戦前の内弟子 米川成美
 「植芝先生の持つ、無限の、妙なる力を求めつづけて」

 
植芝盛平の技を、ある時期集中して撮影された写真が数多く残されています。剣道の民間四大道場のひとつと称された「野間道場」で撮影されたものです。
 戦前から開祖に師事した米川成美師範は、その野間道場での撮影の受けをすべて務めています。『開祖を語る直弟子たち 植芝盛平と合気道 第1巻』で、その経緯や撮影時の盛平の様子を語ってくださっています。

 (野間道場の写真は)昭和11年(1936)の早い頃、大本事件の後のものでしょうね。野間道場の写真を撮ったのは野間恒さんではなく、講談社の写真部の方でしょう。ライカで撮っているんですよね。撮影は毎日ということではありませんでしたが、かなりつめて撮りましたね。
 野間恒さんと、中倉清さんは同門なんですよ、中山博道の。二人は麒麟児といいますか、異彩をはなっていた人たちなんです。

――写真の技ですが、これは皇武館道場でふだん稽古していたものですか、それとも最上段の技ですか。

 これはいちばん初歩からの技をずーっと積みあげていったもので、そのたびに撮ったのですね。決して上段ということではなく、初歩から、まず座り技から始まるという具合です。〈中略〉

 撮影の時は、植芝先生は非常に気分よくやってましたね。気分がいいと、いくらでも先生の変化技が出てくるんですよ。ああいうところに、先生の天分とでも申しましょうか、すごいものがありますね。考えておってはできないような技をやりますから、やはり天分でしょうね。この顔を見ても非常にいい顔をしてますからね。

 なぜ野間道場の写真を撮りだしたかというその元は、おそらく野間恒さんあたりから、「先生、これは後世に残すために、ひとつ撮っておきましょうよ」ということじゃなかったかと思うんですがね。植芝先生自らは、「野間道場に行って写真を撮ってくる」とはいいませんからね。