈りの形をするだけで強くなったことにとてもびっくりしました。人間の基本的な動きの中に祈る形があるのは驚きでした。つまり、人間は祈る生き物なのだということです。太古の昔から人間は偉大な存在に祈りを捧げてきたのです。それは太陽に対してだったかも、星だったかも、巨木だったかもしれません。

 無心で祈ると強いのが、お金が儲かりますようにや世界人類が幸せになりますようにと意識すると、途端に弱くなりました。また最新の研究から、よい祈りの時はベータエンドルフィンが分泌され脳が活性化されるのに対して、悪い祈りの時はノルアドレナリンが分泌され脳、特に海馬を萎縮させることがわかったと教えて頂きました。人間はここでも正しく生きる生き物であることがはっきり証明されました。しかし、祈るだけでは人を動かすことはできないと先生が私に教えて下さいました。幸せを願って祈るだけで止まっている私に喝を入れていただきました。

 現実の中でみんなが幸せになるためにはもっともっと動かなければなりません。つまりそれができていないのは、本当には心から周りの人の幸せを願っていないのだという事実を認めなければいけません。嫌な自分をしっかり見つめ、進もうと思います。

 

自分のレベルが上がれば到達すべきレベルも上がる   広島 理学療法士 43歳 男性 T.O

 この度の中上級での講義では、初級で悩んでいた自分自身の問題点を解決できるとても有意義な時間でした。初級での自問自答し内観する過程がなければ、今回のようにステップアップできないと実感しました。
 宇城先生のお話で、自分のレベルが上がれば到達すべきレベルも上がると教えていただきました。私自身この言葉にとても感銘を受けました。悟りというものがあるとして、それに向かって努力する。ふと立ち止まって自分の立ち位置を観る。自分ではかなりのレベルまできたと満足し、思いあがる。しかしすぐに、今の自分はそれほどでもないことを人に気づかされ、事象で気づかされ、へこみ、悩み、また立ち上がり自分の進むべき天命に向かう。私自身悟りというものを目指しますが、一生悟れないで死んでもいいのかと思いました。自分で悟ったと驕ること時点で横着なのかと思いました。
 先日、職場で自分の失敗に対してウソ言い訳をしてしまいました。とっさのできごとに自分の口から出た言葉をとても恥ずかしく思います。宇城先生から教えを受けている無意識の0.2秒の中での判断です。0.2秒という無意識化の時間の中で部分体の頭で考え、理屈、保身を考え横着になりました。 0.2秒以下という時間は無意識化であり、その時間、空間にはその人の生きざま、習慣がそのまま凝縮して出てしまうのではないかと思います。失敗したときには素直に、謙虚に「ごめんなさい」と統一体で反応しなければならないと思いました。まだまだ修行不足です。一からやり直します。
 宇城先生は、神、仏を尊び、信仰することは大事であるが、手を合わせ祈る際「幸せになりますように」などといらぬ考えをしてはならないと教えていただきました。たしかにそれ自体、「欲」なのだと気づかされました。今は仏壇の前では無の境地で感謝の祈りを行なっております。
 自分は理屈抜きで宇城先生、師の背中を追いかけております。師を真似ることを実践しております。宇城先生が朝起きたら、すぐにサンチンをしているとのことなので、自分も行なっております。

 

これからも『愛ある教育』を実践   奈良 中学校教諭 49歳 男性 Y.O

 昨日は貴重なご講義ありがとうございました。『体罰』のことでお話していただいたことが、1番印象に残りました。自分の指導力のなさを体罰でごまかし、心なしの教育で良しとしていた教育のつけが今まさに顕著に表れています。以前から先生がおっしゃっていたことがどんどん現実に起こっていき、やっぱり先生は先、先を歩いておられるのだなと思いました。
 私自身も先生と出会わせていただくまでは横着で傲慢この上なく、体罰も一つの方法だと思っていましたし、それを美化している考えもありました。私自身、その教育、指導に行き詰まりを感じているときにご縁をいただき、先生に教えを請うようになりました。初めて教えていただいた時から、本物の指導に触れさせていただきました。先生はどんな時も、どこでも、誰に対しても心を開き、自信に満ち溢れ、その場にいるすべての人を魅力でひきつけ、みんなを調和させていらっしゃいました。先生の教えに出逢わなければ、今頃は打つ手もなく、先が見えない不安感に支配されていたと思います。今は師の存在が自分自身の自信となりえています。これからも先生に教えていただくことを道しるべに『愛ある教育』を実践していきます。 

 

心をもっとオープンに   広島 会社員 45歳 男性 K.O

 新たな緊張感の中、道塾がスタートしました。
 まず、印象に残りましたのが、前列に座っているの塾生の肩へ手を置いて、その方自身が三戦を行なうと、簡単にぐらつくのですが、先生の三戦を見て(映して)行なうと重くなりどっしりとして、明らかに違いが感じられた事です。正に師を映す事による変化が体感出来て、不思議な感覚を覚え、とても印象に残りました。
 また、意識と無意識の世界について、祈りの格好をするだけの場合、後から仙骨を指で押さえてもぶれないのに、色々と願いを込めながら祈ると、後から押されると簡単に崩れてしまう。
 “みなが幸せであるように”といった願いでの祈りも 同様に崩れてしまう事が驚きでした。それは、所詮意識下で行なっているもの 底が知れている という事に気づかされました。皆の幸せを願いながら、苦しくなれば結局逃げてしまうという浅はかなもの、あるいはヨッシャと気合をいれて相手に立ち向かうレベルの低さ、そういった意識下で行うことの限界を改めて気づかされたように感じます。
  最後に先生の三戦に実演がありました。先生自身もご説明されておりましたが、一つ一つの動きに無駄な力が入っていないけど、重みがずっしりある。それは拝見しておりましても感じることが出来ました。その先生の動きに何か凄みというのを感じました。
 今回の講義が終わったあと、心をもっとオープンにして師を映すという気持ちでこの一年道塾に臨んでいきたいと、今更ながら強く思いました。
 “心をもっとオープン”というのは具体的にはどういうことか?と問われるとうまく表現できないのですが、先生が示される実技に色々ごちゃごちゃ考え屁理屈を付けて自分だけの考えで納得・理解しようとする自分が未だにおります。それをやめて、体感出来ることに素直に感動しながら、先生の一言一言、振る舞いを見逃さないよう注目していき、そして先生から教わった事を日常に生かして活きたいと改めて思います。

 

本当の意味での素直さを取り戻したい   大阪 高校教師 30歳 男性 S.F

 今回は、無意識と意識、無になることについて学ぶことができました。
検証においてこれまでにしたことがあるものもあり、無意識という点について焦点をあて、もう一度行なうことで、その深さに気づくことができました。正座をして、上から抑えられると立ち上がれない、居着く。 座ることは立つことを意識すると立てる。これは「自分の感覚としてもわかっている」「これまでに何度もできている」と思っていました。
  しかし、これが大きな間違いであることがわかりました。立っている感覚を「意識」しながら座っている自分が、まさに間違いであり、そうしている時点で次元が違っていました。これまで先生から教わってきたことも振り返ると、頭で理解し、整理していたことがわかりました。頭で理解することは違うと、頭で理解していました。だからこそ、身にならず、継続しない。このことを痛感しました。
 今回のホワイトボードを使っての説明も、自分にとってはとても理解しやすかったです。しかしそれも、そんな自分の次元をすべて理解していただいた上での先生のアプローチだったのではないかと思いました。
 初級の時、「立つときは座るときを意識しながら座りなさい。」と言ってくださったことも、すべてを知った上で、微妙にニュアンスを変えてくださっていたのだということに、気がつきました。
講義が終わり、翌日に「気の開発メソッド」を読みました。これまでにも二度、目を通しているはずなのに意識、無意識の話が書いてあることを改めて知り、その文章に対する先生の思い、深みを知った時には、身体が震えました。
  講義では、祈りについての大切さも教えていただきました。最初は、こうしてこうしたら身体が強くなるということに食いついている自分がいました。しかし、無になって祈ることを教えていただき、自分の浅さが嫌になりました。
  無意識の中ですべては決まっている。身体は善悪を知っている。自分を信じて生きていきたいと思いました。
 「できている」「わかっている」という自分の思い上がりを改め、とにかく無を大切にし、本当の意味での素直さを取り戻したいと切に思いました。

 

素直な心で生きていきたい   石川 中学校教諭 30歳 男性 K.M

 初めて中上級に参加させていただき、多くのことを学ばさせていただきました。宇城先生の初めの話からメディアが圧力をかけられ、正しい情報が届かない、また家電大国の日本(パナソニック、ソニー、サンヨー、など)が韓国のサムスンに完全に追い抜かれてしまっている現状を教えていただきました。パナソニックは人財をソニーは創造を、その信念がなくなっている。先見の目がなく、世界のスピードに追いついていない、とありました。知らないでは済まされない。そこを見ようとする目と心がないと特に教師は視野が狭くなると強く感じました。これからの将来を見据える展望を持つときに、いかに世界を知るか、日本の小さな世界だけを見ていてはいけないと感じましたし、自分の都合良く見たい物だけを見ようとしていては自分の成長はまずないことを気づかさせていただきました。
  また、普通に立った時は弱く、手を合わせると強い。また、手を合わせて何かを願うとまた弱い。いかに自分の観念、意識にとらわれると人は浮き足立ち、弱くなるのだということが分かりました。ただ、今に生きる。ただ、利他の心を持ち続けることを日常生活で実践できるかが一人革命の第一歩であると思いました。何事も自分の考えや意識を捨て、素直な心、素直な行動を大切に生きていきたいと思います。そして行動を起こす前の動作がどうなっているのか。ただ正座をしていると弱く、立って座ると強い。そのつながりを大事にすることが統一体に近づくのだと感じました。意識や思考ではなく素直な行動で。

 

「何もしない方が強いんだよ」に感動   京都 中学校教師 32歳 男性 H.A

 1月の桜井高校の講習会、そして今回の道塾で改めて日常とは違う空気を感じさせていただきました。それだけ普段、横着に生活をしていることを身体を通して宇城先生に教えていただきました。当たり前に日々生活し、平和ボケしている。正しいことを知らない怖さを先生の話を聞いていると感じ、本当にこのままではいけないという危機感を感じました。今があるのは本当に先祖のおかげです。それは考えなくても当たり前で、だからこそ今を大事にしないといけないのですが、当たり前じゃない所に、今の世の中の信じられない事件が生まれているように感じました。
  意識の世界と無意識の世界、目に見えるものばかりを追いかけて、そして自分の低いレベルの基準で物事を判断して、どんどん自分を駄目にしている横着な自分が今の自分だと強く感じました。
  祈ると強く、願うと弱い。全て自分の意識が邪魔している。何もしない方が強いんだよ、という言葉にも感動しました。その中で動こうと思えるのは、師匠がいるからです。改めて師の存在のありがたさ、師の凄さを痛感しました。先生がおっしゃるように、成長すればするほど先生の偉大さが分かり、苦しく、情けなくなりますが、そこに先生からの愛情、思いがあるので頑張ろう、やるしかない、という覚悟、勇気を持つことができます。今の自分では急には無意識の世界は得られませんが、サンチンや日常の生活を大切にし、次回の道塾までに今の自分を見失わないよう感謝し、頑張りたいと思います。

 

「生活のすべてが修行」の意味がようやく分かった   大阪 歯科衛生士 47歳 女性 H.N

 今年初めての道塾は新しいメンバーとともに新鮮な雰囲気の中で始めさせていただき、新たに気持ちを引き締めて受講させていただきました。ありがとうございました。何度もお話しいただいている内容も、回を重ねるごとに心の響きが異なります。
  今回のお話の中では、正座している状態で肩を抑えられると立てないが、立ってから座るという連続した動作の中に、次の動きを居つくことなく円滑に行なえることを学び、普段の生活の中で、一つ一つの行ないをバラバラにしていては部分体と同じということがよく理解できました。その前の動作が大切と言われ、だらけた姿勢で過ごしていては次の動作をいくら取り繕っていてもだめなんだと反省しました。
  食事の時に、正しくお箸を持つ・・・
 それはできたとしても、その前の姿勢が足を組んでいたり、背もたれに悪い姿勢でもたれていたりしてはいけないとわかりました。挨拶ひとつをとっても、先生の前でいくらきちんとしたつもりでも、そこに行くまでの行動が自分中心であっては何にもならないうわべだけのものだと痛感しました。生活のすべてが修行とおっしゃる意味がようやく分かったような気がします。これはとても大変なことだということもわかりました。邪心を捨て、頭で考えるのではなく、心で行動する。あるいは正しい形で祈る、正座する、お辞儀をする。これらの積み重ねが0.2秒の世界へ入る糸口になるのかもしれません。
今の腑抜けの自分を情けなく思っています。
変わりたい、変われる自分を信じよう・・・
その思いを胸に、今年も学ばせていただきたいと思っています。