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現代科学のあり方を根本的に問い直す、宇城氏の実践総合科学

文・季刊「道」編集部


本論文は、宇城憲治塾長が実践事実として展開する「気」による
さまざまな事例を紹介することで、 物理学、生物学、医学、脳科学
といった科学的側面からのみでなく、心理学、社会科学の面からも
それぞれの専門分野の方への問いかけを試みるものである。

これまで紹介してきたように宇城塾長が展開する「気」は、従来では
考えられないようなことが一瞬にして可能になる、
すなわち「不可能を、瞬時に可能にする」というものであり、
それは宇城塾長の場合、本人自身ができるのみでなく、
第三者の誰に対しても同じように可能にすることができるという、
過去類を見ないものである。

ここにあげる数々の事象、実践事例を可能にしているエネルギーを
「気」という言葉に総称しているが、 それは未知のエネルギーである
と同時に、 もっと大自然的に考えれば宇宙のダークエネルギーとの
融合方法を見い出したものとして位置づけることが適切かもしれない。

その理由は、宇城塾長が指導する空手実践塾や一般を対象とする
宇城道塾、スポーツ塾、中学、高校、大学生など、
毎月500~1000名へのセミナーにおいて、一人のみ、
あるいは特定の人が変化するのではなく、
一瞬にして多数が変化するという事実がすでにあるからである。

またその実践事象における宇城塾長の「気」は、誰に対しても(客観性)、
何回 やっても(再現性)、その本質が変わらない(普遍性)同じという
ひとつの科学的事実に基づいていることからもその存在は明確なことである。


さらにその実践事例は、一般的な科学者による「仮説理論から事実の解明」
に迫るという従来のあり方ではなく、 まず「実践事実」が先行し、事実から
逆に理論を打ち立てていくという、従来の科学の常識を超えた手法をとっており、
そこから導き出される理論を「絶対仮説」と位置づけている。

論文で宇城塾長が述べているように、今の科学は分析を主体としたものが
多く、生命体のような最初から統合体として 位置づけられるべきものを分
析するというあり方には本来多くの課題があると考える。

部分分析というのは、誰もが考えつく手段であるが、それはあくまでも全体
がわからないから、まず部分としての解明を、 ということであるが、部分の
解明ができたからと言ってそれらを統合しても、先に完成形として存在する
統合の解明には成り得ない。
最初から統合体である我々生命体は、その分析を統合しても生命体に
なるということはない。



こうした従来の科学が分析的であるのに対し、宇城塾長の「気」は最初から
統合的立場に立った事実事象に基づくものであり、 またこの宇城氏の
実践内容は今後の科学のあり方に大きな提案を与えるものであると考える。

すなわち、宇城塾長の実践は統合科学としてのあり方にあり、これこそ本来
の自然科学と言えるのではないだろうか。

その理論は明確な事実先行のもと、その事実に内在する真実を土台にする
というものである。 この統合的実践手法を通して発見した法則性こそが未知
なる真実、真理の解明につながり、さらには宇宙との調和融合や、
「生かされている」ということへの気づき、謙虚さにつながっていく。

まさにそのことが共存共栄であり、平和につながる手法とも言えるのである。
言わばそれは一つの宗教であり、ニュー科学と言っても過言ではないのでは
ないだろうか。

ここで取り上げている宇城塾長の実践する「気」は、調和、融合の可能性を
もつ第三のエネルギーとして、 各分野における平和への原動力になると
確信している。

ここでの事象はDVD『人間の潜在能力・気』において実映像として紹介して
いるので、合わせて参考にしていただきたい。
「気」による実践事実から仮説理論へ  文・宇城憲治

●まえがき
 現代科学のあり方を根本的に問い直す、宇城氏の実践総合科学   文・季刊「道」編集部

「気」によって起こる事象
 事象1 重量が変わる
 事象2 引力(調和・融合力)ができる
 事象3 無力化される
 事象4 身体が変化する
 事象5 身体が強くなる
 事象6 怖さが消える
 事象7 スピードが速くなる

「気」そのものの特徴

(まとめ)
 「気」は日常に活かされる調和の行動の哲学



「気」によって起こる事象


事象 1  重量が変わる



実例〉
①おんぶされた人が「気」によって一瞬にして重くなったり軽くなったりする変化。

②床に仰向けになっている人を引っ張る例において、寝ている人が一瞬にして
重くなったり軽くなったりすることによって、 引っ張る人が楽に引っ張ることがで
きたり、逆に急にブレーキがかかったりする変化。

③「もの」が重くなったり軽くなったりする変化。



〈仮説〉「気」は、重力の変化や重心に作用する



この事象では、おんぶされている人全員がいっぺんに重くなったり軽くなったり
する事実や、仰向けに寝た人全員を楽に引っ張ったり、急に引っ張れなくなった
りするという事実、また それが人間ではなく、もの(無生物)であっても重くなった
り軽くなったりするという事実を 示すものである。

しかも、この事実は一対一での作用のみではなく、全体に一瞬にして変化を及ぼ
すという ものであり、雰囲気、 すなわち空間が同時に変化していると考えられる
ものである。 この「気」による重さの変化は、体重計で測定できるものではない。

この事実は「体重計の数値が変化しなければ重さは変わらない」とする現代科学
の常識 とは矛盾するものである。 実践事例から言えることは、





「気」によって急に上の人が重くなる
『気の開発メゾット中級』より

  • ● 計測器による数値は変化しなくとも、重くなったり軽くなったりする
    というするその仕組みに、重心移動や空間の重力に働きかける何ら
    かのエネルギーが働いていると言える。

  • ● 重力に何らかの変化があるとすると、「空間のなかに時間をいれる」
    という働きかけがあるという仮説が成り立つ。

  • ● あるいは「重力が変わらない」とすると、体重計の数値が変わらない
    まま重くなったり軽くなったりしているので、 人間の場合は、おんぶされ
    ている人の重心移動によって、下の人が上の人を重く感じたり軽く感じ
    たりするという仮説も成り立つ。
    しかし、無生物のものでも「重い、軽い」が起こっているので、重心移動
    の説明だけでは矛盾がある。

  • ● あるいは、上の人が重くなると感じるのは、下の人が自分の重心の
    変化を自分自身で心理的に感じた結果ではないかとも言える。
    しかし、重くしたり軽くし たりするなどは自己暗示ではできないという矛盾がある。

  • ● 床に仰向けになっている人を引っ張る時に、体重は一定なのに重く
    なったり軽くなったりするという事実は、重力が変化していると考えられる。
    あるいは、寝ている人と床との摩擦力が「気」によって変化しているとも考えられる。

    これは、摩擦力というのは、摩擦係数とその人の重さをかけた力が働くので、
    重さが変わらないということは、摩擦係数が変化したと考えられるからである。

    身体が棒状になれば、摩擦係数が減って引っ張りやすくなるが、重心が身体に
    均等にかかれば、摩擦係数も増えて重く感じる。

    そういう変化を「気」によって身体に与えることで、身体と地面との接触状態を変え、
    それが重さに変化を与えているのではないかとも言える。
    これは、眠った人を引っ張るのと起きている人を引っ張るのとでは重さが違うことと
    同じである。 眠った人が重いのは、重心の位置が分散していることにあるのではないか。
    それを「気」は、眠っていない人でも瞬時にその状態に変化させられるということではないかと考える。
「気」によって起こる事象


事象 2  引力(調和・融合力)ができる


〈実例〉
①壁に背をぴたっとくっつけて立っている人を前から自分のほうへ引っ張ると、
通常は当然簡単に前へ引っ張られるが、 壁側に立っている人に「気」をかけると
とたんに壁にくっつき引っ張られにくくなる。
さらに逆に引っ張っている人を自分のほうへ引っ張り込むことすらできる。
すなわち壁を背に後ろに下がることはできない状況であるのに、引っ張っている
人のほうが逆に引き込まれるという変化。

②二人の相対した人が、それぞれ手の平同士を合わせた状態で、一方が押すと、
通常手が滑って押すことができないが、 「気」を通すとお互いの手の平がくっつき、
簡単に相手を押すことができるという変化。

③技で投げられた人の手に投げた人が自分の手をそえているだけなのに、
投げた人の手にくっついて離れなくなるという変化。




〈仮説〉「気」は、引力(調和・融合力)を発生させる





「気」を通してもらうと簡単に引っ張られなくなり、
逆に引っ張っている相手を引き込むことができる。
『気の開発メゾット中級』より

《事象2》から言えることは、

  • ● 壁を背に引っ張られている人が逆に引っ張っている相手を自分のほうへ
    引っ張り込むことができるということは、 そこに距離を必要としない何らかの
    引力が「気」によって発生している証拠であると言える。

  • ● 手の平同士を合わせて押しても滑らないでぴったりくっついているという
    ことは、「気」によって細胞が活性化され、
    その結果、肌がきめが細かくなり、互いの手が吸い付く形になったと考えられる。
    しかしこれだけで数名を押す力にはなり得ないので、何らかの引力が発生してい
    ると考えられるのではないか。

  • ● 投げられた人の手が投げた人の手から離れなくなり、しかもその接触点だけ
    で押さえられ起き上がれなくなるということは、 前項に記したことに加え、投げら
    れた人が完全にコントロールされた状態になっていると言える。

  • (倒れている人の変化)
    *この時、倒れている人を第三者が持ち上げようとしても、倒れた人の重さが
    2~3倍になっていて持ち上げることができない。
    *この時、投げられた人には「気」が通されていて、そのまま第三者を逆に
    投げるエネルギーをもっている。

①投げられて手が離れられなくなる。 ②離れている人は持ち上がらない。
③倒れている人が… ④投げることができる。


「気」によって起こる事象


事象 3  無力化される


〈実例〉
①攻撃していっても一瞬にその攻撃が無力化されるという変化。

②相手の肩を意識的に強く押さえていても、強く押さえるという意識に反してその力が抜けてしまう変化。

③意識して両手で相手の手首を強く掴んでいても、身体が無力化され投げられてしまう変化。




〈仮説〉「気」は、時間に働きかける。主観的な時間のスピードを制御できる



 攻撃していっても一瞬にして無力化され投げられてしまう、あるいは意識
して押さえたり、掴んだりしても、その力が抜けてしまうという ことは、そこに
ぶつかり合う衝突がなく逆に調和が生じ、相手が支点になる手がかりを失う結果、
無力化されていると言える。

また、この無力化は相手が攻撃する前にもできるが、技としてはこちらのほうが上級となる。

なぜ衝突が調和に変わるかについては、時間の変化が作用していると考える。
すなわち、高速度撮影した現象は、再生時にスローモーションになって再現されるが、
これと似ていて、 自分の内面のスピードが高速になれば相手がスローモーション
現象になる。ただし再現ではなく同時進行である。

スローモーションでは衝突が消え調和する。
そして現実には衝突であった事象でも、調和すると同時に無意識下の状態に
させられてしまうことにあると考える。 つまり、意識のスピードでは及ばないのである。

意識と無意識の世界を描いた『マインド・タイム』(脳と意識の時間)の著者
ベンジャミン・リベットは、 人の行動においてゼロから0・5秒の間は人間が
意識できない無意識の世界であるとし、 それを実験で証明しており、行動は、
0・2秒後から始まるが、それを自覚できるのは、0・5秒後と述べている
(190頁 図参照)。以上から次の仮説が可能となる。

「気」は、この0・2秒より以前の無意識の世界に入り込む時間をもつと考える。
すなわち同じ時間同士であると、接触点に衝突が起きる現象も、相手の何万倍の
スピードで相手のなかに入り込むと、 相手は事の起こりをキャッチできず、反応不能
となり結果、無力化され調和されていくという現象が起きると考える。

すなわち、相手の意識する以前の無意識の世界で発せられている波長を感知し、
相手の事の起こりを見ていると言える。
このことから、「気」が時間に働きかけ、スピードを変えているということが言えるのである。



Ⅰ・意識と無意識 Ⅱ・頭脳と身体脳 Ⅲ・気 Ⅳ・ベンジャミン・リベットの実験
(図)意識の世界と無意識の世界

①「気」で宇城塾長が押すと・・・ ②塾生が押すと・・・
「気」で宇城塾長が押すと・・ 塾生が押すと・・・
③戻ろうとしても戻れない(0.2秒以下の制御) ④手を離すと戻ってしまう
戻ろうとしても戻れない(0.2秒以下の制御) 手を離すと戻ってしまう
③「身体が戻らない時でも意識は元に戻る方向
にありました。でも身体は動かない。
意識より身体のほうが先立つことを感じました。」
体験者の感想より
①4人が手を掴む。 ②一瞬に無力化され… ③投げ飛ばされる。
このように「気」は通常の筋力の力の概念
とはまったく真逆のところにある。
「気」によって起こる事象


事象 4  身体が変化する


〈実例〉
①前屈や上体ひねりをする際、あるいは指で相手の首を突いたり、うつぶせに寝た人のふくらはぎを親指で押すといった状況において、
通常の状態で行なう場合と、「気」を通された状態で行なうものとでは格段に身体の柔らかさに違いが生じるという変化。

②相手の二の腕や髪の毛、あるいは耳をつまんだり引っ張ったりすると、通常だと飛び上がるほどの痛みを感じるが、
「気」によってその痛みがとれ、さらにはつままれたまま相手を投げることさえできるという変化。





〈仮説〉「気」は、細胞に働きかける



①「気」を通されると、痛みがなくなる ②通常、つままれると痛みを感じる

● 身体が一瞬にして柔らかくなるのは、「気」が筋肉ではなく
細胞に作用し、細胞が活性化された結果であると言えるのではないか。
すなわち、「気」が、筋肉(1秒)やその筋肉を動かす神経(1/1,000秒)
に働きかけるのではなく、 その神経を動かす細胞(1/1,000,000秒)に
働きかけるものであるので、その細胞の時間の速さから身体の柔らかさが
もたらされるものであると考えられる。
(時間についての詳細は『気の開発メソッド 初級編』参照)

● つままれた腕や足の痛みが「気」によって瞬時にゆるく、
あるいはなくなるということは、身体に変化が起きている証拠である。
この時、実際身体が柔らかくなったり剛くなったりするのでその変化が
よくわかる。硬軟の変化ではなく剛柔の変化である。
つままれたまま人を投げられることは、強さに加えて身体が居付かず
自由であることの証拠である。

通常身体の一部がつままれればその部分の神経によって
痛みを感じ、その痛みが脳に伝わるのだが、その痛みがなくなる、
あるいはゆるくなるということは、つまんでいる圧力以上の高速で
その圧力が「気」によって分散され続けているのではないか。
あるいは、「気」によって神経の信号系統自体に何らかの作用が
起きると考えられる。 すなわち、神経を動かしている細胞レベル
に何らかの変化が起きていると考えられるのである。

このような事実によって、「気」をキャッチするのは、脳(頭)ではなく、
60兆個の細胞であるという仮説が成り立つのである。
さらに「気」を通した状態で仰向けになった人の腹や太腿や腕に
乗っても痛くないのは、身体に「気」が通ることによって細胞の状態が変化し、
すなわち細胞のもつスピードによって力の分散が起きているからと考える。
そのことで身体が強くなり神経の感知力状態が変わって痛くなくなるということだと考える。

「気」によって起こる事象


事象 5  身体が強くなる


〈実例〉
①腕相撲において、片方が自分の手の甲を床につけた状態
から相手をひっくり返すという腕相撲は通常不可能である。
しかし、押さえられていても、「気」によって相手を体ごと
ひっくり返す力が出るという変化。

②束になった複数の相手を1人で投げたり、押したりすることは
不可能であるが、「気」を通すとできるようになる変化。

③人間が腕を左右にのばして両側に立つ人の肩に手を置き
人間鉄棒になったところに「気」を通すと、 人がぶら下がったり
逆上がりするなどしても大丈夫なほど身体が強くなる変化。





〈仮説〉「気」は、筋トレとは桁違いな強さを身体に与える



● 腕相撲や束になった複数の相手を押したり投げたりと、
「気」によって身体が一瞬にして強くなるということは、
それが筋肉の鍛錬によるものではないことの証拠である。

● 左頁の「人間鉄棒」の例に見るような検証で、
もし我慢して行なう筋肉の硬直した強さであったら、
大人2人がぶら下がるなどは到底不可能であり、
腕が折れるなどの危険がある。
しかし「気」による強さは柔らかさの伴なう一方で剛の強さ
でもあるので、両腕に人を乗せたまま移動することもできる。
また同時に手をかけている両肩の2人にも調和融合してい
るので、重さを感じず、かつ自由さがあるので左の写真の
ようなことが可能となると考える。

● いずれの検証例からも言えることは、暗示や精神論、
心理作用での実践は到底不可能なことであり、それが、
逆説的に「気」がそこに確実に作用していることを裏付けるのである。

①両手を広げた男性に「気」を通すと・・・ ②鉄棒のように2人が乗ることができる。 ③二人を乗せたまま移動も簡単にできる。
両手を広げた男性に「気」を通すと・・・ 鉄棒のように2人が乗ることができる。 二人を乗せたまま移動も簡単にできる。


男性七人が女性の襟首をがっちり掴む。 通常はびくともしないものを女性に「気」を通すと・・・ 瞬時に7人列を投げ飛ばすことができる。
①男性七人が女性の襟首をがっちり掴む。 ②通常はびくともしないものを女性に「気」を通すと・・・ ③瞬時に7人列を投げ飛ばすことができる。
がっちり組んだ20人 通常はびくともしないものを「気」を通すと… なんなく押し込むことができる。
①がっちり組んだ20人 ②通常はびくともしないものを「気」を通すと… ③なんなく押し込むことができる。
「気」によって起こる事象


事象6  怖さが消える


〈実例〉
①相手が木刀で攻撃するところへ、「気」によってすっとなかに入っていけるという変化。

②相手が手刀や竹刀、木刀で打ち込む寸前に、「気」によってなかに入り相手を制することができるという変化。




〈仮説〉「気」は、怖さを消す




①構えた片方に「気」を通すと… ②瞬時に相手の攻撃に入ることができる。 ③通常だと怖さが先にきて入れず、受けるのが精一杯になる。
構えた片方に「気」を通すと… 瞬時に相手の攻撃に入ることができる。 通常だと怖さが先にきて入れず、受けるのが精一杯になる。

①でも②でも実際やってみれば明白なことだが、
打ち込んでくるところに入るのは通常では不可能である。
怖さを先に感じ、まったく入れなくなるからである。

無理に入ってその危険を感じ反射的に手を出して
受けようとすれば、木刀だと骨折し、日本刀だと
斬られてしまうことになる。
以上から言えることは、 ① ②のように実際に入って
いけるということは、そこに「怖さ」が消えているという証拠でもある。

すなわち、頭で怖くないと思っても身体は無意識に怖さを
感じて避けてしまうが、実際入っていけるということは、
身体から「怖さ」が消えているということである。
まさにこれは武術の醍醐味であるとも言える。



①②相手の打ち込もうとする瞬間に相手に入り・・・ ①②相手の打ち込もうとする瞬間に相手に入り・・・
③④体をかわしつつ投げに入る ③④体をかわしつつ投げに入る
「気」によって起こる事象


事象 7  スピードが速くなる



実例〉
相手の瞬発攻撃に対して正面から入ると同時に相手の後ろにまわって瞬時に相手を制するという変化。



〈仮説〉「気」は、「気」は、相手の動きをスローにする



相手の瞬発攻撃に対して、真正面から入ると同時に、一瞬にして
後ろにまわって瞬時に相手を制しているという一連の動きは、
それだけ相手との間にスピードの差があるということである。
その差は、相手の動きがスローに見えるほどである。
逆に言えば、それだけ受ける側に余裕があるということになる。


①相手の攻撃に正面から入り ②瞬時に体を変化させ
③後ろから首を極めにいき ④倒す



「気」そのものの特徴



〈1〉 「気」は不可能と思われることを瞬時に可能にすることができる ―― エネルギーの概念 ―― 
〈2〉 「気」は瞬時に(0.00……秒)に全体、全員に伝わる ―― 時間の概念 ――


身体内面の超高速度スピードが調和を生む

「 気 」は、すべてにおいて時間、スピードが関係していると考える。
たとえば、高位置から卵を落とし、 地面に落ちて割れる瞬間は、
目に見える現象は衝突であるが、 高速度カメラで撮影したものを再現し
て見ると、すべてがゆっくりで柔らかく、そこにはまったく衝突がない。

別の例をあげれば、バンジージャンプを経験した人に、 あとで体験した
体感時間をストップウォッ チで計ってもらうと、高さにもよるが、 実際は
4~5秒であるにも関わらず、大抵の人は、6~7秒 くらいに感じており、
約30%ほど時間を長く感じている検証がある。 これは落ちる時の人間
の脳が、 卵の例のように高速度撮影状態であることを示している。

ここで言えることは、上記のような高速度撮影状態を、「気」は自分自身
にも、そして他人にも一 瞬にしてつくることができているということである。
「気」を通されると自身の時間のスピードが速 くなり、周りがゆっくりに見
えるので、どんな状況でもすべてがよく見える結果、 相手に入っていけ
るという余裕が生まれる。 多くの塾生が「気を通してもらうと周りの状況
がよく見えた」と述べてい るのもそのためである。 またこの時、対象と完
璧に同調、調和できるので、怖さも克服できる。
(怖さは、根性や心理的な努力によっては絶対に克服できない。)



(まとめ) 「気」は日常に活かされる調和の行動の哲学


以上、ここで紹介した「気」の実践、すなわち、重力レベル、時間レベル、
細胞レベルの 変化において、そこに共通することは、 「衝突がない」とい
うことである。 つまり衝突が「気」によって瞬時に調和に変化しているということである。

すなわちここで言う調和とは、衝突を生じさせない世界、武道の世界で言えば、
生と死のなかから導き出された究極の「戦わずして勝つ」の世界であり、
それは、武道だけでなく、社会的日常における技術開発や経営においても
行動の哲学として、常に日常のなかで活かされ実践できることである。

調和を導き、人をして恐れずに行動を促す「気」の実践は、今日の世界的な
混迷、困窮の状況下において、 その打開策のエネルギーとして、世界平和への
実現に計り知れない可能性をもつものと考えられる。

以上ここで紹介した事例のうち、《事象1》 《事象2》 については、重力を
コントロールし、あるいは引力を発生させるなど、 従来の物理的な解釈では
説明できないような事例をあげているが、それらにはすべて客観性、再現性、
普遍性があるという 実証を伴なった科学的裏付けとして、科学的な面から見て、
一体どのような理論的説明がつくのかを期待し問いかけるものである。

また、《事象3》 《事象4》 《事象5》 は、身体に対し、実際に変化を与えている
という事象実例である。
ここでの変化の内容は、自らの意識とは無関係に身体の力が抜けてしまう、
あるいは神経があるにも関わらず痛みを感じない、 人の力では絶対に不可能
とも言える束になった複数の人を押したり倒すなどができてしまう身体になると
いうものである。

そのような身体の変化は、これまで、火事場の馬鹿力的な次元で表現されてき
たものの、客観性、再現性、普遍性という形で、具体的にきちんと解明されるこ
とはなかった。 こうした身体の変化に対して、現在の科学的な 見地からどのよ
うな説明ができるのかを期待したいと思う。

人間の能力を開発する可能性があるという意味では、「気」が身体にどのよう
に作用しているかの解明は、たいへん価値あることであると思う。

最後の《事象6》 《事象7》 については、人間のなかにある無意識の時間への
働きかけによって、人間が意識できるスピードよりも速いスピードを感知してい
るというものである。 その感知のレベルが上がることによって相手がスローに
見えたり、また怖さが消えるなどの作用がある。 この事象例は、身体と心の関
係において、まさに現在に最も必要とされるところである。

ここで紹介した実践・実例は、従来のどの科学の範疇においても説明し得ぬよ
うな次元の内容であり、こうした変化に対し、物理の世界はもとより、 脳科学や
医学といった科学的側面から研究されることを望むと同時に、 分析主体の科
学から統合科学としてさらに発展することを望むものである。



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