212号 (2022春)


テーマ 「生かされた命  共に生きる」

 

「一人でなんか生きられるものかって」
何十年もたった一人で生きてきた小野田さんは言いました。

「たったひとつの命だからこそ、共に生きたんだ」
被爆医師の肥田先生は言いました。

「常に弱者と共にあれ」
師の教えをそのまま生き抜いた近藤先生。

「自ら動く船となれ」
自ら工夫し努力したからこその命と語る浜園さん。

生かされている命だからこそ、
共に寄り添い、感謝し、自らの命を生きる。

生きるとは、人間とは、を
あらためて考えさせられる一冊となりました。

 

2022年4月20日発売

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読者の声

  巻頭対談

宇城憲治巻頭対談【特別編】 

怒り、覚悟、寄り添う心を原動力に

【浜園重義 元神風特攻隊員 

   研究する、工夫する、実行にうつす 最大限のものを自分から引き出す

【小野田寛郎 小野田自然塾 理事長/元陸軍少尉 

   “負けてたまるか” その覚悟が生き抜く力となる

【近藤 亨 ネパール・ムスタン地域開発協力会 理事長 

   信念を貫き、堂々と生き切る

【肥田舜太郎 被爆医師 

   たった一人の大事な命 この命と共に生きる

道212号 巻頭対談

 

2005年から2011年に巻頭対談に登場いただいた4人の方々との特別編をお送りする。

すでに2年以上に及ぶコロナ禍の、経験したことがないような生きづらさ、閉塞感、さらには昨今の厳しい社会・経済情勢の中で、私たちは大切なものを見失ったり、あきらめたり、あるいは自分事でないと無関心になったりしているのではないか。

そんな今だからこそ、心から届けたいメッセージがある。

ここで紹介するのは、今の私たちとは桁違いな覚悟・厳しさ。
そして、生き抜くための徹底した技術と人に寄り添う心。

4人の登場者と宇城氏の情熱と生き様は、今の厳しい時代を生き抜く原動力となることでしょう。

道212号 巻頭対談 浜園重義  
道212号 巻頭対談 浜園重義

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私は、生きているだけで幸福です。

人は「運が良かった」と言いますが、「なにぃ」と思う。 私は一番下の階級で一番の激戦区にずっとやられた。 

なんで生き抜いたか。
努力で生きたんです。

◎ はまぞの しげよし 

大正12年(1923)11月25日生まれ 元特攻兵。1945年4月、特攻兵として海軍の国分基地から沖縄へ飛び立った。沖縄近海で敵戦闘機に囲まれ、数十発被弾しながら引き返し、知覧基地近くに不時着。 終戦後は警察予備隊、海上警備隊、海上自衛隊を経て、 昭和48年(1973)海上自衛隊を定年退職。以後漁業にたずさわる。知覧の特攻隊員を描いた高倉健主演の映画「ホタル」(2001年公開)のモデルになった。2012年2月5日逝去。

道212号 巻頭対談 小野田寛郎  
道212号 巻頭対談 小野田寛郎

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結局、自分に負けちゃ駄目なんですよね。

もう処置なしと言ったら負けなんです。
 まだやる手があると思っているうちは、負けていないんですね。      

◎ おのだ ひろお

大正11年(1922)3月和歌山県生まれ。海南中学卒業後、商社員として中国へ。昭和19年(1944)9月より陸軍中野学校二俣分校での訓練ののちフィリピンに派遣される。ルバング島では遊撃指揮・残置諜者の任務を遂行、以来30年間、任務解除命令を受けられぬまま戦闘を続行した。昭和49年に鈴木紀夫氏と遭遇し、同年3月、日本に帰還。翌年春には、ブラジルに渡り、牧場を開拓。昭和59年からは、青少年育成を目的に「小野田自然塾」を開く。2014年1月逝去。

道212号 巻頭対談 近藤亨  
道212号 巻頭対談 近藤亨

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貧しい者に愛の手を差し伸べるなんて、なかなか言えるものではないけれど、私はそれをこの年まで押し通した。

我々は先祖に笑われないようにいい仕事をせねば駄目ですよね。    

◎ こんどう とおる 

大正10年(1921)生まれ、 新潟県加茂市出身。70歳でJICAを定年退職後、ネパールでも秘境中の秘境ムスタンへ単身乗り込み1998年10月、標高2750メートルの世界最高度の稲作に成功、全世界を驚かす。その後、ネパール・ムスタン地域開発協力会(M.D.S.A)理事長として、現地ムスタンに留まり、学校、病院建設運営も手がけるなど、総合的な奉仕活動を展開。 2016年6月9日逝去。

道212号 巻頭対談 肥田舜太郎  
道212号 巻頭対談 肥田舜太郎

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家族からも見捨てられて孤立して悩み苦しみながら死んでしまう人たちがいた。
僕はそういう人間をなんとかして人間に戻してやりたいと思って一生懸命やってきた。

僕だけはこの人たちとつきあっていくぞと、ただただ、命が大事で、今日まで生きた。
そういう人間なんです。

◎ ひだ しゅんたろう

大正6年(1917)、広島市生まれ。1943年、日本大学専門部医学科卒業。1945年8月6日、原爆被爆。直後から被爆者救援・治療にあたり、2009年の引退まで被爆者の診察を続ける。1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)創立に参加。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年以降、欧米を中心に計30数ヵ国を海外遊説、被爆医師として被爆の実相を語りつつ、核兵器廃絶を訴える。アメリカの低線量放射線被曝に関する研究書等を翻訳、普及にも努め、内部被曝の脅威を訴え続ける。2017年3月逝去。

◎ うしろ けんじ

1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。「気」によって体験する不可能が可能となる体験は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手塾、道塾、教師塾、野球塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長

  ロングインタビュー

感謝が僕を支えてくれた
― 最悪の出来事を最高の出来事に ―

ピアニスト 西川 悟平

 道212号 西川悟平 道212号 西川悟平

7本しか動かないではなくて、
7本も動くと思ったら世界が動き出した。
180度違う人生が待っていた。
だから「ありがとー!」って。
動く指にすごい感謝が出てきたのです。

15歳でピアノを始め、24歳の時に世界的ピアニストにその情熱と才能を認められ単身NYへ。渡米わずか2ヵ月でデビューを果たすという夢のような状況から一転、その2年後、難病ジストニアに襲われ、ピアニストとしての道が絶たれてしまった西川悟平さん。
絶望の淵に立たされながらも、懸命にリハビリを続け、独自に7本指での奏法を編み出した西川さんは、現在国際的ピアニストとして世界中でコンサート活動を行なっている。
あらゆる苦難を乗り越え復活に至った道のりとその原動力を語っていただいた。

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指が動かなくなっても
見守ってくれた恩師

―― ブラッドショー先生は、「自己表現は恐れなくてもいいけど、楽譜には忠実に」という指導だったそうですね。

西川 そうです。「自由に弾け」と言うから自由に弾くと、「今お前は譜面と違うことをしたな!」と急に怒り始めたり、それが僕には不思議でしたが、でもそれがクラシックの面白さであり、難しいところなのです。初めは分かりませんでしたが、だんだん分かってくるんです。そこにある間とか呼吸とか。
僕の指がジストニアで動かなくなってからは、先生は指使いは自由にしていいと言っていました。「みな君の指使い見るためにお金を払っているわけじゃなく、いい音を聞きたいんだ。こうしなければ、を一旦忘れて弾いてみたらどうだ」と言ってくださいました。

全く弾けない時、先生が僕の所に来て「弾かなくていいから1週間のうち30分でいい、ピアノの前で会話をしよう」と。「弾けないよ、先生」と言うと、「いいよ」と。「なぜならもし君が全く弾かないと、君の心と脳はピアノから完全に離れてしまう。1週間に30分でもいいから、俺とピアノの話をピアノの前ですることによって、心と脳が一旦ピアノに戻る瞬間が出てくる。そうするとピアノは君から離れることはないと思う」と。

そのあと先生は亡くなられたのです。その後しばらくして先生が夢の中に出てきて、海かどこかにいるのですが、悲しい顔をして消えていくんです。そういう夢を何回も見たので、先生のご家族にお会いした時にその話をすると、家族全員が口を揃えて「それはそうでしょ」と。「なぜですか?」と聞くと、「だって悟平、今全然ピアノを弾いてないじゃない」と。「指が悪いから」と言うと、「動く指があったら、弾きなよ!」と言われました。ちょうどその時期ですね。幼稚園でピアノ教室を開くようになったのは。

―― 幼稚園で「きらきら星」を弾いたら子どもたちが喜んで歌って踊り出す姿を見て、指が曲がることなんか気にせずに今動く指で弾ける曲を弾こうと思われたのですよね。
ジストニアになられてから、それまで気づかなかったことに、いろいろ気づいていかれたと。

西川 はい。若い時はどうしてもかっこよく見せたいとか、失敗したくないとかがありましたが、今は指が動かなくなって、綺麗に弾きたいと思っても弾けない。その分、以前と比べたら一音、一音を大切に深めていけるようになりました。それは病気が導いてくれたのですね。

僕は僕の声で伝えたいところを伝え、そこを一人でも拾ってくれて人生に役立ててもらえれば、それはそれで嬉しいなと思っているのです。
NHKの僕のドキュメンタリーの放送の後、ディレクターさんが「どんなにいい番組を作っても一人二人はアンチが入るけど、今回はゼロだった」と言われて、すごく嬉しかったです。

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●プロフィール

◎ にしかわ ごへい
1974年大阪市生まれ。
15歳でピアノを始め、猛練習の末、絶対に不可能と言われた音楽大学に合格。
24歳の時に、来日した二人の世界的ピアニスト、故デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏の日本ツアーの前座を務め、その情熱と才能を認められ、単身ニューヨークへ。
ブラッドショー氏の自宅で住み込みのレッスンを受け、毎日朝4時頃まで練習を続けた。そして渡米わずか2ヵ月で音楽会の殿堂NYリンカーンセンターでピアニストとしてのデビューを果たす。
その2年後、突然指の筋肉がひきつり自由に動かせなくなる難病(ジストニア)に襲われる。その症状はピアノを弾く時だけにあらわれた。医者には「二度とピアノは弾けない」と告げられる。
仕事がなくなり清掃業などの仕事をしながら懸命にリハビリを続け、発症当初は両手合わせて5本しか動かなかった指を、右手5本、左手2本を動かせるまでに回復させた。現在はこの動く7本で世界各地で演奏活動を行なっている。
2021年の東京パラリンピックの閉会式ではフィナーレを飾る名曲「この素晴らしき世界」を演奏した。

  ロングインタビュー

視座を広げ新たな道へ

― ごみゼロ取り組みからの出発 ―

一般社団法人 ゼロ・ウェイスト・ジャパン代表理事 坂野 晶

 

 道212号 坂野晶 道212号 坂野晶

地域作りをする時に
「風、水、土」という言い方がされます。
「土」はその地域の中の人たちで、
何かを始めるためのアイデアの種を運ぶのが「風」、
種が落ちただけでは育たないので、
そこで「水」をあげる人が絶対必要。
ここのつなぎ役をして、
ちゃんと進めていく人が必要なのです。

徳島県の山間に位置する人口約1500人の上勝町は、2003年に自治体としては日本で初めてごみをゼロにする『ゼロ・ウェイスト宣言』を行なった。以来45分別や資源を循環させる取り組みを続けてきた上勝町は、80%以上というリサイクル率を誇り、世界でも注目を集める。坂野晶さんは、この活動に奔走するNPO法人ゼロ・ウェイストアカデミーの代表を5年間つとめ、様々な改革を行なってきた。現在は、一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパンの代表理事として、各地の団体や自治体とともに、ゼロ・ウェイストの導入を推進する。

世界でますます深刻化するごみ問題をテーマに、解決への仕組みづくりや人材育成に取り組む坂野さんに、活動への思いや今後の展望を伺った。

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ゼロ・ウェイストタウン計画

―― それ以来、上勝町には5年いらしたのですね。

坂野 はい。丸5年です。長年上勝町は分別に取り組み、リサイクルを頑張ってきたけれど、そもそもごみの排出量を減らすことや、リサイクルができないものをどうするかなど本質的な課題に加え、当時のゼロ・ウェイストアカデミーが地域内で背負っているものがたくさんあって、さあどうしようかなというのが入ってすぐの感想でした。

上勝町は2003年に「2020年までにゼロ・ウェイストを目指す」という宣言をしていたので、要はあと5年という節目でした。ですから、私が入ってすぐのミッションは、これまで上勝町でやってきたことを棚卸しし、ゼロ・ウェイストを達成するために何が必要なのかをとことん洗い出し、整理して、「ゼロ・ウェイストタウン計画」を立てることでした。

まずリサイクルできていないものに関し、「なぜできないのか?」、あるいは「できる方法はないのか」を検討していきました。また今リサイクルできていても処理にお金がかかっているものは何とかならないかというところも調査していきました。

またそもそもごみを出さないようにするため、衣食住の観点から、それぞれ上勝町でできることは何だろうかということを検討していきました。
ひとつはリサイクルできない物はしっかり企業と連携すること。たとえば上勝町から出ている「まだ燃やさなければいけないごみ」と呼ばれているものの2割はオムツなのです。つまり我々が分別を頑張ったところでどうしようもないものの入口(生産)を何とかするしかない。そこをどうすればアプローチできるか。実際そういう研究開発をされている方に視察に来ていただいて意見交換をするなどしました。現状を知っていただくだけでも意識していただけるようになると考え、企業連携をいろいろ工夫してきました。

二つ目の衣食住に関しては、そもそも街の中でどうすればごみをなくして買い物ができ、どうすれば入口から入ってこないようにできるんだろうか?そういう工夫ができるものは何かを検討する中で、実験として「量り売り」をやりました。上勝町内だと小売店が少ないので、まずは町内でできることからと、飲食店で店が仕入れる調味料などの「量り売り」をやっていただくことをトライしました。
そしてどうすれば加速できるかというところでは、仲間作りだったり、情報発信方法であったり、仕組み作りだったり、大きく3つのテーマがあがり、それらに対して取り組んできました。

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●プロフィール

◎ さかの あきら
兵庫県生まれ。絶滅危惧種の世界最大のオウム「カカポ」への興味をきっかけに環境問題に関心を持つ。関西学院大学では環境政策を専攻。卒業後はモンゴルのNGO、フィリピンの物流企業を経て、2015年徳島県上勝町のNPO法人ゼロ・ウェイストアカデミーに参画。理事長としてゼロ・ウェイストの普及に貢献。2019年には世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)の共同議長を務める。
2020年より一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパンを立ち上げ代表理事として各地域の団体・自治体とともに循環型社会のモデル形成に取り組んでいる。
2021年脱炭素社会へ向けた人材育成プログラム「GreenInnovator Academy」を共同設立。

  連 載

道212号 工藤清敏

◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』

「塩は薬である」

怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。

◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。

道212号 前島由美

◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』

「まるごと受け止め、子どもたちの『心の力』を引き出す」

療育支援施設「ゆめの森こども園」で、生き辛さを抱えている子どもたちに向き合う前島由美さん。愛情いっぱいの関わりと、親御さんや学校・地域と丁寧に連携によって本来の輝きを取り戻していく子どもたちの実例を紹介していきます。

◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。

道212号 安藤誠

 

◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』

「オオコノハズク Collared Scops Owl 」

ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。

◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。

道212号 船橋康貴

 

◆一般社団法人ハニーファーム代表 船橋康貴
連載『ミツバチが教えてくれること』

「世界は『一つ』、仲間と生きる」

ミツバチ絶滅の危機は人類滅亡の危機
私たちが生きていくための環境維持に欠かせないミツバチの存在を伝え、守ろうと東奔西走する船橋氏。
その活動の「今」を伝える。

◎ ふなはし やすき
養蜂家・環境活動家。
世界中で激減しているミツバチを守るために、環境のプロとして、ミツバチを使った「ハチ育」や町おこしなどを行なっている。

道212号 佐々木隆

 

◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』

「蔵王 奇跡の樹氷たち」

生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。

◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。

 

◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』

「東京の秘境・青ヶ島」

世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。

◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。

道212号 山元加津子

 

◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』

「大丈夫。いつも私たちは愛されている」

人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。

◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。

道212号 金澤泰子

 

◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』

「節目に現われる翔子の般若心経」

ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。

◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。

 

◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』

「薬物依存者の家族が支え合う 茨城ダルク家族会」

薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設責任者を育てる岩井喜代仁さん。
仲間に励まされ、支えられ、許され、受け止められながら、施設長として独り立ちしていく姿は毎回感動です。
ともに苦しむ仲間の絆があるからこそ、人は前に進むことができるのだと教えてくれます。

◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。

道212号 宇城憲治

 

◆UK実践塾代表  宇城憲治
連載『気づく気づかせる』

「『生きている』から『生かされている』へ」

最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。

◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長

◆編集部コラム 『心の奥の取材ノート』

「日本ダルク代表 近藤恒夫さんのこと」

交わした言葉、ちょっとした仕草、振る舞い ――
今もありありと思い出す、取材で出会った人たちの思い出を綴ります。

  編集後記

過去に取材させていただいた4氏の対談インタビューを特別版として再編集し掲載させていただきました。あれから十数年の年月が経っているにも関わらず、お話の内容はまさに現在の私たちが置かれている状況へのストレートメッセージでした。戦争や核の悲惨さと愚かさ、自立する勇気、寄り添い共に生きる命の大切さ。実際の体験からくる言葉の重みは圧倒的でした。実践されてきた方々の思いを我が事として映さねば。何度も読み返しながら思いました。

取材前にご招待いただいた西川さんのコンサート。演奏もトークも素晴らしかった。それまでの西川さんの様々なご苦労や体験のお話から、西川さんがいかに自分を支えてくれた方々に感謝していて、またご自身も人に寄り添おうとされているかが伝わってきました。お布団をホームレスの方にあげてしまうくだりは、小野田さんの「君は自分の服脱げるか」のお話と重なり、とても印象的でした。

白鳥哲監督の映画『ゼロウェイストPLUS』で、上勝町の取り組みをてきぱきと明快に語る姿がとても素敵で、いつか坂野さんにお話を伺ってみたいと思っていました。小学生の頃から、そこに「ある」状況だけでなく、そこから「なぜ」「どうしたら」と問いかける姿勢があった坂野さんだからこそ、今の活動につながっているのだなと納得しました。今号出会ったすべての方に感謝です。

 木村郁子

鍵盤の前に座っていることができずに、小一にして3ヵ月でピアノをやめた私。やめていいと言ったらパッと顔が明るくなったと後から母に残念そうに言われたものです。そんなことがあって、ずっとピアノ曲を聴くことすらも苦手でした。西川悟平さんの音は不思議な響き方をします。弦楽器好きの私にはとても心地よく入ってくる音で、長年の苦手は払拭されたようです! ぜひ多くの方に、西川さんのピアノを聴きに行っていただきたいと思います。技巧や受賞歴などではなく、人間の魅力が伝わってくる音楽です。もちろんトークも最高です!

白鳥哲監督の映画で、はきはきと分かりやすくお話される様子から、坂野晶さんには長身のイメージを勝手に抱いていました。インタビュー会場に現われた坂野さんは小柄で、鳥のモチーフの小物をあちこちにあしらって、生活をしっかりと楽しんでおられることが分かる、素敵な方でした。

今、私たちの生活からは必ずごみが出ます。海洋ごみの影響や、リサイクルしにくいごみの情報に触れるたびに、人間は一体何をしているんだろうな…と暗澹たる気持ちになっていましたが、坂野さんの取り組みから、仕組みと教育を整えることで、持続可能な人間の営みが自然体でできる日は遠くないかもしれない。そんなふうに希望を持つことができました。

千葉由利枝

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