2014年 東京中級 第4回 (2014.7.23)

取り繕わず今の自分認め、心を開いていたい 東京 インストラクター 28歳 女性 EE 
  二ヶ月に一回ある道塾の講義は、それまでの自分の日々の過ごし方や、心の在り方、行動を振り返る大事な時間です。 前回の講義では、基本的に土台となるようなとても重要なことを改めて教えていただいたように感じます。その一つは「心を開くこと」と、「今の自分をしっかりと受け止めること」です。例えば自らの両手を組み宇城先生に気を通していただく実践では、不思議と手が離れなくなる方と、普通に離せてしまう方がいる。

これは手を離そうとしても、離す気がなくなる。離すことに違和感が湧いてくる。 という身体の変化を感じとれるからこそ、そうした結果になる。 けれどもそこに自分の考えが入り、素直に聞くということができていないと何の変化も起こらない。 これはどんな実践でも言えることで、当たり前のようですが「人の話を聞く」ということは、自分の考えをいれず、 素直に聞く姿勢であり、できない自分も受け入れる覚悟を持って臨む姿勢が大事だということを学びました。

そうした在り方があって、気を感じとることができる感性が身につくようになるという事も。 聞くことができないということは、無意識にどこかで自分の考えが正しいという思いがあり、 勝ち負けの世界に生きている証で、負けたくないと頑なに弱い自分を受け入れられないことの現れなのだと思いました。私はもっと柔らかく、豊かに、人に与えられる人生を送りたい。自分の世界を広げ、学び豊かに調和の世界で生きていくにも、取り繕わず今の自分認め、心を開いていたいと思っています。素晴らしい学びの環境をいただき、ありがとうございます。

 

事理一致について身をもって感じた 静岡 会社員 41歳 男性 SK  
  先日の講義では、「事理一致」についての様々な角度からのお話しや 体を使った実技に多くの時間を割いていただき、とても刺激の多い内容でした。 いくつかの実践の中で、まず先生は「自分で手と手を組んでみて、 それを離す自信があるかないか?」との問いをされました。

当然、自分で組んでいるのだから離せないはずはないと思い、誰もが 「手を離す 自信がある」ということで、返答したのですが、その次に先生が 「それでは、もう 一度組んでみて!これではどうですか?」と気を通されたところ、 驚いたことに まったく手を離すことができなくなってしまいました。

しかも、左右両側から他の方に腕を引っ張られても手が離せないほどの強さに なり、 ゆっりと手を離したとしてもその強さは維持されたままで、 両側の二人を投げ飛ばしてしまうほどの威力が出てきました。 (自身の意識としては、まったく力は使っていないのですが・・・) また、別の実技では、後ろから腰を腕で組まれ、何人もが数珠繋ぎになって 宇城先生に気を通されて手を引かれると、そのままの状態で会場内を全体で蛇行しながら 動き続けることになり、先頭にいた自分の意思ではまったく止められない 状況になってしまいました。

先生は、「これは渦に巻き込まれた状態」と表現されていましたが、まさにその言葉通りで、 全体が一つの生き物のようになってしまい、その動きや流れは、 先生の気によって操られてしまうような状態でした。 気の大きさやすごさを体感し、感動するとともに、一方では、自分自身の意識では 何もできない無力さを突きつけられた感じもしました。

しかしながら、「事理一致」という冒頭の説明について、言葉だけではなく、 体でも 理解させていただくことで、我々の日常ではいかに心と体がバラバラであるのか、 またそれらが一致することで、どれだけの力が出てくるのかということを身をもって感じることができました。

これからも、日々感謝の気持ちを持ち、周囲に謙虚に接し、そして常にフィードフォワードを意識しながら 行動できるように心がけていきたいと思います。 今回も多くの気づきをいただきまして、本当にありがとうございました。